愛しのお前と終焉simile【完全版】【simile】シーミレ。イタリア語で同様に、という意味。
音楽用語では、直前の音楽記号と同じ奏法を繰り返すこと。
終焉
「おそ松兄さんは?」
「まあ……死んだだろうな」
「マジかぁ……」
「……見たわけじゃあないが、状況的にそうだろう?」
世界は、もうすぐ終わるらしい。
星もない真っ暗な空、奇妙に歪んだ極彩色の景色。瓦礫と化した街並み、潰れて平らになった山。おい、何なんだよ、これは。
おれはいつの間にかカラ松と手を取り合って、そんな中でも呑気に宙に浮かんでいた。理屈はわからない。でも、確かにこの世界が終焉を迎えていると感じていた。
じゃあしょうがないか。また来世。来世はきっとすぐにおれたちを迎えに来て、再び日常という名の六つ子揃ってのニート生活が始まるだろう。そういうのは前にもあった気がするし、なんとなく感覚でわかっている。来世と言っても、今手を繋いでいるこの兄との関係性が何一つ変わらないであろうことも。
グラサンで表情が読めない、二つ上の兄。相変わらず妙なセンスの服を着ているが、それも、もうズタズタの布切れでしかない。変な千切れ方をしたせいで、ヘソと乳首だけがモロに出てしまっている。そんな千切れ方する? 太ももは短パンだったから最初から露出していた。少し血が滲んでいるが、それも含めて
「ああ、エロいな」
と思って、最後の時までそんなことを考える自分に嫌気が差した。
勢い余って衝動でグラサン叩き割ってやろうかな、と思ったけれど、もうこれで最後だしな、と思ってやめた。
おそ松兄さんが死んだんなら、たぶん、おれとコイツの二人だけでは世界を救う逆転のチャンスも無いだろう。おれたちは手ぶらだし、特にそのへんに重要そうなアイテムも無いみたいだ。この世界は間もなく崩壊する予定なのだろう。
あ〜あ。バカみたいな人生だったわぁ。どうせなら最後にやりたいことやって死ぬか。
……やりたいこと?
暫し考えて、特に無いなと思い、いやいや……と考え直して、やはりどうしてもコイツへの執着だけが断ち切れないという事に気付いてしまった。
おれはここにいる顔もそっくりな六つ子の実の兄に劣情を抱いている。ここまで何もしてこなかったが──バズーカで撃ったり石臼で殺したりはしたが──今この気持ちを少しだけ伝えたって、もうバレる相手もいない。本人のカラ松以外は。
たぶんみんな死んだし、カラ松もすぐに死ぬ。おれだって後悔する間もなく死ぬだろう。だって、世界が終わるのだから。
おれは、ハァ、と項垂れてため息をつき、伝え終わる前に世界が滅んでも、それはそれで嫌だな、と覚悟を決めた。
「カラ松」
「……え? ああ!」
おれに名前を呼ばれるなんて考えてもみなかった、という顔で、カラ松がハッと気づく。オレか! と顔に書いてある。嬉しそうだ。旅行から帰ってきた主人に呼ばれた犬みたいな顔しやがって。可愛いんだよ。猫派だけど。
そうだよ、お前だよ。クソ松じゃなくて、カラ松って、久々に呼んでやった。おれの兄。松野家次男、松野カラ松。
お前だよ。お前を呼んだの。世界が終わるっていう、このタイミングで。最後ぐらいは、と思ってさあ。
「ねぇ、最後だから言うけど、カラ松」
目を合わせて言うつもりだったのに、サングラスに邪魔をされて肝心の表情が読めない。
「おれ……お前のこと、好……」
真っ暗なのに、おれしかいないのに。お前は最後までイタいサングラスをかける。そして、そんなお前だけが輝いて見える。どこが光源だよ。ああ、カラ松か。
「おれさぁ、お前のこと……キライじゃなかったよ」
サングラスの中のカラ松の瞳を想像して目を合わせたつもりになり、そう言い直した。お前の方からは、どう見えているんだろう。何か、返事をもらえたりするんだろうか。それとも、このままブツリと世界が途切れてしまうのだろうか。
「オレも、愛してるぜ、一松」
無駄に良い声でそう言われた。あまりにも軽薄なセリフに思えて、おれは笑った。
愛しいカラ松の最期の顔を網膜に焼き付けようと思ったのに、目元の表情はやはりクソみたいなグラサンのせいで読めなかった。口元はもちろん笑顔だけれど。
最後まで、カラ松が何を考えているのかわからなかった。でも、もうそんなことはどうでもいい。全部終わるんだから。
おれはカラ松の身体を引き寄せ、思いっきり抱き締めた。唐突な暴風音で耳が痛かった。
「最後まで失いたくないものが一つだけあるとしたら……それは、お前だから」
は。何言ってんだおれ。頭おかしくなってんのかな。まあ、最後だしな。どうせ、この轟音では何も届かない。
世界の全部が圧縮されたように、ぐにゃりと形を変えていく。何もかもが壊れる音が耳を貫いて、いや、もう自分の姿が保たれているのかもわからない……でも。
世界の終わりに、おれの腕の中にいたのは、大好きな兄だった。最高の人生だった。
何もかもが音と色を失って、世界が滅んだ。
simile
次の瞬間、記憶を無くしたオレたち……いや、オレ以外の記憶を無くした者たちは、何ごとも無かったかのように普通にそれぞれの生活をエンジョイしていた。
枯れ果てたはずのリバーも、無くなったはずのビッグマウンテンも、グリーンな木々も、すっかり元の姿に戻っていた。囀るリトルバードたちも、散歩する犬も、一松のフレンドたちも、もちろん愛するブラザーたちも無事なままだ。ちゃんと六人揃ってニートで、世界は音楽に満ち、空は晴れ渡っている。
世界はリセットされていた。
しかし、オレはあのワールドエンドを覚えている。ビルどころか山や川さえも崩れ果て、重力すらあやふやになる中、一松に手首を掴まれ、指を絡めて手を繋がれて、安心したところで、好意を伝えられたのだった。忘れられるわけがない。
最後の瞬間、一松から熱く見つめられ、告白され、そのままハグをされた事実を、ハッキリと覚えている。
二つ下の弟の、愛しい人を見るときにしかしないはずの、優しくて男らしくて、泣きたくなるような表情を。握った手の温かさを。
オレは覚えている。忘れない。世界が終わる瞬間に感じた、あいつの胸の鼓動を、ずっと覚えている。
世界が終わるというのに。最後に一松がとった行動が、それだった。最後まで失いたくないと、そう言われた。風の音が凄かったから、きっと聞こえてないと思って言ったのだろう。
嬉しかった。泣くかと思った。というか、実はサングラスの下で泣いていた。一松には気づかれていなかっただろうが。
そんなの、もっと早く伝えてくれたら良かったのに。オレだって、そんなふうに言われたらお前のことを好きになってしまう。兄弟の範疇を越えて、ハグでは済まされないところまで、踏み越えたくなってしまう。
オレの歓びの雫が瞳から溢れて頬に流れ落ちた瞬間に、祝福の時間は閉ざされた。あまりにも、タイミングがバッド過ぎる。
世界はそこで終わりを告げたのだ。
「なあ、なんでそんなに普通なんだ」
世界が終わる。そう確定する数時間前の日常と、今オレが過ごしている日常は連続しているようだった。だが、記憶とは違う。本当は一度終わったのだ。何もかも。そしてまた数時間だけ巻き戻り、繰り返されたのだ。
なあ、覚えているはずだろう? 少なくとも、二人きりで最期を迎えたお前だけは。
だから、十四松やトド松とじゃれ合っていた一松に向かって、思わず叫んでしまった。
しかし、一松もその周りのブラザーたちの反応も冷ややかだった。
「オレたち、世界の終わりに愛し合った仲だろう?」
一松は、はぁ? と眉間にシワを寄せて怪訝な顔をして、十四松は心配そうな顔をしている。
「カラ松にーさん、変な夢でも見たんスか?」
「違う……夢じゃ、ないんだ……」
視線を集めたのは一瞬のことだった。
「え? カラ松、一松とセックスしたの?」
「アホかてめーは! なんかの例えだろ」
