4-4 アマンセルは部下を引き連れ、候爵アレイスター家へと向かった。今回、フィオラは来ない。もしアレイスター家に内通者がいた場合、フィオラの顔が割れれば状況が不利になる可能性があったからだ。その代わり彼女にはファウスト家、そしてモントレー家へと潜入してもらっている。
屋敷の門をくぐると、見事に咲き誇る花々が彼を出迎える。王家を数百年と支え続けた名家なだけはある。その庭園の小道に見知った顔を見つけ、彼は歩み寄る。
「お久しぶりです、マルシア卿」
突然の来訪に、さすがの彼女もびっくりしたのか鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした。よくよく見れば自らジョウロを持ち、普段よりもゆったりとしたドレスを着て、纏う雰囲気が少し柔らかいように感じる。たしか、エンパイアドレスと言っただろうか…。そんなギャップに、脳内の幼馴染が手を叩いて喜んでいる。なんだか見てはいけないものを見たような気持ちになってしまい、アマンセルは少し視線を逸らした。
「いらっしゃるなら事前にお伝えしてくださらないと。失礼があってはいけませんから」
彼女の方はと言うと、至って通常運転で抗議の声を上げる。
「いえ。事前にお伝えしては調べられるものも調べられないでしょう?それに貴女なら多少の無礼など、むしろ嬉しいですけどね。なんだか心を許されているようで」
「…クレロ卿に毒されましたか?貴殿がそのようなことを仰ると、いささか変な感じがします」
本心からの言葉だったのだが、クレロと同類と思われるのは少し…いや、かなりのショックだ。
「冗談はさておき、本題に入りましょう」
咳払いを一つし、気を取り直す。
「今回お邪魔したのは他でもない、先日の事件の捜査です」
「少し遅いように思うけれど」
「事件はあれで終わったわけではありません。あれは神託が示す侵略の一端に過ぎない」
「新たな証拠探しというわけですね」
一行はマルシアの案内で屋敷に立ち入る。やはり侯爵家ともなると内装の豪華絢爛さでは他の貴族の追従を許さない。マルシアが玄関先で手を叩くとすぐに老婆が姿を現した。
「おもてなしは必要ございませんね、アマンセル卿。ロザリー、お客様を執務室にご案内して差し上げて」
ロザリーは「かしこまりました、お嬢様」と頷くと、優しく笑い「こちらへ」と歩き出した。執務室へと向かう間に、アマンセルは彼女に尋ねる。
「こちらには長いんですか?」
「ええ。お嬢様がまだこんなに小さい頃から。それはもう可愛らしいお方でして」
そう話す彼女は楽しそうだ。意外だった。「力こそ絶対」というイメージが先行して、てっきり屋敷の内部も冷え切った雰囲気だと思っていた。
「皆様、怖い方だと思われているようですが、そんなことないんですよ。休日は定番から流行りのものまで、甘味を召し上がってはニコニコと笑うのですよ」
そこまで言ってロザリーは寂しそうな顔をする。部屋に入ると彼女は言った。
「本当は弟様方と召し上がりたいのだと思うのですがね…」
「つかぬことをお伺いしますが、前当主のフロイスト卿は、今日もこちらにいらっしゃるのですか?」
「はい。お屋敷の三階に。ご存知かもしれませんが、ご主人様は九年前の出来事を境に心身ともに衰弱されています。ほとんど部屋から出られる事なく、日々を過ごしておられます」
「そうですか…」
「申し訳ございません。いつも話し過ぎてしまって。お嬢様に怒られてしまいますね」
「ロザリー、またおしゃべりが過ぎているんじゃないでしょうね」
話が終わるのと同時にマルシアが入ってくる。どうやら着替えてきたらしく、よく見る姿で現れた。まるで見計らったかのようなタイミングで話を切り上げたロザリーに、今まで彼女がいかにマルシアを見てきたのかが伺えた。彼女は退室するまで優しく笑っていた。マルシアは無意識か、こちらと目線を合わせようとしない。
「彼女の話は全て忘れていただいて…気の済むまでご覧ください。なんでしたら父の書斎もどうぞご自由に。彼は別室におりますので、お気になさらず」
アマンセルたちは手分けして調査を始めた。書類の一枚一枚、細部に至るまで目を通す。果てしない作業に、気が遠くなりそうだが、やらざるを得ないのだからしょうがない。
「…これは」
ふと手にした資料に目が留まる。それは手紙だった…。
日もすっかり落ちた頃、人海戦術で何とか調査を終わらせ、彼はマルシアに結果を伝える。
「思いの外、早く終わりましたね」
「資料が綺麗に整頓されていたおかげです」
「恐縮です。で、結果は?」
結論、証拠が出ることはなかった。その報告にマルシアはどこかホッとした様子だった。彼女自身、少しは不安だったのだろうか。
