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    エタるかもしれないアレとかコレとか/ユスグラ/パシラン/フィ晶♂/銀博/実兄弟BL(兄×弟)/NovelsOnly……のはず

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    一幕二場(目的の設定~プロットポイント1)

    KA-22.
     毎年、豊穣祭が終わるこの時期になるとダルモアの街は少しずつ冬支度を始める。気温はぐっと低くなり、周囲の山々は種々の色に召し替え、街路樹は裸の梢を風に揺らし、落ち葉はカサカサと音を立てて道を転がっていく。深い青に染められた空は高く澄んで、遮るもののない日の光は遙かに低い高度から世界を照らしている。辺りに満ちる空気には、冬の訪れを予感させる冷たさと柔らかな花の香とがほんのり混じり合う。
    「……のは、良いんだけどさ」
     一体どうして、こうなったのか。
     色づき始めた広葉樹が鮮やかな色で世界を染め上げ、古書を開いたような枯れ葉の匂いが路面から溢れていた。昨日まで降り続いた雨のせいで森はしっとりと濡れそぼっていて、鳥が飛び立つ度に木々が揺れ、雨の名残がささやかに降り注ぐ。
     ここだけを切り取れば穏やかな秋の日のひとこま。
     とても平和な、平時の森の風景である……けれど。
     腰の辺りまで茂った低木はあっさりと行く手を阻み、獣道は異様にごつごつとして、張り出した大木が足下を覚束なくさせる。辺りにはせせらぎと葉擦れ、自分たちの足音、呼吸音、そして、魔物だか何だかの鳴き声が遠く聞こえてくるだけで他はない。
    「迷った、ってことだよな」
     はぁ、と特大のため息を吐き、ガウェインが頭上を見上げる。しかし、覆い被さるように広がる葉のせいで太陽の位置が見えづらく、今が何時なのかも分かりづらい。ラモラックは周囲を探る手を止め、あははと乾いた笑いを浮かべるしかない。同意も、反ばくも、今この状況では何か違う気がしたので。
    異変が起こったのはいつだろう。この森に踏み込んだ時点か、それとも、本道を逸れて獣道に入り込んだ時点か。もしかしたらもっと前……どちらが先にゴール地点に付くかと競い合って駆け出した時だったかもしれない。
     ――ああ、あのとき、制止したフロレンスの言うことをちょっとでも聞いておくんだった。ガウェインを追い掛けることに夢中で、気付けば大分奥に来てしまったんだな。待てど暮らせど誰も来ないから、ひょっとして道を間違ったのかも……なんて、思ったときにはきっともう全てが遅かったんだ……。
     まぁ、今更そんな後悔をしたところでなるようにしかならない。ガウェインは邪魔な枝葉を切り払いながらも進んでいるわけだし、ここで彼を見失ってひとりぼっちになる方が大問題だ。ラモラックは緑に紛れる金髪を目印に、自身の足に僅かに力を込めた。濡れた落ち葉はツルツルとしてよく滑るので、十分に注意しないと転んでしまうのだ。これで崖から落ちでもしたら目も当てられない。
    「なぁ、お前、母さんたちの位置が分かる魔法とかないわけ」
     不意に聞こえた声に、ラモラックは顔を上げる。ガウェインはこちらに背を向けたままだったが、声音には明らかな不機嫌が滲んでいる。
    「そんな便利なやつ、出来たらとっくに使ってるよ」
     応えるラモラックの声も、若干の怒気を帯びる。
    「じゃあ、空間転移とかは? 指定した場所に、一気に移動できるような」
    「無理だなぁ。まだ教えて貰ってないし、原理も分からないし」
    「何だ、俺の母さんから魔術を習ってるっていうのに、碌な魔法を使えないんだな」
    「ふん、君みたいに、むやみやたらに剣を振り回すだけの、野蛮な修行はしてないんでね」
    「何だと!」
    「何だよ!」
     売り言葉に買い言葉だ。このまま戻れなかったらどうしようという不安も手伝って、つい強い言葉で応酬してしまう。迷ったのは僕のせいじゃあないし、そもそも、君が逸って先に行っちゃったからいけないんだろ。僕がいなきゃあ、君はこの森でひとりぼっちだったんだぞ。わんわん泣いたって誰も助けに来てくれないんだぞ!
