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    6/11 21時ごめんなさい、内容思いっきり差し替えました。

    仕事疲れた脳みそでも、なんとかもんけま書きたいと大昔書いた一次ネタを流用。
    異能力系パロ+年齢差あり

    最後の顔無しさんは仙蔵。
    小平太は宇宙恐怖症≪Cosmophobia≫、伊作は記憶恐怖症≪Mnemophobia≫、長次は群衆恐怖症≪Ochlophobia≫
    仙蔵が言う世界を作った何者かはコヘです。とまで設定考えたけど続かない。

    phobia-恐怖を抱える者たち- 恐怖症疾患
     特定の対象に異常な嫌悪、忌避感を覚えること。
     重度の発症者は自身の恐怖を周囲に漏洩、拡散することにより、物的、人的被害を発生させる。

     恐怖症疾患の段階レベル
     レベル1:特定の対象に対し、並々ならぬ恐怖を覚える。
     レベル2:内面的な異変の表れ。症状は動悸、発汗、震えなど。
     レベル3:外面的な異変の権限。周囲にも影響が現れ始める。
     レベル4:外的な影響が強く現れ、破壊、傷害など社会的損害を発生させる。
     レベル5:『殺人者』

     
    ―――――――――――――


     下坂部平太は自他共に認めるビビりである。

     ちょっとしたコト、ちょっとしたモノに驚き、慄く。物、人、音、光、その他もろもろ。世界は怖いもので溢れていた。
     平太が恐れないものなどなく、それでも日常生活に影響が出なかったのは、平太の周りの人々が優しかったからだ。
     父母や祖父母を含む親類縁者。ご近所さんたち。幼稚園や小学校で出会えた友人たちだって。
     そうそう、優しい先輩だっていた。卒業して、そろそろ受験のシーズンだと思うけれども、あの人はどうしているだろうか。なんて時折思い出す。
     下坂部平太はビビりだけれども。これまでの人生おいて己のそれを悲観することがなかったのは、多くの優しい人たちに支えられてきたからだ。平太自身、それを自覚していた。だから、平太は周りの人々に常に感謝していたし、とてもとても、大切にしていたのだ。

     今、目の前で友人たちが倒れ伏している。

    「…――伏木蔵、怪士丸、孫次郎」

     最近、素行の悪い者たちが学区周りをうろついてる。だから下校時は必ず同じ方向の生徒が一緒に、複数で帰るようにと学校から指示がでていた。
     平太にとって心強いことに、彼の大好きな友人たちがそれに該当した。気の置けない彼らとの帰宅時は楽しい。
     今日だって、帰ったらなにをして遊ぼうか、新作のゲームを買ったんだ、機種を貸してあげるよ。でもまず先に宿題をやろうね。…なんて。
     そんなたわいのない会話をしていただけなのだ。

     決して目立つことをしていたわけではない。人の耳障りになるような話をしていたわけでもない。ただソレらの目の前を歩いていた、それだけで目をつけられた。
     自分たちよりもはるかに大きな男たちに、突然よくわからない因縁をつけられて。周りを囲まれ逃げ道を塞がれ、恫喝されて。

     最初に蹴り飛ばされたのは誰だった? 殴り飛ばされたのは? 
     そうしてそんな酷いことができるの? どうして笑っていられるの?

     道行く人々は、見て見ぬふり。顔を反らしてそそくさ、そそくさ。

    「あ、――あぁ」

     下坂部平太はビビりである。
     ありとあらゆるものが、平太にとっては怖い。けれども頼りになる友人たちがいてくれたから。だから――。
     その友人たちは、地面に倒れ伏してもうピクリとも動かない。投げ出されたランドセル。散らばった中身。
     違う、違う、気にしなければいけないのは友人たちの体の具合だ。あんな、ボロボロの、あんな、傷だらけの、あんな、酷い。――早く救急車を、助けを。
     けれども無慈悲に。
     ニヤニヤ笑う顔が平太に近づいて、大きな掌が伸ばされる。

