『MAVでなくても手は取れる』最終話『飛び出していけ赤い彗星』実際のところエグザべは無策で突入した訳ではなかったし、スバルもまた彼の身を案じなかったわけではなかったのだ。
エグザベがビルの中に姿を消してしばらくした頃、スバルもまたその場所に訪れていた。彼のほうが目立った場所を歩き回っているのだから、彼に接触しようとする者がいるかどうか見るのが情勢を知る上では一番手っ取り早いと思ったのだ。疑似餌として扱っているとも言えるだろうが、それが他に手段のないスバルなりの責任の取り方でもあった。
ふと奇妙な直感が働いて、スバルは植え込みに視線を落とす。そこには古い子供の玩具が転がっている。子供の落とし物を誰かが道の端に置いたようにしか見えないそれが、エグザベが難民の子供から貰ったものであることをスバルは知っていた。間違いなく、彼がここに来て意図をもってそこに置いたのだ。
周囲に誰もいないことを確認して、スバルはその犬を模した玩具が視線を向ける場所をそっと堀った。指先に触れた感触をつまみ出せば、何重にも折りたたまれ、簡易的な封がなされた紙が二枚。それぞれ「From R.C. to G.P.」「From X.O. to C.B.」と彼の筆跡で走り書きされていた。「レッド・コメットよりグレイ・ファントムへ」と「エグザベ・オリベよりシャリア・ブルへ」か。スバルは自分に充てられたのであろう「グレイ・ファントムへ」のほうを開く。
内容はさほど多くなかった。このビルに入った時間と、そこから20分経ってもまだ自分が出てこなくてこの紙と玩具がここにあったなら自分の身に何か起きたと考えてほしい。その場合は今の拠点も危険だ。なりふり構わずに逃げて、隠れて、そして可能ならソドンの保護下に入れ。他者の手においても内容がわからないように回りくどく記された手紙には概ねそんな事が記されていた。スバルは先ほど見た時計の時刻を思い出す。記された時間からは1時間以上が経過していた。
「もしシャリア・ブル中佐に会えたら、もう一つの手紙を渡してほしい。それで、絆創膏の礼を言っておいてくれないか。迎えに来てくれて嬉しかったって」
そして追伸にはウィスキーの銘柄を書き添えてあった。これを奢って貰ったという事は自分と中佐しか知らないから、それを言えば中佐は君が僕の知人であることがわかるだろうと。
最初に思ったのは、どういうわけか「ワインではないのだな」という事だった。違和感の正体を探ろうとしながら読み返してみれば、「シャリア・ブル中佐」という文字の並びにもわずかにひっかかりを覚える。ひょっとすると、欠けた記憶の中の知り合いが彼なのかもしれない。ちりちりと、閉ざされた過去の淵が赤く輝くような、遠くでその人の声が光るような感覚。
だが、今はそれを気にしている場合ではない。今のことを考える時だ。
自分は、ジオンの信用を得る手段を手にしている。
見上げればビルが聳えていて、その向こうにはソドンが浮かんでいる。手紙を読み終えたスバルは迷うことなく駆け出していた。
***
動乱はあっという間に収まった。扉の向こうはすぐに静寂を取り戻して、複数人の足音が何かを引きずりながら近づいてくるのがエグザベにはよく聞こえた。祈るような気持ちで扉を見つめていたエグザベの前で、扉が開かれる。そこには二人の男に腕を抱えられて引きずられたスバルが項垂れている。変装のつもりなのか、かけられたサングラスは顔から少々ずれていた。顔を殴られたのかもしれない。
「嘘だろ。なんで、君が」
エグザベは思わず呻き声を漏らす。一番来てはいけない人間がここに来てしまった。手紙を読まなかったのか、あるいは読んでもここに来てしまったのか。その声に反応したのか、スバルが顔を上げる。サングラス越しの青い瞳が、エグザベを見据えてすっと細められた。この男はまだ諦めていない。直感が走って、エグザベは咄嗟に強く目を瞑った。直後、目を灼くような閃光が部屋の中を満たす。
