雑諸④朝、窓を開けると、一面の銀世界が広がっていた。
庵の屋根にも木の枝にも、厚く積もった雪がしんと音もなく降り続けている。
雑渡昆奈門は、湯呑を手にしながら、その静けさを見つめていた。
立ち上がる足は、もう震えない。
かつて焼けただれた皮膚も、今では服を着ていれば目立たぬほどになった。
――ここで過ごした、三年。
そのすべてが、胸の内にあたたかく積もっていた。
「…おはようございます、こんなもんさま」
奥の部屋から坊が現れた。
まだ幼さの残る顔に、羽織の袖が少し長すぎる。
けれどその足取りは、誰よりもしっかりとしたものだった。
「おはよう、坊。…いや、もう“坊”とは、呼べぬかもしれんな」
「…でも、もう少しだけ。そう呼んでいてください」
雑渡は、優しく頷いた。
ふたりは囲炉裏を囲んで、いつも通りの朝を過ごす。
けれど今日は、荷造りを終えた風呂敷が部屋の隅にあった。
「いよいよ、今日ですか」
「ああ…私は、元の場所へ戻る。坊も…新たな名と役目を得て、歩き出すのだな」
「はい。でも、私はこんなもんさまについていきます!」
はっきりとしたその声に、雑渡は少しだけ目を細めた。
「…そうか。ついてくるのか、私に」
「はい。今度は看病じゃなくて、おそばに仕えるつもりです」
「それは、心強い」
ふたりは並んで、庵の外に出た。
雪は止みかけ、雲の切れ間から冬の陽が射していた。
「…あのとき、燃えさかる屋敷でお前の父を助けたことが、こんなにも先へ続いていたとはな」
「私も思っていませんでした。でも、こんなもんさまのおそばにいられて、よかったと思っています。」
「私もだよ、坊」
雪を踏む音が、ふたりの足跡をつくっていく。
雑渡はその足跡を見つめて、ふと足を止めた。
「坊。…あの日、お前が来てくれなければ、私は生きていなかった」
「…そんなこと、ありません。こんなもんさまは、生きようとしてくださったから、生き延びたんです」
「それでも…坊がいてくれたから、私は前を向けた。感謝している。心から」
坊は、黙ってうなずいた。
風が吹き、舞い上がる雪がふたりの頬をかすめる。
「…じゃあ、これからは、こんなもんさまの前を歩きます!」
「前を、か?」
「はい。道を作ります。こんなもんさまが、もう傷つかないように」
雑渡は、目を細めて笑った。
「頼もしいな。…ならば、私はその背を支えよう」
雪の坂を、ふたりは一歩ずつ下りていく。
庵を振り返る坊に、雑渡は言った。
「そろそろ行こうか。私たちの、新しい場所へ」
「はい!」
春はまだ遠い。
けれどふたりの胸の内には、もう陽だまりのようなあたたかさが灯っていた。
――そしてそれは、どんな寒さよりも、強い光だった。