     怖い、怖い、怖い。
     助けはない。頼る者もない。大好きな友人たちすら助けられない。
     すべからくの恐怖が、平太の周りで凝り固まっている。

     ――近寄らないで、触らないでっ。
     気が付けば、下坂部平太は絶叫をあげていた。


    『アラート、アラート、アラート。
     恐怖症疾患発症。発症レベル4。
     種類は対人、接触。速やかに発症者を拘束されたし』


     どこかで、遠くで、平太とは違うナニかが叫んでいた。ああ、世界が裏返る。
    ――――――――――――――――――




     スーツ姿の男が、拡声器を使って路地の向こうへと叫んでいる。

    「恐怖症発症による障害、破壊行為は国の法律にのっとり、罪に問われることはない。だから投降しろ!」

     声に応える者はない。
     大通りから一歩内側に入った路地一面。辺りは倒れ伏す人、人、人、…の、カタチをしたモノたち。その最奥に立つのはまだ小学校上級生ぐらいの子供だ。
     とっくに喉が枯れそうなものを、ずっとずっと言葉にならぬ叫びをあげ続けている。

     周辺の人のカタチをしたものは、ヘルメットに防弾チョッキ、全身武装した警察の特殊部隊の者たちだ。“こういうこと”専門の部隊であるのだが…、須らく無残な有様。袖口やメットから、だらだらと粘性の液体を垂れ流して、腐った肉の臭いを辺りに充満させている。

     男――恐怖症疾患対策本部所属、潮江文次郎警部は…、まだ幼い子供とそれが生み出す地獄の痛ましさに呻いた。

     恐怖症疾患。
     その単語の意味だけなら、特定の対象に異常な嫌悪、忌避感を覚えることを指す。だが重度の恐怖症発症者は、自身の恐怖を周囲に漏洩、拡散させ、物的、人的被害を現実に巻き起こす。そのカタチは恐怖症患者によってさまざまだが…。
     まだまだ幼い子供が、己が恐怖で及ぼす異常事態。こんなものは、あまりに惨いではないか。

     
     これが、あの子供の恐怖のカタチ。
     あの子供は、保護のために集まった屈強な特殊部隊の面々を、一切触れぬまま、一定距離近づいた段階で弾き飛ばし、腐り溶かした。
     文次郎が一歩、前に進もうとする。ちりりっと肌が焼かれるような痛みがあった。今の彼の立ち位置が限界だ。地獄との境界線。あの子供の恐怖が及ぶ世界の境。
     しかしそれは、いつまでも保証されるものではない。

    「――落ち着いて、投降してくれ。頼むっ」
    「よせよ、文次郎。子供相手になにガチなこと言ってんだ」
    「遅くなりました、潮江警部」

     あまりに必死になりすぎて、背後から近づく護送車に気づかなかった。
     重罪犯を護送するための警察車両。そこからやってくるのは、青みがかった癖の強い髪。歳は十代半ばか、なかなか端正な顔立ちだが、吊り上がった目が周りを威嚇するかのように鋭い。
     彼に沿うように立つ、文次郎と同年代の青年が敬礼を送る。

    「善法寺刑務官、護送ご苦労様です。――食満留三郎か」
    「よくよく俺を呼び出すよなぁ、文次郎。警察ってな、殺人犯に協力要請出さなきゃいけないほど、無能の集まりかよ」
    「……」
    「いや、いつもみたいに皮肉の一つあびせてみろよ」

