1.セックスできないナルミツもう鳥も寝静まる夜。
成歩堂はシングルベッドの端に、肘を腿に引っ付けるようにしながら座っていた。より正確に言うと、項垂れている。
「はあ……」
特徴的な眉尻を下げながらため息を吐く。上裸に下半身はストライプのトランクスのみの出立で、事情を何も知らない第三者が見たのならば少しばかり滑稽に見えただろう。
しかしながら彼と、そしてもう一人。成歩堂と共に部屋に居た人物に起こった出来事が、彼をここまで落ち込ませたのだ。
「御剣、大丈夫かな…様子、見に行くか…」
ミツルギ。その人物こそ、同じ部屋で同衾していた者の名前である。
「心配せずとも、風呂は無事に出た。」
「!御剣…良かった…。」
「うム、…心配を掛けた。…夕食を、シーツも、汚して済まなかった。」
丁寧に髪を乾かして、脱いでいた寝巻きをかっちりと着込み寝室へ戻って来た御剣は、気まずそうに隣へゆっくりと腰掛けた。安いスプリングが鳴る。
「そんなの、気にするなよ、当たり前だろ。あんなことがあったんだからさ」
「…」
時は少し遡る。
成歩堂龍一と御剣怜侍は再会後の紆余曲折を経て交際を始め、口付けや抱擁など恋人らしいことをして、少しずつ、友人でもライバルでもない、新しい関係性に慣れていった。ただ、同性の身体を重ねあう行為はお互いの負担を考慮し、準備が必要である。それ故同衾したとしても、話し合いの末に受け入れる側となった御剣の秘部を成歩堂が丁寧に解し、最後はお互いの生殖器に触れあい果てれば片付けをして寝る。といった日々を送っていた。
それも一ヶ月を過ぎたある日、忙しい時間の隙間を縫って切り貼りし、明日ようやく久しぶりの全休にありついた二人は夕食を共にしていた。
そこは全席個室の割に良心的値段な料理店であり、成歩堂はお品書きから、うどんと天麩羅それに小鉢に入った副菜付きの御膳を注文し、さくさくとした天麩羅をつゆにたぷんと浸すと口に含み、何度か咀嚼したのち飲み込むと、それは幸せそうな顔をする。
「てんぷら、久しぶりに食べたよ。しかもべちゃべちゃしてなくって、さくさくしてるし、つゆに付けても綺麗な形だし、じゅわっとして、凄く美味い…」
「そんなに美味そうな顔で食べるのだ。言わなくても解る。」
口の端をほんの少し上げた御剣は、自身が頼んだ刺身が何種か盛られた御膳から鮪を選ぶ。綺麗な箸使いで醤油に少しだけ置いて、形の良い薄づきの唇へ運んだ。
「ふム、確かに…想定していたものより大分美味しいな。血や嫌な匂いを特に感じない。」
「当たりだな、ココの店。有難いことに僕のお財布にも結構優しいし、真宵ちゃんや春美ちゃんもたまには連れてってあげれそうだよ。」
「育ち盛りがいつもラーメンではな」
「真宵ちゃんが好きなんだよ、ラーメンは。
リクエストって言ったらそれなんだから。僕はたまにはヤサイも食べなよって言ってるんだけど、そしたらなんて言うと思う?」
「…真宵くんは味噌ラーメンが好きだった筈だな。では…『上にもやしが乗ってるでしょうナルホドくん!』…と言った所か?」
「く…っい、一字一句おんなじ…フハッ…!」
「フフン、論理的に考えれば分かることなのだよ。」
審理中でもよく行う、両の手を空に向けやれやれといったジェスチャーを交え返答した。どの辺にロンリテキを使ったんだよ。成歩堂は口元に手の甲を当て笑いを堪える。
「く、ふっ…はぁ、…ちなみに春美ちゃんはそれ聞いて『流石真宵様!』って目をキラキラさせてたよ。」
「真宵くんと春美くんにはもやしもとい、ラーメンは完全栄養食品では無いことを伝えるべきだぞ成歩堂。将来のことも考えて。」
「言った言った。結果はお察し下さい」
「だろうな。ご愁傷様と返させて頂こう。」
前途多難だなあ。と言いつつも穏やかに笑みを携える顔を見て、御剣は自分の目が細くなるのを感じた。紛れもなく、この男が愛おしい。
「…なんか嬉しいよ」
「ム?何がだ」
