黄水晶「スピネル社長」
所用を済ませ、戻るところだった社長室の扉の前でかけられた声にスピネルは微笑みを返した。
「おや、シトリン。2人きりの時には『スピネル』で良いと教えたはずですが?」
「ゔ…」
社内とはいえ、立ち入りの制限されたこのフロアに他に通りかかる者などいるはずもない。
ニッコリと微笑みを深くしたスピネルに、『シトリン』と呼ばれた青年はフイと目を逸らしながらあーだのうーだのと唸っている。今更照れることでも無いだろうに。
こんな姿を見ていると、以前の彼とまるで変わらないようにも見えるのだが。
「あー、えっと、スピ…ネル…、まだ仕事するのか?」
「ええ。まだ終わらせておきたいことが残っていますからね。」
ようやくこちらを見た彼の瞳が柔らかく光るのを見て、やはり違うな、と思ってしまった。
その瞳はスピネルの与えた名前のとおり金色に輝いているというのに。
この柔らかい光は違う。闘いの中で自分に向けられる瞳はもっと苛烈でこちらの目を灼くような眩しさだった。
その光を求めているというのに、偽りの輝きに安堵している自分もいる。
『フリード』と本当の名前を呼ぶことさえできないのは、彼が記憶を取り戻すことを恐れているからだ。
スピネルの求める輝きを取り戻した彼は自分の元から去っていくだろう。それをひどく恐れている。
自分はなんと愚かで臆病なのか、と自嘲した。
「ああ、でもその前にちょっと休憩に付き合ってもらいましょうか」
しかし、そんな感情を表に出すことなくいつもどおりににこやかな表情を浮かべたまま、スピネルはフリードの腕を引くと、社長室の中に押し込めた。
「はぁ!?ちょ…!休憩…って…」
これはニセモノなのだ、とわかっていても、スピネルはいつもその身体に手を伸ばすことをやめることはできない。
僅かな音を立てて社長室の扉がロックされたのを合図に、顰めたような照れたような顔をしたフリードの身体をスピネルはきつく抱きしめた。