     留三郎、と呼ばれた少年が肩を竦める。「こんなやりとり、している場合じゃないか」とちょっと痛みを耐える顔をした。

    「あれか」
    「発症者は下坂部平太。レベル4。対人恐怖症≪Ophthalmophobia≫と、接触恐怖症≪Haphephobia≫の複合型と思われる」

     文次郎の言葉に、留三郎は唸る。

    「レベル4? 人間が腐って溶けているように見えるんだけど、生きてんのかアレ」
    「対恐怖症疾患患者の特殊部隊が着るスーツは、内側にバイタルチェック装置がしこまれている。今のところ、生命活動が停止した者はいないな。見た目が派手なだけ、まだ“集団幻覚”の範疇だ」
    「集団幻覚、ねぇ。現実に恐怖は及んでいるのに、まだカタチになりきっていないのか。なら、ここで止めとかないとな」
    「いけるかい、留三郎」
    「頼む」
    「無論だ、伊作。あと文次郎、素直なお前は気持ち悪い」

     あっかんべぇ。今時の子供でもやらない仕草だ。悪戯っぽい笑みは、どこにでもいそうな中学生相当の少年である。だが、ただの中学生ではない。
     彼が普段いるのは刑務所だ。本来十六歳以下は罪を犯しても少年院行きが普通である。だが彼は犯した罪とその異常性ゆえに、少年法を逸脱して刑務所行きとなった。
     その罪は、『殺人』。

    「怖いよなぁ。ある日突然恐怖が爆発して、そしてこんな、周囲をまきこんで。世界が一変する」

     留三郎がいまだ叫び続ける子供の方へと進む。恐怖の境界線ぎりぎりに立って、子供に語りかけた。
     現在、恐怖症のメカニズムは未だ解明されておらず、前触れもなく発症することが多い。
     誰かが止めてやらねば、いつまでも恐怖は垂れ流されたまま。だから食満留三郎はここに来たのだ。あの哀れな子供を救うために。

     その背を見つめながら、文次郎は顔を歪める。例え犯罪者であろうとも己の三分の一ほどの年の少年が、こんな地獄に立っていること。この場で笑っていられることの異常さ。
     生真面目な性格の彼に、それを認められようはずもない。
     それでも、文次郎は警部なのだ。市井の民を守るのが仕事だ。そのためなら、少年一人だって地獄に放り込む。だから呼んだ。現状、恐怖症疾患に対抗する、その最善手を。

    「留三郎」

     文次郎が留三郎に差し出したのは、一本のナイフ。それを留三郎は厭うことなく受け取った。右腕で握りしめ、先端をまっすぐ前に伸ばした左腕へ。

    「怖いか? 怖いよな。世界は恐怖であふれている。――俺も怖いよ。
     だからお前の恐怖と俺の恐怖、どちらがより怖いか」

     ナイフを己が腕へ、迷いなくつきたてた。

     「――勝負だっ」

     血しぶきが舞う、筈だった。
     しかし代わりに噴出するのは無数の、黒い、小さな群体だ。
     皮膚を、筋肉を、ぶつ、ぶつ、ぶつ、とナイフでさらに引き裂いて、そうすれば塞ぐものを失った留三郎の“恐怖”は体の中から外へと飛び出してくる。
     わさわさとせわしなく動く六本の足。嫌悪感をもよおす節くれだったそれが支えるのは、黒い胴。小指の先ほどしかない蜘蛛の群れ。無数に、無限に。
     溢れて、地面に落ちて、わさわさ、わさわさ。路地を黒く埋め尽くして。

     「俺の症状は集合恐怖症≪Ttypophobia≫。特に小さな虫が集まっているのが駄目でさ。それでガキん頃とか馬鹿にされてたよ」

     誰だっけかな。すっごくムカつくヤツだったんだ。
     呟いて、こてりと留三郎は首を傾げてみせた。けれどもすぐに思い直したらしく、一歩、一歩、少年の方へと歩み寄る。

    「いまだって。普段は体内にいてくれるから動き回る感触だけで済んでいるんだ。いざ目にすると気絶しそうになる」
    「それは困る」

     背後の文次郎が腕組み。
     恐怖症の発症、発言は発症者の意識がある限り続く。つまり意識さえ奪ってしまえば“集団幻覚”は収まるのである。

    「活動時間のタイマーをセットした。留三郎、十分以内だ」
    「助かる、伊作。そのまま残り時間確認しといてくれ」

     蜘蛛の影響を受けないように、文次郎と伊作が後ろへさがっていく。
     留三郎のくるぶしの高さまで嵩を増した蜘蛛の群れは、そのいくつかが留三郎の脚を這い上がり、這いまわる。
     恐怖症を持たない文次郎が見ても怖気がした。ましてあの蜘蛛は、人を喰らうと聞く。

