「うわぁ、どうしよっかなあ」
思わず口に出すと、隣にいた綾斗が不思議そうに顔を向けてきた。
「何かあったのか?」
「いやさあ、作曲の依頼あったんだけど、このプロデューサー苦手なんだよなあ〜ケツとか触ってきたことあるし」
気楽な口調で言ったつもりだったのに、綾斗の表情が一気に強ばったのがわかった。
「……そんなやつの仕事、断れよ」
「いや、でもさ。ギャラがめっちゃいいんだよな~。生活ギリだし、背に腹は代えられないっていうか。」
笑いながらのんきに答えたら、綾斗がぐっと眉を寄せた。ちょっと、いや、かなりこわい。
「金こまってんの?」
「んまあ…この前も無駄に高い時計買っちゃったし…」
「時計つけないだろ、売れよ。」
あまりにも真顔で正論を突きつけられて、一瞬言葉が出なかった。
確かに俺は時計をつけない。買って満足して、引き出しにしまい込んで、どこに置いたか分からなくなるやつ。
でも、高いもんってさ、持ってるだけで自分の価値も上がった気になるじゃん。……まあ、実際は自己満なんだけど。
「時計って基本そんなに値崩れしないし、もしかしたら上がってるやつとかもあるかもな」
「え〜〜〜〜でもさあ…」
思わず甘えた声が出てしまう。
そうしたら、綾斗が少しだけ眉を寄せて、真っ直ぐ俺を見て言った。
「じゃあ、俺が持ってるハイブラ全部売って金渡す」
「……は?」
言葉の意味が一瞬わからなかった。綾斗は本気の顔で、まったく揺れずに続ける。
「リツキに、そんな嫌な思いしてほしくない。おっさんに触られるのも無理。そんなやつのために、曲書く必要ないだろ。」
俺はちょっと笑ってごまかそうとした。
「いや、でもさ、ホテルはちゃんと断ったし、最近は飯すら断ってるし、めちゃくちゃ距離とるようにしてるんだよ。それでも依頼くれるってことは一応、曲は評価してくれてるんだと思うし…」
「……ホテ……ル……?」
その瞬間、空気が変わった。言ってから、しまった、と思った。
綾斗の顔から表情が抜け落ちた。怒るとか、呆れるとか、そういう感情の影がどこにもない。ただ、眉間の皺がすっと消えて、目がまっすぐに、異様なくらい大きく開いて――無言のまま俺を見ている。
めっちゃくちゃ、こわい。何も言えずに黙ってると綾斗が口を開く
「………誰?」
低く、静かな声だった。空気が重くなる。
「え?」
聞き返すと、綾斗は目を逸らさずに繰り返した。
「なんてやつ?俺も知ってる?」
躊躇いながら、名前を出す。
「…〇〇さんっていうんだけど、知ってる?」
「……聞いたことあるな」
綾斗はそこで口をつぐんだ。
目線を落とし、何も言わずにスマホを取り出して、画面を見始める。
スクロールする指の動きはやけに静かで、妙に正確だった。
俺はなんとなく居心地が悪くなって、曖昧に笑いながら話題を変えた。
でも綾斗はあいづちすら打たなかった。まばたきすら減ってるような気がして、内心ちょっとビビっていた。
数日後、ニュースサイトの見出しにその男の名前が出ていた。
未成年のタレントに対する強制わいせつ、過去のセクハラの常習性、裏での金銭トラブル……いろんなものが一気に暴かれて、あっという間にSNSが燃えた。
あまりのスピード感に、まさか…と思って綾斗の方をちらっと見たけど、
ソファに寝転びながら、イヤホンで音楽を聴いていた。視線はスマホの画面じゃなく、天井。
(ま、そんなわけないか)
そう思ってニュースサイトの別の記事を開いた。