アイスクリームは溶けていく
「い、今、なんと言ったんだ」
口が渇く。思ってもいなかった言葉に、二の句が継げない。
「何度も言わせないでよ! せっかくの乙女のコ、コクハクを……」
「乙女のコクハク……」
「そうよ! サカキ、ちょっとデリカシーないんじゃない!?」
訴えるリーフの顔は赤い。目も赤かった。
「で、デリカシー……」
ふと周りを見れば、ジムの者達が明らかに聞こえないフリをしている。
「とりあえず、場所を変えないか」
トキワジムの近くにある、噴水のある大きめの公園に来た。
噴水の近くに白い木製のベンチが目についたので、とりあえず座った。人が少なく、辺りは静かだった。リーフは三段のアイスクリームを買って、満足そうにこちらにやってきた。
「三段は、ちょっとやり過ぎたかなあ」
「余すなら食べてやるから、気にせず食べろ」
「はーい! 頂きます!」
そう言ってリーフは隣に座ると、一番上の、バニラのアイスにかじりつく。
「おいしーい!」
「それは良かった」
青空の下。何人か人はいても、人の声は聞こえない。噴水の音だけがざわざわと耳に残る。
「その……なんだ」
「……」
リーフはうっとりとした目を向けてくる。見たことのない目だ。その瞳を、もっと見てみたい、と一瞬思ってしまった。いけない。これから自分はNOを言わなくてはならないのに。
「本当なのか」
「ウソだと思った?」
「からかっているのか、とは少し思っている。お前は、そういうところのある奴だろう」
「……」
「本気なら、すまない。俺はお前の隣にいて良いような人間じゃない。からかっているなら、今すぐに消えろ。大人を怒らせると、怖いぞ」
「……」
リーフの、アイスを食べていた口が止まった。
「……」
なーんてね、ウソでした、そんなわけないじゃん、そんな答えを僅かでも期待した。
「……どうすれば」
「ん?」
「どうすれば、受け入れてくれますか」
ああ、また目が真っ赤だ。この少女の精一杯の、本気の目だ。見ていると首を縦に振りたくなる。いや、それはいけない事だ。なのに何故だろう。同情だろうか。自分はリーフの事を、哀れに思っているのだろうか。尚の事、その感情でその手を取ってはいけない。彼女は本気なのだから。その思いには、真っ直ぐに、こちらも応えなくてはならない。
「どうしてもダメだ。諦めてくれ」
「理由は?」
おいおい、ダメな理由だらけだろ。どこから説明すればいいんだ。
「まず、お前はまだ子供だ。子供は子供と恋愛しなさい」
「子供と付き合ってる大人なんていっぱいいるじゃない」
「それは悪い大人のやる事だ」
「悪い大人。サカキじゃん」
「ぐっ……」
上手く返せなかった。確かに自分が悪い大人だと名乗った事はあるかもしれない。だが、そういう意味ではない!
「あのな……その……お嬢さん」
「何よ、変な呼び方して」
「俺に少女趣味はない。まして相手はずっと戦っていた相手だ」
そして、負け続けた相手だ。その事実が重くのしかかる。圧倒的強者。自分が、とうてい敵わない相手。それが、自分の中のリーフの評価だ。
「だから?」
「だからって……」
「だから好きになるのって、おかしいかな」
すん、とリーフが鼻をならす。アイスを舐める。一連の動作に、胸がどきりとする。
「おかしい……」
少し考えた。
「おかしくは、ない。我々は戦いあった仲だ。その中で相手に、時に特別な感情が生まれる事があることもある」
興味はあった。何故自分に好意を抱いたのか。リーフにとって自分は、その目にどう写っているのか。
真っ直ぐで、真っ赤なその目に。
ぱあ、とリーフの顔が明るくなった。
「ほら、間違ってないじゃない。私はサカキが好き。何度でも言うよ」
「大きな問題がある。俺をその気にさせられるかどうかだな」
「なんでよ! こーんな可愛い子が告白したのよ? OKしなさいよ! 何が原因なのよ」
そう言ってリーフはアイスを頬張った。一段目のバニラが消えた。
「……そういうところだ」
「そういうところって何よ!」
「さっきも言ったろう。子供は子供と恋愛すべきだ。お前は俺のような薄汚れた大人と結ばれるべきではないし、俺に少女趣味はない」
「……子供って言いたいのね」
「ああ」
「ポケモン取扱免許はとっくに取ってるし、ジムバッジだってあなたの分を入れて8個取った。それでもまだいけない?」
「ああ」
「……。持ってて」
「ああ」
何も考えずに、二段のアイスを受け取ってしまった。