    「喰らうなよ」

     一応の、念押し。
     恐怖症は、意識でもって制御の利くものではない。疾患者本人でもだ。人がなにかを恐怖することに理屈はなく。制御そのものが存在しない。
     それでも殺すな、と文次郎は願うのだ。
     たとえ留三郎が、レベル5:『殺人者』の恐怖症疾患患者なのだとしても。

     留三郎が切り裂いた腕を振るう。蜘蛛の群れが、脈動するように波打って津波と化し、路地向こうの子供へと襲い掛かる。
     上から覆いかぶさり、覆いつくす。――瞬間、津波の群れがはじけ飛んだ。ぱん、ぱんっと破裂音と共に、蜘蛛たちが宙を舞う。

    「おい文次郎、対人恐怖症って言わなかったかっ!」
    「接触恐怖症とも言っただろう。もっとも、人以外の接触はこれが初めてだが」
    「人以外の、触れるもん全拒絶かよ」

     弾き飛ばされた蜘蛛たちの破片が、こちら側まで飛んできて、文次郎たちの頭上からばらばらと降り注いでくる。伊作は「うわわっ」とさらに距離をとり、文次郎は義務感からその場から動かなかったものの…、手で払っても、払っても、無数の蜘蛛は尽きることがない。
     自分たち以上に頭のてっぺんから悲惨な様の留三郎は、微動だにしていなかった。

     「ははっ、いい様。文次郎、お前もなるか? 恐怖症」
     「ごめん被る」

     文次郎が口を開いた瞬間、その中に蜘蛛の破片が入ってきて路地に吐き出す。まったく、恐怖症疾患患者というやつは、すべからく常識の枠外だ。
     この留三郎と知り合って長いが…。まだ少年だからと素直に同情してやれないのは、この異常性ゆえか。

    「伊作、残り時間」
    「六分――あまり遊ばないでね?」

     そのくせ、その異常性には限界がある。恐怖症疾患の発作継続時間。
     たいていその発症者は、己が恐怖をカタチにすると、その恐怖そのものに耐えきれず最後は気絶してしまう。そこまでの時間は発症者の胆力で個々に差があるが、留三郎の十分は長い方である。

     気絶してしまえば発症者の異常は消える。
     だが、向こうは暴走状態。留三郎は正気の状態。こちらの条件はすこぶる悪い。

    「――――ァ」

     路地の向こうで、子供が動いた。こっちに向かって、一歩踏み込んでくる。

    「まずいな。患者が移動を開始する」
    「潮江警部。さっきこの先の大通りを通って来たけれど、人通りは結構あった。
    人の多い場所で恐怖症を振りまけば、被害が拡大する。その結果として症状の悪化、レベルの向上、――誰かの命を奪う事態になったら目もあてられない」
    「わかっている」

     発症レベル5。それは発症者がその恐怖症により他者の命を脅かす状態。レベル4では奪うまでいかないこの異常性が、明確に、殺意をもって振りまかれる。

     こんな、子供に?
     まだ小学生の子供に、そんなことが?
     できてしまうのが、恐怖症である。そこに、理屈理論は関係がない。先にも言った。制御は、ない。

    「させねぇよ。恐怖は当人のものだ。自分の恐怖で他人を殺してしまうなんてそんなこと、絶対にダメだ」
    「留三郎」
    「俺の恐怖症も複合だ。
     集合恐怖症≪Ttypophobia≫と、そして恐怖恐怖症≪Phobophobia≫。本来は恐怖症を起こしかねない事象に対する、その須らくに反応する恐怖症。
     ただ俺の場合は、恐怖症患者自身も対象になる。そしてだからこそ、俺は俺自身すら恐怖する」

