やさしいこども、やさしいおとな。「ようカミーユ、やってるねぇ」
ハンガーの横、我らが整備士とっては憩いの場、MSパイロットたちにとっては待機所となる小さな部屋、解析室。
部屋に並ぶ端末に齧り付いていた少年にカミーユ、と呼びかけると、彼はやおらに振り返った。
「お疲れ様です、アストナージさん」
艦長から休暇を貰い、Zガンダムの設計に没頭していたのだろう。過集中から解き放たれた顔に浮かぶ笑みはあどけなく、アーガマに来たばかりの頃───新しいMSの設計図を組み上げて驚かせたあの日の素っ気ない尖りも、近頃ではすっかり見かけなくなった。
アストナージは「邪魔するよ」と部屋に入り、手土産に持ってきたカップを差し出す。中身は思考活動に欠かせない蔗糖がわずかに混ざった、ゆるく甘いコーヒー。特段美味いわけではないが、一息ついて頭を休めるには申し分ない。
「いただきます」と両手で受け取りながら律儀に礼を述べる姿は、毎度のことながら彼の育ちの良さが伺える。礼儀正しき若人に、アストナージはひらひらと手を振った。
「で、どうだい?進捗は」
「お陰様で。この前採れたデータのおかげで、末端の制御機構も仕上げられそうです」
「へぇ!早いな。覗いてもいいか?」
「!、見ますか?」
どこか誇らしそうな明るい声音、頑張りを見てもらえるのが嬉しいのだろうか。少年らしい素直な反応に思わずクスクスと笑ってしまったアストナージは、ふと強い視線を感じる。カミーユが今の笑い声は聞こえていたぞという抗議が滲み出たように、不服そうに口をへの字に曲げて睨め上げきていた。
意外と表情豊かだなぁと少々驚きながら、アストナージは短く「悪い」と謝罪する。そんな彼に納得したのか「分かればいいんです」とすまし顔で言うと、カミーユはストローに口をつけながら席を譲った。
さてさてカミーユの気が変わらないうちに見てしまおうと、アストナージは画面をスクロールしていく。
単純に内容が気になるのは勿論だが、実際にZガンダムを機体として実戦投入にするとなれば、資材や設備、人員との折り合いを考えなければならない。ゆえにこれは現場の視点、そして長年の整備士としての観点からのチェックも兼ねているのだ。
……というのは最初の頃の話で、最近ではカミーユも組み方に慣れてきたのか、こちらから指摘することはかなり減ってきいる。むしろ古い考えに囚われない真新しい発想と応用の数々に、整備士たちが学ばされる部分も増えてきた。
正直なところアストナージも、着々と組まれていく設計図に確かな高揚を感じている。
「うん、…うん。良い感じだな」
アストナージが独り言のように呟いて何度も頷きながら読んでいると、背後からふん、と不満げなため息が聞こえた。
「これじゃあ、まだまだ未完成ですよ」
「えぇ、そうか?」
「Zはもっと強くなる。強くなれる。…………強く、ならないと…」
そこでふつり、とカミーユの声が途切れた。まるで何か言おうとして堪えたかのような不自然さで。
不思議に思ったアストナージは、そっとカミーユを振り返る。
……そこにあったのは、今はまだ泣くまいと必死に我慢する子供の顔だった。
(───あぁ、またか)
アストナージは何度も見てきた光景に、短く嘆息する。
それは、カミーユが戦場を意識した時にだけ見せる表情。苦悩と葛藤に板挟みにされながら、いじらしく耐え忍ぶだけの、幼子の顔。
この子はまた、ひとりでそんな顔をして。
次の戦場や目の前で散った故人に想いを馳せては、真白い心を滅茶苦茶に掻きむしって、慟哭するがごとく血を流しているのだろう。
こうして見ているこちらが、痛々しく感じるほど。
クワトロ大尉が言っていた、カミーユにはニュータイプの素質がある、と。
エマ中尉が言っていた、カミーユは特別に繊細で優しい子供なのだ、と。
ヘンケン艦長が言っていた、カミーユは軍人なんかになりたくないらしい、と。
……優しい子が、そんな顔をするくらいなら。
そうだ、そんな思いをするくらいなら、いっそのこと───
「……嫌だったらさ、メカニックに来て良いんだぜ」
言い終えてからはた、と思考がそのまま口に出ていたことに気付き、咄嗟に口を押さえる。
後悔、猛省。息を詰めたアストナージは、小さく「すまん」とだけ告げて視線を落とした。
……言ってしまった。
こんなこと、言うつもりなどなかったのに。
この言葉がどんな意味を持つか、理解していたのに。
そもそもカミーユは、本来ならば両親の温かな庇護のもと、学舎で教本と睨めっこしながら、遊びの予定だの課された宿題だのと毎日が忙しなくて楽しくて仕方がない、うら若きティーンの学生だ。決して場数を踏んだ大人でもなければ、アーガマに軍人として志願したわけでもない。
そんな彼にMSの適性があるからと、やれパイロットだアーガマの一員だと持て囃し、その小さな身体より何百倍も大きい鉄の塊に押し込めては、司令室の大人の意向が示すまま、様々な任務へと向かわせる。時にはカミーユが自分から飛び出すこともあったが、彼が出撃したおかげでアーガマが免れた脅威や命拾いしたクルーの数といったら、推して知るべしだろう。
そうして得られた安心は膨れ上がり、いつしか周囲を“我々が前へ進むためには、子供の手が血で染まるのも仕方ない”という異常な考えへと至らせてきた。
故に“誰”がこの子に戦いを望み、“誰”がこの子のために戦う力を誂えてきたのか、アストナージは分かっている。
───お前だって、この子に戦いを望んで誂えた“大人”の一人のくせに。
カミーユの積み重ねに対して、今更「辞めてもいい」とでも言うつもりなのか!
ひんやりとした沈黙が、二人の間を通り過ぎた頃。
「ありがとうございます」と返ってきた声は凛と響き、背伸びをした子供のようにひどく大人びていた。
「でも、大丈夫です。……僕は、パイロットですから」
アストナージは弾かれたように顔を上げ、そうじゃなくて!と言い募ろうと息を吸い───声が、喉に詰まる。
苦く笑うカミーユの瞳は、まるでアストナージの言葉を、思いを、心を全て見透かしたように、深く凪いでいた。
誰に言われたからでもなく、誰に促されたからでもなく。
カミーユ自身がそう在りたいから今があるだけで、そのことについて、周囲の人間やアストナージにだって文句を言うつもりはない。
だからパイロットからも、自分の選択の結果からも、今更逃げたいとは思わない、と。
───もしかしたらこれは、都合のいい想像かもしれない。
それでもアストナージは、彼の瞳と一言にそれら全てが詰まっていると、己が心で感じた気がしてならなかった。
(……まったく)
アストナージは脱力し、椅子に深く沈む。
なんて様だ、格好付かない。
これではどちらが気を遣われているのか、分からないじゃないか。
「…うん、そうかい」
カミーユに応えるように、アストナージも面映ゆく笑う。
どうやらこの子の前では、“大人”も形無しになってしまうらしい。
アストナージは独り、「ありがとな」と呟く。
そして静かに立ち上がると、残りのコーヒーをせっせと飲む小さな頭を、ぐしゃぐしゃと撫で回してやったのだった。