「モビルスーツから引きずり出せば無力化できたと判断するのは早計だったな。覚えておきたまえ、武器というものはモビルスーツの内側にも結構持てるものなんだ」
その場にいた人間の視野を奪ってしまえば、制圧は一瞬だった。エグザベを縛っていた縄が断ち切られて、腕を掴んで立ち上がらされる。訳も分からぬままエグザベは縺れる足でスバルと一緒に駆け出した。肩を借りて部屋を飛び出して、階段を駆け下りていく。
「逃げたぞ」「追え」「出口を塞げ」
下のほうから、指示を飛ばす声とばたばたとこちらに向かってくる声。スバルは舌打ちして、横っ飛びに階段から離れて適当な部屋へと飛び込んだ。半ば引きずられるようにして、エグザベもそこに転がり込む。埃っぽい部屋は、物置になっているようだった。よくもまあ一瞬で適当な部屋を見つけられるものだ。必死で息を整えるエグザベに、スバルは短く問いかける。
「正直に答えろ。走れないのか?」
「ああ……まだ薬が残ってるんだ」
小さい舌打ちが返ってくる。エグザベもまたスバルに問い返した。
「君も正直に答えてくれ。武器はあとどれだけ残ってる?」
「拳銃が一つだけ。弾も残り一発」
「武器は結構持てるってさっき」
「もちろんブラフだ。だから聞かせた」
「絶望的だな」
「準備の時間がなくてね」
顔を見合わせて苦々しく笑う。積み上がった段ボールを扉の前に引きずってふさぎながらエグザべは言葉を重ねる。
「僕が時間を稼ぐ。君だけなら逃げられるだろう。そして、これだけの騒ぎを起こしてるなら絶対に中佐は気づいてる。中佐なら君を見つけてくれるし、君なら中佐を見つけられるだろう。君と中佐なら……あの人なら、何とか出来る」
「……なぜそう思う?」
「僕の勘だ」
言い切ると、スバルは口の端を薄く吊り上げて「それでいい」と笑った。そうして彼は段ボールの中から、ひとつの長いケーブルを取り出す。エグザベの目には、それがスバルの手に擦り寄ったように見えた。
「なんだよ、それ」
「キケロガの子機の模型みたいなものだ。幾度か能力テストとやらで使わされていた」
そういえば彼はこの施設にいたのだった。だからここに倉庫があると知っていたのか。彼はケーブルを肩にかけると、懐から拳銃を取り出してエグザベによこした。冷えた重みがエグザベの手に収まる。扱いは勿論知っているが、自分は人に向けて銃を撃ったことなどない。
「一発しか残っていないが、うまく使ってくれ」
「……使えるかな」
「君ならやれるさ。私の勘だ」
彼は窓を開け放って枠に足をかけ、思い出したように振り向いた。
「一つアドバイスを。堂々としていたまえ。それで冷静になる暇を与えるな。そうすれば多少の無茶は通せる」
「覚えておく。……それじゃ頼むぞ、『グレイ・ファントム』」
彼は頷くと、ひらりと窓の向こうに姿を消した。彼はそれを見届けて、窓を閉めて動き出す。一秒でも長く、自分たちがここにいると思わせながら逃げ続けなくてはならない。
***
そのころ、イズマの街。コモリは必死で上官の後を追いかけていた。なんせ地上に降り立った途端に駆け出したのだ。そして、薄汚い路地を突っ切ってどこに行くのかと思えば。
「本当だって!あの運び屋が俺のMSを盗っていったんだよ!」
難民街の人だかりの中に、彼は迷わず突っ込んでいった。人だかりの中心には汚い身なりの男が口角泡を飛ばして何か必死で訴えている。かなり興奮した様子だった。
「本当だよ──あいつは言ったんだ!『自慢して回るといい。自分は赤い彗星に機体を貸し出したのだ』って!それで有無を言わさずの強奪だ!こんな無茶苦茶な話があるか!?」
(……赤い彗星?)
消えた英雄、捜索任務の対象、そしてどういう訳だかエグザベ少尉のクランバトル登録名。まさか、彼が?彼がそんなことをするとは思えない。でもそもそもそんな名前でクランバトルに出ているという事自体が考え難いのだ。脅されているのだろうか?それとも、まさか本当の赤い彗星?あるいは、自分たちを誘き出そうとしている何者か?
