3-2 山の精霊オレイアデスの遺跡にて、カオスを助けたのは他でもない李家の元メイドのエリーゼだった。突然の闖入者に少年は憤りを隠せないでいる。
「星詠ごときに何ができる」
「その星詠の言いなりになってるのはそちらでしょう。夢追い人のコピーのくせに」
エリーゼのその言葉に少年はより一層、眉間に皺を寄せるが返す言葉もないらしい。彼は観念したのか、大鎌を手離し、先ほどまでの憎悪はどこへやら、吹っ切れた顔で「あーあ」と呟きカオスを見る。
「それにしても君の方こそ約束を破ってズルいじゃないか」
伸ばされた手はカオスの右腕を掴む。危険を察知したエリーゼは咄嗟に叫ぶ。
「カオスさん!離れて!」
「ま、ボクはそういうの嫌いじゃないけど」
少年は笑う。屈託のない笑顔で。細腕からは想像できない腕力をすぐに振りほどくのは難しいと判断したカオスは、すぐさま床を叩き割る。
「内なる流れ 湧水の如くー」
少年が言葉を唱えるごとに、カオスの腕を掴む手が熱を帯びる。
「渦よ 廻れ巡れ 故に爆ぜろ」
ただの人間では耐えられない熱さまで上昇していく。
「またね」
少年の身体が崩壊する寸前、カオスは空いた左腕を素早く横に走らせる。少年の内側から放たれる灼熱の力は、二人を隔てる岩壁によって防がれた。寸前で無理矢理、オレイアデスの力を引き出したカオスは、自身もろともこの遺跡を吹き飛ばそうとした少年の爆発による被害を防いだのである。しかし捕まれたまま一緒になくなってしまった右腕を見て、「またか」とぼやいた。改めて遺跡を見回すも、その惨状が来たときよりも酷くなっているのは考えるまでもなかった。
『やってくれましたね』
「オレイアデス」
『どうも、お久しぶりです。随分と手荒なご挨拶で。その様子だと元気そうで何よりです』
「これではまるで…生け贄の祭壇だな。それよりも、さっきは力を貸してくれてありがとう」
『ふふ、素直なあなたはなんだか気味が悪いですね。これは前借りです。高くつきますよ』
オケアニスとは打って変わって、冷静に冗談を言うオレイアデスも相変わらずである。彼女は精霊たちの中でも常に人間と付かず離れずの距離を保つ、いわば中立派である。
「オレイアデス、早速だが力を貸して欲しい」
カオスはこれまでの事情を彼女に説明した。
『別にわたしは構いませんが、それよりも大事なことがありますよね』
「ん?」
『してくださいね、片付け』
表情一つ崩さず、落ち着いた笑顔のまま彼女は言い放つ。一瞬、冗談かと思ったがその後の微妙な間でそれが本心なのだと悟る。視界に入るのはぐちゃぐちゃになった遺跡に、転がる遺体の数々。
「あ、あー…」
『ね?』
静かなる山の威圧からは逃れられないのであった。
クイーンに再び無くした腕を再生してもらったカオスを筆頭に、遺跡の掃除を始める。遺体はクイーンに指示された通り隅に並べて寝かせておき、あとは水魔法を使えば、元通りとまではいかないがある程度の綺麗さを取り戻した。この時、既にエリーゼは姿を消していた。
一段落ついた一行は遺跡の階段に腰を下ろす。気分を悪くしたファイェンはクイーンの膝でぐったりとしていた。
今度こそカオスはオレイアデスに本題を告げる。七人の精霊の力を取り戻す。それが今のカオスに必要なことだ。だが、オレイアデスはすぐには首を縦に振らなかった。
『先ほども言った通り、わたしは構いませんが、あなたは本当によいのですか?』
彼女は神妙な面持ちで尋ねる。
「何がだ」
『あなたが精霊の力を取り戻していけば、いずれかつてのあなたの存在も呼び起こされるでしょう』
「なに?」
