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    yctiy9

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    エミリオ編に入ります

    4-1 カオスたちがエーレクトラオスにいる頃。ルールでは、王城の一室でエミリオ・エーデルワイスの心臓が今にも飛び出しそうになっていた。窓から差し込む陽射しは暖かいはずだが、なぜか背筋は冷たかった。いわゆる冷や汗というやつだ。しかし現実は厳しいものである。
     「構成、文脈、誤字脱字。やり直し」
     容赦なく突き返される報告書を、エミリオは今にもチビりそうになるのをグッと耐え、受けとる。薄目ごしに対面する紙面上の赤い文字が、これでもかと彼の心を叱責する。これでも一回目よりは赤い面積が減ったのでマシではないだろうか。これまでの聖剣に関する実験結果をまとめたものだが、返却されたのはこれで三回目だ。そろそろ心が折れそうになる。初めこそ申し訳なさで肩を縮めていたが、今となってはむしろ、誰もが怖れる侯爵家当主相手に根気強く報告書を添削させていることを誉めて欲しいくらいだ。というのは半分冗談であるが、一周回ってそんな冗談を考えてしまうくらいには気が滅入り始めていた。
     ガタッとマルシアが椅子を引く音に思わず肩をすくめる。
     「クレロ卿、後はよろしくお願いしますね。私はこれで失礼しますので。最後の人は部屋を閉めるように」
     部屋中央のソファーで寛ぐクレロは、了解の意を示して、片手を挙げる。彼女は足早に部屋を後にした。見れば、机の上には手付かずの茶菓子が残ったままだった。
     「俺、ここの所属じゃないんだけど。まあいいや、文の校正くらいならできる」
     「ありがとうございます…」
     あからさまに肩を落とすエミリオに、クレロは「気にすんな」と慰めの言葉をかけた。初めて会ってからまだ少ししか日にちは経っていないが、エミリオはクレロとすっかり仲良くなっていた。公爵家の人間とはいえ、彼の気さくなところがとても居心地がよい。とはいえ聞きにくい事もあるが、エミリオは勇気を出して尋ねる。
     「侯爵はどちらへ?」
     「諮問委員会の尋問だよ。ほら、ミシャラでの一件があっただろう?容疑者がアイレスター騎士団にいると分かって、連日あんな感じ。委員会にはフロスト卿もいるから面倒かもしれない」
     クレロはマルシアが残した茶菓子を我が物顔で食べながら言う。彼の辞書には恐怖という言葉がないのだろうか…。むしろ校正が必要なのは彼の脳ミソのような気もする。
     「フロスト伯爵ですか。お会いしたことないんですけど、どんな方なんですか?」
     「んー…人の嫌がることを率先してやるような人」
     「素敵じゃないですか」
     途端、彼は食べていたお菓子を持ったまま固まる。それも束の間、数秒後、カッと目を見開いて叫ぶ。
     「エミリオがグレた!」
     「え!え…あ!もしかして嫌がることって、嫌がらせの方ですか!?素敵じゃないです!そんなの最低です!」
     「わー!エミリオが人のこと、最低って言うなんて!グレた!」
     「クレロさん!」
     プリプリ怒るエミリオにクレロはわざとらしく焦る。エミリオは「もう…」と言って、咳払いを一つすると話題を軌道修正した。
     「それにしてもシエラ侯爵…あんなに冷静でいられて凄いですね。僕だったらきっと緊張で何も手につかないかも」
     「いや、君が思うほど彼女も強くないさ。あの人も人間だもの」
     肩をすくめ、彼は茶菓子の最後を頬張った。
     その日、エミリオは報告書を書き直した後、目下の課題である伝承の再現計画を見直した。計画の中でメインで使われる術式は大きく三種類。精霊の力を増幅させるもの、聖剣そのものの力を増幅させるもの、使用者の魔力純度を上げるもの。より最適な術式を求めるため、日々研究員は文字列とにらめっこしている。その中でもエミリオが秘かに気になっているのが、聖剣の力を増幅させる術式だった。その術式は今回、一から作ったものなので、今のところ最適解が見いだせていないのが現状だ。そもそも、言ってしまえばたかが剣一本で大陸を守れようか。(こんなこと口が裂けても言えないが…。)
     ただの剣でないことは確かなのである。調査したところ、大昔に何かを封したままの術式が施されているのが分かった。しかしその「何か」を解き明かさない限り、埒が明かない。それを皆分かっていながらも、その術式が複雑で厄介なものだから手を焼き、別の側面から解決策を見いだそうとしているのが現状である。
     「そんな難しい顔をしても答えは出ないよ」
