未定僕らが交わったのは、奇跡なんだと思う。
同じショーを営んでる友人が知り合いである後輩の存在を匂わせて来た爆発音が響くいつもの朝、近い内に顔を合わせると同じ廊下を走ってる時は話半分で聞いていたけれど、まさかその日の内に紹介されるとは思ってもなかった。噂の後輩くんの突発的な行動力は彼と似ているのかもしれないな、なんて心穏やかに思っていて、どんな姿なんだろう?彼と似ているのかな、と他者にあまり関与しない僕が柄にも無く色々と空想を膨らませていた。二年生の中途半端な時期に編入して来たのと、別の理由もあってか極端に友人関係が狭い僕はもしかしたら新しい関係を築けるのかもしれないと、あの時楽しみにしてたんだと思う。
放課後。友人がしきりに焦げた前髪をいつまでも気にするので慰めたり褒めたりして話題を変えていたら人が捌けた教室の扉にノック音。軽い音にスマホを見れば、約束の時間であるLHRが終わった十分後…よりも前の五分前に、「失礼します」と礼儀正しく挨拶をしてから上級生の教室まで臆する事なく入って来た人物に声を掛ける隣の友人を見て、今朝から膨らませていた空想が弾ける。
「司先輩、お待たせしました」
「おお、来たな冬弥!待っていたぞ!」
神山高校は校則がかなり緩い。
髪を染めるのは勿論、制服を着崩すのもアクセサリー類も基本的に注意される事はない。偏差値もかなり低い、所謂誰でも行けるような高校。そんな中、真面目と言う言葉が似合いそうなツートンカラーが特徴的な後輩くんの厳格そうな立ち振る舞いに面食らった僕は、思わず言葉を選ばない本音が溢れる。
「ほほう、君が青柳冬弥くんかい?」
「こんな真面目そうな好青年が、こんな奇妙奇天烈な人物を尊敬してやまないなんてねえ」
友人からすぐに「誰が奇妙奇天烈だ!」と指導が入ったが、少々行き過ぎた言葉に特に疑問は抱いてないようなのでまぁまぁと軽く聞き流し、次に後輩くんの隣に立つ気怠げな雰囲気を漂わせている、何か面食らったかのような顔をして司くんを凝視するオレンジ髪の子に目を向けた。活発そうな見た目、メッシュで入れた薄い黄色に入学理由が分かりやすい子だな、なんて思った最悪な第一印象。
「彰人、紹介する。昼休みに話した俺の尊敬する先輩だ」
期待を添えた眼差しを青柳くんに向ける彼はその言葉を聞いて何かが確信に変わったらしく、分かりやすく表情を沈ませた顔で「マジかよ……」と小さく呟いたのを僕は聞き逃さなかった。その瞬間、彼が僕らについて流れてる噂を既に把握してる「そっち側」なのだと気が付いた。
他者との距離感は、予め線引きしてる。だからこの先彼とは極力交わらないようにしようと、不自然に思われないぐらいの距離を保つ事をその場で決めた。あからさまに面倒な空気を匂わせてるのに、僕達二人をそっちのけで話し始めた司くんと青柳くんはそれに気付かない。これぐらいは許されるだろうと、手持ち無沙汰にさせないよう声を掛けてあげた。
「二人で盛り上がってしまってるね。…僕は神代類。…と言っても……その顔だと既に知っていそうだね」
「………まぁ、はい…」
「フフ……なるほど。差し支えなければなんだけど、お名前を聞いてもいいかい?」
「…………東雲彰人、っす」
小さく振り絞られた言葉は棘に近い毒々しさがある。まだ出会って一分程度だと言うのに彼は随分警戒心が高いらしい。単に面倒ごとを避けたくて極力話したくないって感じもするけど、この場合後者が正解だったと気が付いたのは随分後だったりする。
「そうかい。東雲くんか……うん、後輩くんより覚えやすいし、呼びやすい名前だ」
「…それはどうも。冬弥、そろそろ練習行くぞ」