長男と三男がそう言って騒ぎ出し、次第にそれもおさまっていく。
その後は特に何を言われることもなく、一松は十四松に誘われて何処かへ出かけていってしまった。トド松も他のブラザーたちもオレの言葉を無視して、普段通りの行動へと戻っていく。
やはり、覚えているのはオレだけで、一松とブラザーたちは元通り、何も覚えていない、ということなのだろうか。オレだけがこの世界の理を知っている? 深淵を覗いてしまった? いや、オレたちは六つ子だ。オレが覚えているなら、きっと他のブラザーたちも覚えているはずだ。
「おそまぁつ、本当はお前、覚えているんじゃあないか? この世界が混沌に包まれ、リセットされた、あの瞬間を!」
「はぁ? 何言ってんの。イッタいねぇカラ松ぅ」
「本当に覚えていないのか? 主役だろう」
「メタ発言やめてぇ。お兄ちゃん、お馬さん当たんなくて機嫌悪いんだけどっ」
「なあ、少しでいいから語らないか?」
「ええ〜? まあ……お金くれるなら付き合ってやってもいいけどぉ? んじゃ、どこに呑みに行く? あ、焼肉なんかど〜お?」
「あいにくオレも勝利の女神には見放されてしまって、な」
「んじゃ聞かなぁい! はい、この話は終わり。解散〜っ!」
甘えたような口調から一転、不貞腐れた長男も部屋を去って行ってしまった。この時間なら行き先はパチ屋だろうか。ついて行ったところで、パチンコじゃあ周りがうるさくて話を聞いてもらえそうにない。諦めたオレは、ソファで己と語らうことにした。
「カラ松。お前、また鏡見てるのかよ。僕はこんなに真面目に就活してるのにさぁ!」
チョロ松が部屋に入ってきてオレにそう話しかけたが、オレが鏡しか見ていないとわかるとわざわざ買ってきたらしい就職情報誌を本棚に入れ、代わりに他の雑誌を取り出して読み始めた。時折、にゃ〜ちゃ〜ん! と叫んでいる。まあ、人間の行動と気持ちは裏腹だ。
忘却
手鏡で飽きもせず自分の顔を見ている、オレ……
というのは建前で、今日のオレはそっと一松を観察している。オレのことをあんなに激しく求めてくれたはずの弟は、今はオレに興味の無い様子で、フレンドであるキャットと戯れている。
せっかく二人きりになれたのに
本当ならばオレに向けられる筈の微笑みは、全てそのキャットに向けられた。その柔らかな表情が憎らしいほどに思える。優しく撫でられてゴロゴロと喉を鳴らし、一松の膝で寛ぐキャット。あの指先も、その幸せそうな表情も、全てオレのものだった筈なのに……。
フッ、一松のフレンドに嫉妬するだなんて、オレらしくもない。
しかし、一松ってこんなに美しかったか? そりゃあ六つ子だからオレと同じ顔で、それは容姿が整っているということではあるが、こんなに惹かれたのは生まれて初めてだ。
一松に触れたいし、触れられたい。もっと色んな顔を見たい。あの時のように、オレを真っ直ぐに射抜くような瞳で見て欲しい。
なんでだ。どうして忘れてしまったんだ。あんなにオレを必要としてくれていたじゃないか。あんまりだ。言うだけ言って、自分は忘れてしまうだなんて。
しかし、幸せそうなキャットとの時間を邪魔されたら一松は怒るだろうし。話しかけることすらできない。お願いだから、早く去ってくれ……
その願いが通じたのか、急に身を捩ったキャットは、にゃあんと一言残し、窓から外へ去っていった。
「へへ……またね」
どこまでも優しい一松の声。そんな甘やかすような声で、オレのことも構ってほしい。お願いだから思い出してくれ。あの熱い抱擁を。
手鏡を仕舞い、一松に直接視線を送ってみる。しかし、一松はこちらを気にする素振りすら見せず、膝を抱えて虚空を見つめている。何が見えているんだ、お前には。
ああもう、我慢できない。
「……一松」
やっと絞り出した声は緊張で掠れていた。ほら、せめて振り向いてくれ。
しかし一松はそのまま何も言わずにゴソゴソと押し入れの中の引き出しから何かを取り出すと、襖を開けて出ていってしまった。
他のブラザーがいるときなら、買い物行ってくる、ぐらいは言うのに。
「……な、なんで無視するんだ、一松」
慌てて追いかけて、肩を掴んでそう言うと、
「あ? いたの」
などという素っ気ない返事が帰ってきた。それは以前と全く変わらない反応のはずなのに、世界の終わりにお前からの愛を知ってしまっているオレは辛くて堪らなかった。
階段を降りてゆく愛しい弟の足音を聞きながら、一人きりの部屋で、オレはサングラスをかけた。頬を伝う雫が止まらない。お前がせっかく伝えてくれたラブはオレの心を貫いて、そのまま行き先を失って、こうしてオレを傷つけている。
告白
「一松、好きだっ」
言った、言ったぞ……。
二つ下の弟を緑色のソファに閉じ込めるようにして、はっきりとそう伝えたオレは、勝利を確信していた。
記憶があっても無くても、前から一松がオレのことを好きだったことは変わらないんだから、これで一松のほうも恋心を認めてくれたら。それでまた、恋の歯車が廻りだすはずだ。
ほら、認めてしまうんだ、いちまぁ〜つ
しかし。可愛らしく赤く染めた頬で潤んだ瞳を向けてくるはずの弟は、今からちょっと人殺しますよ、みたいな顔でオレを睨んでいた。
「……喧嘩売ってんのか? クソが」
WHY〜
一松の反応が怖すぎたのと、予想とのギャップにショックを受けたオレは、へなへなと床に座り込み、一松は闇のオーラを纏ったまま去っていってしまった。
「い、いちまぁ〜つ」
しかーし。こんなことで諦めるオレじゃないぜ。引きずることなくすぐに立ち直ったオレは、好感度アップ作戦を開始することにした。可愛いお前が困っていればすぐに助けてやるからな。そしてそんなカッコいいオレを見て己の胸の内に眠ったオレへのラブを思い出してくれ
翌日。気合を入れて、煙たがられつつも朝からずーっと一松にピタリと張り付いて、良いところを見せる機会を伺っていた。
何も起こらないまま、夕方になってしまった。
「なに、いちまっちゃん、瓶が開けらんないのぉ? おにーちゃんに貸してみ?」
「……いい。もう少しで開くから」
「ふぅン? ついにオレの出番かぁ?」
「黙ってろクソ松」
「一松にーさん。貸して。開けてあげる」
「……ん、お願い」
じゅうしまぁ〜つ そこは、オレに出番を譲ってほしかったぜ。そしてなぜ十四松には頼るんだぁ〜
ううむ、良いところを見せる作戦は時間がかかりそうだな。それに、昨日は告白するには雰囲気が日常的すぎたし、いきなり過ぎたのかもしれない。まずはデートに誘って交流を深めようじゃあないか。
「いちまぁ〜つ。明日は一緒に公園に行かないか?」
「……ああ? また逆ナン待ち? チッ。一人でいけ」
舌打ちされてしまった……。しかも、ものすごい顔で睨んでくるじゃないかぁ。もしかして、オレを好きなことすら忘れてしまった、ということか?
「なに見てんだボケぇ」
「ヒッ」
拳が飛んできそうだ。ここは一旦退避して、作戦を練り直さないとな。
……フッ。また明日、出直すぜ。
日を改めてデートに誘ってみても、キャットフードで釣ってみても、一松には同じように冷たい反応を返されてしまうだけだった。
むしろ次第にそれも無視されるようになり、オレは一松に愛されているという自信を失った。
ブラザーたちが言うとおり、あれは夢だったのかもしれない。夢で見るということは、オレは一松をそれ程までに愛していたということか?
そうだな……確かに、一松がどう思っていようと、今のオレは一松のことを弟じゃなく、もっと特別な何かだと思っている。愛に名前をつけても仕方がないが、この気持ちは何というのだろう。もっと華々しく明るく楽しいものが恋だと思っていたから、これは恋ではないのかもしれないな。
一松がオレのことを好きじゃないとしたら。オレのこの気持ちはどこから生まれてきたんだ。好かれないのをわかっていて好きになる……そんなこと、あり得るのか?