     優しい声に机から顔を上げると、初老の男性がいた。上質な紺のベロア生地のマントを羽織り、星の色をした珍しい髪色は、見る者に彼が星詠であると言わなくとも示唆している。気付けば外には夜の帳が降りていた。
     「お義父様」
     彼こそエミリオの養父、オスカー・エーデルワイスだ。そしてルール王国で爵位を与えられた数少ない星詠の一人であり、ここ魔術技術部門の副部門長でもある。就任当初、物腰柔らかな彼が果たして部門長であるマルシアの圧に耐えられるのかと心配されていたが、そこは年齢相応の落ち着きと年の功もあってか、むしろ仲がいい場面がよく見受けられる。それがエミリオにとっては不思議で仕方なかった。今回、マルシアと共に仕事をすることになったのも、彼の進言によるもので、その点に関しては問い詰めたいと思っている。
     エミリオは聖剣に関して、自身の考えていることをオスカーに説明した。
     「確かにその部分はネックになっているね。今の知識では解明しきれない技術が使われているかもしれない。…エミリオ、少し風に当たろう」
     彼と共にバルコニーに出ると、春の暖かい空気が頬を冷やす。自然と胸がゆっくり上下し、頭がスーッと軽くなる感覚に襲われる。凝った首を上げると、東の彼方から星が顔を出し始めていた。
     「今日は晴れてる。星もよく見えるこんな夜は、きっとランパーデスが素敵な夢を運んでくれる」
     オスカーの言葉はいつも子守唄のようにエミリオを包む。全て見通されているわけでもなく、けれどその時に欲しい言葉をかけてくれる。言葉に魔術がかかっているみたいに、安心させてくれる。
     「星詠は未来を詠む。けれど星が教えてくれるのは未来だけじゃない。彼らは現在と、そして過去を視てきた」
     「過去…」
     はっと気付くエミリオにオスカーはにこりと微笑む。果たして彼は意図して言ったのか、それとも。真意は不明だが、この時エミリオの頭の中に一つの考えが降ってきた。エミリオはすぐに部屋に戻り、黒板にアイディアを書き始める。
     まずは星への挨拶を。次に問いかけを。そして星の声を聞くための術式を。それからこれは…。まだ星詠の術式は学び始めたばかりで穴はあるけれど、できる範囲で式を紡いでいく。どんな形でもいい。星の声さえ返ってきてくれれば。
     書き終える頃にはとっくに日は沈み、空には無数の星が瞬いていた。オスカーは書き終えた式を見て、ふむと呟く。
     「基礎は完璧だから応えてくれる。ただ…まだ粗いから返答に時間はかかるだろうけどね」
     そう言って、少しずつ手直しをしていく。その時だった。ガチャリと扉が開き、誰かが入ってきた。
     「これはこれは…シエラ侯爵ではありませんか」
     戻ってくる予定のなかったマルシアだった。彼女は「まだ残っていたのか」と言いたげに僅かに驚いているようだった。にこやかに出迎えるオスカーに、マルシアは一瞬だけ安堵の表情を見せたような気がした。しかしすぐにいつも通りの氷のような顔に戻ると、黒板に視線をずらす。エミリオは何を言われるのかと固唾を呑んで動かずにいた。彼女はおもむろにチョークに手をのばすと、「ここはこうがいいわね」などと真剣な表情で術式に手を加えていく。一通り書き終えると、彼女はエミリオとオスカーを見て尋ねる。
     「これはエミリオ卿が作ったの?」
     名前を呼ばれただけでドキリと心臓が跳ねる。服の裾を握る手に汗が滲む。
     「…ちがいます」
     やっと絞り出された声は今にも消え入りそうだった。それに嘘をついてしまった。何かを指摘されるのが怖くて。だが、それをオスカーが嘘だと指摘することはなかった。
     エミリオの返答に「そう」とだけ言って、彼女はチョークを置き、手をはたく。何を考えているのか分からない。エミリオの中でただただ「どうして戻ってきたの」という思いが渦巻く。
     「あ、あの…僕もう帰ります。続きは明日します。お疲れ様でした!」
     耐えきれなくなって、逃げるように部屋を後にした。
     怖い。
     怖い。
     アイレスターという名前を前にすると無条件でその感情が前面に出てしまう。よくないと頭で分かっていても耐えられない。アイレスターは恐ろしい家。心の中で幼い自分が膝を抱えて泣くのだ。逃げたい、と。
     それは九年前のこと。エミリオがまだ六歳の時だ。彼はアイレスター家の子供として生まれた。四人の兄、姉に囲まれ育った。だが恐怖は突如として訪れる。それも彼に非は全くないというのに。彼にとっては天災も同然の出来事だった。
     「お前の非。それはお前の存在そのものだ」
     アイレスター家前当主、フロイスト・アイレスターはそう吐き捨てた。