それっぽい言葉を並べて不快感を与えないようにしたつもりだったけれど、どうやら振られたらしい。東雲くんは早く帰りたいと遠回しに青柳くんへと声を掛ける。
「すまない彰人、つい話し込んでしまった。…司先輩、神代先輩、俺達はこれで。今日はお時間をつくって頂きありがとうございました」
「おお、もうこんな時間か!冬弥も彰人も気をつけて帰るんだぞ!!信号をわたる時は左右をしっかり確認するんだぞ!!」
「…そこまでガキじゃねえっての……」
かなり小さい声で呟いた東雲くんの言葉に苦笑いを溢し、僕も二人に向かって手を振る。青柳くんはぺこりと一礼、東雲くんは一応歳下の自覚はあるらしく、軽く頭を下げてから足早に教室を去って行った。
これが、僕らのファーストコンタクト。
…二度目の再会は、重なり続けたとあるアクシデントからだった。
司くんに頼まれてついでに青柳くんの様子を見に行っただけだったのに、即興で演出を付けることになるとは誰が予測してただろう。
そして、その中でも異例なのは東雲くんの介入。
すれ違ったら気まぐれに話しかける程度、軽く挨拶をする程度の仲でいようと決めていた。お互いの為だし、彼もそれを良しとして僕らの関係性に何か言うでも無かった。
今回巻き込んだのは僕からで、役割を投げ出した演者の代わりを務まるのが彼しか居なかったから。どうしても成功させたいと言う願いからどんな手を使ってでも承諾させると言った時、東雲くんから出される敵意は頂点に達していて今後もう交わる事はないと思っていた。
なのに、そこで僕達は奥底に通じてるものが一緒なのだと理解してしまった。
"ただ信念のために"
……それからは、避けられつつも蟠りは前ほど感じなくなって、東雲くんから多少の理解は得られたのだと少しだけ変わった日常を特に何も思う事なく堪能していたある日、また転機が訪れる。
それが僕らの三度目の交わりだ。
「……仕方ねぇな。神代センパイ、肩貸しますよ」
「あんた、いつか言ってませんでした?ショーを成功させるためならどんな手でも使うって」
「いいもん作りたいなら、いろいろひとりで抱え込むなってことですよ」
この日を境に、僕と彼は話す事が以前よりも増えた。向こうから来る事もあれば、こちらから行く事も。街で歌ってる彼を見かけた時、つい出てしまった本音。結果的に振られてしまったけど、初めての時よりは柔らかくなった表情と物腰は僕の中で彼に抱く認識を変える大きなきっかけになった。
足を挫いて動けない僕の肩に回された腕。
必然的に近くなる距離に、彼の熱と匂いを直に感じ取ってしまって鼓動が高鳴ったあの日。
湧き出るあり得ない感情の種類に戸惑い、何度考えても答えは一つだと言うのに彼の為だと否定したがる自分の心に嘘を吐き続けた数ヶ月間、周りから心配されるほどに疲弊してたのは当然彼の耳にも入る訳で。
一人で昼食を摂ろうと屋上の端に座り込んだはいいものの中々袋を開ける手が動かず、演出案をまとめたノートを気まぐれに開いてぼうっとしてた時、屋上まで続く扉が開かれて最近僕の脳内を占拠する彼が顔を見せた瞬間、心臓が口から飛び出そうになった。よく使われるありがちな表現を自分が体現するとは思ってもなかったから二重で驚いたと言うのに、幼い頃から磨かれたポーカーフェイスで平静を保ったまま、彼にいつもの笑みを向ける。何の綻びも生じてないよう、努めていつも通りに。
「やあ、東雲くん。今日は青柳くんと一緒じゃないのかい?」
「あいつは委員会に用事があるんで……神代センパイ、今日は交換しなくていいんすか?」
何も悟られないよう彼の隣に居る事がかなり多い青柳くんについて聞いたつもりが、軽くいなされてしまった。過ごす時間が少しだけ増えた影響から近くなった距離を感じさせる発言に余計ボロが出そうになって、空白が多いノートに視線を落とした。