オレの首根っこを掴んだり、バズーカを打ったり、そうやって攻撃してくるのも、アイツがオレのことを気に掛けているってことじゃなかったのか?
……現実だったはずの世界の終焉と、伝わってきた一松の体温。優しい瞳。汗ばんだ肌の香り。オレを心の底から求めてくれた、あの言葉。激しく刻まれた胸の鼓動。
こんなにハッキリと思い出せるのに。あんなにも求めあったのに。それなのに、もうあの時の一松は手に入らないというのか。
世界はまた再生したはずなのに、何だか雲行きが怪しくなってきた。美しいはずの世界からは、少しずつ色も光も、音楽までもが抜け落ちていくようだ。
──この世界のオレは、一松に愛されていないのかもしれない──
そう思うだけでオレのハートは締め付けられて、ギリギリと軋み、悲しい音を立てている。
「一松、オレは……それでも、お前のことを愛してしまった」
今日も一松に無視されたまま、悲しみに支配された一日が終わろうとしている。
布団に入ったものの、そのまま眠るのが辛くて、目を閉じてもなんとなく意識を手放せずに、オレの右側にいる弟の寝息をずっと聞き続けていた。
相談
「トッティ、朝イチで並んでスイーツ買ってきたぞ!」
「え! マジで買ってきてくれたの? ……やったぁ、ラッキー♡」
カラ松兄さんがどうしても話を聞いてほしいって言うから、面倒だし無理難題を吹っかけた。そしたら本当に叶えてくれちゃった。朝弱いくせにさ。どれだけ重い相談なの?
だからますます面倒になって、翌日また別のお願いをして、それがダメなら相談するのは無しってことにした。我ながらヒドイよね〜。そこは電話で決まった時間に予約しないとダメだし、しかもそこそこ良いお値段がするカフェだ。なのに。
「トド松、あの店だが、予約できたぜ。ここで奢ったら、今度こそ話を聞いてくれるんだよな?」
「えっ? う、うん……ええ? 取れたんだ、予約」
「ああ! 楽しみだな」
もう。必死過ぎて怖いんだけどぉ!
さすがにここまでしてくれたら仕方がないから、ボクはそのお店で映えるスイーツを食べながら、ついにカラ松兄さんの話を聞いてあげることにした。
「……で? なんなの、話って」
「世界が終わったとき、おれは確かに、一松に激しく求められたんだ」
「へ……? なんて もと、求められた? え、あの一松兄さんに?」
「ブラザーだからなんて関係ない。だってオレは……ハートを撃ち抜かれてしまったんだっ」
「相談に乗ってくれって言ったくせに、ボクの話全く聞いてないよね? まあ、いいけど……それで?」
「しかし、一松はそのことを忘れてしまったらしいんだ。それどころか……最近ずっと冷たくされているッ ……なあ、どう思う?」
「へ? どう思うって言われても……いや、わけがわかんないし」
ボク、何聞かせられてんの? 世界の終わりって、一松兄さんがおかしくなっちゃったっていう比喩だったの? そんなら納得だわ! 最近一松兄さんとカラ松兄さんがなんか変な感じだったけど、激しく求められて……って、もしかしてヤッちゃったってことお? だから気まずいってことなの? いや、兄弟で何してんの
「あんなに熱くオレを抱いてくれたのに……一松だけは覚えてくれてると思ったのにぃ」
「え? つまり、一松兄さんはヤることヤったくせに、カラ松兄さんを捨てたってことお」
童貞から一気にヤリチンのクズみたいになった一松兄さん……?
「いや、落ち着いて状況を確認し直そう……カラ松兄さん。一松兄さんに抱かれたってこと? 本当に?」
「ああ……激しかった……」
「……あのさ、好きになっちゃったのかもしれないけど、もうやめたほうがいいよ。忘れな?」
「忘れられるわけがなぁい あんなに貫かれたのにぃぃぃ(熱い眼差しでオレの心が)」
「ギャー 生々しいのやめてぇ もう聞きたくないっ! この話終わり! あ〜このスイーツ映えるわぁ〜 あ、カラ松兄さんのコレもちょうだい?」
「ああっ、美味しそうだから取っておいたのにぃ」
「六つ子なのに大切なもの最後まで取っといたら奪われるに決まってんだろバカ あっ、バカって言っちゃった。ゴメンね?」
「奪われる イヤだ、一松を他のヤツに取られるなんてイヤだぁ」
「へっ? 一松兄さん、もしかして浮気してんの?」
「えっ……ああ、そのセンもあるのか ハッ……他に良い人ができたからオレを捨てるのかっ? そうなのか、いちまぁ〜つ」
「ええ 一松兄さんサイテーなんだけど」
このままじゃあ流石に、あまりにもカラ松兄さんが不憫だ。
「……ボクが味方になってあげる」
「ほ、本当かっトド松ぅ〜 さすが、オレの相棒だぜ〜」
「んでも、一松兄さんと仲直りできたら、また何か奢ってね♡」
疑惑
「一松兄さん、浮気してるでしょ」
「は? えっと、何の話?」
突然末っ子に呼び止められたと思ったら、全く心当たりのない言いがかりをつけられてしまった。
「誤魔化さないでよね〜。カラ松兄さんのこと、バレてないつもり?」
こっちは全く何の話なのかわからないのに、自分は何もかもお見通し、といった自信たっぷりな顔で近づいてくる。
「……え、もしかして、カラ松が、誰かと浮気?」
「違うから! 一松兄さんのほうでしょ、浮気してんのは 誤魔化されないからねっ」
え、マジでなんの話してんの、この子は。というか、そもそもカラ松にもおれにも、別に恋人とかいませんけど? いや、カラ松の方には、もしかして……恋人がいるわけ? いやいや? ニートだよ? 誰が好き好んでニートとお付き合いしてくれるって言うんだよ。
ああ、でも……ドブスという過去の例があるんだよなあ。
まあ、それは置いとくとして。トド松のやつ、おれが浮気してるって言った? って、もしかしてもしかすると、おれがカラ松と付き合ってる前提で話をされているのか? えええ?
「そもそも、おれとカラ松、別に、これといった関係はないんですけど……」
「そんなわけないじゃん、カラ松兄さんが言ってたんだよ……一松兄さんに激しく抱かれたのに、そのあとずっと冷たくされてるって」
「はあ だ、抱かれたぁ」
えっと、何? カラ松、なんでおれに抱かれたとか訳のわかんないこと言ってんの? しかも、トド松に?