「父が裏で何かしているのではと少し疑っていたのです。彼は家のためならなんでもしますから」
「国を裏切ってしまったら、家どころではありませんから」
「ええ。まだそこまでの判断力が残っていてよかった」
そう彼女は呟いた。
外はすっかり暗く、昼間美しく咲き誇っていた庭園も今は夜闇に隠れ、わずかに涼しい風が仄かな花の香りを運ぶ。
別れの間際、あることを彼女に言うか言うまいか考えたが、やはり伝えることにした。
「…エミリオくん、頑張ってますよ」
その言葉に彼女は一瞬固まる。
「どうしてそれを私に?」
「ダルジアン子爵からの手紙を拝見しました。あなたが当主になる前のやりとりですよね」
「…」
アマンセルが部屋で見た手紙の内容は、エミリオをエーデルワイス家に養子に出したいというものだった。日付からして、まだ彼女が当主の座に着く前に、既に事を進めていたらしい。
「あなたはお兄様、お姉様がいらっしゃるにも関わらず、自分が当主になることを前提で動いていた。お父上が嫌悪していた存在を家から出したかったわけではない。ただ、彼を少しでも安心できる場所に連れ出したかった。そのためには何としてでも自分が当主になるしかない。どれだけ他人に恐れられようとも、嫌われようとも、次の当主を選ぶ父親が満足する存在でなくてはならない」
「そんな昔の手紙が残っていたなんて。ごめんなさい、整理整頓がちゃんとできていなかったみたい」
そう言う彼女の表情は月夜に咲く花のようだった。
◇
その頃、フィオラはというと、伯爵ファウスト家の屋敷へと潜入している最中だった。王城や公爵家とは違い警備はそこまで多くない。
「だから忍び込むのなんてお手の物よ」
幸い当のプルデオ・ファウストは部屋にはいないらしい。音も立てずに窓を開け、そろりと入る。罠が無いことを確認し、静かに、だが手早く物色を始める。念の為、周囲にカモフラージュ用の魔法薬を撒いておく。これで誰かが入ってきてもすぐには気づかれないし、こちらも感知できる。
残念ながら机の方には目ぼしいものはなさそうだ。続いて本棚。本の隙間からページの間まで、一気に巡っては無いことを確認する。なんの成果も得られないことに、フィオラは若干苛立ちを覚える。
「何か見つかりましたか?」
「何も。…ん?」
問いかけられて反射的に答えたが、今この部屋には自分一人しかいないはず。グルンと振り返ると、「どうも」と容疑者候補が立っていた。
「うわっ!は?なんで!?」
気配は感じなかったし、魔法薬が反応した形跡もない。
「あ、もしかして魔法薬撒きました?勝手に人の部屋を汚さないでくださいよー。その顔、魔法薬が反応しなかったような反応ですね。ご安心を。大丈夫です、私も部屋に入った時はあなたに気がつきませんでしたので、ちゃんと効果があります。その髪色…あなた、もしかして不老不死の魔法使いですか?もしやあなたがクイーンさんの代わりに来られたという…これはこれはお会いできて光栄です」
ペラペラと話すプルデオのペースに持っていかれないよう、フィオラはつっこみたくなる衝動を抑える。
「兵士を呼ばないの?」
あくまで平然を装って尋ねる。
「え?なんでですか?」
「は?なんで?」
キョトンとした表情から、本当に呼ぶ気はなさそうだが、まだ油断はできない。
「だって侵入者よ。普通呼ぶでしょ」
「うーん…それじゃつまらないじゃないですか」
ますます訳が分からない。
「大方、襲撃事件のことを調査しに来たんですかね」
「いいの?このままじゃ、あんた口封じに殺されるよ」
「それは出来ませんよ。だって今の状況で私を殺せば、今度はあなたが魔術師とグルだったと疑われます。それにルールとエーレクトラオスの国交問題に発展しかねない」
彼の言う通りだ。もとよりただの脅しのつもりだったが、そこを分かっているとなると脅しにもならない。頭が痛くなってきた。何も考えずに話しているかと思えば、ちゃんと考えている。今までに会ったことのないタイプで、どう会話したら良いか掴めない。このまま逃げるわけにもいかないし、さてどうしようかとグルグル考えている間に、向こうが先に話し始めた。
「私と組みませか?あなたにお願いがあるんです」
「は?まだ白と決まってないヤツと組むとでも?」
「でもこのままだとあなた、他人の住居に侵入した泥棒さんで終わっちゃいますよー」
彼の言う通りだ。それにもし彼が魔術師とグルならここでそんな話は持ちかけないはず。と言うことは白の可能性が高い。あくまで推察の域だが…。
「いいわ。ただしまずは話だけ聞く。組むか組まないかはそれから判断する。それでいいわね」
「もちろんです!私のお願いというのはですね…」