     エミリオはフロイストの後妻と使用人の間に生まれた子供だった。それが発覚したのはエミリオが六歳の時。上二人の兄と姉がどこでどう知ったのか、兎に角フロイストに密告したのである。それを知ったフロイストは後妻を実家に送り返し、逃げ出した使用人は地の果てまで追いかけ…殺した。エミリオは後妻の生き写しだという理由で、二度と子を望めぬ身体にした。
     その日から皆、エミリオを「不義の子」と言って嫌悪、好奇の眼差しで見るようになった。それから彼は密かに虐げられ続けた。ここまで生きてこれたのは一重に義兄アストリウスの存在のお陰と言っても過言ではない。
     転機が訪れたのはマルシアが当主になって一年目の時。エミリオは子爵エーデルワイス家に養子に出されたのであった。エミリオが八歳の時、アイレスターの汚点を彼らはようやく手放したのである。
     そんな過去があったせいで、エミリオはアイレスターに並々ならぬ恐怖を抱いている。正直なところ、マルシアとの思い出は無いに等しかったが、ただその名があるだけで恐怖を抱いてしまうのは仕方のないことだった。
     それゆえに今回、オスカーから直々にマルシア・アイレスターと仕事をすると知らされた時にはオスカーを恨んだ。彼には「一時的な手伝いだよ」と言われたものの、まったく、長すぎる一時である。
     自室に着いたエミリオは、ボスンとベッドに倒れこむ。ごちゃごちゃとした頭でボーッと天井を眺め、何を呟くでもなくパクパクと口を動かしていると、段々落ち着いてきた。マルシアの先ほどの真剣な横顔が脳裏によみがえる。
     「とはいえ…さっきのは良くなかったかな……」
     そう呟くと、はぁ…とため息が漏れた。

     先のミシャラの街で起きた事件について、既に容疑者が特定されていた。あの日、その場にいたカオスが見た紋章である竜の紋。この国で唯一の紋は、犯人を特定するのに申し分ない手がかりだった。それこそ、誰もが恐れるアイレスター家。竜のように孤高に苛烈に戦場を駆け抜け、これまでに数多の戦績を挙げてきた。その歴史の積み重ねの中で、当然敵を作ってきたことも事実。だからこそ、この諮問委員会は彼らにとってアイレスターを叩ける絶好の機会なのだ。
     「アイレスター家当主、マルシア・アイレスター。真実のみ答えなさい。アイレスター騎士団の兵士が今回、真犯人に加担していたというのは事実ですか」
     冷たい声が議場に響き渡る。マルシアを囲むようにして円卓には審議員が座る。冷ややかな目。疎ましい目。喜びを隠すことのない目。あらゆる感情が彼女を突き刺す。
     「いいえ。彼に魔術を使用された痕跡があったことは確かであり、加担していたとしてもあくまで彼自身の意思ではありません」
     負の感情に彼女が屈するはずもなく、ただ淡々と事実を述べる。だが攻撃は止まらない。
     「一兵士の管理も出来ず、ましてや敵からの攻撃に対処が出来ないというのは、竜騎士の名折れだ。よもやアイレスターの教育が行き届いていないなどあるまいて。それに本来ここに立つべきは貴女ではなく、騎士団長であり弟でもある、アストリウス卿ではないのですか」
     嘲笑を含んだ声が飛ぶ。それでも彼女は凛々しくある。
     「騎士団の総統括はアイレスター家であり、当主の私が対応することは何ら問題ないかと。今回の問題が陛下の威光に関わることは重々承知しています。今後、我々の方針としてまずは被害者への謝罪と救援措置、容疑者の特定を行っていきます」
     「どうやって容疑者を特定するというのですか。団員は相手の顔を見ていないと供述している」
     「犯人が魔術を使用したことは分かっています。ですので、その痕跡を辿るのです。それを出来るのは私たち、魔術技術部門しかありません」
     「第三者機関を向けるべきだ」
     「それこそ陛下の威光を損なうものではありませんか」
     終わりの見えない押し問答にマルシアが辟易しかけたその時。「では」と議場を諌めんとするように、声が響く。
     「エーデルワイス家の人間にやらせればいいじゃないですか」
     そう言葉を放ったのは一人の男だった。彼の瞳はメガネの奥で笑っている。彼こそがフロスト伯爵、名をプルデオ・ファウスト。彼は伯爵家の人間であるにも関わらず、誰に対しても歯に衣着せぬ物言いをすることで有名だ。プルデオの言葉に議場はシンと静まり返る。しかしその鶴の一声に便乗し、徐々に「そうだ、それがいい」と誰もが同調し始める。まるでこれから始まるショーを楽しむかのように。しかしプルデオだけはその空気に飲まれることなく淡々と言葉を続ける。
     「エミリオ卿。真実はどうあれ、彼ならきっとやってくれると思いますがね」
     細められた瞳はにこりと、蛇の如くマルシアに這いより、彼女に捻り登る。その提案に「確かに」と議場の蛙たちは同調し、ハハハ、ハハハと不気味な笑い声あげながら手を叩き続けた。
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