「とにかくっ。浮気してるんだとしても、カラ松兄さんには優しくしてあげて? 冷たくしないで。ちゃんと仲良くしてよね」
「ちょ、え? どんな誤解だよそれ……浮気ってなんなの。きょ、兄弟を抱くとか、い、意味がわかんねぇし」
「ほら。だからそうやってキョドッてんのが証拠でしょ?」
「こ、これは……だからぁ、違うんだってぇ」
トッティにあらぬ疑いをかけられたまま、おれはカラ松と仲良くしないといけない空気になってしまった。
「え。ど、どうすればいいの、これ……」
迂闊
仲良くするって言ったって、おれがカラ松に暴力を振るわないだけでも、ガマンして偉いね、と褒めてほしいぐらいで。殴ってもグラサンを割っても叱ってすらくれなかったような、おれに対しての反応ゼロだった奴が、急に好意を向けてきても……。そんなの、逆に困るんだよな。
仕方ない、今日は優しくしてやるか。と思っていたら、いつにも増して強引にカラ松に迫られてしまった。両手首をガッシリと掴まれて、そしておれのことを好きだの、あの日のことを思い出してくれだのと、ずっとおれに訴えかけてくる。
「あのさあ。本当にそれ、マジで意味わかんねぇんだけど? ……離せよ」
「じゃあ、わからなくていい。ただ聞いてくれ、オレの想いを」
「また夢の話? 何なの」
「一松、本当に忘れちゃったのか? 世界の終わりに、お前がオレにしてくれたこと」
「は? 知らない。なにそれ、厨二病かよ。それにさあ、その感情の原因をおれのせいにしないでくれる? 現実のおれは何も言ってないから」
「じゃあもうオレが悪いってことにすればいい。何が元であれ、今のオレが一松のことを好きなのは変わらないからな」
「ああ。ハイハイ、兄弟愛ってやつ?」
「違う。恋人とか、そういう意味で好きってことだ」
「……ハァ? 夢に惑わされ過ぎなんじゃない?」
「現実に起きたことだ……一松がオレのことを好きだと言って、抱き締めてくれた。オレは、あの時のお前の顔が忘れられない」
「はぁ 好きだなんて言ってねぇし……」
「いや、伝わったぜ、お前の想いが」
「違うっ ……そ、そうだ。ほら。おれはさ、お前のこと、ただその……き、嫌いじゃないって言っただけでっ……」
「……やっぱり覚えてるんじゃあないかぁ」
「え……あッ」
「フフーン、迂闊だなぁ」
カラ松は、してやったり、といった顔で口の端を歪めた。
「しまっ……ッ クソッ……卑怯だろ」
「卑怯なのはお前だ、一松。なぜオレを拒むんだ? 好きなんだろう? このオレのことが」
「し、知るか! 知らない、聞き間違いだろ……ほら、離れろクソっ」
「まあいい。今は……お前が覚えていてくれたってことだけで嬉しくてな……ほら。触ってみてくれ。オレのハートはこんなにも高鳴っているんだ」
「おま……ヒッ、や、やめろぉ」
抵抗する前にすぐに手首を捉えられ、カラ松のタンクトップの上からその胸に手のひらを押し当てる羽目になった。
「……ほら、わかってくれたか?」
本当に熱い。凄い。一枚の布を隔てて、もうカラ松の胸がそこに……うう……ドクドク言ってる。激しい鼓動が伝わってくる。こんなの、ダメだ。危険すぎる。
「も、わかったからぁ! 離せっ」
「……つれないなぁ」
「ちょ、調子に乗るんじゃねぇ」
バレた。バレたし、カラ松が身体を触らせてきた。ま、マズい……このままだと……ヤバいことになる。
「オイ! もうこんな風に、む、無理やり身体を触らせるの……禁止だからなっ」
「んん? 心配しなくていい。浮気なんてしないさ。お前と違って、な」
違う、そういうことじゃねえ。そうじゃなくて、おれに触らせるなってことなんだけど。いや、もちろん他のやつにも絶対に触らせてほしくないけど。あと、おれは浮気もしてねぇんだけどぉ
くそ。何から言えばいいんだこれ。
「いや、そもそも……おれがカラ松のこと好きっていうのがさあ……そんなこと一度も言ってねえし、ああもう」
「あんなの、好きだと言ったのと同じだろう。ほら、もっと触っても……良いんだぜぇ?」
「だから、それをやめろぉぉぉ」
おれが、何もかも我慢できなくなっちゃうだろうがあああああ
◇ ◇ ◇
カラ松にうっかり口を滑らせてからというものの、翌日も、そのまた翌日も、ずっとおれのことを付け回してくる。いい加減に逃げ惑うのも無視するのも疲れて、近くにいた弟二人に助けを求めた。
「ねぇ、なんか追いかけてくるんだけど」
「え、こわ……朝からずっとじゃない? カラ松兄さん、いい加減にしなよ〜。ってかさぁ、こんな酷い男はやめときなって」
「えっ。なにそれ。おれが被害にあってるんだけど……?」
「一松にーさん、困ってるんなら、いっちょ飛ばしやすかい?」
「え? いや、いい……普通に逃げるし」
十四松はカラ松をどこかにぶっ飛ばすつもりなのか、それともおれを逃がすために、おれ自身を投げて飛ばすつもりなんだろうか。どちらにしても本当に物理的に人間を飛ばそうとしているのは確かなので断っておく。
「でも、ずーっと追いかけてきまっせ?」
「もう、カラ松兄さん? 一松兄さんはやめとけって言ってんのに」
「だから、なんでおれが悪いことになってんの」
「一松兄さん、カラ松兄さんにこんなに愛されてるんだから、逃げてないで向き合ったら?」
「は?」
「だからぁ、浮気なんかしてないで、カラ松兄さんとちゃんと話し合いなってこと!」
「だから、浮気って何のことだよ!」
「ほら、行きなって」
「うわあっ」
末っ子のトド松にドンと背中を押され、おれはバランスを崩して前のめりに転びそうになり、カラ松に抱き止められた。
「ヒイッ」
あのとき以来のカラ松の温もりに、その香水の香りに、頭がクラリとする。
「大丈夫か、一松」
おれ、カラ松に、抱かれちゃってる……。
「……おっ、お前のせいだろうが!」
そうだ、おれがこんな風に狂わされたのは、そもそもカラ松のせいで……。このままでは本格的におかしくなってしまう。
慌てて兄の胸板を押して、逞しい腕の中から抜けようとした。しかし、さらに力が込められただけだった。腕力ではとてもかなう気がしない。カラ松は見た目に気を使って多少は筋トレをしているらしい。おれみたいな運動ゼロのもやしニートとは違うのだ。
「なあ、離せって! おい!」
「こうやって抱き合うの、あのとき以来だな」
本当に話を聞かないやつだ。そのままジタバタしてみたけれど、ビクともしない。無駄に体力を削られただけだった。
「なあ、一松。なんでオレのことを避けるんだ」
「お前が、わけのわかんねぇこと言って追いかけてくるからだろ!」
せめてもの抵抗に首をできるだけひねって、カラ松に表情を悟られないよう、真後ろを見ようと努力した。
「嬉しかったんだ、オレは」
それでもおれをきつく抱いたまま、カラ松が勝手に喋りだす。
「お前に求められるのも、お前に抱かれたまま一緒に死ねた事も、嬉しかった……ありがとうな、一松」
「い、言い方〜ッ 何言ってんだオイ、周りに弟がいるんですけど」
「えっ。カラ松にいさんと一松にいさん、セクロスしたまま死んだの〜?」
「ほら、早速ひとつ下の弟が勘違いしてるだろうが」
「あっ、やっぱり本当に抱かれてたんだ……ハハッ……ボクたちお邪魔だったかなっ、出ていくね、ごゆっくり〜」
「ホラァ、ふたつ下の弟も勘違いしてるだろうがああああ」
「ホラ、行こ? 十四松兄さん」
「あい。一松にーさん、カラ松にいさんとお幸せに〜♡」
弟二人はそう言うと部屋を出ていってしまった。
「フッ、トッティ、二人きりにしてくれてサンキュー♡」
「お礼言ってる場合じゃねぇんだよ! 正せ! 情報を」
「ン〜?」
「何も間違ってないぜって顔してんじゃねぇ〜!」
「フフン、やっとこっちを向いてくれたなぁ、いちまぁ〜つ!」
「あああ! しまったぁ〜」
パニックになり逆に目を閉じるのを忘れてしまい、カラ松の顔をガン見することになり、カラ松もそのままおれを見るものだから、まるで顔を近づけてにらめっこをしているような状態だ。
「……ッ、その、なんだ……こういうの、照れるなぁ」
やめろ……お前が照れたらおれは……どうしたらいいんだよ!
「な、何か話してくれないか?」
「か、顔、近すぎるだろっ」
「キス、するか?」
「はあ〜? な、え? なん、ちょ、え?」
「フフフ、照れてるのかぁ?」
「ちが、え? な、なん、で……」
小鳥が喋むような。そういう表現がふさわしいほどの、一瞬の軽い戯れだった。
カラ松が真っ赤になり、自分の行動に驚いたというふうに目を見開いて、緊張した顔でおれを見ている。たぶん、おれも同じ顔をしている。
「……も、もう一度、してもいいよな?」
「あ? ふざけんじゃねえ、目ぇつむっとけよ、こっちからしてやる」
「へっ?」
違うから。ただ、やられっぱなしじゃ、癪だから。それだけの理由だから。
「ま、まだなのか、一松?」
目を閉じたカラ松の顔に釘付けになっていたなんて言えない。
「う、うるせえ、まだ、心の準備が……」
「一松……もう待てない。オレも、好きだぜ……」
「オレも、って何だよ……お、おれは別にっ……別に……お前のことなんかっ、さぁ……」
男同士で、兄弟で、そっくり同じ顔で、こんなに色っぽいなんてこと、ある?