そうぽつりと呟いた言葉に首を傾げる。自身も確かに楽しかったし、彼も楽しそうではあったが。『嬉しい』の詳細までは推理することはできなかった為理由を問う。すると目の前の愛しい男は水を一口飲むと蕩けた瞳を向けて微笑んだ。
「前言ってただろ?世間話が苦手だって」
「ああ…そうだな。確かに。」
「それが今はおまえとご飯たべながら、なんでもない話で笑ってる。僕はそれが嬉しかったし、幸せだなって思ったんだよ」
「…!なる、ほどう」
照れ臭かったのか、閉じた口をもごもごとさせると、小鉢の中に入っていたきんぴらをちまちまと食べ始める。
御剣は自身の胸が痛いと感じるほど締め付けられる感覚に陥いる。愛おしいと感じていた気持ちがより際限なく膨らんでいき、心臓をパンと割ってしまいそうなくらい。瞼を閉じ、その愛おしさが血に乗って身体中に充満しきるような錯覚を受け入れて、何かを決意したような強い瞳で瞼を開いた。
「み、御剣?」
成歩堂は、もしや自分の発言のせいでネガティブな意味で黙り込んでしまったのかと若干不安になって、ちらりと其方を見る。そして意思のこもった灰色がかった瞳と目が合い、息が詰まる。
「成歩堂。今夜、私を抱いてくれ」
「えっ?………だッ!?ア"ッ!!」
大きな声を上げそうになり、慌てて口を塞ごうと大きく動いたせいで、膝の皿を頑丈な掘り炬燵の机の裏に強打し悶えているのを視線の端で見守りながら、味わいつつ早く食べねばと料理に黙々と向かい始めた。
その後無言で料理を平らげた二人。そそくさと店を後にする。距離が近いのと、スキンなどの用意があるという理由で成歩堂の家へ向かう。
人気の無い道で青い袖から伸びる手が、白く硬い指を優しく捕え、暑いと感じるほど二人の体温と心拍が上昇していくのを、肌寒い季節の風が癒してくれた。
「じゃあ、先に入ってくる」
玄関の鍵をかけて、いつもはめんどくさがってかけないチェーンまで律儀に締めた成歩堂。いつもより声が小さい。
「僕シャワー浴びたらお湯張るから、直ぐ出るから、御剣は、その…ゆっくり入って。」
「うム、感謝する」
電気も付けぬまま行ってしまった家主を緩慢な返事で見送る、脱いだ靴を揃え廊下へ移動してちらりと成歩堂の靴を見ると、右は斜めで左はひっくり返っていた。ふう、と息を吐くとそれも揃えてやり、取り敢えずいつものように手を洗おうと思うがそこで止まる。洗面台は浴室の方にあり今行けば成歩堂と鉢合わせてしまう。うろうろとその場を彷徨ったのち、キッチンで手を洗うことにした。
幸いシンクには食べ終えた皿などは残っておらず、スムーズに手を清める。取り敢えず自身の着ていたスーツのジャケットやベスト、クラバットを脱いで、壁に掛けてあったハンガーへ吊るし、椅子へ腰掛けた。少し経つと扉が静かに開き成歩堂が戻って来た。随分速いなと感じたが、時計の長針は帰宅から20分も過ぎている。
「おまたせ、次どうぞ。」
「承知した。」
タオルで頭を拭いている顔は見えなかったが、確実に緊張していることは声色で分かった。どこか他人行儀に入浴を勧められてついこちらも返事が硬くなる。廊下へ向かいながら、ちらり後ろを見やるとタオルから覗く特徴のあるツンツンの髪と赤くなった耳が見え、反射的に顔を前へ。その勢いで脱衣所へ入ると、先程お目にかかれなかった洗面台の鏡に己の顔が映っていた。眉はさがり紅く物欲しげな顔は自分では無いように思えて、鏡に映ったそれは余計に頬を染める。目が合わなくてよかった。早く準備しなければ。先ずは、と洗面台の隣にある手洗い場へ爪先を向けた。
準備を終え、入浴した御剣が浴室を出ると、蓋の閉まった洗濯機の上には宿泊用にと使っている薄いピンクグレーの寝巻きと下着が置かれていた。成歩堂は大抵一声掛けて置いていくのだが、今回はいつ来たのか分からなかった。気を遣ってくれたのだろう。喜びと気恥ずかしさが同時に胸を襲う。肌に残った水滴を拭き取り寝巻きに袖を通し髪を乾かし歯を磨く、などしていると一時間程経っている。
