高諸②桜が咲く季節だった。
けれど、高坂の心に色はなかった。
尊奈門が逝ったのは、春の初め。任務中の事故だった。気がつけば、高坂の腕の中には血を流した尊奈門がいて——
「高坂さん、守れて…よかった」
最期にそんな言葉を残して、もう戻らなかった。それから、世界はずっとモノクロのままだった。
春が来ても、夏が来ても。
秋が過ぎて、冬が来ても。
花の香りにも、風の囁きにも、尊奈門の気配を探す日々だった。
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お盆の夜、提灯が町を静かに照らす。
高坂は、縁側で一人、月を見上げていた。
「…お前がいないと意味がない」
声に出すと、胸が苦しくなった。
あんなに笑っていた、あんなに側にいた、あんなに…生きていたお前が——
「どうして、お前が、先に逝くんだ」
掌に残る体温は、とうの昔に消えていた。それでも、高坂の胸の奥では、まだ尊奈門が生きているような錯覚が消えなかった。夜風が吹き抜ける。
「なあ、尊奈門…お前は今、どこで笑っている?」
返事はない。
当然だ。そんなこと、わかっている。だけど、涙が溢れて止まらなかった。
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ある日、高坂はふと立ち止まった。
目の前に広がる花畑。そこには、かつて尊奈門と訪れた場所があった。
『…これ、覚えてますか? 高坂さん』
「何だ」
『この花、高坂さんと初めて来た時に見たんですよ』
「…そうだったか」
『そうです、私、こういうのもずっと覚えてます』
——記憶の中の声が、花とともに蘇る。
高坂は、胸元をぎゅっと握った。
(お前は、私を愛してくれていた。限りなく、真っすぐに)
その愛に、私は…何を返せた?
もっと伝えるべきだった。もっと、触れてやればよかった。
もっと、守るべきだった。
それができなかった自分が、どうしようもなく、哀しかった。
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何度目かの命日だった。
墓前に、花を手向ける。
季節の花と、尊奈門の好きだったお煎餅も添えて——
「…あの時、お前を守れなかった」
墓前に膝をつき、手を合わせる。
「なあ、聞こえてるか? …いや、意味がないか、こんな言葉に」
唇がかすかに震えた。
「守らせてくれよ…一度くらい」
届かない願いと知りながら、そう呟いてしまうのだった。
でも、本当は伝えたかったことがもっとある。
「…私はお前を、たましいごと愛していた。…嘘なんかじゃない。」
花束を整え、最後に頭を下げる。
「もう行かなくては。じゃあな、尊」
背を向けて歩き出す——その時だった。
『…高坂さん』
——聞こえた。
懐かしく、優しい、尊奈門の声。
高坂は振り返った。
しかし、そこには何もなかった。
風がただ、吹いていた。
それでも——
高坂はもう、涙を流さなかった。
彼の中には確かに、今でも尊奈門が生きていたからだ。
もう、姿は見えなくても、いつだって隣にいると——そう思えた。
帰り道、夕陽が頬を温めた。
「また、来る。…忘れたりしない。」
そう呟き、高坂は歩き出した。
どこか、風の中から笑うような気配がした。
——それはきっと、風の中の愛し子。