ジョーチェリワンドロ 第1回 グラスグラス
その日、薫は俺の店のグラスを割った。
パリン、と店内に客がいない閉店間際だからか、余計に響いていた。
「おい、大丈夫か!」
箒とちりとりを持ってカウンターからフロアに向かい、薫の指先を見る。
白い肌に紺色の着物、そして指先から流れる赤い血液。
「問題ない、少し切っただけだ」
薫は昔から喧嘩をしてよく口の端を切っていたり、相手を怪我させたり……何にせよ、物理的に血の気が多い奴だった。
「全く、昔からよく怪我してたよな」
掃除は後だ、まずは薫の応急処置をしなければ。
掃除用具を近くの椅子に立てかけて裏から救急箱を出してきた。
ぽたぽたと流れ出る指先の血液を拭おうと白いハンカチを当てがおうとしていたから、その手を止めてティッシュに消毒液を垂らして拭った。
「やめろ、その高いハンカチが真っ赤になるだろ」
「別に問題ない、これは貰い物だ」
「いいから…そう言えば高校生の時もこんなやり取り良くあったよな、お前がすぐ喧嘩ふっかけたりメイク失敗したりして……」
「うるさい、あれは過去だ もうそんな失敗しない」
「今じゃ病院送りの方が増えたけどな」
楽しそうに笑う虎次郎を薫は軽く足蹴りした。
「ほら、ガラス入ってないか見せろ」
白くてきめ細かく、女のように細い手を取ると俺の手が無粋のように見える。
切れたのは人差し指がさっくりと切れており、ガラスは刺さっていないようだった。
少し力を入れると痛むのか、びくりと肩が動かしてこちらを睨んでいた。
すなまい、と軽く詫びを入れ、もう一度傷薬を塗布して絆創膏を貼った。
「俺の右手は高くつくぞ」
「お前が割ったんだろ、弁償しろよ」
「あぁ?料理は奢ってくれることが多いのにグラスは弁償させるのか?一体いくらするんだよ」
「2000円」
正直に言うと薫は料理の方が高いじゃないかと笑いながら言った。
俺が本気で弁償させる訳も無い程に薫もまた冗談で言っていると思っていた。
これは俺らが幼馴染だからと言うのもあるだろうが、他の理由もあるのかもしれない。
ネオドラマの様な戯言をと言われてしまうと思い、その想いはぐっと心にしまっておくことにした。
「まぁ……手当もしたことだし、このことはチャラにしてやる、カーラ!」
『オーケーマスター、虎次郎 さんの口座に4000円 振り込みが完了しました』
「はぁ?!なんで倍振り込んだんだよ」
「今日こそは飯代を払う、当たり前だろう?」
確かに、薫に出したワインとカルボナーラを含めた弁償代なら妥当である。
「金なんていいのに」
「なんだよ、請求したのはお前だろう?」
にやりと妖しく笑う薫は口元を扇子で隠した。
ちりとりに乗った割れたグラスはきちんと分別し、誰も触れないように割れ物のシールを貼ってバックヤードで保管した。
ホールに戻ると頬杖をついて真面目な顔をしている薫がこちらを見つめていた。
目が合うと自然に目線を流される。
気のせいかもしれないが、頬が赤くなっているのは酒のせいなのか。
それでも薫の顔が可愛くてたまらない俺はそんな仕草をするお前が好きだ、と心で告白をしながら微笑んだ。
「さて、桜屋敷先生の右手が大変だからな!俺がアーンしてやらないと何も食べれねぇんじゃねえか?」
「は?!そんな事一言も言ってねぇだろ! っあ、ちょっ…むぐっ」
無理矢理に食べさせたカルボナーラソースが薫の口端についたから、思わず俺は舐めてしまった。
それは拳が飛んでくる3秒前の出来事だった。