     この程度の言い合いは森に入ってから何度か繰り返してきたが、今度という今度は限界だった。ふたりは暫く睨み合い、いがみ合い、次の一手を繰り出す前に互いがフンッと顎を逸らした。そうして、別方向にずんずんと歩き出し、
    「っ、うわ……――」
     悲鳴が聞こえたのはその直後である。
     ラモラックはびくりとして足を止め、バッと背後を振り返った。
    「が、……ガウェイン……?」
     しかし、穏やかな森の中に彼の姿は何処にも無い。先ほどまで傍にいたはずの金色は、風景に溶けて消えてしまっている。
     誰もいない世界に風だけが渡り、木々の梢を揺らす。
     そうして訪れた静寂は、彼の存在などどこかへと運んでしまったようだ。
    「え、……嘘」さっと背筋が冷える感覚があった。「ガウェイン!」
     慌てて駆け寄り、けれど、そこには何の痕跡もない。両手で抱え込んでも尚太さのある大木の下、腰までの高さの茂みの中、もしかして転んでしまったのかと掻き分けて辺りを探すが何もない。そもそも崖も窪みもない平坦な地、転げ落ちるにしても何かしらの音はするはずだ。でも、それもなかった。
     この世界でのたったひとりの相方は、忽然と姿を消してしまったのである。
    「ちょ、ちょっと……」
     冗談でしょ、という台詞が続かない。声が震え、足が震え、心臓がドッドッと嫌な音を立てる。
     連れ去られた? ……置いていかれた?
     僕は、……ひとりぼっちになったのか?
    「……――ッ」
     事実を認識すると、途端に頭がクラクラする。気ばかりが急いて、息苦しくなる。
     落ち着け、とラモラックは唱えた。落ち着け。……そうだ、落ち着いて考えろ。そもそもあの短時間で彼がいなくなるとすれば、人知を越えた力でどうにかするしかないはずだ。僕らの傍にはそれこそ、他には誰もいなかったのだから!
     すぅっと息を吸い、ゆっくりと吐き出した。それだけで多少は鼓動が緩やかになる。ラモラックは首を振って雑念を追い出し、取り敢えず、彼が最後にいたであろう部分から探索を始める。何か手を、頭を動かさねば、足下から崩れ落ちてしまいそうな感覚に襲われそうだったから。
     ――そういえば……
     ふと蘇る、今よりずっとまだ小さかった頃の記憶。
     ――ママのために苺を摘みに行ったあのときは……大きな穴があったんだっけ。
     ウェールズ生家近く。紺碧と青白い月の光が支配する夜の森。母親には内緒だからと、侍従の目を盗んで出掛けた。兄弟たちと一緒に。
     ――秘密の抜け穴……。
     先行した自分に続き、アグロヴァルとパーシヴァルも穴に落ちた。美味しい苺は手に入ったものの、あの穴の奥にいた巨大な獣にあらかた食べられてしまった。その礼にと、獣は自分たちを乗せ城まで送ってくれた。でも、その出来事を兄弟たちは覚えていなかった。
     ――もしかして……?
