龍神様といっしょ 出会い最高審判官とは、公平無私であるべきだ。
人との温かみのある交流を拒み、冷たく孤高であろうとした。
だから、この身は龍となったのだろう。
絶対的な存在であり、永遠の孤独を司る存在として。
パレ・メルモニアを破壊しながら肥大し、伸び続ける身体をくねらせなんとか人々を轢き潰さないようにする。
そんな姿を見て、先ほどまで業務のやり取りをしていた彼らは驚愕しながら後ずさりをする。
私は、もう、この場にいるべきではないのだろう。
そう考えた瞬間に大雨が降り注ぐ。
この感情一つで天候を操るなど…化物だ。私の身は人と一線を画す。
必死に身体をくねらせ、壁を破壊しながらも、なんとかフォンテーヌ廷を出て海を目指す。
遠く、ずっと、ずっと遠くに行かなければ。誰の目にもつかない場所に。
ーーー
それはつんと冷えた冬の日のことだ。
たまたま湖で溺れかけてた子どもを拾った。
屋敷まで連れてきたはいいものの目を覚ました子どもは部屋の隅で膝を抱えたままじっと震えている。
じっとりと濡れた小袖からぽたぽたと水が滴り、畳の上に濃い染みを作っていた。
「人の子よ」
「…」
「…腹は減ってないか」
「…」
「なにが怖い」
「…」
どの問いかけにも反応はない。
ただ、ひたすらに怯え、震えているようだった。
…気まぐれで拾ったはいいが、むしろあのまま放置したほうがこの子にとっては良かったのだろうか。
「さむ………い……」
蚊の鳴くようなか細い声が聞こえた気がする。
ああ。
そういえば、現在は冬であった。
よく見れば子どもの顔色は青ざめ、唇は紫色を帯びている。
なるほど、濡れて体温が奪われていたということか。
人の身であったのは遠い昔のこと。人は寒さに弱いという当たり前のことをすっかり忘れてしまっていた。
「まずはその服を脱ぎなさい」
脱がせようと思い子どもの腕を掴むと、びくりと大きくその身体を跳ねさせヤドカリのように硬く縮こまろうとする。
「なにするの……?」
「新しい服を持ってくる。このまま弱りたいのか?言う通りにしなさい」
怯えた目で私を見つめる子どもをその場に置いて、服と布を取りに行く。
しかし、手元に子ども用の衣服などあるはずもない。多少大きいが、ひとまずこれで我慢してもらうしかないだろう。
「こちらで身体を拭いてから着替えるように」
子どもは布と私をちらちらと交互に見ながら、おずおず、といった様子で身体を拭き始めた。
震える手で痩せて骨が浮いている身体の水分を拭いているが、その動作はあまりにも遅く、もどかしい。
身体全体はちゃんと拭けたようだが、髪の毛はきちんと水分が取り切れていないようだった。
「もっとちゃんと拭きなさい」
見かねて布を取りあげ、頭を拭こうと手を伸ばす。
ぱち、と
と真ん丸に見開いたその目が合った。
ーー蒼い瞳。
冬の空の様に澄んだ蒼だ。
黒髪に黒い瞳が多いこの地では珍しい色だったが、私にとっては故郷を思い起こさせる非常に懐かしい色だ。
水と正義の国、フォンテーヌ。もはや記憶の彼方に去ってしまった故郷。
私が瞳をじっと見ていることに気づいたのか子どもは顔は一層強張り、ぎゅっと目をつむり下を向いてしまった。
「どうした」
「…」
「まあ、そのままでいなさい。そのほうが拭きやすい」
「…ぇ?」
細い肩が少しだけ揺れた気がするがかまわず小さな頭を撫でるようにそっと布を当てる。
濡れた黒髪を静かに拭いている間も子どもはまだ震えていた。
…このように人に触れたのはいったいいつぶりだっただろうか。壊してしまわぬように慎重に、慎重に、私はその髪を拭い続けた。
人間であるなら腹も減るだろうか。
部屋の隅でじっと固まったままの子どもに目をやる。
大きすぎる私の服を無理やり着ているせいで、まるで布の塊のようになっているそれに、とりあえず作った握り飯を差し出してみる。
「食べないか」
「…」
ぐう ぐう
さきほどから腹の音は盛大に鳴り響いている。だが、子どもは顔をそむけたまま頑なに動こうとはしない。
「気が向けば食べるといい、できれば温かいうちに」
諦めて部屋から出る。襖を静かに閉めた直後、中からがつがつと食べる音が聞こえてきた。
どうやら…腹は減っているのかもしれない。
「…子どもであるなら、甘いものが好きかもしれないな」
遠い、遠い昔。
孤児院に通っていた頃の記憶が泡のように浮かんでくる。
もはやその顔を思い出すことはできないが、小さな手にお菓子を握らせるといつも目を輝かせて食べてくれていた気がする。そんな『娘』たちの様子があまりにも可愛らしくてなにかにつけてプレゼントを持って行っていた。
「私の故郷の料理だが」
そう言って布に包まれた丸いジンジャーブレッドを差し出す。ハチミツを多めに、生姜は控えめにして食べやすくしてみたつもりだ。
