願い事 6月の最後の週頃から各地で設置される笹と何も書いていない色とりどりの短冊、それにペン。
大須のリンクでも毎年設置されており大人も子供も関係なく願い事を書いては笹に括りつけていた。
字を書くようになってから夜鷹家の長男と長女はずっと同じ願いを書いていた。
『母さんが早く目を覚ましますように』
天にこの願いが早く届くように、と幼い頃は純や洸平、タイミングが合えば大須にやってきた慎一郎や理凰に抱っこをせがんでは高いところに掲げていた。
そうやって天に願って数年。
彼らは生まれて初めて母親の目覚めを願う以外の願い事を短冊に書いていた。
レッスンの合間。
煙草休憩だとリンクから出てきた純は笹を見て、ふと今年、我が子たちは何を願ったのか気になり、短冊を眺めていると見慣れた文字をようやく見つけた。
『父さんと母さんが元気でいますように 夜鷹明』
『父さんと母さんがいつまでも仲良くしてますように 夜鷹茜』
鷹の字は小・中学では習わないのに、よく書けたものだな、と感心しながら笹から目を離そうとしたとき、もう一つよく見知った文字を見付けた。
『これからはずっと傍にいられますように 夜鷹司』
まだ入院している司の字に驚く純。
司が書く「夜鷹」という字にジュワっと胸の奥が温かくなる。
誰にも、司にすら言っていないが、純の中には入籍してからずっと明浦路性を捨てさせてしまったのではないか、という小さなわだかまりがあったのだが杞憂だったのかもしれない。
感慨深げに司の短冊を見詰めていると不意に背中に声が掛かる。
「夜鷹さん?」
「……ああ……」
「短冊見ていたんですか?」
「うん」
声を掛けてきたのは洸平だ。
元々、司のクラブメイトだったことから、司を挟んで知っていたが、双子出産後長い眠りについた司の代わりに司の可愛い愛弟子や純たち親子を支えてくれた大人の一人だった。
「今年も色々書かれていて見るのも面白いですよね」
「そうだね」
「夜鷹さんも今年は書いてみませんか?」
「何を?」
「願い事」
言われてパチクリと瞬きをする。
そういえば短冊に願い事など書いたことがあるだろうか。
いや、たぶんないな、と思う。
幼い頃を思い出せるだけ思い出しても書いたことがない。
書く必要もなかった。願いは自分で全部叶えてきたから。
でも。
「……短冊一枚もらっていってもいい?」
「大丈夫ですよ」
「ありがとう」
そうしてオレンジ色の短冊を一枚手に、純は煙草を吸いにいった。
*****
まだ退院の目処が立たない司は午前中にリハビリをし、昼食後軽く筋トレをしてからベッドで読書をしていた。
そこに純がやってくる。
手には小さな笹に短冊が二つ。
「純さん」
「遅くなったね」
「今日も顔を見る事ができて良かったです」
「うん」
ふわりと微笑む司だったが純が手にしているものを見て、それは? と問うた。
「笹」
「……あれ、その短冊……」
「一つは君の。大須のリンクで見たけど、どうしたの? これ」
「明と茜に書いて、と言われたんですよ。勝手に持ってきて怒られますよ?」
「きちんと断りを入れて、そこだけ切ってもらってきたんだよ」
「そういうことかっ!!」
司の短冊がかかっている部分を切ってもらってきたという。
純らしい力業に、司は笑いしか出てこない。
「もう一つは……」
「僕もね、今年は書いてみたんだ」
「え……」
「願い事」
目を見開き、思わず純を見詰める司。
願い事なんて、そんなもの天にも神にも願うことなく全部自分で叶えてきただろうに。
そんな純が短冊に願い事を書いたというのだ、司でなくても驚くだろう。
笹を純から受け取り、そこについているもう一つの短冊をそっと手に取る。
『司と共に』
そして純の署名。
それを見て、ハクリ、と息を飲む司。
ほろり、と司の瞳から涙がこぼれてくる。
「司?」
「……俺も……純さんと、共に……いたいです」
「うん」
司の傍に。
少しでも近くに寄りたくて、ベッドの端に腰を下ろして司の頬に零れる涙を指で掬う。
まるで二度目のプロポーズをするみたいに。
「僕の傍にずっといて」
「はい、ずっと……共にいます。もう離れたくないです」
指を絡めて互いの手を固く繋ぎ止める。
そして唇を寄せ合い、それが触れ合った瞬間。
「あーーーチューしてる!」
「チューだぁ!」
病室のドアを開き入ってきたのは、給食後下校となった子供たち。今日は午後の授業がない曜日だ。
この曜日はいつも真っすぐ大須のリンクへ行くのではなく司がいる病室へとやってきている。
ちょうどそんな時間だったのだ。
子供たちにキスシーンを見られて首まで真っ赤になる司の顔を隠すように胸に抱き込む純。
「おかえり」
「「父さん、母さん、ただいま!」」
こうして親子4人で午後のひとときを過ごした後、純は双子を連れて大須のリンクへと向かっていった。
一人病室に残った司。
笹はとりあえず、とコップにさして置かれた。
手を伸ばし、もう一度純の短冊を見る。
「ふふ……」
純も願ってくれることが嬉しい。
共に傍にいたい、と願ってくれるのだ、と。
織姫も彦星も年に1度なんて寂しいだろう、ずっと会えるようになればいいのに。
そんなことを思いながら司は先ほどまで読んでいた「七夕物語」の続きを読み始めたのだった。