     恐怖恐怖症は常に留三郎の中で発症し続けていると聞く。合併症である集合恐怖症で生まれた蜘蛛たちが、留三郎の内側で蠢き、増え続けているのがその効果のひとつだ。集合恐怖症が、恐怖恐怖症によって促されている。
     ――それが、罰なのだと留三郎本人から聞いたのは、いつだったか。
     だから自分の体に傷をつければ、即座に恐怖が排出される。おかげでタイムラグなく自分の意思で、外側に発症を促すことができるのが、留三郎の強みである。先ほどの、無限の蜘蛛たち。

     そして、もう一つの強み。
     恐怖恐怖症。こちらは逆に外側に出すには時間がかかる。恐怖症患者に向ける恐怖は、普段自分に向けて発症している。
     それを表に出すためには、一端集合恐怖症の蜘蛛たちをすべて出し切る必要があるのだ。恐怖症を向ける対象を失って初めて、ソレは表にでてくる。
     恐怖恐怖症の症状は、恐怖症患者に対してしか発言しない。

     すでに体内の蜘蛛は出きっていた。

    「俺は、恐怖症患者が怖い。ただなにかを恐れているだけのに。それが他人を傷つけ、しまいには殺してしまう」

     留三郎もまた、子供の方へと歩いていく。恐怖の境界を越えて、相手の世界へと。じりじりと、その皮膚が焼けていく。酷い臭気がした。
     子供が、ぴたりと足を止めた。近づいてくる留三郎を見て、そうして腕を広げる。

     「た、た、た…」

     地面に倒れ伏す、無数の人間。特殊部隊だという者たち、それに誰とも知れぬ男たちもいるけれど。それら交じって、彼の背後に彼と同じ年頃の子供たちの姿もある。無傷とはいえない様子だけれども、気絶しているようだけれども。――溶けているわけじゃない。

     「助けて」

     ――こんなことがしたいんじゃない。誰かを傷つけたいわけじゃない。
     ――ただ、怖かっただけ。友達が、みんなが、傷つけられるのが、助けられないのが。
     ――向けられる暴力、恫喝。伸ばされる腕。それらが怖い。
     ――自分を、友達を傷つけるものが怖い。
     ――それでも、僕は。誰かを傷つけたいわけじゃない。

    「うん、知っている。俺も怖いよ」

     留三郎の歩みは止まらない。
     少年の目の前まで来て、その肩に触れる。触れることができた。ただ、それだけ。留三郎の恐怖恐怖症は、他者の恐怖症を否定する。

     「ありがとうございます。――やっぱり、先輩は優しいです」
     「……先輩?」

     平太の体がぐらりと傾いで、留三郎の腕の中に納まる。気絶したのだ。発症者が気絶すれば、症状もまた消える。
     辺りから、腐臭が消えていく。
     確かに溶けだしていた人々の体が、なにごともなかったかのように。
     遠く大通りの方から人々の喧騒の声。いつも通りの日常。レベル4までは影響こそでるもののすべては“集団幻覚”の内側だ。

     留三郎は腕の中の平太を横抱きに抱え上げる。伊作と文次郎がそれに駆け寄った。

     「いま救急車を呼んだ。その子も、友達だろうそっちの子らもすぐ運んでくれる」
     「ああ、文次郎。すまない」
     「かまわん、これも仕事だ」

     伊作が留三郎から平太を受け取ると、顔色を観察し、脈を診る。うん、と頷いた。問題ない、ということだろう。

     「彼は目覚めたあと、記憶処理を受けることになるだろうね。
    段階を踏まずいきなりのレベル4だ。やったことを顧みても、このままではショックが強い。あとは改めて、カウンセリングかな」
     「伊作がやるのか?」
     「え?」
     「カウンセリング。資格持っているんだろう?」
     「あ、ああ…、そっち。うん、そうだね。多分そうなるだろう」