いつもと変わらない様な時間だったが、最後までするのは今回が初めてであり、成歩堂は何を思って自分を待っているのだろう。ふとそう思って、少しだけ早く身だしなみを終えて寝室へ向かう。
「あ、おかえり」
成歩堂は既にベッドの上におり、仄暗いシングルベッドの横で灯る、温かい光を発するランプを頼りに本を読んでいた。わたわたと資料を頭に詰め込んでいる姿は日中でも見かけるが、寝室で静かに読書する姿は、何度見ても慣れることが無く目を逸らす。正確に言うのなら、魅力を感じすぎてしまい目が合わせられない。
何も言わず、横に座るのを見ると本を置き、そのまま静かに抱き締めて来た。温かくて、安心している気持ちだって勿論あるのに、今は鼓動が高鳴って仕方が無い。
「御剣、どきどきしてる…。」
「ん…。…キミは…随分、……フン。落ち着いているのだな。法廷では中々見かけない姿だ。」
くっつき合っている胸の音に気が付かれて気恥ずかしいのに、当の成歩堂の心拍は自分のものよりかは大人しく思えたのが少し寂しく、つい嫌味を含む物言いをしてしまって、直ぐに後悔した。
「…いや、訂正する。すまない、…今のは忘れて欲しい。」
それを聞いた成歩堂は、きょとんと、あどけない顔で困った様に眉を下げて微笑んだ。
「落ち着いてる?それは良かったよ。御剣がシャンプー洗い流してる間に10回は深呼吸した甲斐があったかな。……ぼくも、緊張してたし、興奮してる。でもお互い初めてなんだから、このくらい落ち着いてた方がいいかなって思ってさ。着替え置きに来た時だって、何回風呂の扉開けそうになったか分かんないよ」
「そ…うか…」
成歩堂を求める気持ちと同じくらいに、自分を思って緊張し、欲情していたことを素直に聞かされて、喜びを我慢できるほど冷静にはなれない。その必要も無いのだろう。唇をもじ、とさせながら彼の肩に縋る様な、甘える様な気持ちで手のひらを置き、うっとりした瞳で見つめる事しか出来なかった。
「う、御剣、おまえ…その顔可愛すぎるから、ほんとにやめてくれ…」
「なっ!?そ、そのようなことを言われてもっ、困る…態とではない…」
『可愛い』は交際してから何度言われたか分からない位には聴いた。自分には当て嵌まることの無い筈の言葉。言われ慣れることは未だ無い。且つやめてくれと言われたのは初めてだったのでどうすれば良いのか判断できず、迷った末とりあえず顔をそらして目を瞑った。すると身体が軽く空気を切る様な感覚の後、後頭部と背中が柔らかいものに優しく支えられる。
何が起きたのか、これから何が起こるのか理解出来ない訳が無く、瞳をゆっくりと開いて直ぐ目の前の愛しい男を捉えた。
「やっぱり、やめなくて良いよ。…僕にだけ見せてね。」
その言葉の後、甘いリップ音を奏でながら唇を奪われ、これ以上ない多幸感が襲う。返答の代わりに、成歩堂の男らしい太い首に両腕を回した。
お互いがお互いを思い合い、通じ合っている。
初めてもきっと成功するのだろう。そう信じ切っていた。
とめどない愛の言葉と愛撫を受けて、蕩け切った御剣の身体。その腰に枕を敷き、白く逞しい脚に覗く秘部へ向けて、成歩堂は反り立ったペニスにスキンを付けゆっくりと挿入した。一月の期間を掛けて丁寧に慣らされた肉壁は大きな抵抗も無くいやらしく蠢いて、根元まで受け入れる。
「ぁ、あっ…!あんっ!、きた、なるほどうの…っ!なるほどぉっ♡」
「みつるぎ!みつるぎぃっ…中、すごいッ…
ハァッ…!ハァーっ…!くっ、ヴぅッ…!…からだ、へいきかっ?大丈夫、」
「もんだいないっ…!から♡ああ、♡っほしい…はやくッ、うごいてくれ…♡」
本能のまま腰を動かしたい欲求をなんとか抑え、顔を歪めながら必死に身体を案じてくるのがいじらしくて愛おしくて堪らなくて。快感が過ぎて自分で動けない分、早く動いて欲しいと成歩堂の本能を快諾する。
「みつるぎっ…。うん…もう、我慢できない…!うごく、からなッ」