「……珍しいね。君からふっかけて来るなんて。今日は平気だよ、ありがとう」
「…そうすか」
東雲くんなりに心配してくれてるんだろうと、屋上に入って来て僕の顔を見るなり少し安堵したような表情を浮かべたから分かった。直接何かあったのかと聞かない辺り彼らしい。気遣いの出来る姿に、もう忘れようとしていた感情を呼び戻される。
どうして君がそんな顔するの、僕は苦手な先輩なんだろう、関わりたくないって言ってたじゃないか、…なんて、聞きたいは沢山あった。変わり始めた関係性に心地良さを感じるのと同時に、埋められない溝の深さも理解してる僕はこれまで、自分の立場を弁えて行動してきた。
不自然に思われない程度の距離感、話し方、表情の作り方、どれも綻ぶ事は無かったのに。
手を伸ばせば届く距離。
僕の隣に腰掛けて菓子パンには手を付けずにスマホを眺める彼から伝わる優しさが苦しくて、カーディガンの胸元辺りにシワを作った。何も感じさせないようにしてきた。でもやっぱり、"好きな人"の前では僕の長年の努力は水の泡となる。
伝えられないもどかしさ、東雲くんから向けられる全てが愛おしくて、苦しくてたまらない。吐き気を覚えるほどに、僕は苦しんでいた。
「………?センパ、」
伸ばしてしまった手を、彼の右手に重ねる。少し冷たさが残る温度は、もしかしたら僕を探してくれてたんじゃないかと勘繰ってしまう。そんなこと、あり得ないのに。
「───好きなんだ」
言うつもりのなかった恋心は、いとも簡単に僕の口から溢れ出た。
あれだけ葛藤して苦しんでた癖に。楽になりたかったからか、それとも期待したのか。
音に乗せて吐き出してしまえば頭上から戸惑いの吐息と動揺が伝わる右手に顔を上げる事が出来なくなる。
…なんで言っちゃったんだろ。馬鹿だ、僕は。
ぬるま湯のような心地良さ。僕の過去を鑑みるならば今が一番幸福だと思う。
自分を受け入れてくれた仲間達、様々な出会い方をして交流が生まれた大切な友人達、再び出会えた過去に痛みを分かち合った理解者。
この中の誰だって欠けてはならない、一生大切にしたいと思った人達。もう変わる事がないなら、自分から大きな行動はしないようにしようと感情を停滞させていた。
今になって我慢が出来なくなりましたなんて、笑えない冗談だろう。
(……そっか)
…あぁ、冗談で済ませれば、まだ戻れるか。
「なんて、ね、冗談。次のショーは恋がテーマでね、少しそれっぽく演じてみたんだ」
「…、…は、?」
彼は僕がワンダーランズ×ショウタイムに所属してる事は知ってるだろうと思い、咄嗟に嘘をついた。舞台から眺める客席の中に何度か見掛けたから。きっと青柳くんか司くん経由だろうし、苦手な先輩である僕を見に来てくれた訳じゃないけど。
目線も手もノートに戻して過去の演出案を遡り、デタラメをあれこれ垂れ流せば誤魔化せると思った。
こんな事言ってはあれだけど、直情的な東雲くんは僕の知る限り騙しやすく、欺くにはそう技術はいらないと見越しての即興の嘘。口裏を合わせる為に寧々と司くんには事情を伏せて説明しようと話しながらノートを模索してたら、「神代センパイ、」と戸惑いがちな声。やっぱり、そんな反応するよね。
「あぁ…ごめんね。あらかじめ伏せておかないと自然な反応を見られないし」
「センパイ、」
「いいリアクションが取れたよ、ありがとう。あ、そうだ。次の公演、興味があればチケットをあげるけど、青柳くん達と一緒に」
「ッ神代センパイ!!!」
屋上中に響く声にびくりと肩が跳ねる。
聞いた事もない、怒号に近い東雲くんの声は僕を萎縮させるのに充分だった。