リーフはストロベリーのアイスを舐める。
反省しよう。この時の自分は確かにこの少女の一挙手一投足に見惚れていた。
だから、何も出来なかった。
「むぐっ……」
リーフの唇と自分の唇が重なる。リーフの舌が、自分の口に入り込む。甘いストロベリーの味で口の中が満たされる。
噴水の音が、頭の中で途切れる。
「……大人のキスだって出来るのよ」
「あのな」
ハンカチで口の周りのアイスを拭く。
「ああ、お前もじゃないか、こんなにベタベタにして」
ハンカチでリーフの口の周りを拭いた。それは善良たる大人の紳士的な行為だと思い、大人を恋愛対象に選ぶリーフは喜ぶと思ったのだが、リーフの反応は想像と違った。
「驚かないの?」
「多少はな」
「私の事、どうしても好きにならない? なってくれない? 好きにならないまま、遠くへ行っちゃう?」
ポロポロと、涙を流してしまった。……そうか。リーフが必死になるのは理由があったのだな。
「分かった。遠くに行くのはやめよう。修行は、お前は居れば出来る事だしな。だから泣かないでくれ、レディ」
片膝をついてリーフの手を取り、口づけをした
「……うーん?」
「ん?」
リーフは首を傾げる。
「遠くに行くのをやめてくれるのは、とっても嬉しい。でもこ、こういうのはちょっと……恥ずかしいというか……」
「こういうのが、良いんじゃないのか?」
「うーん、なんていうかサカキらしくないよ。シルフで社長さんの机蹴っ飛ばす人には、ちょっと」
「意外と難しいな」
首を傾げる。大人の男が良い、というわけではないのか。
「何回も言ってるでしょ。私は、サカキの事が好きなの。悪い大人だけどバトルには真剣で、あんな大きな組織……ロケット団をまとめてる、サカキが好きなの」
「ふーん」
面白い。必死なリーフを見れば見るほど面白くなってきた。やはり俺は悪い大人だ。
「サカキは? 私の事どう思ってる?」
「やたらバトルの強いマセガキ」
「ひどっ……!」
期待の輝きに満ちた瞳が曇る。そう。この瞬間が楽しい。
「ほら、アイスが溶けるぞ」
「はむ……」
泣きそうになりながら、涙を堪えて、ストロベリーアイスを食べるその姿が滑稽で、思わず笑ってしまった。
「ひどい、人が真面目に告白してるのに」
「俺は悪い大人だからな」
「……うう……でも、そういうところも嫌いじゃない」
アイスも3段目に差し掛かった。チョコレートアイスだ。
意外な反応に驚いた。こいつ、マゾヒストの芽が出てかかっているのではないか。
もっと虐めてやろう。
「なら、俺も何度だって言ってやるが、俺には少女趣味はない。お前にはその辺を歩いてる虫カゴぶら下げた少年がお似合いだ」
「……バカにして……」
「ああ。バカにしているとも。悪い大人は手を抜かない。全力でバカにしてやるよ」
「バカ! バーーッカ! サカキのバカ! バカサカキ!」
リーフはついにキレた。語彙力の乏しさが、やはり子供だ。
「バカっていう方がバカなんだぞ」
「うるさい! もう知らない! これも、もういらない! 一人で食べれば!」
「おっとと」
投げつけられたアイスを受け取る。
リーフは怒ってどこかへ歩いて行ってしまった。
「ふう……」
残されたアイスは、少しビターなチョコアイス。のんびり食べていたいが、そうもいかない。
旅をせずに修行をすると、勢いで言ってしまった。何故だ? リーフをこれ以上悲しませたくなかったのか? 妙な感情も自分にはあったもんだ。
「アポロ」
「ここに」
名前を呼ぶと、噴水の影からアポロが現れた。
「いつから居た」
「割と最初の方ですな。サカキ様が小銭をあの少女に渡して、アイスを買わせた辺りです」
「最初っからじゃねぇか……」
「それで、サカキ様」
「なんだ」
「本当ですか、ロケット団を解散するというのは。私達の行き場が無くなってしまいます。どうか、今一度お考えを」
今度はアポロが赤い目をして、訴えてきた。
「はあ……そうか、それがあったな」
「あの少女に勝てない。それはいいではありませんか。私達ロケット団は……」
「わかった、わかった。解散しない。うん。それがきっといい」
「サカキ様……!!」
自分は多くの団員を率いる人間だ。先程は投げ出したい感情にかられたが、冷静になって考えれば彼らは行き場に困る。そして、彼らに勝手にしろ、とは自分は言えないのだった。
「そして、サカキ様」
アポロが声をひそめる。
「何だ」
「あの少女とは交際をなさらないのですか……?」
「うるさァーい!!」