ここに来てから気になっている人がいる。
背の高い僕から見たら背の低いその人はつむじしか見えないし、前から見ても大きなサングラスで顔が隠れていてよくわからない。
ただ、いつも周りに誰かがいて皆に慕われていて、いつも楽しそうに笑っている雰囲気がいいなーって思っていて、気がつけばその人を目で追うことが増えていた。
ここ、神之池に来るまでは一式陸攻の副操縦士として南方を転々としていた。本当は戦闘機に乗りたかったんだけど飛行学生の頃に適正で落とされてしまって、気がつけば一式の副操縦士になっていた。
南方では行く先々で他の一式がどんどん落ちて行く中、生き残って本土に戻れたのは奇跡だと思っている。
最後は引き上げる兵士を乗せれるだけ乗せて本土に戻ってきたっけ…
本土に戻ったらすぐに「戦闘機の操縦士を探している」って声をかけられて、戦闘機に乗りたかった僕は二つ返事で引き受けてここにきた。
でもここにあるのは戦闘機ではなかった。小さな小さな魚雷みたいな滑空機。これで特攻をすると言われて僕の運もここまでかと天を仰いだ。
僕の気になる小さなその人は一式陸攻の操縦士で部隊長の鳴子飛曹長と人伝で名前を知った。
マルダイの隊員と一式陸攻の搭乗員は話してはいけない決まりがあって、兵舎も酒保も別だし訓練も一度きりの投下訓練でしか一式の隊員と接触できる機会がないから名前を知れたことだけでも幸運だった。
名前を知れたからって、話せる機会があるわけでも無いけど、口の中で「鳴子飛曹長」と声を出さずに呟くと、僕もあの仲の良い部隊の輪に入れている気分になれて少し嬉しかった。
それで肝心のマルダイの訓練、最初は零戦でエンジンを絞って滑空の練習をした。飛行学生の頃も乗ったことがなかった零戦!普通に飛びたかったなとガッカリした気持ちもあったけど、死ぬまでに零に乗れたことに喜ばないとね…
マルダイ、桜花って呼ぶ人も増えてきたんだっけ?桜花の訓練は危険すぎるから一人一回だけと決まっていて僕はまだ乗っていなかったんだけど、ある日の夜、突然教官に呼び出されたんだ。
呼ばれた先は桜花の保管庫で、地面に何台もオレンジ色の桜花練習機が置かれている中の一つの桜花の風防を開けて「中に入ってみろ」って。
恐る恐る中に入ってフットバーに足を乗せると膝が曲がってしまう。膝で計測器類が見えない…こんなものなのかな?と思いながらベルトを締めると教官がおもむろに風防を閉じた…ら、僕の頭が風防に挟まり締まらなかった。
「いたたたた!いたいです!」
風防をまた開けた教官は「背中を丸めて頭が入るようにしろ」と言うので言われた通り体を丸めて頭を下げたら何とか風防を締めることができたようだった。
足は膝が曲がった状態だし猫背で顔は下向きになってるしで、こんな姿勢で前見て操縦なんて無理なんじゃぁ…困惑していたら風防を開けた教官が少し焦った顔をして「お前短くなれないならこれ乗れないぞ」と言われてしまった。
いやー困ったーと独り言を呟きなから保管庫を去った教官の背中を呆然と見送ったっけ。
次の日は大変だった。教官が僕が大きすぎて桜花に入れないってことを上に伝えたら「どの部隊がこいつ送ってきた!」って大怒り。「足を切れば入るんじゃ無いか」と怖い言葉も聞こえてきたけど、結局、僕をここでは使えないから前の部隊に送り返そうってことで話は落ち着いたみたいだった。
桜花隊員じゃなくなった僕は桜花隊員の宿舎にはもう泊まれなくなるみたいで帰る日まで一時的に一式の部隊が寝泊まりする兵舎に移った。桜花隊は特攻の訓練している人たちだから、他の部隊の人たちが一緒に居ると辛いだろうと分けているらしい。
初めて入った一式の部隊の人たちの兵舎は桜花隊の兵舎とちがって階級関係なく皆仲が良くワイワイと花札をしたり歌を歌ったりしていた。