     そこは、ちょうどガウェインと言い合っていた場所、大木の根元である。ぐるぐると周囲を歩き回り、ここだと思うところでラモラックはそうっと屈んだ。目を閉じて意識を集中すれば、確かに、微かではあるが魔力の流れを感じる。何らかの魔法が掛けられているのは間違いない。だとすれば……ここに引き込まれたのかもしれない。
     解呪の術は得意な方だ。ラモラックは立ち上がり、杖を構えて空中に魔方陣を描く。どんな術式かは分からないがとにかく総当たりで仕掛けて破ってみるしかない。こんなところにひとりぼっちだなんて言語道断だし……ガウェインが何らかのことに巻き込まれてしまったのなら、放っておくわけにもいかない。モルゴースやフロレンスが悲しむだろう。
     ――それに。
     彼は、……喧嘩こそすれど、ダルモアで出来た唯一の友達なのだ。
     ――ここでお別れだなんて、絶対に嫌だ。
    「……ク……」
     声がした。微かに、だが、聞き覚えのある響き。
     ああでもないこうでもないとぶつぶつ言いながら試行錯誤を繰り返し、ちょうど十回目を試し終えたところだった。ラモラックははぁっと息を吐き、集中し、耳を澄ませる。杖を握る手に、僅かに力を込める。
    「……ラモ、ラック……」
     聞こえた。確かに聞こえた。
    「ガウェイン!」ラモラックは呼び掛ける。「そこにいるんだね?」
     パチ、と空間の歪む音がした。そうして、大木の根元からにゅっと手が飛び出した。覚えのある鈍色の籠手、こちらに向かって突き出された、少年らしい柔らかさの残る手。
     引っ張り上げてくれ、ということだろう。ラモラックは瞬時に理解した。任せて、と言わんばかりに、張り切って彼の手を取る。
     けれど、……ラモラックはひとつ、大事なことを忘れている。
     ガウェインは未だ少年であるとはいえ、日頃の鍛錬で鍛えているため見た目以上に重量があるし力も強い。ラモラックは魔導師の卵であるが故に非力だ。たかが少年ひとり、自分とそう変わらない大きさであるとはいえ、人ひとりを穴の外へと引っ張り出すのは意外と重労働なのだ。
     なので、どうなったか。
    「うわ、……ッ!」
     バランスを崩した身体がぐらりと傾いだ。踏ん張った足が濡れた落ち葉を踏み、滑った、というところまでは認識できた。後はもう、繋いだ手の先にぶら下がる友人の重みが、ラモラックを穴の底へと道連れにする。びゅうびゅうと風を切る音が耳元で鳴る。
     悲鳴を上げる間もない。ぶつかる、とそう思った。ぎゅっと目を瞑ったまま思った。ああ、あと少しもすれば地面と激突してしまうと。
     しかし、……思っていた以上に衝撃はなかなかやってこない。
     その代わり。
    「ぐえっ……」
     何かに当たったような感触。尻の向こうで、カエルが潰れたような音を聞く。
     ラモラックは、ハッと目を見張った。見れば、自分の下でガウェインが伸びている。「おい……」掠れた声が聞こえる。「早く退け……重いだろ……」
    「っ、うわ、ご、ごめんッ……!」
     慌てて助け起こし、ふたりはようやく一息吐いた。泥や葉っぱで盛大に汚れていても、擦り傷くらいで大きな怪我はない。四肢もちゃんと動いている。先ほどまで喧嘩していたことなどすっかり忘れて顔を見合わせ、ほっとしたように相好を崩し、ほとんど同時に辺りをキョロキョロ見回す。
     洞穴のようである。
     よう、というのは、やけに明るかったからだ。それもそのはず、ぽっかりと開けた空間は半分以上が地底湖に覆われて、しかもその水は綺麗な蒼色に光っていた。水底に月を沈めたようだ。あるいは、澄んだ秋の空をそっくりそのまま埋め込めばこのような色になるだろうか。
     周囲には地底湖と同じ色に光る鉱石らしき物体も散見され、辺りを青白く照らしている。上から垂れ下がる鍾乳石を伝い、ぽたり、ぽたりと落ちる水滴が規則的な音を立て、水面に僅かな細波が立つ。
    「……なんだ、ここ……」立ち上がったガウェインが呆然と呟き。
    「なんか珍しいものがあるねぇ」岩肌に埋まった鉱石に、ラモラックが手を伸ばした。「何だろ、これ……――」
    「あまり無闇に手を触れるでないよ、少年」
     不意に聞こえた声に、ふたりはびくりと動きを止める。
    「それはカルカンサイトという」カツ、と硬質な音が響いた。踵の高い靴が、硬度のある床を叩くときの音だ。「綺麗な見た目だが、その青は毒を含む。すぐに命を取ることはないが、ゆめゆめ気を付けることだね」
     一体今まで、どこにいたというのだろう。