──怒ってる。僕が気持ち悪い事言ったから。
「……あ。……えっ…と、すまないね。不快に、させて……」
冗談とノリの延長線で済ませれば彼を出し抜けると思った。普段の様子からして、そう言う若者のノリは嫌いじゃないと思ってたし、瑞希や白石くんに揶揄われてる時だって本気で嫌がる素振りを見せた事はない。その輪の中に入れたらどれだけ良かったんだろうと、傍観者の位置に収まって眺めてたから間違いじゃないと思ってたのに。
「そうじゃねえよ、…神代センパイ、話聞いてくれませんか」
…これから、拒絶されるんだろうか。
素直に頷けば東雲くんはほっと一息ついてから僕の方に体を向けて正面から向き合う。いつかの時に彼を真摯だと評したけど、あの認識はやはり間違いなんかじゃない。僕の"冗談"ですら真剣に向き合おうとしてくれてるんだから。
「……で、何処までが本気ですか」
「…ショーの演出だと言っただろう?リアクションを知りたかったから誰でも良かったんだ。出来れば仲が良すぎる人じゃない子が適任でね」
嘘つき。
仲が深まったとこの先苦しむ事を理解もせずに喜んでいたのは僕だろうに。
「…、…オレはセンパイと多少なりとも距離縮まったなって、思ってますけど。あんたは…違うんだな……」
少し、悲しそうな顔。
(なんで……君が、そんな……)
……胸が苦しい。遠ざけた距離の分だけ近付かれたと思ったら、彼はもう一歩踏み出して来た。真剣な姿にまた心臓が高鳴る。
「………フフ。避けてたのにね。どう言う心境の変化なのか、次の機会にでも聞かせて欲しいな」
「……あんた、そうやってごちゃごちゃ考えて疲れねえの?」
「疲れないよ。どんなものでも創作に繋がる…考える事を辞めるなんて、それこそ疲弊してしまう」
これは本音だ。四六時中ショーの演出について考えていたのは昔からそうだけど、最近は気を紛らわせていないと気を抜いた瞬間に色々と溢れ出てしまいそうだから、体が疲れて寝落ちするまで手も思考も動かし続けている。しかし彼にまで僕の近況が伝達していたのは予想外だった。今夜からは別の対策を練らないといけない。適当な理由をつけて眠剤でも処方して貰おうか?
「…神代センパイ、顔上げてくれませんか」
「、寝不足で隈が酷いんだ。勘弁してもらえるかい?」
「気にしませんよ、オレは」
「……君、今日は変だよ。僕に構うだなんていつもしないのに」
「それはこっちのセリフだっつの。…調子狂うんだよ、そう言う態度されっと」
しつこいよ、と暗に伝えたけどイマイチ伝わらなかったようで逆に宥められてしまった。本当、何で今日に限ってこんなに食い下がって来るんだろう。
どう誤魔化すかと黙り込んでいたら、埒が開かないと東雲くんのため息と頭を掻く音。
「…センパイ、オレにはショー抜きの言葉に聞こえました」
確信に迫る、さながら死刑宣告のような。
案外鋭い、いや、彼なりに僕と過ごしてきた時間を見つめてくれてた結果だろう。手放しで喜べる状況だったなら、良かったのに。
「おや…そんなに情熱的に聴こえてしまったかな。僕のお相手はうっかり恋に落ちてしまうかもね?」
「──神代センパイ、」
腕を掴まれて引き寄せられる。前のめりに転ばぬよう、条件反射で床に手をつけると僕達の距離を近付けるには充分で、すぐ近くにまで迫った甘い匂いについ顔を上げれば、僕の知らない顔をした彼が居た。
──あぁ、やっぱりかっこいいな。
顔だけじゃなくて、在り方も、明確な夢を持って追いかける君は僕にとって眩しい存在。
眩しすぎるくらい、君は僕にとっての光だったのかもしれない。憧れや尊敬から来るものじゃなくて、純粋な恋心からそう思う。
「冗談って言うんなら、何でそんな顔してんだよ」
