緑の缶の甘い飲み物 龍捲風+小さい信一+阿七 営業後の七記冰室、椅子に座ったこの砦の主がレンズ越しに鋭い目つきで見つめる先には、サッカーをしている少年の絵がプリントされた緑の缶が置いてある。
「なんです、これ」
冰室の店主である阿七が尋ねると、煙草に火を点け、最近本で読んだんだがと前置きしてから、龍捲風が話し出した。
「子どもの成長にはカルシウムが重要らしい。そしてカルシウムの吸収にはビタミンDが必要で、ビタミンDは日光を浴びることによって体内で作られるそうだ」
そこまで淀みなく一息に話すと、煙草を吸って煙を吐き出す。流石は最近の愛読書が育児書と児童心理学の男である。まぁどう考えても黒社会のボスが紫煙をくゆらせながらする話ではないが、それも混沌と評されるこの砦らしいのかもしれない。
「城砦の子どもがあまり日光に当たっていないことが気になってな」
龍捲風は理髪店の店主として働き、住民の困りごとを解決し、相談に耳を傾け、城砦の安定のために行動する。もちろん城砦の安定は綺麗事ばかりではないが、無駄な争いは好まない。特に信一を引き取ってからはそれが顕著になったように感じる。彼の子育てに対する姿勢は真摯なもので、わからなければ本を読み、住民に話を聞き、信一に合わせてなるべく規則正しい生活をし、自ら食事やオヤツも作っている。その影響なのか、最近は殊更子どものことが気になるようだ。それは阿七も同じで、例え多くの矛盾をはらみ、法の支配も届かぬ城砦であっても、できることなら子どもには健やかに育って欲しい。
「これは子供の成長に必要な栄養を補助できるそうだ」
中を見てみると甘い匂いのする粉末が入っている。おそらくココアのようなものだろうか?話を聞くと、牛乳に溶かして飲むそうで、味もやはりチョコやココアに近いらしい。いくら健康に良くても薬品は嫌がるだろうが、甘いなら子どもには人気が出るだろう。
今後の運用について話し合う。
「ひとまず住民がテレビを見ているときにでも試しに出してみて、それで好評なら通常提供するで問題ないですかね?」
あぁ、と頷いてから龍捲風が付け足す。
「なんなら無料で出しても構わん」
その場合代金は俺が出すからと。金に困っているわけではないにしろ、気前が良いことだ。
この飲み物についての話は一段落したので、龍捲風は心底嫌そうな顔しながら帳簿の確認を始めた。阿七は店の在庫の確認をしながら、そういえばうちのボスはなにか金を使うような趣味があっただろうか?と考える。酒は飲むが酒浸りではないし、もちろん飲む打つ買うにも縁はない。昔はなかなか良い車に乗っていたそうだが、今は城砦の外に出かけることも稀だ。出かけた際に甘味や製菓材料を買って来ることもあるが、それだって大した金額ではない。そもそも自分用ではなく、甘党の信一のためだ。今の彼の生活中心は信一で、一番金を使いたいのも信一だと言っても過言ではない気がする。はたから見れば親ばかというやつだろうか。とても黒社会の人間、しかもボスとは思えない。もちろんそういった人間味が、自分を含め多くの人間がこの城砦の主をを慕う理由でもあるのだが。
しかし、一つ言わせて欲しい。
(あんたこうやって適当に自分の財布から出したりするから、いつも帳簿があわんのでしょうが…)
阿七は心の中で叫んだ。
翌日龍捲風は自室の台所で昨日阿七に紹介した飲み物を作っていた。
「哥哥、何作ってるの?」
信一は興味津々でテーブルに手をついてぴょんぴょん跳ねている。テーブルの上のものを落とされては困ると、阿七はその肩に手を置いて飛び跳ねる子供をやんわりと止めた。
「お前の背を伸ばす飲み物だってさ」
そう言うと、大きな目をキラキラさせながら信一が阿七の方を振り向いた。
「これ飲むと大きくなる?」
「大きくなるかわからないが、その助けになるらしい」
そう答えながら、真剣に牛乳の分量を量り、ぐるぐると粉と混ぜる龍捲風をしばらく眺めていた信一がぽつりと呟く。
「二人は飲まないでよ…」
龍捲風も阿七もよく聞き取れなくて信一の方を向いたが、当の本人は発言の内容を咎められたと思ったらしい、そういうことじゃなくて、えっと、あのね、とモゴモゴと口ごもっていたが、二人の視線に耐えられなくなったのか、あーもう!!と大きな声で叫んだ。
「オレは!!二人より背が高くなりたいの!!それ以上大きくなんないで!!」
愛らしい必死の訴えの後流れた沈黙を、阿七の豪快な笑い声が破った。わしゃわしゃと信一の頭をかき混ぜる。
「安心しろ!俺も龍兄貴ももう身長なんて伸びないから!」
あぁと笑顔を浮かべた龍捲風も頷いた。
「むしろもう少ししたら縮むかもな」
「縮む…縮むの」
それも嫌だ、でも大きくなられるのも困るし…と口を尖らせながら、ぶつぶつ呟く信一に、ほら、と龍捲風が出来上がった飲み物が入ったマグカップを渡す。
一体どんな飲み物かもわからないのに、素直に渡されたマグカップに口をつける信一に、二人の信頼関係を見て阿七は我知らず笑みを浮かべていた。この良好な関係を築くために眼の前にいる黒社会のボスたる男は、力で解決するよりずっと面倒で手間で時間がかかる地道な努力している。
「味はどうだ?」
「うん、美味しいよ。だって哥哥作るものは何でも美味しいもん!」
子ども用の飲み物なだけあって、きちんと子どもが気に入る味のようだ。これはいけるな?龍捲風と阿七が目で会話して頷きあっていると、いつの間にか信一が2つのマグカップをテーブルに持ってきた。
「オレが二人に作ってあげる!」
数分後、作り方は龍捲風と全く同じだったはずだが、信一が作ったものは何故か表面に粉が固まったダマにがぷかぷか浮いている。
「なんで哥哥みたいにできないんだろう?」
「何でも最初から成功はしないからな、気にするなよ」
「初めてにしては上出来だ」
納得できない仕上がりに、顔をしかめる信一を慰めながら、龍捲風も阿七もマグカップを手に取った。
「うまい!」
「うん、うまいな」
そういった途端、満面の笑みを浮かべる信一を見ると、こちらもつられて笑顔になってしまう。もちろん溶けきらなかった粉のザラつきは好ましいものではないが、それでも信一が自分たちのために作ってくれたことを思えば、そんなこと何の問題にならない。たまに龍捲風のことを親ばかだ何だと思う時があるが、自分も大概信一には弱いとつくづく思う。ちらと横を見れば、同じことを思ったのだろう、マグカップを持ったのと反対の手で信一の頭を撫でながら、心底優しい眼差し向ける龍捲風の姿があった。きっと世界一かわいいと思っているに違いない。でもそれも仕方ないだろう。こんなに愛らしい子どもが心から自分たちを信じて慕ってくれるのだ。なんでもしてやりたいし、もし彼から笑顔を奪うような者があれば、龍捲風も自分も何を失うとしても全力で排除しにかかるだろう。
城砦の主に育てられたこの子が今後どんな道を進むことになるかはわからない。養父がその背に隠している、城砦の黒い部分にもそのうち気づくことになるだろう。ただ今は自分たちの隣で何も心配なく笑っていてほしい。随分身勝手な思いであることも理解しているが、そう願わずにはおれない。