クラカイ小話⑨婚礼の宴が遠くに退き、座敷に残ったのは香の薄い煙と伏せられた盃だけだった。
カイは畳に片肘をつき、向かいに座るクラマを眺める。やるべきことはもうやり尽くしてきた。関係に名前がついたところで、何がどう変わるものか。
強い光を正面から受けても揺らがぬはずの彼は、そう思い込もうとしていた。
ところが、夜が深まるほどにクラマの手つきは、今まで知らなかった丁寧さでカイを包んだ。
あたまを撫で、髪を梳き、うなじから肩へ、指が風の温度を連れてゆっくり移動する。角のてっぺんから足の指先に至るまで、クラマの唇と指が幾度も行き来し、触れられていない場所が埋められていく。
笑って「今さら」と鼻であしらうつもりが、息を漏らすたび強がりの隙間に甘さが染み込んでくる。重ねられる唇は強奪ではなく贈り物めいて、胸の奥で何かがほどけていく。
――こいつ、こんな顔できたんだな。
眠りに落ちる直前、クラマの横顔は秋の灯のように穏やかだった。気づいた途端、身体がゆるんで、初めての夜は静かな温度を満たした。
明け方。鳥の細い声が庭のほうから滲んでくる。先に目を覚ましたのはカイだった。隣には朝に弱いクラマが、無防備な寝顔を晒している。
今までなら――夜を共にしても、朝になれば甘い空気は乾いていた。クラマは淡々と皮肉のひとつやふたつ投げてくる。今日もきっとそうだ。
「……カイ?」
まぶたがゆっくり上がり、まだ霞を含んだ声が名前を呼ぶ。カイは平常心を装って顎を引いた。
「おう。おはよーさん」
クラマの眉間に皺が寄る。起き抜けの機嫌の悪さ――いつもの合図。そこで終わるはずだった。
けれど予想は裏切られ、伸びてきた掌が頭頂をやわらかく撫でてくる。皺が寄ったはずの眉間は開かれていた。髪の根元を掬い、角と角の間をそっと往復する感触。予想の外の動きに体が揺れ、言葉が先に口から転がり落ちた。
「……おまえ、キャラ違ってねぇか」
軽口の刃先は自分でもわかるほど鈍い。苦々しい顔で押し返してくれるはずの相手は、笑みを保ったまま逃げる気配を見せない。慈しみをもったまなざしを注ぎながら、クラマが口を開く。
「――ずっと」
「あ?」
「ずっと、こうしたかった」
短い言葉がカイの胸の内側に沈んで、じわじわと広がる。頬へ落ちる口付け、肩に触れる額、手のひらから流れ込む暖かさ――それらが真意の続きを重ねてくる。
戦いで受けた一撃に遅れて痛みが訪れるみたいに、カイの中で何かが遅れて溶けていく。耳朶が熱を帯び、視線の逃げ場を探すうち、ようやく自分の腕が勝手に動き、クラマの背へ回った。
「……変わるもんだな」
「変えていいんだ。これからは、いくらでも」
ふたりの境目は、朝の薄光のなかで淡く揺れ、寄り合う体温だけが確かな現実となった。カイは目を閉じ、風に撫でられるみたいなその手に身をゆだねる。――こうしてもいい。これからは。