帰宅してすぐ、ベッドに倒れ込んだ。今日は一日中打ち合わせやレコーディングで疲れがたまっていた。
深く息をついたあとスマホを手に取ってXのタイムラインをスクロールすると、リツキの投稿が目に飛び込んできた。
「俺がいなくなっても、きっと誰も振り返らないんだろうな」
病んだような言葉から始まるポストに、俺は思わず息をのむ。リツキは課金しているから一度に多くの文字を投稿できる。投稿された文章はかなり長かったけど一気に読んだ。要約すれば、作曲家としてしか価値がないとか、本当の自分なんて誰も見てないとか、そういった内容だった。
リツキはこういう長文病みポエムみたいな投稿をよくする。でも今日は、すこし雰囲気が違う気がする。文章もいつもより長く、重たい。
少し嫌な予感がして、俺はベッドから起き上がり、「今からそっち行く」と連絡してからリツキの家へ向かうことにした。
リツキの家に着く。スマホを確認すれば「くんな」の一言だけだった。
家に着いて合鍵を使って静かに鍵を開ける。中は真っ暗だった。壁を伝ってリビングに入るとテーブルの上に置かれたスマホの画面だけがぼんやり光っていて、その前でリツキが座り込んでいた。膝を抱えたまま肩を小さく震わせている。
「う、ぅ…」
思わず声をかけそうになったけど言葉が出なかった。
間をあけて腰下ろして声は出さずに少しだけ距離を縮めた。俺の気配に気付いたのかリツキがわずかに肩をすくめる。
「…くんなって言ったのに」
「……ごめん…これ…」
持っていたハンカチを差し出したが、手をはねのけられる。
「…っ…見んな…」
「……」
それ以上何も言えず、そっと背に腕を回した。抵抗するように力が入ったけど、すぐに力は抜けて小さく震えていた。
「…っ……う…、もう全部…やめたい…」
なんて声をかけたらいいか分からなかった。やめていいよ、も、やめるな、もどっちも違う気がして。
「もうやめたい…作るのも、見せるのも、反応見るのも全部つらい…でも曲書かないと生活できない…普通に働くのも絶対無理だし……もうやだ…」
震えた声で言葉を吐く。
リツキはきっと、ずっと誰かの期待や数字に縛られている。好きで始めたはずの音楽が、いつの間にか首を絞めていて、逃げ出したいのに、どこにも行けない。
俺はただ、黙って抱きしめることしかできなかった。
どれくらい時間が経っただろう。気づけば、言葉がこぼれていた
「……なあ、一緒に住まないか」
「は?」
突然の言葉にリツキは驚いたような声を出した。
「なんでそうなんの?」
「いや…その…」
うまく伝えられるか分からなかったけど少しずつ言葉をだす。
「…こうやって、リツキが一人で泣いてるのに気付けないの、嫌だなって思って…生活費だってできるだけ全部払うし…よかったら…」
今思えば今日のポストだって俺が帰ってくる時間に合わせて投稿していたような気もする。もしかするとただの偶然かもしれないけど、本当は気づいてほしかったんじゃないか。それなのに、もし俺があのまま疲れて寝てしまっていたら、どうなっていたんだろう。そう考えると、胸が締め付けられる。
金だって、持っているハイブランドを売ったり、買う量を減らしたりすれば、きっとどうにかなる…と思う。リツキを支えられるならそれくらいできる。
そう思っていたけど、リツキは呆れたように深くため息をついた。
「はあ…なんで俺が歳下の男のヒモになんなきゃいけねぇの?」
その言葉に一瞬固まった。
そんなつもりじゃなかった。でも確かに、そう聞こえるような言い方だったかもしれない。
「いや…そういうことじゃなくて……その、プレッシャーとか、生活とか、そいうの考えずにリツキが音楽に向き合えたらいいなって思って…それに音楽が嫌になったとしても、俺が、逃げ場になりたい」
言葉を必死に紡いだ。リツキはゆっくり俺を見た。暗い部屋で、涙ぐんだ瞳がスマホの光に照らされる。
「……馬鹿だなぁ、綾斗は」
リツキは小さく笑うように息を漏らした。その笑い方はどこか柔らかくて、ホッとしたような感じだった。震えていた肩が少しずつ落ち着いてくる。
「俺が曲かけなくなってもいいわけ?」
「いいよ、曲がかけなくたって、なにもできなくたって、この先もずっと一緒に2人でいたい」
「……なにそれ、プロポーズ?」
「えっ、いや、違くて」
思わず変な声が出た。リツキがこちらをじっと見て、ふっと口角を上げる。
「なに?違うの?」
「いや、その」
しどろもどろになる俺を見てリツキがにやにやしながら楽しそうにする。
「七嶋になればいい?」
「いや、律木の苗字ほしい」
反射的に言ったその言葉に、リツキは一瞬だけ目を丸くして「なんだそれ」って笑う。
「まあいいけど」
そう言って、俺の肩に頭をあずけてくる。
静かな部屋に、リツキの吐く息だけが近くで聞こえた。
「……ふぅ」
肩の震えもさっきよりだいぶ落ち着いていて、力の抜けた身体が少しずつ俺に預けられていく。
「……眠くなってきた」
「ベッドいくか」
「…ん」
身体を支えながら寝室に向かうと、リツキはふらふらと布団に倒れ込む。
数分も経たないうちに、静かな寝息が聞こえてきた。さっきまで泣きじゃくっていたのが嘘みたいに、すやすや眠っている。
その横顔を見つめていると、ほんの一瞬、リツキの口元がやわらかくゆるんだ気がする。
――幸せな夢、見れてるといいな
そう願いながら、俺はそっと「おやすみ」とつぶやいた。