夏の夜長 今年も、夏がやってきた。お師さんの機嫌が悪なる夏や。
お師さんは毎年、この季節はほぼ毎日のように怒っとる。朝から暑すぎるやとか、露出する俗物が見苦しいとか。お祭り騒ぎが喧しいとか、ああだこうだ。
でもおれとしては、お師さんと過ごす夏はどれも楽しいねん。Valkyrieの復活も、ふたりで屋台を巡ったんも忘れられへん。他にもぎょうさん思い出がある。お師さんの鉄板になっとる夏の愚痴を聞くことやって、おれ、好きなんよ。
せやからおれは。今夜の打ち上げ花火をお師さんと見れんかったのが、めっちゃ悔しかってん。近くの海の恒例行事の、花火大会があったのに。
今の時刻は夜十時。今日は遅くまで、おれだけ個人でバラエティ番組の収録が入っとった。なんで今日に限ってなんやろ。お仕事自体は大歓迎でも、ひとりでやたらと請け負いすぎたとこはある。お師さんは午後はオフやったから、あとはおれの予定次第で、どうとでも誘えたはずやった。
これで、お師さんがパリにおるんなら諦めもついたのに。機会がもうない、ってわけでもあらへんけど、せっかくの夏らしいイベントを逃してまったことは確かや。最寄りまで着いたおれは落ち込みながら星奏館へとぼとぼ歩く。収録はうまくいったけど、足取りは重い。
あとちょっとやで、となんとか自分を励ましとったところで。ポケットに入れてたおれのスマホが、ぶるぶると何度も震え出す。
「んあ〜、おれ、なんややらかしてもうたんか?」
またテレビ局まで戻ってこい、なんて連絡やったら絶望や。緊張してきたおれはここでいったん立ち止まって、恐る恐るスマホの画面を見る。
「え、っ」
通知はぜんぶ、ホールハンズのメッセージ。
『今夜の花火なのだよ』──そんな一文の下に、鮮やかな大輪の花の写真が、いくつも連投されとった。
「お師さんが、おれに?」
きらきらとした色とりどりの光に、おれは目を奪われる。
お師さんは普段から本とか展覧会とかで、おれに美的センスを磨けるもんを見せてくれることが多い。
でも、それは創作のためのインプットでしかなくて。感動した景色を単に分かち合いたがるんは、毎度おれだけのはずやった。
『君もこのアートブックを見たまえ!』
せやけど。あのときも。
『この素晴らしい紅葉を目に焼き付けるのだよ』
あのときも、そうや。
『ごらん、影片。道端の花が綺麗だね?』
──お師さんは、ずっと──
「んあ!?」
眺めてた花火が急にお師さんの宣材写真に変わったから、驚いたおれは外やのに間抜けに騒いでしもた。
着信や、ってことに遅れて気づいて、あわてて応答をタップする。
「……はいはい、お師さん、っ」
『仕事は終わったかね、影片?』
お疲れさまなのだよ、と労ってくれる声が柔らかい。だいたいこのくらいの時間までかかりそうやとは、お互いの予定確認でこないだ伝えとったけど。お師さんがそれを覚えててくれたみたいで、おれはついニヤけてまう。
「ちょうど今帰りやねん。電話くれておおきに!」
『無事に済んだならよかったのだよ。……君は夜盲症なのだから、夜道には気をつけたまえ』
「あはは、そこまで暗くはあらへんよ〜?」
くすくす笑ったおれは、またゆっくり歩き出しながら辺りを見回してみる。街灯があるんはもちろん、まだやっとる飲み屋や通り過ぎる車のライトも明るいし、鳥目のおれでもさすがに問題ないレベルや。
過保護気味なお師さんやけど。大事にしてくれとるんやと実感できると、悪い気はせえへん。
「心配してくれて嬉しいで。……そやそやお師さん、花火見てたんやね? しかも写真まで撮っててなぁ」
やるの知ってたん? とおれが聞く。あとで恨めしくなりそうやから、お師さんの前で花火大会の話題は出さんようにしとったし。今日が花火の日やってお師さんも把握してたかは、おれにはわからへんかった。
『……空中庭園を散歩していて、たまたまね。あれだけの音が響けば、嫌でも視線を向けてしまうよ』
「そんときESにおったんやね。めずらしいなぁ、お師さんが夏にわざわざ部屋の外に出るって」