兄の顔が寄ってくる。身動ぎもできない。ぐっと目を閉じて息を詰める。
ふに、と柔らかな感触。またしてもカラ松に唇を奪われてしまった。ふにふにと唇同士が触れ合うのがあまりにも気持良すぎて、そのままうっとりと目を閉じたままでいると、調子に乗ったカラ松が角度を変えて唇を吸い上げてきた。おれはすっかりキスの気持ちよさに溺れて、流されて、気づけば肩で息をしていた。とうとう、腰が勝手に動いてしまう。ダメだ……こんなの。
クソッ。受け身でばかりはいられない。こちらから舌をねじ込んでやる。相手の口の中に入ってしまうと、ただでさえ六つ子なのにますます自分とカラ松の境界がわからなくなる。舌を絡ませるのと同時に、脚も絡ませていく。息が上がる。カラ松が吐く息も甘さを増してゆく。
は? エロすぎない?
下半身に血液が集まっていってしまう。このままじゃ、流される……きょ、兄弟なのにっ……こんなの、ヤバいことになるに決まってる
危険を感じたおれは身を捩ってカラ松から距離を取った。
「……一松? 続き、しないのか?」
「ギニャーーーーーーッ」
色気の権化のような半開きの目をした兄を思いっきり殴って、おれは猫化して窓から逃げた。
困惑
まさかカラ松があのことを覚えているなんて、誰が思うかよ。
ねえ。普通こういうのは全員リセットされるもんじゃないの。おそ松兄さんすら認識してないのに、なんでよりによっておれとカラ松だけ記憶引きずってんだよ。
何の為にわざわざ最後に言ったと思ってんだクソが。言ってスッキリして、向こうもおれも忘れて、ついでにこのドロドロした劣情も忘れて、闇松も卒業してカラ松に優しくなって、驚きの白さ! 仲良し六つ子♡ になる予定だっただろーが。
えっ、なにそれこわ。
「いちまつにーさん、何悩んでるんでっか〜?」
何弁だか分からない方言擬きで、無邪気な弟がおれの顔を覗き込んでくる。
「へっ? いや、別に……」
「カラ松兄さんと愛し合ったって本当〜? それっていつ〜? どこであったこと〜?」
次々と質問を浴びせられ、心臓がバクバクと音を立てた。マズい。十四松に知られるのは嫌だ。おれの闇を照らしてくれるこの弟に、もしも気持ち悪いと思われたら、もう生きていけない。
冷や汗が背中を伝う。きっと顔も青ざめている。
「は、はあ? そ、そんなわけ、無いし……」
誤魔化すのが下手すぎた。十四松はますます興味深そうに顔を近づけてくる。
「え〜? どんなことしたのぉ〜? ねえ、気持ちよかった〜?」
「しっ、してないって、何もしてないんだって!」
口を大きく開けたまま、真顔で十四松が寄ってくる。近い! 圧が、圧が凄い……
「……えっと、ちょっと……抱きついただけで、他には、してない、です」
圧に負けて思わず敬語で返す。
「ふ〜ん、そうなんだぁ、アハハア!」
十四松に問い詰められると、嘘なんかつけない。
「あ、あと……嫌いじゃないって、言っちゃった、かも」
「ふぅん。じゃあ、好きってことだね!」
「ハァ そんなことねぇし」
「好きってことだよね? カラ松兄さんに好きって言えたんだよね?」
目が怖い。圧が凄い。
「……まあ、えっと……そ、そうかも?」
それを聞いて十四松は目を閉じてニッコリと笑ってみせた。はあ、良かった。真顔、怖かったぁ。
「やっと好きって言えて良かったね、一松兄さん」
「へっ? あっ、知って……ええっ?」
「で、世界はぁ? 終わってたの? リセットされたの〜?」
「……うん、それは……おれとクソま……アイツ以外の世界はたぶん、リセットされたんだと思う」
なんとなく、カラ松に悪い事をしてしまったという意識があって、アイツのことをクソ松と呼ぶのは憚られた。
「うはぁ、マジっすかぁ 詳しくオナシャス」
十四松は世界の終わりと再生に興味があるらしく、食い付いてくる。おれとカラ松しか覚えていないのに、夢物語と捨て置かずにちゃんと興味を持ってくれるのは嬉しい。
「たぶん、世界がおかしくなったのは数時間ぐらいだと思うけど。ても、あの世界は……やっぱり、一度ちゃんと滅んだはずだし、だから……今おれたちがいるココは、再生後の世界のはず」
「そっか〜。ぼく覚えてないのに〜。ざんね〜ん!」
「覚えてても……別にいいことないと思うよ」
下手に記憶があるせいで、カラ松を悲しませてしまったし。
「……まあ、終末ってさあ。さすがに、そこそこ怖かったんだよね」
怖かった、はずだ。でも……恐れよりもずっと、カラ松と身を寄せ合う口実ができたことが嬉しかったなんて言えないよな。最後だからって、伝えたいことを言えて良かったなんて。あのとき思いっきり抱き締めた感触だけで、あと数年は生きていける気がしたなんて……とてもじゃないけど、十四松には言えない。もちろん、カラ松にも。
「残念! 残念賞っ! ふんぬ、ふんぬっ!」
「十四松! 謎の素振りやめて、危ないからあ!」
とにかく、十四松は自分も世界の終わりを味わってみたたかったらしい。いや、お前もたぶん味わってるよ。覚えてないだけで。
「ねえ。一松にいさんは、これからはカラ松兄さんと仲良くするんでしょ〜?」
「え? ……べ、別に」
「するよね〜? するんだよね〜? ふんぬっ、ふんぬっ!」
「素振りで威嚇すんのやめて! 危ないからぁあああ! 仲良くするからぁ!」
「仲良くするんだね?」
また口だけ全開で、真顔になって見つめてくる。黒目に光がない! 怖い!
「仲良くするからぁ、その目やめてぇ!」
「好きって言えてよかったね、一松にいさん! ちゃんと仲良くするんだよね?」
「ヒッ、わ、わかったからぁ」
いや、良かったのか? しかも、十四松と約束しちゃったんだけど
……コレ、地獄なんじゃない?