考え込むコモリの横で、一歩進み出た中佐が静かに尋ねた。
「その男の容貌は」
「顔は見てねえよ。金髪の前髪が長い男だ」
「ほう。行先は?」
「は?なんだお前──」
男は怪訝そうに口を閉ざして、中佐の顔をじろじろと不躾に眺めた。恐ろしいことにそれだけで中佐には充分だったらしい。
「そうですか、ありがとうございます。行きますよ、少尉」
人の心を勝手に読んでいることも、軍人であることも、もはや何一つ隠していない。コモリの返事すら聞かずに彼は駆け出していた。行き先もわからないまま追いかけていると、彼はレンタルバイク屋の前で足を止めた。エグザベ少尉が最後に利用していたところだ。彼は迷わずにタンデムシートを備えたバイクを借り出している。原付二種、二人乗り用。そうして、往来でエンジンをかけて──走り出すことなく、ただ道の向こうを見つめている。
「ちょっと、中佐!何なんですか!エグザベ少尉を迎えに行くんじゃなかったのですか!?」
「そうですよ。これから案内が来ます」
「また木星帰りの勘ですか!?」
「いいえ。……どちらかといえば、これは彼の方の勘です」
どこか緊張した面持ちで中佐は一点を見つめている。確信しているようで、一抹の不安が瞳の中に揺れていた。今まで隠し通して来た揺らぎがここに来て表に出ているのかもしれないと、なぜだかコモリはそんな風に思った。
やがて、一人の男が走って来た。煤けた格好の金髪の青年だ。勿論エグザベ少尉ではない。
だが、彼こそが中佐の待ち人であったという事だけは、勘を持たないコモリでも確信出来た。
***
スバルはただ直感に導かれるままに走っていた。実を言うと、そこまで強い確信があったわけではない。自分にやれるのかという疑念を一つも持たずに走れている訳でもない。それでもやるしかない時というものがあって、今はそれだった。覚えていないがこれまでもそうだったのだろう。
あの難民からモビルスーツを強奪するときに赤い彗星を名乗ったのは、そうすればソドンの耳に入るかもしれないという思いつきでしかない。エグザベの手紙にある程度は従おうと思ったらそれくらいしかなかったのだ。それでも、その布石が功を奏していると信じてその方向に駆けていく。そのさなか、見覚えのある配色のバイクが視界を横切った。忘れもしない、最初にエグザベと出会ったときに彼が乗っていたバイクの色だ。
閃きが光って、バイクが来た方向に駆けだす。それを借りようと思ったのか、あるいはその場所に向かおうとしたのかは自分でもわからない。ただ、走って──視界の向こうでこちらを見据えている緑色を見たとき、「知っている」と思った。彼だ。彼が、自分の。
自分の秘した名前は。それを呼んでくれた声は。
自分の関した名前は。それを支えてくれた者は。
「──ぁ」
ぐちゃぐちゃの記憶が濁流のように押し寄せて、足が止まりそうになる。途端に疲労を思い出して縺れそうになる足を叱咤して、ふらふらと歩いていく。そうして目の前に辿り着いて、気が緩んで倒れ込みそうになって、前に出した腕をがっしりとその手が掴んで。
目の前を眩しい光がぶち抜いた。すべての記憶があるべきところに戻り、すべての情報が届くべきところに届く。一瞬の出来事だったが、十数年の欠け落ちていた記憶を取り戻すのに充分であった。彼と共に駆けた日々の事を思い出すのにも、そして今駆けるべき理由を伝えるのにも。
「大尉」
「はい」
呼びかければ、速やかな応答が返ってくる。見目を随分と変えているようだったが、それが自分のMAVである事は疑いようもなかった。かつての日々の続きのように、スバル──今の名前をシャア・アズナブル──は告げる。
「友人を迎えに行かなくてはならない。手伝ってくれるな?」
「勿論。私の部下でもありますからね」
それ以上の会話は必要ではなかった。
「コモリ少尉!」
「は、はい」
「我々はエグザベ少尉を回収します。休める場所を確保して、手当の準備を整えておいてください」