     伊作はうなずいて、文次郎と留三郎を交互に見た。

     「子供は多感だよ、恐怖症も発症しやすい。再発もね。現代では、これが最良の対処療法だ」

     まるで、自分に言い聞かせるように伊作は言った。

     「だがレベル5まで行く前に沈められたのは良かった。レベル4を発症すると、5はあっという間だからな。そうなれば、流石に無罪放免とはいかん。――善法寺刑務官、お疲れ様です。」
     「潮江警部こそ。いつもこんな現場に出されて大変ですね」
     「仕事ですから。上が決めたことでもありますし」
     「そうですか」

     会話する大人たちを半眼に睨んで、留三郎がぼやく。一番の功労者は、彼であるはずだ。

     「伊作、この生真面目男のことなんざ、気を使うだけ無駄だぞ?」
     「お前な、年上は敬え」
     「知らねぇ」
     「まったく。――それだけの実力があるなら、いっそ全面協力の姿勢をみせればいいものを。政府所属の恐怖症患者は、レベル5でも恩赦があるというが?」
     
     恩赦。それこそレベル5の殺人者でも無罪放免になるほどの。だが留三郎は首を振った。

     「誘惑すんな、俺だって考えないわけじゃない。ただそれ以上に、俺は俺の恐怖に負けたくないんだ」

     留三郎の顔は真摯だ。文次郎は内心で首を傾げる。こうして会えば会うほど、会話すれば会話するほどに、留三郎が人を殺したとは思えない。いや、恐怖症は制御できるものではないから、恐怖に飲まれて、というのもあるだろうけれども。
     だがそれならばば書状酌量の余地はある。こうも自罰的なのはなぜなのか。

     文次郎は、留三郎がどんな事件を起こしたのか知らない。
     政府は恐怖症患者の情報を集めていながら、それを秘匿している。留三郎のようなレベル5は、刑務所という名の研究所に詰め込まれて、そこですべてが遮断されてしまうのだ。
     表に出るのは、こういう彼らが必要となる事件のときだけ。

     「なあ、文次郎」
     「なんだ?」
     「俺さ、さっきあの子に先輩って呼ばれたんだ。なんでだろうな」
     
     伊作が、息を飲んだ。留三郎が苦笑する。文次郎は、己のこめかみを抑えた。――痛い。

     「あと、さ。ごめん、そろそろ限界」

     そう言い残して、留三郎は後ろ向きへ倒れていく。慌ててその体を文次郎は支えた。思ったよりも小さな体だ。いや、年相応の体だろう。けれど、小さい。

     「……?」
     「潮江警部?」
     「あ、いえ。思いのほか、負荷が大きかったようですね」

     ええ。と伊作はうなずいた。「護送車に彼を運んでください」と文次郎にお願いして、伊作は平太を抱えたまま他の気絶者たちの様子を診に行く。
     その背を見つめながら、こめかみが軋むように痛んだ。

     違和感、違和感、違和感。
     どこに、なにに、どれに。

     「俺も、疲れているのか」

     留三郎の体を横抱きにして、護送車に近づいた。扉を開けば、誰もいないと思ったそこに、一人の男が腰を下ろしている。
     扉の鍵は開いていた。この護送車が乗せるのは殺人犯ばかりだ。なんと、危機感のない。

     「久しいな文次郎」

     男、と思ったのはその体格からだ。顔は、見えない。そこにあるのに、見えてこない。

     「恐怖症患者か」
     「醜形恐怖症≪Dysmorphophobia≫でな。顔が無いのだ」
     「醜形…」

     なぜだろう、違和感がある。そもそもコレは久しいと文次郎を呼んだか。しかし文次郎は、こんな顔無し男を知らない。顔が見えないから歳もわからない。
     違和感、違和感、違和感。