『っ……ウォーキングくらいしなければ、身体が鈍ってしまうのでね?』
妙な間を置いたあと、お師さんは今日も運動を頑張ったのだよと報告してくる。芸術には体力がいるっていうのはほんまやし、アクティブになったここ最近のお師さんのほうが、より元気で魅力的や。
せやなぁと相槌を打つおれへ、お師さんは続けて花火の撮影秘話を教えてくれた。
『カメラの設定が難しかったが。試行錯誤して、慣れれば上手に撮れたのだよ』
「夜景モード、とかやろか?」
『ああ。多少失敗もあったけれど、君の好きそうなキャラクター系の花火は網羅したからね』
ちゃんと映っていたはずだ、って得意げに主張されたもんやから、おれは通話をしたままお師さんからのさっきの連投をさかのぼる。くまさん猫ちゃん、子ども向けゲームのマスコット。ほんで星とかハートとかの記号花火のあとの、ぼやけた笑顔もおれの印象に残った。
「んふふ。このニコちゃんマークはなんや歪で、親近感湧いてまうわぁ」
『それは……風で流れる煙と重なってしまったときだね。瞬間を切り取るのはひと苦労なのだよ……』
「これもこれで味があるで? せやけど今度は、動画にしてみてもええかもなぁ〜」
ドン、ドンて打ち上がる音も入るやろ、っておれの提案に、お師さんは想定外の返事をしてくる。
『実は。最後のスターマインの頃にようやく、動画という手を思いついたから。録ってみたのだけれど……』
送られてきてたんはぜんぶ写真やったから、動画もすでに試してたとは思わんかった。容量オーバーしてもうたんかなぁ、なんて事情を予想しながら、おれは聞き返す。
「おぉ、録ってたんかぁ。スターマインって、クライマックスでやるあの派手な連発やっけ」
『うむ。それで以前、君が音声付きで田園風景の動画を送ってくれたことがあっただろう?』
「んあ〜、あのキャンプのときのやんね」
『あれに倣って、僕も声を吹き込んでみたのだが。とても聴くに耐えない出来でね……』
これまた新事実が発覚して、おれは「そうなん!?」とでっかいリアクションを取ってもうた。Valkyrieの音源や仕事以外で残るお師さんの声なんて、ごっついお宝に決まっとる。
掘り下げずにいられないおれは、貴重な動画にぐいぐいと食らいつく。
「お師さんが、ほんまに? たとえばどんなこと喋ってたのん?」
『それは、まあ、君へ向けた言葉だけれど……もういいから、忘れたまえ』
苦々しそうに吐き捨てたお師さんは、ここでいきなりぺらぺらと雑学みたいなんを語り始めた。スマホの音質はライブのマイクには程遠いとか、録音した自分の声がちょっとちゃう感じに聴こえる理由とか。
話を逸らしたいんやろう、ってわかってても。貪欲なおれはどうしても、知りたくなってしもたんや。
「あんなぁお師さん、一個聞いてええやろか」
『なんだね? くだらない問いなら受け付けないよ』
「花火見ながら。……そんなにおれのこと考えてくれてたん?」
思ったことをそのまんま言うてもうたら、饒舌やったお師さんは急にぴたりと押し黙ってまった。
うぬぼれるな! と叱られるのを覚悟したおれ、やったけど。
──悪いかね、と呟いたお師さんがあんまりにもいじらしくて。どんな顔して言うたんか、おれは確かめたくて仕方なくなる。
もし、耳まで赤くなっとったりしたら、たまらへん!
「……お師さん。今どこにおる?」
『っ、今は、共有ルームだが』
「待ってて、おれ、逢いたい!」
整理してから話したまえと呆れられたけど、同意してくれたお師さんの声も弾んどるってわかった。隠してても感情があふれてる、可愛いひと。おれらは同じ気持ちなんやって、このおれが証明したる。
送りきれなかったらしい他の花火の写真と、例のビデオレターもどうにか見せてもらう約束をして、おれは「すぐあとでな!」と名残惜しくもいっぺん通話を切った。
聴いたばっかりな声をもう聴きたい。逢って、触れたい。月明かりが照らす道を急げば、お師さんの待つ寮の正門が見えてくる。
真夏の夜は、長いから。疲れも放ったおれは大好きなひとのところへ、飛ぶように駆け出した。