「了解です」
指示を飛ばすだけ飛ばして、彼はシャアがハンドルを握ったバイクに乗り込んで走り去る。
「……あれが、本物のMAV」
高らかなエンジン音とコモリの呟きをその場に残して。
「大尉……中佐。私のポケットに手紙が入っている。彼から君宛だ」
道路を飛ばしながら、シャアが声を上げる。「失礼」とポケットを探って手紙を取り出した彼は怪訝そうに尋ねた。
「二つあるようですが」
「C.Bのほうだ。グレイ・ファントムのは私宛てなんでな」
「……はあ。言いたいことは色々ありますが、後にしましょう」
「私は内容を知らないのでな。読んでおいてくれ」
シャリアは手紙を開いて目を通す。シャアは自分の背中で小さく噴き出す音を聞いた。珍しく、堪えきれないという調子で肩を震わせて笑っている。
「なんだ、そんなに愉快なことでも?」
「いいえ、さほど面白くもありませんよ。全て、全て私がとっくに知っている事です」
「そうなのか」
「ええ。彼はキャスバルという名で、優れたニュータイプで、MSの操縦に優れている。赤いガンダムについて何か知っているらしく、私にも有益であろうから保護してくれ、と。ああ、気さくでいいやつだとも書いてますね。まったく、今になってシャア・アズナブルがMSの扱いが上手いという事を人から教えてもらう日が来ようとは」
シャアはハンドルを操りながら声を上げて笑った。確かに、全部彼がよく知っている事だ。
「グレイ・ファントムとして活躍したとは書いてくれなかったのか?」
「書く訳がないでしょう。彼にとっての『灰色の幽霊』は私なんですよ」
「大抵の者にとってはそうだろうとも」
「大佐にとっては違ったのですか?」
「全てを忘れていた時は、『赤い彗星』の横にいる者こそがそうだと思った。だから彼をレッドコメットにしたときは、私がそう名乗ったんだ。……だが、今となっては君しか思い浮かばないな」
「……ふふ。光栄です」
バイクは走り続ける。エグザベのいるビルは近い。とはいえ、シャアが逃げ出した時点で入り口はほとんど封鎖されていたのだ。二人そろっているとはいえ、突入は難しそうである。
「さて。どうやって回収したものかな」
「彼ならなんとかしますよ。ニュータイプですから」
「そうだな。私もそう信じているよ」
***
そのころのエグザベ・オリベは今度こそ追い詰められていた。取り囲まれ、息を切らせて、おまけに四方八方から銃を突きつけられている。自分の武装は拳銃一つだけで、体調も万全からは程遠い。自分でもよく頑張ったと思う。あらゆる手段で逃げ回り、意識を逸らし、駆けまわっていたが、いよいよ袋のネズミだった。もうどこからも助けは来ないだろう。仮に来たとしても、この包囲を突破するのは無理だ。今度こそ、覚悟を決めなくてはならない。
「銃を捨てろ。撃ったところでどうにもならないのは自分でも分かっているだろう」
正面にいる武装した男が苛々とした調子を隠さずに告げる。なるべく落ち着き払ってエグザベは答える。見え透いた虚勢であっても張り続けざるを得なかった。
「撃ったところでどうにもならんのはそっちもじゃないか」
「生かしたところで、だ」
「僕がニュータイプであってもか?」
沈黙。エグザベは言葉を重ねる。「堂々としていたまえ」とスバルが言っていたのを思い出しながら。
「他に被検体らしい者はいなかったと聞いたぞ。彼がいなくなって困ってるんだろ?ここで使えるかもしれない僕まで殺していいのか?」
「出まかせだ!アルファの代わりがお前に務まるか!この期に及んで一発も撃てないようなやつが!」
「撃てるさ」
そうして、エグザベは一切迷うことなく銃口を自分のこめかみに押し当てて引き金を引いた。
がちん。
銃声は響かない。エグザベは無傷でそこに立って、周囲に動揺が走るのを静かに見据えている。エグザベはシリンダーを適当に回転させながら、精一杯スバルを真似て余裕そうな調子で告げた。