     「お前の顔は、美しいだろう」

     気が付けば、そんなことを口走っていた。

     「うむ、いい返しだ。ではご褒美にひとつ。私の顔はここにはない。世界の裏側にあり、常にそこを見つめている。
     お前がかつていた場所だよ、潮江文次郎」
     「……?」
     「ご褒美はここまで。留三郎をこちらに寄越してくれ、ソレの胆力は大したものだが、一度気力が切れるとなかなか復活しない」

     逆らえない圧を感じて、顔無しの男に留三郎を引き渡す。彼はそれを、大事そうに抱きしめた。

     「私が思うにだが、この世界を今のカタチに造った何者かは、とても慈悲深くて優しい奴なのだろう。
     よく言うだろう? 『人の痛みを理解できる人間になりなさい』とな。今の世界がそれだ。他人の恐怖、苦しみ、悲しみ、それをみんなで感じることができる世界。
     なあ文次郎、思い出してみろ。
     私たちが子供の頃、世界は本当にこんな形だったか?」

     また、こめかみの痛みがぶりかえしてくる。意識せず、文次郎の腕が留三郎へと伸びる。そこへ、行かなければ。それに、触れなければ。それの。

    『おーい、○○○っ! 勝負だぁ‼』

     文次郎は首を振る。
     誰の声だ。いつの。
     
    「ふむ、ひとつと言いながらご褒美を上げすぎた感があるな。そろそろ本当に口を噤まねばな。なに、生きていればまた会える。少なくともお前の周りに、死は起きない」

     レベル4程の被害が出ていながら、本当に現実の被害が残らないなんてことがあるだろうか。そこに、恣意を感じるのはおかしいか。
     例えば、なぜ同じ恐怖症疾患対策本部に所属していながら、文次郎だけ特殊装備が与えられていないのだ、とか。
     
     「さあ、そこを閉めてくれ。未だ私たちとお前の世界は隔たれたまま。一度はこちら側だったのが、お前があまりにコレを求めるから、結果としてお前たちだけがこちら側に残された。
     ――次はお前の手で、扉を開いてくれよ?」

     今だって、この護送車の扉を開いたのは文次郎である。だが、だが。
     文次郎は無言で護送車の扉を閉める。その向こうに、顔の無い男と留三郎の姿が消えていく。その向こうにはまだ、この手は届かない。

     少し離れた場所で、伊作の呟きが風に乗って届いた。

     「流石、死体恐怖症≪Necrophobia≫と死恐怖症≪Thanatophobia≫の合併症。本当に人が死なないや。
     当人が一度殺されたからなのか。あるいはもう、殺させないためなのか」

     ――さあな、誰かさんのせいで忘れちまったよ。





     
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    Replies from the creator

    koto

    DOODLEモブ視点の語りによる文食満、卒業後、女装ケマ 全3話
    怪我、欠損(左腕)描写ありのため、ご注意ください。

    あと傷口焼くのは不正解らしいですね。感染リスク高まる。
    戦国時代は灰なり止血剤塗って布で傷口縛るとか、縫ったとか。
    海外だと卵の黄身だか白身だかと油。16世紀までは焼灼止血法使われてたとか。
    知識が足りていない。

    追記:びっくりして本当に人間が飛ぶの? →飛びます。ソースは自分(ガチ)
    死者の妄言、生者の真言(前) おや、旅の方。あそこの屋敷を気になさる。
     屋敷、というのもおかしいですな。あれはただの焼け跡。長く風雨にさらされて、崩れた塀の向こうでは黒々とした柱が数本立つばかり。昔は立派な竹林に囲まれてもいたのですがね、須らく燃え失せましたさ。
     さて、最後の住民はいつだったか。もう何十年も前の話ですよ。

     村の人間でも、あの家の主が何者であったかわからず仕舞い。いつだって気が付いたら使用人含めて出入りの人間が変わっている。なんなら誰も住んでいないときの方が多かった。 
     私のばば様、かか様、みな屋敷の詳しいところは知らぬと言う。また村では、屋敷には触れるなという不文律のようなものがありましたからナァ。

     ――ほ、ほ、ほ。
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