離別
眠りの浅いおれは、みんなが寝静まった頃にそっと目を開けて、隣で寝ているカラ松をじっと見つめている。昨日も同じことをした。明日もきっとそうするだろう。ひたすら見るだけだ。髪に触れることすらしない。それでも、カラ松に気付かれずにずっと顔を見ていられる、この時間が好きだ。
みんなより濃い眉。伏せた睫毛。気持ちよさそうに寝息を立てている。
つい、フフ……と声に出して笑ってしまった。明日も、明後日も。このまま平穏無事に過ごせたらいい。そのうちおれの言ったことなんて忘れて、遊びでキスしたことだってすぐに忘れて、またトト子ちゃんや架空の存在であるカラ松ガールズたちのことを考えるようになるだろう。
満足したおれは、再びカラ松に背を向けた。そして、布団の端を抱え込むようにして眠りについた。
翌日の夜。
「一松、起きてるよな?」
「 ……ねっ、寝てますけど」
そろそろ日課のカラ松観察の時間だったのに、ターゲットに声をかけられた。もしかして、今まで毎晩おれがカラ松を見ていたこともバレているのだろうか。そんなことないよね。無いない。今日は偶然。
……そういう事にしておいてほしい。
「下に一緒に来てくれ、話がある」
「おれは、話すことなんて無いけど」
「……いいから、来るんだ」
カラ松は強引におれの手首を掴むと、こちらが抵抗する間もなくおれを引っ張り上げて、なんとそのままおれを抱き上げた。
「は? ちょ、おい! 降ろせ、降ろせって」
「静かにするんだ。ブラザーたちが起きてしまうだろう?」
お前のせいだろうが。そう思ったが、おれを横抱きにしたまま、カラ松は悠々と階段を降りていく。おれは眠いってこともあり、早々に抵抗を諦めた。騒いで誰かが起きてきたら、余計に面倒だ。
ちゃぶ台の横にカラ松と向かい合うように座らされ、肩に手をかけられる。
「一松」
真剣な眼差しで見つめられるのが苦しくて、すぐに目を逸らした。やめろ。そんな顔で見られたら、もっと好きになっちゃうだろ。
「なあ。もう諦めて、オレとちゃんと付き合ってくれ」
「……ハッ。兄弟で? ふぅん。具体的にどうするの」
自分でも意地の悪い質問だと思った。どんな顔をするのかと見てみれば、カラ松は真剣な顔を崩さずに言った。
「両想いだろ、オレたち。まずは、もう一度好きだと言ってくれ」
「……違いますけど?」
「あのなあ……もう、全部バレてるんだぞ?」
「……あれはさあ。最後だから言ったんだよ。こんなふうに続きがあるんなら、あんなこと最初から言ってねぇし」
「え? それじゃあ、オレの気持ちは、どうなるんだ」
「お前は……どうせ、言い寄ってくれば誰だっていいんだろ」
「違う! 世界が終わるってときにまでオレだけを求めてくれた、そんなお前じゃなきゃ、こんなに好きになんてなっていない」
「え……? な、泣くなよ…」
「泣いてないっ」
「鼻水啜りながら言われても……」
「こんなに、こんなに好きにさせておいて、忘れたなんて嘘を吐くなんて……認めないだなんて、そんなの、酷すぎるぞ……キスだってしたのに」
「ッ……それは……」
だって、だったら、どうすればいいんだよ。ずっとずっと隠してきたのに。本当なら、このまま隠し通すはずだったのに。終わるはずの話にこんなふうに続きがあるなんて。お前がそんなに真剣に悩むなんて。
「無かったことにしないでくれ……あんなに、嬉しかったのに……」
「それはもう、終わった話だから」
「お前のことっ、こんなに好きになったのに ……そんなの、あんまりだ」
「え? おい、カラ松……」
こんな時間に、しかもパジャマのままで、カラ松は家を出ていってしまった。
追いかけなきゃ、でも、その後……おれは、どうすればいいんだよ。
◇ ◇ ◇
結局おれはカラ松を追いかけることができなかった。そのままバカみたいに玄関を開けてパジャマ姿で立ち尽くし、いつの間にか朝日が登っていた。
泣かせてしまった。カッコつけたがりのカラ松が、弟であるおれの前で、ボロボロと泣いた。そして、去っていってしまった。
それでも引き留めて好きだなんて、おれに言えるはずが無い。だって、カラ松は血の繋がったおれの兄だから。
おれはフラフラと二階へ戻り、まだ起きない四人と一緒にいつもの定位置に収まった。隣にいるはずのカラ松は、どこへ行ってしまったんだろう。わからない。財布も持ってないのに。薄着なのに。こんな時間なのに。
もう、戻ってこなかったら? 事故にあってしまったら? もう会えなかったらどうしよう。
考えたって仕方ないのに、どんどん嫌な方向にだけ頭が働いてしまう。眠れるわけもないのに、動くこともできず、ギリギリと胃が痛くなってきた。丸くなって目を閉じる。隣にあるはずの体温と寝息が無いのが、こんなに心細くて怖いなんて。
「わかんねぇよ……」
だって、兄弟で愛し合うのは不正解だろ? だからって好きな相手をこんなに悩ませて泣かせてしまうなんて、絶対に間違っている。
……じゃあ、なんだよ。それなら、おれはどうすればいいんだよ。
もう一度、世界が終わったらいいのに。そうしたら、おれは……次は、きっと間違えない。もう絶対に、こんな気持ちをカラ松に伝えたりなんかしない。
終焉simile
カラ松が家を出てから何日経っただろう。そう思ったのに、まだ二日目だった。兄弟が大騒ぎするかと思えばそうでもなく、大人だよ? 大丈夫じゃない? 腹減ったら金もないし、どうせすぐに帰ってくるって。 などと有耶無耶にされ、なぜかとても腹が立った。でも、だからといっておれは何も言えなかった。原因はおれだと打ち明けたところで、きっとどうにもならない。
一日かけて心当たりを探してみたけれど、どこにもいない。十四松にも頼んでみようと思ったけれど、何と言って探してもらえばいいのか、戻ってきたところでカラ松とどう接したらいいのかもわからなかった。
おれは何も出来ず、ただひたすらにカラ松のいない虚しい時間だけが過ぎて行く。
おれのせいでいなくなったのに、寂しいとか悲しいとか思うのも間違っているとは思う。でもどうにもならないストレスで、ずっと頭と腹が痛かった。あまりにもずっと痛いので、逆に鎮痛剤を飲む気にもならない。飯もなかなか喉を通らない。残したおかずは、長男にひょいと奪われていった。
二番目の兄が不在のまま、いつものようにおれたちニートの気ままな一日が終わろうとしていた。カラ松以外の兄弟が揃った居間には、テレビから垂れ流された夕方のニュースが聞こえてくる。政治がどうとか、また物価が上昇しているとか。おれは画面を見ずに、なんとなく赤塚先生の肖像画を眺めていた。神みたいな存在なら、何とかしてくれないかな。と思いながら。
胸騒ぎのする嫌な警告音と共に、ニュースの内容が切り替わった。
『ここで臨時ニュースです。観測も予想もされていなかった大型の隕石が、地球に接近しています。落ち着いて行動してください。それでは引き続き、今日のニュースです』
「あ〜。これ、地球終わっちゃうね〜」
とんでもない内容を受けて、長男が笑いまじりにそう言った。自称常識人の三男がすぐにツッコミを入れる。
「はあ? なんでそんな他人事みたいに言ってんの? ど、どうすればいいのこれ ニュースもなんで動物の赤ちゃんが産まれました、なんてほのぼのニュースに切り替わってるわけ?」
「だから、急なこと過ぎて、もう誰にもどうにもできないんだろぉ?」
おそ松兄さんは諦めたという顔であぐらを崩すと、天井を見上げた。末っ子がやっと事態を把握したという顔で震えた声を出した。
「警戒してくださいって……え。マジで言ってんのコレ? どう警戒するっていうの?」
「うーん。真面目に考えて、核シェルターに避難する、とかじゃない? って、そんなの大金持ちしか持ってないよね? どどど、どーすんだよぉぉぉ」
「あ、そっかあ〜。みんなでハタ坊のところに行ったらど〜お?」
チョロ松と十四松が具体案を出す。それでも誰もカラ松のことを話さないことに、何故か苛立ちが募った。
再び、嫌な感じがする警戒音とともに臨時ニュースが流れてくる。
『落下予想地域が発表されました。政府の発表によりますと、巨大隕石は東京都赤塚区に落下する模様です。隕石が地球に到達するまで、予報ではあと数分から数十分ほどかかるのではないか、とのことです。引き続き、総理官邸からお送りします』
『え〜、国民の皆様。未曾有の事態ですが、パニックにならず、落ち着いて行動しましょう』
「はぁ? 落ち着けるかあ」
すかさずチョロ松がツッコミを入れた。
「普通なら二年以内に観測される大きさなんだけど、急にワープしてきたみたいに現れたって……どういうこと? もう遠くまで逃げるにも時間が無いんだけどぉ」
トド松はそう言いながら、不安に駆られてずっとスマホで隕石に関する情報を調べている。
「だ〜から落ち着けってぇ。ほら、恐竜が滅んだときよりも大きいって言ってるよぉ。これならみ〜んな一緒に死ねるから、なぁんも怖いことないって なっ!」
待ってよ。ねぇ。おそ松兄さんがそんな風に言ったら、本当に終わっちまうだろうが……
ねえ、だから……カラ松は? アイツが不在のまま、六つ子が揃わないまま死ぬの?