苦しげに歪められた顔と少し震えた声。
目頭が熱い。鼻の奥がツンとする、忘れていたこの感じは、
◇
俺がこの人に抱いた感情はどれもマイナス的で、顔合わせる前から一方的に認知してた名前の正体は向こうも自覚があるようで、第一印象は出会って間もなく最悪の文字から変わる事は無かった。
気に食わない。気に食わない。
すかした態度も、余裕そうなツラも、全部が気に入らない。
自分に迷惑が掛からない範囲ならば学校での爆破も装置の起動もいくらだってやればいい。俺に迷惑が掛からないならばそれでいい。面倒な事に巻き込まれないならば何だっていい、そう思って過ごして来た。でも冬弥の付き添いで結婚式のイベントに足を運んだ時、その概念が崩れた。
目的のためならばどんな手でも使うと、俺を挑発して参加させようとして来た強引さ、そう言う考えで人を動かそうとする意思が、俺には受け入れられなかった。ただ、冬弥の純粋な気持ちでぶつけられた神代先輩の志に心を打たれたのは本当だった。
「…今回だけは、冬弥の顔に免じて手伝ってやるよ」
「その代わり、ひとつ貸しだからな」
つい勢いに任せて言った言葉だったが、本気にはしてなかった。そもそもこの人と関わりたくないし、友人とも言えない俺らの関係性だと貸しを作らせた所で何にもならない。
思えば、関わるなとこの時言っておけば俺達の未来は変わったのかもしれない。
──────
──
結婚式での出来事から、校内で先輩を見かける機会が増えた。大体向こうから話しかけてくるから俺が向かわなくても勝手にやって来る。「げっ」とあからさまに嫌そうな声を出していたのに、先輩はそんな俺を見ても関わりを完全に断つ事は辞めなかった。司先輩と冬弥は幼馴染と言う事もあって仲がよく、二人でいる事もそれなりにある。それと同時に神代先輩と司先輩も二人で居ることが多いから、俺達は四人でばったり出会う事が増えた。
「おや?今日は逃げなくていいのかい?」
──いや、ここまでがっつり目があってんのに逃げるって、さすがにそんなこと出来ないでしょ
「そういえば、君は瑞希と知りあいみたいだったけれど、仲いいのかい?」
──オレがっていうより姉貴のほうですけどね
「また二人で話しこんでしまってるねえ。こんなことが前にもあった気がするよ」
──そうっすね。おーい、冬弥。購買はやく行かねえとなくなんぞ
どれも鮮明に思い出せるのはやはり関わりが少ないからか。
話題はどれも他愛のない話のように見えるが、ひとつひとつ眺めると一定の距離は超えないような話ばかり。現状それで満足してたしその上を行きたいとも思わなかったから、特に何も思う事はなかった。
…多分、きっかけはシブヤフェスティバルが終わってからだ。
何となく校内で見掛けたら目で追うようになった。何もせずとも廊下を爆走する姿を披露してくれるから目で追わなくても見かける機会は多かったが。
「……あ、」
放課後、図書委員の冬弥を待ってる時に偶然花壇の前に座り込んでる神代先輩を見かけた。緑化委員と言うのは前から知ってたため何をしてるのかと疑問を抱く事はなかったが、土いじりをしてる姿を見るのはその時が初めてだったからつい見入ってしまった。
軍手似合わねえな、髪邪魔そうとか思いながらぼんやりと眺めていたら、目を疑う光景が。
花になんか微塵の興味もない。
俺の目を奪っていたのは、神代先輩が見た事もない表情を浮かべていたからだ。
(あいつ……あんな顔もすんのか……)
元々顔の造形は悪くない。花にだけ向けられてるのが惜しいと思えるほどに柔らかく笑うその顔が目に焼き付いて離れない。