「…これ……」
子どもはそれをじっと見つめて口の中に放り込む。
その瞬間、目が輝く。
「あま…い!」
次から次に口に放りこみながらもぐもぐと夢中で食べている姿は、やはり『娘』たちの懐かしい姿を呼び起こしてくれる。
そのままじっと見つめていると視線に気づいたのか子どもはぴた、とその動きを止めた。
「………おいしいです」
「そうか、口に合うなら食べなさい」
素直なその言葉が、じわりと胸に広がった。温かな感覚が唇の端を自然と緩めてしまう。
子どもはそんな私の様子をちらちらと伺いながら、意を決したように口を開いた。
「…ぁ…の…あんた…だれ、ここどこ……ですか」
はっと気づく。
そうか、私はまだ名前も告げていなかったのか。名乗らずとも今まで勝手に人間たちが『龍神様』と呼んでいたのでそんな基本的なことすら忘れていた。
「私はヌヴィレット。湖に住んでいた龍神で、ここは私の神域にある屋敷だ」
「みずうみのかみさま?」
子どもは不思議そうに首を傾げる。
神と、確かにそう呼ばれていた時期もある。だが、私はその呼び名があまり好きではない。人間たちが『神様』と呼ぶ時は決まって何かを求める時だ。その欲望から逃れるために私は幽世に身を隠していた。
「ヌヴィレットだ」
「ぬび…れ?」
「ヌヴィレット」
「ぬい……?」
どうやら発音が難しいらしい。子どもは眉を寄せながら必死に口を動かしている。
「かみさま、おれはリオセスリ…です、ことしでよっつ、です」
「もう神様…ではない」
「かみさまは、かみさまじゃ、ない?」
「ああ」
「ぬ…び、れとさ…は…」
懸命に名前を呼ぼうとしているが、やはりうまく言えないようだ。
私は小さくため息をついた。
「言いにくいなら…もう神様でいい」
「かみさまはなんでおれをたすけたの?」
「特に理由はない」
事実だった。幼い子が死ぬのを見るのは気分が良くないから。
ただ、それだけだった。
子どもはその言葉を聞いて小さく頷き「そっか」と一言呟いた。
「あの、おれはいつまでここにいてもいいですか」
「別にいつまでいてもいい」
「なんで?」
「このまま帰して飢え死んだら私の寝覚めが悪いからだ」
「そっか?」
よくわからないという顔で、曖昧に呟いて子どもは黙り込む。そうして少し視線を泳がせてから、不安そうに問いかけてきた。
「あの、母さんはどこ?」
「ここには君と私のふたりしかいない。母君は…わからないが湖の近くには居なかった」
「そ…っか」
落胆する子どもの目がまたふらふらと彷徨う。食べかけのジンジャーブレッドでその目が留まるとゆっくりと指をさした。
「じゃあこれはかみさまがつくったの?」
「そうだ」
「……これよくかあさんがつくってたから。味はこっちのほうが甘いけど」
そうすると…この子どもは、フォンテーヌ人だろうか。そう言えば、あどけないが懐かしい顔立ちをしている気がする。
特にその瞳は。
「かみさま、あまりおれをみないで…ください」
「なぜ?」
「きっと母さんがおれを置いていったのは、おれの目がきもちわるいからなんだ」
「なぜそう思う」
「おれのじいちゃんたちがそういってたから」
子どもは膝を抱えながらうつむく。小さな身体から静かに悲しみが溢れていた。
「母さん、ここでまっててねっていってたんだ。でももどってこなくて、さがしにいったらみずうみにおちちゃった、やっぱりおれすてられたのかな…」
その目に涙を溜めながら、ぽつぽつと言葉を落とす子どもはあまりにも痛ましかった。
思わず、小さな肩に手を伸ばしかけ、戸惑いながらも触れないままに静かに手を戻した。
「君の瞳は美しい」
「?」
子どもは不思議そうに顔をあげる。
「蒼く、冬の空のように澄んでいる、綺麗だ」
「うそだよ」
「嘘ではない」
「かみさまは目の色をりゆうにおれをすてたりしない?」
「しない」
すると子どもはじっとこちらを見つめ、小さな声で言った。
「じゃあ、ちょっとだけ信じてあげる」
「信じてくれるのか」
「だってかみさまの目のほうがふしぎできれいだから」
そのようなことははじめて言われたかもしれない。
人の身であった頃も、私を遠巻きに見ている者や畏怖を抱いている者の方が多かったと思う。「何考えてるのかわからない眼」「人間味を感じない眼」そう言った評価の方が多かった。
まあ、特にわかってもらいたいと思ったことはなかったのでさして問題でもないが。
それでも、そんな私に怯えず笑いかけてくれたのは『娘』たちだけであったと思う。
「…そういえば、私も不気味で何を考えているのかわからない瞳だと言われたことがある」
「へへ、いっしょ、だね」
そう言って、子ども――リオセスリは屈託なく笑った。
なぜか、こうして信用を向けられるのは不思議と悪い気がしなかった。