そんなの……おれは……。
「あっ……あのさあ」
できる限り声を張り上げて、おれは叫んでいた。
「なんで、なんでみんなアイツのこと心配しないの。なんで誰も……カラ松のこと、探しに行かないんだよ」
「やっと言ったなあ、一松」
「……は?」
「教えてやるよ、カラ松の居場所」
「……へ?」
「会いたいんだろ? お前がそう言うの待ってたら、まさかの隕石が落ちてくるんだもんなぁ〜。ほら、早く行ってやれよ。もう会えなくなっちゃうかもよ?」
おれはサンダルをひっかけて走り出した。運動不足の足が、肺が、脇腹が悲鳴を上げる。膝も喉も痛くて、頭も心も痛くて、おれは泣きながら、とにかくがむしゃらに足と腕を動かした。
区内の良く知っている場所だから、きっと間に合うはず。そう自分に言い聞かせて、とにかく走った。
遠くの大通りからクラクションがひっきりなしに聞こえる。ヘリの音もするけれど、そっちを見る暇があったら前を向いて走らないと。時々おれのすぐ近くを爆速で走り抜けて行くバイクも、チャリを懸命に漕ぐ人もいる。きっと、最後に行きたい場所があるんだろう。あの人たちにも、きっと会いたい人がいるんだろう。
なんとか轢かれないように気をつけながら、毛穴から吹き出した汗が目に入らないように時おり額を擦りながら、おれは必死に走り続けた。
あと数分? 数十分? 数十分のほうであってくれ。もしも神様がいるんなら、お願いだから、カラ松とおれがもう一度会うまで待って欲しい。
あと一つ、そこの角を曲がったら、もう数軒先が目的地なのに、ズキリと足首に痛みが走った。なんとか転ばずに済み、肩で息をしながら、痛みを誤魔化すために少し脚を引き摺るようにしてなんとか歩き続ける。
相変わらずヘリの音が煩い。誰かが叫んでいる声や、割れるガラスの音も時おり聞こえる。
ハハ……ついに世界が終わるって感じ。
このまま、カラ松に会えなかったら……?
そんなことを考えそうになり、頭を降ってその思考を振り払う。
やっと懐かしい見知った通りに出た。痛む足を引き摺ったまま、なんとか目的地に近づいていく。おそ松兄さんに教えられたそこは、子供の頃によく通っていた駄菓子屋の跡地だった。
おれたちに境界線がなかったあの頃。六人で一つだった頃の思い出の場所だ。しかし、ガチャガチャもなければアイス用の冷蔵庫もない。しかも、シャッターが降りている。どこから入るんだ? 開くのか? 裏口を探すよりは、とりあえずダメ元でここから入れるか試してみるか。体力使い果たしてんのに……。
「クソっ……間に合え……」
シャッターに手を掛ける。とにかく力任せに押し上げてみるが、無駄にガタガタ言うだけで上がらない。
「……なんでだよ」
殆ど塗装が禿げて、駄菓子屋の名前も読めなくなっている。更に力を掛ける。硬い。なあ、ダメなのかよ……。
額から汗がポタポタと垂れた。頬を伝い、顎から落ちていく。目から出てくる水分と混じって、拭っても拭っても、キリがない。
最後にどうしても、カラ松に会いたい。顔が見たい。声を聞きたい。
もう一度。力の方向を少し変えてみたらどうかとか、勢いつけたらどうかとか、試せる事を順番にやってみるけれど、あんまり変わらない気がする。
とにかく力を入れて踏ん張る。高音で耳障りなシャッターが軋む音。もう駄目なのか。そう諦めそうになったけれど、カラ松に会えないなんて、それだけは嫌だ。最後にもう一度だけ。
「謝るからぁ……なあ……カラ松……ッ」
気合を入れ直して、全力で一気に持ち上げる。すると、最初は少し引っかかったもののシャッターは急に軽くなり、ガラガラと音を立てて上がっていった。
「……カラ松」
ホッと胸を撫で下ろす。しかし、残された時間が少ししかない事を思い出し、おれは叫んだ。
「おい、いるんだよな なあ! 返事しろよ……オイ クソッ。かっ……カラ松うっ」
所狭しと駄菓子やチープな玩具で埋め尽くされていたはずの土間は、今はガランとしている。端のほうに古そうな家具や段ボール箱が置かれていて、その奥には仕舞い忘れなのか思い出なのか、壁に吊るすタイプの駄菓子やおもちゃが少しだけ残されていた。
いかにも手書きという感じの、おどろおどろしい妖怪のイラストが描いてあるカードが目に入る。ようかいけむり、と描いてある。ああ、指にとって擦ると煙みたいなのが出てくるやつだ。小学生の頃にカラ松と一緒に遊んだよな……。
いや、そんなこと考えてる場合じゃない。カラ松は、ここに本当にいるんだろうか。
「ねえ、い、いないの……? か、か……からま、つ? なあ! カラ松うっ」
しんと静まり返った土間に、おれの声だけが響いていた。いないの? もう、会えないの? なあ、カラ松……どこにいるの。おれが悪かったから、出てきてよ。謝るから、最後に少しだけ顔を見せて欲しい。
「……カラ松ぅ……」
バカみたいだ。おれのせいでいなくなったのに。あいつ、泣いてたのに。おれは愛しい人を泣かせたまま、ごめんなさいも言わずに、隕石に潰されてこのまま終わるのだ。
「ご、めんなさ……からまつ……カラ松ぅ……」
涙と鼻水で顔がグチャグチャになる。泣いたって仕方がないのに。あいつに会えるわけじゃないのに。走り疲れてんのに泣いたから、ちょっと吐きそうになってしまった。
「ぅえ……カラ松、カラ松ぅ……」
すっ、と音がして、土間を一段上がったところにある障子の扉が開いた。
「誰か、呼んだか? ……んん? 一松?」
「……」
見たことのない地味な服を着たカラ松が、眠そうに目を擦りながら、のっそりと障子の向こうから顔を覗かせた。
「からまつうううう」
瞬間、おれはカラ松に飛びついて、その唇を奪っていた。
愛しのお前と終焉simile
会えた。最後にまた、おれの腕の中にいる。しかも、今なら何をしてもチャラになる。
今度こそ間違えない? そんなのは無理だった。だって、これが最後だから。
最後ぐらい好きなやつに好きなことさせろや。そうだ、このまま何も言わなければいい。そうしたら単に誰かにキスしたかっただけの弟で済む。
……なんだそれ。それもどうかと思うけど。まあ、このまま何も想いを伝えなければ、とりあえず今回は逃げ切れる。
カラ松の唇を柔く喰み、手で黒髪を梳かして、背を撫で、腰を引き寄せる。もっと、もっと欲しい。
唇を割って舌をねじ込むと、膝を割り脚を差し込んだ。興奮したカラ松の両足にギュッと挟まれて、太腿が痛いぐらいだ。
そのまま腰を押し付けて、耳朶をそっと撫でる。兄の吐く息が甘く色付き、おれは調子に乗って舌を絡ませた。カラ松が鼻をスンスンと鳴らして腰をくねらせ、それがあまりにもエロくて、興奮しすぎて鼻血が出そうになる。
またこんな最高の状態でおれの人生は幕を閉じるのか。ずーっとニートでずーっと報われない想いを抱えて生きてきたけど、捨てたもんじゃないな。
……でもいい加減、そろそろカラ松が嫌がるか、地球がまた終わってくれないと……このまま一線越えちゃいそうなんだけど。
そう思ったところでカラ松の方から離れていって、残念に思いつつもホッとする。唾液が少しだけ糸を引いて、ふつりと途切れた。
「……なあ、一松。いきなり押し掛けてきて、何をしてるんだ。まずはオレに謝るのが先じゃないか?」
「……うるせえ。最後なんだから黙ってろよ」
「最後? 最後ってなんだ?」
「はあ? 知らなかったのかよ。隕石落ちてくんだよ、もうすぐ」
「ええ……?」
「最後じゃなきゃしねぇよ、こんなこと」
「ふぅん。隕石か。オレは眠っていたからなあ。この店のマスターとマダムも奥で寝ているぜ。ご老人の夜は早いんだ」
「そういえば……なんでこんなとこに居るんだよ、探しただろーが」
「なんだ、探してくれてたのか? 他に好きな人ができたんじゃあないのか?」
「は? 何の話だよ。いや、まあ、別におれだって、そんな必死で探したわけじゃねぇけど……」
「じゃあ、なんでわざわざ最後にオレにキスするんだ?」
「……っ、それは……」
「オレのこと、好きなんだよな?」
