長い帯にはまかれとけ長い帯にはまかれとけ
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「蠱毒、まだ終わらぬか。早くしろ」
空が訪問してくる約束の時間まであと30分ほど。
眠たい瞼を擦りながら衣服を整えていく蟲毒とは違って、早く支度をしろと急かしながら引き戸を開けて入ってきたのは、自分だけ小綺麗に身なりを整えた魈だった。
なにせ昨日は全くと良いほど魈に寝かせてもらえなかった。かといって、誰が悪いかと言えば己である。
酒で他者に迷惑を掛けないよう「禁酒をする」。そう魈と約束した数分後には、つい癖で手元にあった酒を呑んでしまったものだから、魈のキレ方は数百年の歳月で稀に見るレベルで凄かった。
金色の瞳が一瞬光ったと思ったら、次の瞬間には蠱毒の横顔を掠めて和璞鳶がすっと飛んできた。気付かない速さで後ろの壁に刺さった時は流石に、”あ、死んだかも?”と、普段のんびりして動じない蟲毒も流石に肝が冷えものだ。
この後、目が据わった殺気あふるる魈に言われるがまま硬い砂利の床に正座を命じられる。
説教モードに入った魈のありがたーいお小言を貰うのだが、長年聞いてきた蠱毒にとってコレがまた耳にタコが出来るほど聞いてきたものであった。
魔神戦争時代の帝君の勇姿と言葉を準えた魈の独断と偏見も入ったものなのだが、聞き心地の良い声でトクトクと喋るものだから、蠱毒は寺でありがたい説法を聞いている様な気持ちになってしまい、船をこいでいたのは何となく覚えている。
己が五体満足で床で眠りこけていた所を見ると、途中で寝てしまった事には目を瞑ってれたようだった。
そんな事を思い返しながら、蠱毒は腰できつく帯を締め緩んだ袴を直していく。
いつもの様に黒紫の帯に純金で出来た香炉型の法器を結び、上から濃いすみれ色の帯を締め直してお気に入りの酒が入った瓢箪を通すと、ギュッと結んで縛り付ける。
後ろで見ていた金色の瞳が、蠱毒の帯に結ばれた瓢箪を見つけると、すぅー、と細められた。
「わあってるよぉ。……もうちょい待ってくれ」
音もなくするりと蠱毒の後ろに近付いてきた魈の右手が、先ほど締められた濃いすみれ色の帯に掛けられる。
酒の入った片手ほどの瓢箪を結び止めている帯に指を絡め、蠱毒が逃げられないように後ろから抱き抱える体勢で解きにかかった。
「これは(酒は)不要だ」
「へ?…?!っぁ、ああ!?」
「酒は外せ」
慌てて手を止めようとするが、バックハグの体勢から帯を器用に引っ張って解いていくものだから、義手にいまいち力が入らず帯を解いていく魈の手をゆるく握るのみになってしまう。
─止められない。─
香炉を結んである帯と、瓢箪の帯は別々なのでいま解かれるとまた締め直してから結び直す必要が出てきてしまう。
それはメンドクサイし時間がかかる。しかしそんな事は魈にとっては他人事なので、手際よく濃いすみれ色の帯だけが解かれていくのだった。
「ぁ、あのよぉ?⋯急げって、言ったのお前だろ?酒は飲まねぇから勘弁してくんねぇか…」
「言った。だが、酒はいらぬ」
何とか止めようと魈の手を掴むが一向に止まる気配は無い。どうするか考え込むが、力任せで抗うのは魈にケガをさせてしまうかも知れない。このまま命の次に大好きなお酒を取られるのだけは避けたい。
避けたいが……
「魈ー!蠱毒〜!ちょっと早くついっちゃっ、た⋯ん???」
空の元気な声と共に、勢いよく引き戸の扉が開け放たれた。
「…………」
「…………」
絶妙なタイミングで登場した空に蠱毒が驚いた顔で出迎えた。いつもぼんやり眠たげな表情が、今ばかりは何故か泣きそうな困り顔でうろたえている。
お互いにどの様に説明したら良いものか、空と蠱毒の目線が交差していた。空目線からみれば、完全にこれから致そうと服を脱がせているように見える。
仙人様だしそういう趣向もありえるのかな?と言う考えも出てきたが、蠱毒の焦り方から違うような気がしたので空は取り合えず、探りを入れてみる事にした。
「もしかして、朝からお取り込み中だった?」
「…は??ぁあ、いや、ちげぇ…そうじゃねぇ…」
「否」
邪魔などしていない。
空にそう告げた魈が、力のぬけた蠱毒の手をどけて器用に濃いすみれ色の帯だけをすべて解いた。
しゅるる。と言う衣擦れの音と共に濃いすみれ色の帯が瓢箪と一緒に魈の手の内に収まると、何事も無かったように蠱毒から離れて自分の香炉の横に蠱毒の帯と瓢箪を結びつけた。
「これで禁酒がはかどるな」
いつも通りの落ち着いた声で、己の行動に納得した魈が真面目な面持ちで顔をあげる。
空と蠱毒が魈に視線をやると、魈は「どうした?」と小首をかしげたのだった。
道中、魈の腰帯に酒の入った瓢箪が結ばれているのを見て考えていた空は、自分の横で「俺の酒…瓢箪…」と項垂れる蠱毒と魈の「禁酒、いい加減にしろ」と言う言葉に、すべて察する。急に立ち止まると、なるほど!!と空は手をたたき、心の中で大きく頷いた。
冒険者協会からの依頼を3人ですべて終わらせた空は、岩陰で体育座りで落ち込んでいる蟲毒を横目にみながら魈と話してみる。
「飴と鞭ってどうかな?」
「アメとムチ?」
「うん。よく出来た時はすっーごく甘やかしたり、褒めたりして、逆に悪い時はお説教とかの罰を与える。みたいな?」
妹が小さいときにやってたんだけど、効果てきめんだったんだ。と懐かしそうに話を付け加えた。
「ふむ…。齢3000才の毒蛇にも効果があるものなのか?」
「・・・たぶん?」
璃月の見える山岳の綺麗な青空の下、岩陰で体育座りをしつつ地面にのの字を書いている蟲毒を空はチラリとみる。
外見は誰より年下に見えるが魈よりだいぶ年上だったんだ。という衝撃の事実を、空はそっと心にしまいこんだ。
おまけ
数日後、禁酒に成功した蠱毒は逃げるように璃月にいる空の元へやってきた。
あの後、魈は空に教えて貰ったように”飴と鞭”を真面目に実行している様子を蠱毒から聞くこととなる。その内容といえば、好物の食べ物をお土産に手渡されたり、優しい褒め言葉をかけてくれたり(頑張ったな。程度だが)、偶に一緒に寝てくれることも増えたらしい。(今までは蠱毒が一方的に寝ている魈の横で寝ていた。)
「酒呑まなくなってから、あいつ急に優しくなるもんだから、怖え…。俺ぁ蛇だろ?あいつは鳥だし、きっと酒が抜けた頃合いに頭から食われちまうのかもしれねぇ…」
真っ青な顔でしょんぼり真面目に話す蠱毒に──空は思う。確かに魈の元の姿は鳥だと本人から聞いたことがある。蠱毒は古くから生きる毒蛇の仙獣だ。この地を護る仙人様に実に不敬な事だと思うんだけど、仙獣って可愛すぎじゃないかな。なんて事を思うのだった。