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    PN_810

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    PN_810

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    夏の、子尊と雑の看病期間の話。
    ほんのり雑→諸。
    尊奈門のことを坊と呼んでいます。

    #雑諸
    miscellaneousThings

    雑諸②蝉の声が絶え間なく響く庵のまわり。
    夏の山は命の気配に満ちていて、遠くの空まで揺れるようだった。

    「こんなもんさま、今日は…お散歩しましょう」

    坊の言葉に、雑渡昆奈門はゆっくりと顔を向けた。
    もう何度目になるだろう――坊の手を借りて、庭を歩く練習を始めてから。

    「歩けるかな…今日は少し、膝が重くてね」
    「大丈夫です。私が支えますから。ほら」

    坊が小さな掌を差し出す。その手は、雑渡の大きな手にはまるで子鳥のように頼りなく思えるのに、不思議と安心できた。

    「ふふ…坊は、随分と逞しくなったな」
    「えへへ、最近、ごはんもたくさん食べられるようになりましたから」

    二人はゆっくりと、縁側から庭に降りる。
    夏草が伸びて、あちこちに朝顔や野いちごが揺れていた。

    「こんなもんさま、見てください、朝顔。今年は青いのがたくさん咲いてますよ」
    「本当だな…坊が植えたのか?」
    「はい。今年も咲いたら、見せたかったんです」

    雑渡はしばし足を止め、しゃがみこむ坊の頭をそっと撫でた。
    火傷を負った右手はまだ満足に動かせないけれど、左手だけでもその温もりを伝えたくて。

    「…ありがとう、坊。私は…本当に幸せ者だ」
    「そんなの、私の方です」

    その言葉に、雑渡はふっと笑う。
    暑さで汗が滲む額をぬぐってやると、坊は嬉しそうに目を細めた。

    「そういえば…こんなもんさま、氷のお菓子、食べませんか?」
    「氷菓子?」
    「はい。村の人から氷を分けてもらって、蜜をかけました。冷たくて、甘いです」

    坊が家の中に走っていき、戻ってきた頃には、小さな器に白く削られた氷と、自家製の梅蜜が添えられていた。

    「坊は本当に、何でもできるんだね」
    「こんなもんさまのためですから」

    冷たい甘さが舌の上にひろがる。
    それを口に含みながら、坊が嬉しそうにこちらを見ている。まるで、「美味しい?」と尋ねるような眼差しだった。

    「…美味い。生きていて良かったと思える味だ」
    「よかった…」

    蝉の声は鳴りやまない。
    けれどふたりの世界は、その音の隙間にやさしく包まれていた。

    「坊…今日は、もう少しだけ歩こうか。あの木陰まで」
    「はいっ」

    そう言って差し出された手は、以前よりも少しあたたかく、力強く感じられた。
    ゆっくりと歩を進めるたびに、未来へと近づいている気がする。

    ――坊の手があれば、きっとどこまでも行ける。

    そう思った。
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