「っ…… それで? なんでここにいるんだよ」
「一松に酷いことを言われて飛び出した可哀想なオレは、深夜徘徊していたマスターに偶然出くわしてな」
「マスター? ああ、この駄菓子屋の爺さんのこと?」
「ああ。マスターは帰り道がわからなくなってしまったと言うからここに送って、そのままマダムに頼み込んで居させてもらったんだ」
「……なるほど。駄菓子屋の爺さんもうかなり歳だもんな。ボケちゃったわけか」
「そういうお前こそ、なんで隕石が落ちてくるっていうのに、わざわざこんなところに来たんだぁ? んん〜?」
「……それは、クソッ……わかれよ」
「まあ、許してやるさ。結局、死ぬ間際じゃなくちゃあ、オレのことを求めてはくれないんだな、一松は」
「うるせえ! 求めてねぇし」
「フッ、素直になれよ。でも大丈夫だ、オレはまた、次の世界でもしぶとく覚えているからな」
「っ……さっさと忘れろボケ」
「何度も何度も繰り返して……それでもまた、こうやってお前が求めてくれるなら、きっと忘れないさ」
「ハッ。さっさと隕石落ちてこねぇかな」
「フゥン? 本当にいいのか? 時間、無いんだろう?」
耳元で甘く囁くのはやめてほしい。指を絡ませるのはよしてほしい。仕返しをするみたいに、さっきおれがしたことをそっくり返された。
カラ松はおれの唇を柔く喰み、手でクセっ毛を梳かして、背を撫で、そのまま下に降りた手でおれの腰を引き寄せる。もっと、もっとこの時間が続いてほしい、なんて今更の欲が出る。
カラ松の熱い舌が、唇を割っておれの口の中に入ってくる。柔らかい、温かい。カラ松に求められて嬉しい。
中心が熱くなった腰を押し付けられ、耳朶をそっと撫でられると、もう気がおかしくなりそうで、おれは鼻をスンスンと鳴らして腰をくねらせた。
動悸と息切れがヤバい。隕石が落ちてくる前に、なんか心臓発作的なもので死ぬ気がする。
「……っ、ダメ、カラ松」
「ハハッ……そんな可愛い顔でダメって言われてもな」
「ふざけんな、可愛いのはそっちの方だろうがボケぇ」
「死ぬのがわかってるんだから、もっと可愛い事言ってくれたって良いんだぜ?」
誘うような目でそんなこと言われたら、素直になってしまう。
「……カラ松、すき……とか? そ、そんな感じですかねぇ」
しまった、恥ずかしさで死ねそう。
「オレも オレも好きだぜ、一松」
「チッ、お前の好きは軽いんだよ」
「軽くないぞ」
「おれはずっとずっとこんなに好きだったのに。お前なんか……おれに言われなきゃ気にも掛けないくせに……」
「じゃあ早く言えばよかっただろう?」
「言えるわけねぇだろ 兄弟なんだから」
「オレは気にしないぜぇ?」
「気にしろ」
「……隕石、まだ落ちてこないな?」
「へっ? あ、ああ……今のうちにキスする?」
「ふふ……そうしよう」
カラ松の手入れされた唇は柔らかくて、おれのガサガサの唇が当たるのが申し訳ないと思った。それでもカラ松はそんなカサついたおれの唇を熱い舌先で舐めて、そこにまた喰いついてくる。
エロすぎるでしょ……これ、最後で本当に良かった。続きがあったら絶対に下半身が暴発する。いやもうそろそろヤバい。カラ松……本当にカラ松なんだよな? こんな風に、ずっとしてみたかった……。
ああ、駄目だ。続きが欲しくなってしまう。ここで終わらないと。
なんとか理性を振り絞るようにして、唇を離す。カラ松の頬に手を沿わせ、その輪郭を確かめるように撫でた。カラ松もおれに釣られたのか、同じように頬を撫でてくれる。擽ったくて、愛しくて、でもこれで終わり。切なさに胸が締め付けられる。
「からまつ……ね、最後に、顔……よく見せて」
「ああ……一松も、見せてくれ」
よく見えるようにあえて少し距離を取る。
瞳が輝いてる。嬉しいって顔に書いてある。でも、終焉を思ってなのか、わずかに目尻に光るものがあった。キリリと上がっていたはずの黒い眉が、少しだけハの字に下がっていく。弧を描いていたはずの口角も、だんだん下がっていって、開いた口元は、おれの名前を形作っていた。
小さく呼ばれたおれの名前。存在を確かめるように撫でられる頬。おれも、同じように愛しい兄の名前を呼ぶ。はっきりと。噛み締めるように。
「から、まつ……」
「い、ちま……つ……ッ」
少しずつ眉間にしわが寄って、とうとう表情がグシャリと歪む。大きな光の粒が溢れて、キラキラと落ちてゆく。
ああ、嬉しい。そんな顔でおれを見てくれるなんて。
……泣き顔を見て喜ぶなんて、おれって本当に最低のクズだな。でも。
カッコつけてるお前じゃなくて、グラサンで表情がわからないカラ松じゃなくて。最後に見るのがこんなみっともねぇお前の、感情剥き出しの泣き顔だなんて。
……やっぱり、最高だ。
「……でもさあ。もう一度笑ってよ。カラ松」
「……フフ。おまえ、そんなに男前だったかぁ?」
「は? 急に目が悪くなったんじゃない?」
でもまあ……一応おれ、カラ松と同じ顔だから。もしかしたら、そこそこ良い顔なのかもしれないよね。性格のヤバさが顔に出ちゃってるだけで。
おれもさっきまではカラ松と同じように顔をグシャグシャにしていたのだけれど、言われて笑顔を作ってくれたカラ松につられて、こちらもニッと笑ってやった。
滅多に使わない硬い表情筋が、どれだけおれの思い通りに動いてくれたのかは、カラ松にしかわからないけれど。
唐突に、目が見えなくなった。目を開いているはずなのに、暗闇が広がっているのみだ。恐怖で身が竦む。思わず手を伸ばして、カラ松を抱きしめた。
「か、からまつっ……」
「いちまつうっ な、なあ……目が……オレの目が……おかしいんだ、何も、見えないんだ……」
「落ち着いて、カラ松。これ、たぶん……終わりの合図だと思う。おれたちの目がおかしくなったんじゃあない」
「終わりの……合図?」
「そう。太陽が隕石に遮られて、光が届かなくなったんだと思う。あとたぶん、隕石が近付きすぎた影響で、磁気とか電気関係が全部ダメになったんじゃあないかな……あくまでも、おれの予想だけど」
シャッターは開いたままだったはず。閉まるような音もしていない。そして、間もなく終焉がやってくる時間なのは確かだった。だから、この予想は多分正しいと思う。
お互いを求めて、しっかりと抱き合った。これでもう、カラ松の体温を感じていれば全てが終わる、怖くない。
「……もう、何も、見えなくなってしまったな。こんなに近くにある一松の顔も……」
「うん……でも、最後に見たのがお前の顔で良かった」
カラ松が喋るたびに息がかかって擽ったい。鼓動が伝わるゼロ距離が嬉しい。浮かれてるような状況じゃあ無いのに、絶望的な時間の筈なのに、一秒でもこの時間を味わい尽くしたかった。
「一松。オレだって、最後まで失いたくないものがあるとしたら……」
「……」
「それは、お前だからな?」
「…… て、てめえ……あの時もっ、き、聞こえてたのかよ」
「フフーン。あの告白、嬉しかったぜぇ」
最後までカラ松はカッコつけたままで、そんなのズル過ぎる。どんな顔してるのか見てやりたいのに、もうこの世界には光が無い。
恐竜が絶滅した時よりも、ずっと大きな隕石。きっとこの国を、いや周辺の国だって覆いつくして、太陽光を遮っているのだろう。本当の終わりが近い。変に耳鳴りがする。気圧が変なのか、目ん玉が飛び出しそうだ。
あっ、これ本当に最後だわ。
「……カラ松」
「……ああ」
「ごめん。おれ、お前のこと……カラ松のこと、好きだった」
辛いだなんて感じる間もなく、轟音と灼熱に包まれる。また世界はリセットされるのだろう。その時またおれがカラ松とこうやって六つ子の兄弟でいられる保証なんかどこにもない。
なのに。
「……ああ、オレも。愛してるぜ、いちまぁつ」
きっと、また繰り返す。
だから、またきっとこうやって最後まで逃げ切ってみせるから、その時もきっと、なんとかキスぐらいで済ませて欲しい。
おれの汚いところは見ないで、キレイなままで、また、愛しいお前と。
【終わり】