桜花搭乗員の部屋は気が立っている人も多くて喧嘩が多かったし、学徒出身の人も多くて彼らはプライドもある上、階級は上官に当たるから近寄ることもできなくてギスギスした空気だったけど、こっちは全然違うな。
どこで寝ればいいんだろう?と兵舎をうろうろと彷徨っていると夜間訓練に出掛けている隊の部屋なのか、誰もおらず真っ暗な部屋を見つけた。
もうここで休ませてもらおうかな?と思っていたところにトットットッと軽快な足音が廊下から響いてくる。
振り返るとあの遠目でしか見たことがない鳴子飛曹長が部屋の前に立っていた。
サングラスをおでこに押し上げていて初めて顔を見たから一瞬彼だと気が付かなかった。
「貴様が園か?」
僕の方にゆっくりと歩み寄ってくると、彼の瞳が蜂蜜に星を散らした色なことに気がついて僕は鳴子飛曹長の瞳に釘付けになっていた。
「お前が元の隊に戻るまで俺のところで面倒みてくれって言われたんだ。俺は鳴子飛曹長だ。よろしく。」
鳴子飛曹長がニコッと笑うと暗いはずの部屋がキラキラと輝いた気がした。
「あっ僕は園悠希男一飛曹です。お世話になります。」
気恥ずかしくなり下を向いて頬をかく。
「ガタイが良いのに大人しそうな奴だな!うちの隊はうるさいのが多いから、最初はちょっとしんどいかもしれんが、何かあったら俺に言ってくれ。」
ついてこい…と言われ飛曹長の後ろを追いかける。小さな体だけど歩くのが早くて大股歩きで彼のつむじを追いかけた。
しばらくして上から呼び出された。僕が前にいた隊は解散になっていて僕の行き先を決めあぐねているとのことだった。
何分、今は一式がどこの基地にもほとんど残っておらず、乗組員が溢れている状態でどこに送っても大型機の副操縦士の僕には仕事がない状態らしい。
今はここで燃料になる松の根を掘ったり一式隊員の補助をしているけど、今のこの戦況でこんなことしてていいのかな?と漠然とした不安を感じながら過ごしていた。
鳴子部隊の皆はとても賑やかで良い人ばかりだった。皆飛曹長のことを尊敬していて飛曹長は面倒見が良くてみんなの事をいつも気にかけている。
寝床を間借りしている僕のことも心配してくれて、人見知りな僕が黙っていると皆の輪の中に引き込んでくれて、おかげで皆と仲良くなることができた。
もしかしたら軍に入ってからこんなに笑ったことは初めてかもしれない。
今日も小池さんと斉藤さんの掛け合いに腹が捩れるほど笑っていたら、飛曹長に肩をつつかれた。無言で廊下を指さされ、そっと部屋を抜け出すと、普段より少し表情の堅い飛曹長が口を開いた。
「俺の隊の副操縦士な、ソノは会ったことないと思うんだが…肺を悪くして入院してたんだ。今は訓練だから操縦は俺1人でやれてるし、偵察員の小池か斎藤が交換で副操縦士やってたんだが…」
言いにくそうに下を向いて頭をバリバリとかくと飛曹長のつむじが毛羽立った。
「ソイツ、容態が悪くて除隊になっちまってな…来月には俺たち鹿屋に行って桜花の実戦が始まるのにあたって新しい副操縦士にソノを置きたいって上に言われたんだ。」
僕が鳴子飛曹長の部隊の副操縦士…願ってもいない申し出に心が舞い上がったが飛曹長の顔色は良くない。
「お前のような若くて恵まれた奴は死んでほしくないんだよ。実戦になったら多分生きて帰れない。だから俺は断ったんだが…」
腰から下げた手拭いを両手で握る飛曹長の手を僕の両手で包んだ。
「是非、飛曹長の隊に僕を入れてください。あなたと共に僕はいたいです。」
あれ?何か変な言い回しになってしまったかな?でも僕はこの人と離れたくない…
「そういうのは女に言ってやれ。」
プッと吹き出して僕を見上げた飛曹長は困ったような顔をしながら
「わかった。上に伝えておく。」
そう言って後ろを向き立ち去る飛曹長のそばかすが散った耳が赤く見えた気がした。