『オケアニスから聞いていないのですね…。あなたが脅威と戦うにはわたしたちと存在を一体にし、力を取り戻す必要がある。でもそれは同時に、かつて人と戦ったあなたの記憶も復活するということ。遠い昔のあなたの記録は、あなたの中に眠る大地の記録よりも濃く、私たちの最表層に堆積しているの』
かつて人と戦った時の記憶が戻れば、今のパンゲア大陸の人々との関係がどうなるかは想像がつかない。共に脅威に立ち向かう仲間になるのか、それとも彼らさえも敵とみなすのか。しかし、いずれにせよ目の前の脅威に立ち向かうには、やはり力が必要なのだ。
「オレイアデス。再び私と共に戦って欲しい」
『分かりました』
そう言って、彼女は差し出されたカオスの手を強く握った。
「シンフォドリアが主 求める名はオレイアデス 応えよ 脈打つ大地の鼓動 天海の響動 その全てをお前に捧げる!」
『応えましょう』
◇
燃え盛る炎の中で見た背中は、普通の人とは変わらない大きさであるにも関わらず、不動の存在感を放っていた。人間の死骸を見てもその瞳には何も映らない。そこに満ちるのは怒り以外に何も無い。
ああ。素晴らしい。
揺るぎない母なる大樹の力強い激情は、どこか危うさをも感じさせるが、今だけはこのままでいい。この激情が収まるまでは。
数世紀の時を経て再会した願いは過去と同じ、何かを「護る」という形であるにも関わらず、あの時とは違ってまだ弱々しく、旅路も定まっていなかった。まるで何も知らない雛のよう。もしこの子が過去の自身の在り方を取り戻した時、その時がきっと乗り越えるべき峠になる。それさえ越えられれば、この子は羽ばたける。
ならばわたしはそれを見守りましょう。そして支えましょう。
あなたの旅路が良いものとなるように…
『祈りましょう』
◇
宿場町に戻った頃には、既に夕時前だった。空一面に、今にも雨粒を溢しそうな曇天が広がっている。
一行はゴーダに事の顛末を語った。カオスたちが遺跡に向かった後、ゴーダたちも追ったが遺跡にはたどり着けず、仕方なく引き返したと言う。曰く、「何度遺跡に入っても、遺跡から出る」という…恐らくそこでも何らかの術の影響を受けたのだろう。既に彼も、逃げ延びた人質から話を聞いていたらしく、ただ静かに「そうか」と溢した。崩壊した町は、これから国に被害を届け再建を始めていくそうだ。
昼食を済ませた後、ゴーダたちは犠牲者の遺体を墓地に埋葬した。シトシトと雨が降り始める中、大地は雨水とともに人々の哀しみを受け止める。それは幾星霜の時を経て、大陸の記憶として集積される。
厳かな墓地にはたくさんの弔いの花が供えられる。生きている間に伝えきれなかった想いを、叶うことのないかつて描いた未来像を、あふれでる行き場のない悲しみを。
カオスは手に添えられた一輪の白く可憐な花を見下ろす。
「イミニアの花。花言葉は『あなたの幸せを願います』」とクイーンが言う。
「人は花に意味を持たせる。ただそこにあるだけの花に名前をつけ、意味を持たせる。なぜだ」
「なんでだろうね。でも思うの。こういう時…やり場のない気持ちを抱えた時、人は一人ではいられないから、何かに想いを託したくなるのかも」
「…」
カオスは知らなかった。エリュシオンで見てきた文化とはまた異なる文化。見よう見まねで献花を終えたカオスは、自身の源であるシンフォドリアに呼び掛ける。
(かつてのお前は知っていたか?花に想いを託す人間の弱さを。私は知らなかった。…いや、お前は知ったんだな。大地から得た知識を見て、お前も知った…だから今の私は彼らに敵意を抱かないのだな……)
その夜。未だ星の見えぬ空の下、町の公会堂でゴーダたちが炊き出しを行っていた。やがて一段落つき自身も食事を始めたところに、小さな人影が彼のもとを訪れる。
「ファイェン」
「聞きたいことがあるの」
