年甲斐もなく湧いた出来心。でも水を与えて育てたのはあんた自身、ならば受け入れてくれるよな?
「ただいま」
「おかえり彰人くん。外暑かっただろう」
「昼ほどじゃねえっすよ。夕暮れ時はけっこー涼しいっす」
ジャンルは似通ってる部分はあれど携わってる仕事自体は違う故に、オレはセンパイから「おかえり」を言われる事の方が多い。付き合いたての頃と言えば大概寝落ちしたセンパイをオレが起こして飯まで誘導するのが常だったが、歳を重ねて仕事も性格も幾分か落ち着いたらしく、こうして顔を合わせる頻度も増えた。
非常に喜ばしい事ではある。しかしオレらの挨拶には口にするのが小っ恥ずかしくなる習慣がある。
「……、?…、彰人くん…?」
小首を傾げるセンパイが要求してるものは、所謂「おかえりのキス」と言うやつだ。
らしくもないこれを受け入れた過去の自分が憎いとかそう言う話ではないが、センパイは未だ新婚気分みたいなのが抜けないらしく朝晩と外出時は挨拶のついでとしてこれを求め、そしてオレに与えたがる。
昨日までのオレならばいつものように細い腰を引き寄せて触れるだけの口付けを落としたのだろう。
「…今日はダメっすよ」
「ん?」
「帰り際に野菜ジュース飲んだんすよ。それでもいいなら、ほら」
「う"っ……!!え、…遠慮…しておくよ……」
センパイにとって死活問題である野菜嫌いはこんな場面でも遺憾無く発揮された。視界に収めるのですら苦い顔をするのだからこの結果は予想通りだが、こうも距離を取られると少し可笑しく思える。不満げな顔で見つめてくるセンパイの丸い頭を撫でてあやしてやれば、「子供じゃないよ」と湿った目で返された。
(あんたの何処が子供なんだよ)
年相応とは言えない反論は幼く聞こえるのに、緩んだ襟から見える朱色が全てを物語っている。
三日前に付けた証は上書きするにはまだ早い。焦らすと決めたのならば、とことんやる。
("そっち"はまだだもんなぁ…)
そうだ。オレがやろうとしてるのは神代センパイへの調教、対象は唇とキスと言う行為そのもの。理由は特にないが、敢えて音に乗せるのなら、センパイの好奇心がほんの少しオレに移っただけ。
「…なんだか楽しそうな顔をしているね?」
「……はい。楽しみが増えましたから」
何も知らないセンパイは「何それ」と微笑を浮かべ、恋人の楽しみを自分の事のかのように共感してくれる。
立ち往生してた玄関を抜ける間際、センパイが物足りなさそうに唇を舐める姿が見えた。ケアをするようになってからは禁じていた行為を無意識にしてしまうなんて、ニヤけてしまうじゃないか。
センパイとのキスに付属してた血の味を無くしたのはオレが手ずから育てたもの。ツヤツヤでぷっくりとしたそれを収穫出来る日が楽しみで仕方がない。