妙に高鳴る鼓動と上昇する体温は、昔絵名の目を盗んで見た恋愛漫画に出てきた恋を覚えたばかりの少女そのもの。普段省エネ気味な脳がいきなり回り始めて、絶対に違うと訴えてくる警鐘がもはや確信に迫っていた。
思わずその場で蹲る。
認めたくない、こんなの。
避けていたのになんで、
「……彰人?どうした、体調でも悪いのか?」
側から聞こえる相棒の声に肩が跳ねた。脅かすなよ、なんて軽口を言う余裕すらない。
「…なんでもねえ。……はぁーー、ぁ……マジかよオレ………」
「…?顔が赤いな…」
…やめてくれ冬弥。それはトドメの一撃だ。
こっちは情緒を掻き乱されてむず痒い思いをしてると言うのに、視界の端に映る神代先輩は楽しそうに花に水を与えて微笑みを浮かべるばかり。
(なんでオレばっかこんな目に……あーツイてねえ……)
あっさり自覚して認めた辺り、やっぱりこれは間違いなんかじゃなかったんだろう。
オレは校内一変人であり、同時に天才でもある神代類に惚れてしまったんだ───。
◇
目頭が熱い。じわじわと歪む視界に俯けば溢れる涙が東雲くんの制服に吸い込まれる。離れないと、と思っても彼がずっと僕の腕を掴んでるから出来ないし、そもそもこの状態で動けるかどうかも怪しい。
どんどん出てくるそれは嗚咽も混じってきて息が苦しくなる。好きな人にこんな姿見せるなんて、情けないな。
「……それも、演技ですか」
屋上に流れる重苦しい空気を切り開いたのは向こうから。下げられた声の大きさは僕にだけ聴かせると言うよりも、他の要因が混ざってるような気がする。
こんなぐちゃぐちゃな時でも演技をするのがプロの役者なんだろうか。僕は舞台に立つよりも演出をつけるのがメインだからそこら辺の事情は知らないけど、今確実に言えるのは本音を好きな人に隠すのは殆ど不可能と言う事。共演がきっかけで恋に発展したなんて珍しくない。その他の感情がある中で見事に演じ切る彼らには拍手を禁じ得ない。
(もう…無理だな、)
今更隠せるなんて思ってもないけど、これはどう見ても詰みだろう。
無駄に嘘を重ねる前に真実を吐き出してしまわないと、せめてこれ以上嫌われないように。
「……、演技、じゃない……」
「…じゃあ、何で泣いてるんですか」
掴まれてた腕を離されて、そっと頬に伝う涙を拭われる。
優しい手付きにまた溢れて、拭われて、溢れて、何度か繰り返す内にやめてと声を掛けたけど彼は聞く耳を持ってくれなかった。
「、汚れてしまうから」
「…だから拭いてやってんでしょ。不満なら…別の方法にしましょうか?」
え、と声を出す間も無くグッと腕を掴まれて今度こそ思いっきり彼の方へ引き寄せられた。
倒れる、と目を瞑って衝撃に備えればグラついた視界の先に予想してた痛みはなくて、代わりに頬に押し当てられる布地の何かと東雲くんの少し苦しげな声。
ふわっと香る甘い匂いは彼特有のもの。さっき知ったばかりのそれに恐る恐る目を開ければ、バツが悪そうな顔をする東雲くんが居た。
「……、あ…」
「…ダッセェ。受け止められてねえし……ああ言うのって、漫画だけの表現なんだな」
僕を片手で抱き留めた東雲くんはそう言って困ったように笑う。後ろに倒れ込みそうになったのを咄嗟に支えた彼の右手が後ろで小刻みにプルプルと震えていて、色々合ってない状況につい僕も釣られて笑みが溢れた。
「……オレの精一杯を笑わないでくれませんかね」
「っ…、…フッ…だって、君……そんな、無理して……っふふふ…!」
「…チッ……やんなきゃよかった…」
抱き留めることを失敗した東雲くんを笑い飛ばせば彼は頬を赤く染めて顔を逸らしてしまう。
重いだろうと、地面に手を付いて元の体制に戻れば彼が何か言いたそうに視線を浴びせてきたけど、さっきの失態からその口が開かれることは無かった。