険しい表情でそう言う彼女に、彼は自身の隣に座るよう促した。
「飯は食ったか?」
ファイェンは横に小さく首を振る。
「炊き出し、食うか?」
またしても首を横に振る。
「食わねえと大きくなれねえぞ」
「怒ってないの?」
少女はキッとゴーダを見る。
「これだけ町を壊されて、知り合いも殺されて復讐したいと思わなかった?」
気丈に振る舞おうとしているようだが、その声は震えており、微かにくぐもっていた。ゴーダは食べる手を止める。
「…そうだな。そりゃ悔しいし、怒ってるさ。けどよ、復讐したって誰一人帰ってこねえんだ。もうとっくに復讐したい相手は死んでるってのによ」
「…」
「だからこそ、いつまでもショボくれてる訳にはいかねえ。俺たちには未来がある。生きなきゃいけない明日がある。どれだけ辛くても、悲しくても、やれることをやらなきゃいけない。幸せに生きる。それが残された人たちの役目だ」
「つっても」とゴーダは付け加える。
「今だけは浸らせてくれ」
「…そっか…うん。聞かせてくれてありがとう」
ファイェンは椅子から勢いよく飛び降りると、会釈して走り去って行った。それを遠くから見ていたカオスは彼女の後を追う。夜だと言うのに彼女は人気の少ない建物裏へと隠れてしまった。静かに近付くと、すすり泣く声がする。覗くと、彼女はしゃがんで独り泣いていた。
「ファイェン」
声をかければビクッと肩を震わせ、驚いた顔でこちらを見上げる。薄紫の瞳には大粒の涙が溜まっていた。
「ここは危ないよ」
そう言っても彼女は座り込んだまま、ボロボロと涙を溢す。カオスも目線を合わせるようにしゃがみこんだ。どうしても彼女の嗚咽は止まらない。カオスはそっと彼女の肩に手を添えた。
「泣いていては君の悲しみが分からない。顔を上げて」
濡れる頬に手を添えて顔を上に向かせる。
「私に教えてくれないか?君の涙の理由を」
「わたし…わたし……分からなくて。どうしたらいいか。お母さんが…死んじゃって、でも復讐しても戻ってこないことも分かってるのに…モヤモヤが晴れないの。くやしくて、つらい…」
泣きじゃくり、ファイェンはカオスの胸に顔を埋める。温かい涙が服を濡らす。彼女の温もりと鼓動を感じながら、恐る恐る抱き締める。優しくやさしく…。
「ずっと我慢していたんだな。思う存分泣くといい」
私が全て受け止めよう。まだ人の事を知ったばかりだけれど、受け止めることはできる。君の涙で大地を濡らしておくれ。
カオスは少しだけ強く抱き締める。
「大丈夫」そう言って。
大丈夫だよ。
いたいのいたいのとんでけー
…ああ、なるほど。名前も覚えていないどこかの誰かが言っていたこと。その意味を今、ようやく理解した。
「いたいのいたいのどんでいけ」
丁寧に丁寧に…精一杯の愛を込めて頭を撫でた。
◇
宿にもう一泊した翌朝。昨夜、思いの丈を吐露したファイェンは目こそ腫れぼったいものの、すっきりしたようで、寝覚めは今までの中で一番良かった。
三人が食堂に降りると、今度こそ宿の女将が出迎えてくれた。
食堂には宿泊客だけでなく、家を失くした人もご飯を食べに来ていた。最も外部からの宿泊客など、カオスたち以外にいないのだが。座るところを探して辺りを見回すと、手を振ってこちらを呼ぶ人影が。その人物を見て、カオスとファイェンは目を合わせる。
「戻ってきたのか、エリーゼ」
彼女は呑気に朝ごはんを食べ終えたところだった。「おはようございます」と言って白湯を飲む。
「お前、自分が何をしたのか分かってここにいるのか?」
険しい空気に怯むことなく彼女は「ええ」と言う。悪びれる風もない。
「えっと…何?さっき助けてくれた人だよね?なんでこんなに空気悪いの?」