「お察しの通り、弾は一発しか残っていない。僕は弾丸が出るまでこれを回して撃って見せる。僕がここで死ねば君たちは弾丸を節約できるし、そうでなければニュータイプの検体が手に入る。どうだい、そんなに悪い話ではないと思うけど」
相手の返事を聞かずに、エグザベは自分に向けてもう一発撃った。弾は飛び出さない。自分はまだ生きている。「どうしますか」と指示を仰ぐ声。少しして、別の銃が足元に投げて寄こされた。同じく回転式。弾倉を改めれば、一発を残して弾丸は全部抜かれている。
「それでやってみろ。正真正銘仕込みなしだ」
エグザベは鷹揚そうに頷いて見せながら、エグザベは内心で舌打ちしていた。こっそり弾を抜いていた訳だが、さすがにその可能性には気づくか。シリンダーを回して一発撃つ。銃声は響かない。昔から悪運は強かった。ふと思いついたように顔を上げて言う。
「明るい場所でやってもいいか?そのほうが集中できるし、そっちも記録が取りやすいだろ」
少し考えて、男は頷いた。今更抵抗も出来ないだろうという判断か。銃を突き付けられたまま窓際へと連れられていく。足も手も縺れて震えそうになって、それを気取られないためにポケットに手を突っ込む。ふと、中佐もそうして立っていたなと思い出した。別に中佐を真似しようとして動いたわけではない。エグザベはむしろスバルを参考にして動いてこうなっている。ひょっとすると中佐も誰かの真似をして、必死で余裕を装っていたのかもしれない。何故だかそんな思考が脳裏を掠めた。
窓を背にして立つ。偽物の太陽光が突き刺すように降り注ぐ。エグザベはそれに背を向けて、二発三発と引き金を引き続ける。
ふと、耳鳴りのようなものを聴いた。それは頭の中で鳴り響く警告のようにも、遠くから響くエンジン音のようにも感じられた。エグザベは一つ息を吸う。
エグザベ・オリベは己の勘を妄信していない。それでも、「木星帰りの勘」に従うことはあるし、逃がした友人の迷いない眼差しを、行動を信じてもいる。そして、彼らの言葉を──彼らがやれると言った自分の勘を、今は信じる事にした。
振り向きざまに、窓に向けて撃つ。今度こそ、飛び出した弾丸は過たず目の前のガラスをぶち抜いた。
スバルがやったように、破れた窓から身を投げ出す。光の射すほうへ、彼方へ、飛び出していく。
コロニーの遠心力に囚われた体はまっすぐ落ちていく。そうしながら、エグザベは自分の落下地点に目を向けた。ちょうどそこには一つのバイクがやってきていて、予感の通りハンドルを握ったスバルがこちらを見上げている。そして、その背中に。
(──中佐!)
あっと思う間もなく、投げ出されたエグザベの足に伸ばされたケーブルが巻き付いた。キケロガの模型なのだから、中佐が使いこなせない筈がない。勢いを殺して、中佐自身の腕で柔らかく受け止められる。衝撃はほとんど感じなかった。
かくしてスバルと中佐は一度もスピードを落とすことなく、鮮やかにエグザベを回収してその場を走り去った。
「……ありがとうございます、中佐。すみません、遅くなりました。心配をおかけして……」
中佐はエグザベを見下ろして微笑んだ。
「いいえ、無事でよかったです。おかえりなさい、エグザベ少尉」
そうして、なぜか彼はスバルに向かって「聞きましたか?一週間でこの言葉ですよ」と言葉を投げる。スバルは答えることなくハンドルを握り続けている。肩越しに見えた表情が少しだけ気まずそうに見えて、エグザベは「どういう事だろう」と抱えられたまま首をかしげた。
「まあ、いいのです。おかえりなさい、レッド・コメット。待っていましたよ」
「うっ」
中佐の前でとんでもない名前を使っていた事を思い出して、エグザベは身を竦めた。これが双方に向けられた言葉であるという事を、エグザベはまだ知らない。よくわからないまま、それでも、直感に頼るまでもなく確かな事が一つだけあった。
自分たちは、この人のところにちゃんと帰って来られたのだ。