なけなしの理性をかき集め御剣の身体を潰さないように抱き締めながらシーツに抑えつけると、夢中で腰を叩きつける。激しく揺れるベッドの柱がぎいぎいと鳴る。
問題はそこからだった。
「あぁッ♡あっ…、あ、っ?あっ!あっあ、!ぇ…な、…?う、あっ!なん…っ…?ひッ……!!う…っ"!う、うえ"っ…!!」
「え…?え…み、みつるぎッ?どうした!?大丈夫か!?」
どう聴いても快感から来るものでは無く、体調不良としか思えない声に慌てて身体を起こして、御剣の顔を見る。何も言葉が出て来ない。
嘔吐、していた。
混乱の余り悲しみすら追いついて来ないのか「なぜ」と、呆然と吐瀉物から目を逸らすことも出来ないまま。その姿は、はぐれた子供の様だった。
その後当然彼の身を案じて行為を中止したのだが、「もんだいない」の一辺倒で泣きそうな声色を出しながら猛反発する御剣の、不安定な精神状態をなんとか落ち着かせて、とりあえずでいいから汗や体液で汚れた身体を洗いに行くように言い聞かせ、戻ってくる前にシーツを替えて今に至る。それが成歩堂龍一が下着姿で落ち込んでいた理由である。
「その…御剣、水かなんか飲むか?」
「いや、構わない。口は濯いだ時に多少潤っている。」
そっか…と言い、それ以上は何も言わない。のっそりとした動きで自分も浴室へと向かう。背中に御剣のもの言いたげな視線を感じ、後ろ髪を引かれる思いを振り切り扉を閉めた。
烏の行水と言わんばかりに身体を清める。引っ掴んで持ってきていた下着とスウェットを着込んで寝室へ出来るだけ急いで向かう。それはシャワーのお湯を被りながらほんの少しだけ、もしかすると戻って来た時には御剣が居なくなっているのでは無いかと不安が過った為だったが、それは杞憂に終わった。御剣は先程と同じ場所におり、此方を向いていたので思い切り目が合う。5分掛かったかどうかでバタバタと戻ってきた音に驚いていたが、すこし安心したような顔に変わる。
「早かったな…」
「うん、…側にいたかったから。」
御剣はベッドの足元側の端に座っていたのでその左側に座る。大部分を占めていた、出て行ってしまうんじゃないか、という不安を吐露できるほどの余裕は無く、もう一つの真実の側面である思いを告げると形の良い眉が歪む。一見不機嫌に見えるそれが、悲しいと嬉しいが混ざった顔であることを、成歩堂は分からない男では無かった。肩に額をくっ付けるようにして凭れ掛かってきた御剣を優しく受けとめると、そのままシーツと掛け布団の間へ身体を潜り込ませた。
「成歩堂、私は…。浴室で一つの説を考えた。何故ああなってしまったのか。殆ど…確信に近いことだが。」
「うん」
「分かっているかも知れないが、…全身を大きく、下から激しく揺さぶられたことが原因だと考えている。」
私はキミが初めてだから、知らなかった。微かに呟く。
「行為そのものに拒否感や嫌悪感は無い。実際愛撫された時と、キミが少しばかり動いた時は快感と喜び以外の感情は全く湧かなかった」
「うん…」
地震。それに近い動きを感じたからだろう。その言葉が言えずとも成歩堂はすぐ理解した。
「だから…その、…成歩堂、私は…」
「…」
ずっと指の甲で、御剣の頬を慈しむように撫でながら相槌を打っていたが、最後だけは頷けない。御剣もそうなるだろうと理解していた故に続きを言わなかった。先程より大分冷静になっていても、肝心の最後までしたいという気持ちは一切変わることは無く、続きを曖昧に乞う声が悼ましい。辛そうな声なんて、絶対に出させたくは無かったのに。
御剣は話をしている間、成歩堂は聞いている間、何度謝罪の言葉を心に押し込めただろうか。
受け入れる側の自分の心がもっと強ければ、楽しい思い出を吐いて穢すことも無かった。
負担を強いる側の自分が想定していれば、こんな想いをさせずに済んだ。
しかしお互いがお互いを責めていない状況での謝罪は、自分の傷を舐めるだけの行為にしかならず相手を罪悪感でより傷付けるだけ。何も解決しない。
「成歩堂…」
「うん」
「キミを愛している。…成歩堂」