事情を知らないクイーンだけが戸惑っているようだった。一方でファイェンは困った顔で自身のワンピースの裾を握っている。
「初めまして、不老不死の魔女さん。エリーゼ・アイホークスと申します。つい先日まで李家にメイドとして勤めていました」
「そして…」と彼女は言う。
「皆さんがおっしゃる異大陸の国アエルから来た星詠で…元スパイです。あなた方に私たちの目的を話すために来ました」
「お前がファイェンの家に敵をおびき寄せた。両親のいない時を狙って。と言うことはユーチェンたちの行動もお前が流してたわけだ…ファイェンのことだけでなく、味方も裏切るつもりか」
カオスの言葉には怒りだけでなく、侮蔑の色が滲んでいた。
「…ええ。でも裏切るのはこれで最後です。私は私の選んだ道を行く。誰に何を言われても。お願いがあります。私も連れていって下さい」
「正気か?」
「正気であればここにはいません。私は私のやった事がどういう事かも分かっています。私が言えたことではないですが、これは交渉でもあります。星詠の私を連れていけばアエルの魔術師の目的を知れるだけでなく、カオスさんの戦闘も有利になります。敵の素性を知らないあなた方にとっては美味しい話だと思いますが」
「お前がまともならな」
「私が少しでも怪しい動きをした時は躊躇わず殺しなさい」
力強い言葉に押し黙る。少し思案した後、カオスは言った。
「一つ問おう。遺跡に術をかけ、ゴーダたちを入れなくしたのはお前か?」
「ゴーダ…ああ、あの町の男の人ですか。ええ。犠牲を増やす必要はないですから」
その答えにカオスの心は決まった。かれはファイェンとクイーンに言う。
「…私は連れていってもいいと思う。だが二人はどうだ」
「良いんじゃない?それにカオスはエリーゼに本能的な敵意は抱いてなさそうだし、彼女がやってきたことはさておき…無害だと思うわ」
と、クイーンも賛同する。残るはファイェン一人だ。エリーゼは元々アエルからのスパイで、ファイェンの両親の行動を敵に垂れ流していたのは彼女なのだ。言ってしまえばファイェンの母親ユリヤが死んだ一因である。許せない…許せるはずがない。
「でも…今はお父さんを助けたい…!利用させてもらうよ、エリーゼ」
「ご随意に」
「決まったな」
「そうね。とりあえず朝ごはんにしましょう。さっきから女将にすごい見られてるし…」
クイーンが秘かに指差す先から圧の強い視線を感じ、一同はゆっくりと席に座った。
朝食を食べ荷支度を終えた四人は、宿場町を後にする。町の端まで見送りに来てくれたゴーダは「気を付けろよ」と、姿が見えなくなるまで手を振っていた。
次に目指すは闇の精霊ランパーデスの遺跡。ルール南西部を目指して、一行は南下を始める。ここから馬でも五日はかかるだろう。エリーゼ曰く、急ぐに越したことはないが余裕はあるとのことだ。
「それにしても、本当に良かったのか?」
カオスは隣を歩くファイェンに尋ねる。
「何が?」
「エリーゼのことだ」
「うん。言いたいことはあるけどさ、それよりも今は目の前のできることをやらなきゃ。お父さんが待ってる!それにエリーゼに聞きたいこともあるしね!」
ニッと笑った。屈託のない笑顔は初めて出会った時の笑顔と一緒で、カオスは自然と表情が綻んだ。きっと今の自分を見て、オケアニスもオレイアデスも驚いているに違いない。けれどこれは嘘偽りのない想いなのだから恥じることはない。
ふと、道端に目が移る。
「ファイェン」
カオスが呼び止めると、彼女は不思議そうな顔で振り返った。それをそっと耳にかけてやると、小さな手が形を確かめるように触れる。
「花?なんの花?」
「ふふ」
答えないカオスに痺れを切らしたファイェンは、自らそれを手に取る。
「…あ」
そよ風と共に白い花弁がふわりと可憐に踊った。