「…僕、もっ、御剣を、愛してる…」
今の自分にするべきなのは、愛してくれる優しいこの男に、身体で伝えたかった分を精一杯、言葉で愛情を伝える事だけなのだと、御剣は思った。結局成歩堂を泣かせてしまったが。自身からも流れる涙を拭くこともせず彼だけを見つめ続けた。
「(…私は、絶望などしてやらない。私なりにキミと幸せになってみせる。)」
御剣の、口の片側だけをあげて見せる笑みを見た成歩堂は、ズ、と鼻を鳴らすと眉は下がっていたが微笑んで見せた。
「ウ"…ッ!い、いたい…」
ジンジン疼く腕の痛みで目が覚める。カーテンの向こうは未だ暗いままで、正確な時間は分からないが夜明け前だろうと把握する。身体を起こそうとすると、右腕が錘の下敷きになったかのように上がらない事に驚き、金縛りかとその方向を見やる。そこにはさらさらとした濃い灰色の髪を美しく枝垂れさせて、すうすうと規則正しい寝息を立てる御剣の綺麗な寝顔があった。
「そうだ、昨日僕がやったんだった。」
お互いに泣いた後、吹っ切れた二人はこうなったら性行為以外でとことんイチャついてやろうじゃないかと、何に対しての意気込みなのか、
憤りにも近い深夜精神で、平常時であれば色んな意味で恥ずかしくてしないであろう、両手恋人繋ぎであったり、名前を甘く呼び合ったり、大人になると最早ディープキスよりも敷居の高い、唇にちゅうちゅうとくっ付けるだけの可愛らしいバードキスをとことんしまくり鬱憤を晴らし、最後に調子という荒波に乗りに乗った成歩堂が腕枕を提案し、御剣がそれに二つ返事で乗る。という記憶を成歩堂は思い出した。
「(…御剣のあんなとんでもない姿はもう金輪際見れないだろうな…。)」
何処か明後日の方角を見つめながらぼんやりと、二人だけの思い出を反芻する。公共交通機関にいるタイプのカップルのような行為は全くもって後悔していないが、あと一時間くらいやればよかったな…という後悔は湧いた。大学時代のことを思い出して複雑な感情になりつつ、いや、昨日は僕たち大変だったし、二人きりだったし、二度としてくれないだろうし、…多分。と誰に聞かせるわけでも無い言い訳をする成歩堂は、好きな人とするああいったベタベタしたやりとりが案外好みなのだった。
「ん…」
「(マズイ!起こしちゃったかな…。)」
既に起きた自分はともかく、忙しい身である彼を恐らく夜明け前の今に起こしてしまっては可哀想なので、申し訳無さそうに御剣を見たが、少し身動きし、成歩堂の二の腕の付け根辺りへ行きつくと、また規則正しい寝息が聞こえて来たので、ホッと息を吐く。そして自分がこんな時間に起きた理由を思い出し絶望するのだった。
御剣怜侍の朝は早い。得意では無かったが、昔から積み重ねた習慣によって、カーテンからほんの少し覗く陽の光だけでもスッと覚醒の準備に入る。瞼だけを動かし、目を開けると愛する男、成歩堂龍一の横顔が目に入り自らの口角が上がるのを感じた。成歩堂は目を瞑りスーッ…スーッ!…と口で浅い呼吸をしており、それはまるで痛みに耐えているかのようで、何か寝付きが悪いだろうかと心配になる。
「成歩堂…?」
「ミツルギッ!?」
成歩堂の存外寝心地の良い腕から頭を上げ上半身だけを起こして座る。小さな声で呼びかけたのだったが起きていたかのように成歩堂はパッと身体を起こしありがとうおはようと何故か挨拶より先に礼を言った。
「何がありがとうなのだ、大丈夫なのか…?」
「え。いや〜…その…腕枕だよ。御剣、ありがとう。凄く嬉しかった」
腕枕をした側が礼を言うのは変だと訝しみ、異議を申し立てようとしたが、自分が承諾したことを喜んでいるのか。と推理した。それ以外にも色々ととんでも無いことをしたかもしれないような記憶が、頭をスッと駆けていったのもあり、遥か彼方の記憶の隅へと押し込み、厳重に封をし、それならば悪い気はしないので良し。と結論付けた。
へら、と口の端を持ち上げる成歩堂の顔を見ると、昨日の夜食事の際に見た笑顔を思い、心臓がきゅう、となる。
「いや、私こそ、ありがとう。礼を言わせて頂こう。キミの腕は中々のモノだった。」
「そりゃ良かった。」
「キミがその、良ければ。また乗ることも、吝かではないのだよ。」
「ウンアリガトウ」
ボクガンバルヨと安いロボットの様になってしまった恋人。頑張る?二の腕の品質向上を…?とぼんやり思った御剣は、ちら、と成歩堂の方を見つめ問いかける。
「成歩堂、…キミは。どうなんだ。何か要望は無いのか?」
「ヨウボウ?何のだよ」
「わ、私に何かしたいことやして欲しい事が無いのかと聞いているのだ」
「そりゃあ、あるある…って急に何言い出すんだよ…御剣らしくないぞ!お前が僕にそんな事いうなんて…」
と言いかけ、昨日のことを思い出す。決して忘れていたわけではない。彼は、自分のことを考えてくれているのだ。自身の体質に伴う、成歩堂との今後について、どうしても取りきれぬ不安、それを吐露してくれている、とも言える。
「本音を言うと、僕も最後までしたいよ。」
「そう…だろうな。キミも不完全燃焼だろうし、そう思ってくれなければ…困る」
しかし、自分では最後まですることは難しい。出来たとして、成歩堂が満足出来る形なのか。きっと御剣の頭の中はこう考えているだろう。
「うん。ちゃんと覚えといてくれよ、僕が最後までしたいのは、御剣だけだってこと」
「…」
「意味ないからさ、お前じゃないと」
「…………。ああ…心得た…。」
二人は沈黙の末。どちらともなく抱き合い、静かに深い口付けを交わす。ちゅくちゅくちゅく、と積極的に舌を絡めて離さない御剣に、愛してくれている気持ちを感じ、成歩堂は幸せだった。
「なぅ、ほろ…♡んっ♡!んん♡ん…♡んム♡んぅ……♡」
「んぐ、♡みっ、みつるぎ……♡んぶッ、!?」
いつもの御剣にしては激しいなあ、などと鷹を括っていた成歩堂は下半身への急な刺激に呻き声をあげた。御剣がスウェットの上からカリカリカリッ♡と人差し指の爪で攻撃を仕掛けた為に。
「ちょッ、は!?みつ、まッ!待った!朝からこれは…っんぐ、♡はげしすぎッ!ぷはっ、!」
「ん、ぁ…っ」
「(く、食われるかと思ったぞ…。)」
段々と自分に覆い被さるような体勢に変えて来ていた御剣をひっぺがすと、はあはあとお互いに荒い息を整える。
御剣のヤツ、もしかして僕よりも性欲強いんじゃ…。一抹の不安を覚える成歩堂。
彼にしては珍しく、手の甲で自らの口元を拭った御剣は不満そうだった。
「なぜ止める…?」
「止めるよ!あんなのされてたら僕我慢出来ないじゃないか!」
「しなくても良いが」
「バカ!また無理させて気分悪くなったらどうするんだって話をしてるんだよ!」
成歩堂は実はだいぶ眠かったのだが、すっかり覚めてしまい、目を開いて文句を言うと、対象的に御剣は、蛇の様に目を細めてより不満を露わにする。
「ム…前々から挿入寸前程度のことはしていただろう、キサマそれすらしないというのか?」
「異議あり!昨日までのお前こんなに積極的じゃなかっただろ!だからまだ我慢出来てたけど…」
「人は生きている限り成長の機会があるものなのだ、成歩堂龍一くん。それに、私を変えたのはキミだ、キミには責任をとるギムがあるのだよ。」
「…。(コイツこういうところあるんだよな…。)」
「…私も誘った手前、仮にキミが私を襲っても、責めたりはしない。安心したまえ。」
「安心出来ない。信頼はしてるけどまっったく安心出来る訳がないとにかくおまえの身体のことを最優先にする為にも今日は勘弁してくれ!以上!もう審理は必要有りません!」
「色々と異議を申し立てたい所だが、仕方ない。」
ハァ…ッとデカいため息を吐いたが御剣は先程と違い少し柔らかい顔をしている。
「み、みつるぎ…?」
「優しいキミが…私の男で良かったと、そう思ったのだよ。」
そう言いながら成歩堂の胸にすり、と頬を擦り付けて甘えた御剣は、燃えるような体温を感じ、バクバクと早まる鼓動を聞きながら、くすくすと笑った。