     女は、そう思うだけの唐突さでふたりの前に現れた。いや、正確には、奥の方から歩いてきた。年の頃なら二十もそこらに見えるが、何千年も生きてきたような妙な雰囲気がある。緩く巻いたワンレングスの髪は鮮やかに赤く、切れ長の瞳は光の入り方によって、橙色、あるいは金色にも見える。身に纏うマーメイドラインのドレスは身体の線を隠すというよりはより目立たせるようで、深く入ったスリットからは真っ白い太股が覗いている。髪の長さにさえ目を瞑れば、ぱっと見はママみたいだ、とラモラックは思った。けれど、ヘルツェロイデの醸し出す春めいた柔らかさとは真逆で、その印象は、しんしんと雪の降る厳冬のようだった。笑みを浮かべてはいてもどこか冷淡な感じがする。そうだ、どこまでも白く、広く、連綿と続く雪原の……
     ざ、と。その眼前に影が割り込む。ふわりと目を灼く金色が視界を塞ぐ。
     ハッとするラモラックの前、彼を庇うように更に一歩前へと出て、ガウェインは剣の柄に手を掛け低く身構えた。「誰だ、お前」睨みつつ、唸る。「どこから出てきた」
     けれど。
    「ご挨拶だね、少年」
     女は笑った。カラカラと、心底愉快そうに。
    「アタシの領域に無断で入ってきておいて、少年こそ一体何者だい? まさか……デルピニオスの手の者じゃあないだろうね?」
    「デル……?」
     お前、知ってるか。そんな風にガウェインが目だけで振り向くので、ラモラックは首を勢いよく横に振った。いや、聞いたことがない。この女の正体も分からないっていうのに。
     女は、そんなふたりの遣り取りを眺めつつ、形の良い唇を笑わせる。
    「フフ……まぁいいさ。だからといって、アタシは別に、お前たちに害を為す気はない」
    「……」
     ガウェインは構えを解いた。ふぅっと息を吐いて姿勢を正し、ラモラックの方を顎でしゃくる。
    「俺は、ガウェインという。……こっちは、ラモラック」
    「ほう?」女は顎を擦り目を瞬く。「成る程、モルゴースの縁者か。なら、ここへ来ることが出来たのも頷けるな」
     ――モルゴース?
     突然出てきた見知った名に、ふたりは思わず顔を見合わせた。
    「……母さんを知っているのか?」
    「まぁ世話になっているからね」懐かしそうに目を細めている。ただ、その表情には寂寞が潜んでいる。「おそらく、……向こうは覚えていないだろうけれど」
    「え?」
     それは、どういう……。委細を問おうと口を開いたとき。

     ――ドオオォオオォン……

    「ッ」
     腹に響く轟音が鳴り、地面がぐらりと揺れた。
     それは時間にしてほんの一瞬の出来事であったが、ふたりは大いによろけ、ラモラックは思わず目の前のガウェインに縋り付く。パラパラと石片が降り注ぎ、地底湖が波打つ。
     女は、はぁと深くため息を吐き、頭上に目を遣った。
    「全く……面倒なことだね」やれやれと肩を竦める。「無駄なあがきだというのに」
    「な、……何が」
     起こったの……、と言うまでもない。再度衝撃が来て、再度地面が揺れた。先ほどよりも遙かに大きい。
     もしかしたら、この洞窟はこのまま潰れてしまうんじゃなかろうか。
     そう感じたのはおそらくガウェインも同様だろう。彼にパシっと手首を掴まれ、ラモラックは驚いて彼の翠の瞳を見返した。脱出しなければ、でも、何処へ行けば。ふたりは短い時間で視線を交錯させ、何とか打開策を図ろうとする。
     女は……。
     そんなふたりに目を遣り、腕を上げた。白く長い指が洞窟の奥の方を真っ直ぐに指す。
    「あっちだ。……あっちから出るといい」それから、うっそりと笑う。「アタシはカサンドラ。しがない魔女さ。……また会おう、少年たち」
     彼女の、カサンドラの指さす先は、カルカンサイトの仄かな明かりも届かない暗黒がぽっかりと口を開けている。ふたりは一瞬顔を見合わせ、けれど、また地面が揺れるのでぐらりと傾ぐ身体を互いに支え合った。
     罠かもしれない。得体の知れない女の言うことを、真に受けて良いものか。
     だけど。……放っておいたら全滅だ。このままぺしゃんこなんて、絶対に嫌だ!
    「行くぞ!」ガウェインが言った。ラモラックは頷いた。「うん、行こう!」
     ふたりは手に手を取って駆け出す。揺れる頻度は先ほどよりも格段に上がり、不安定な岩場に足を取られそうになる。地鳴りが響き、湖面は踊り、降ってくる細かい石から頭を庇いながらふたりは走る。そうして、……穴に入り込む刹那、ラモラックはハッとして後ろを振り返った。そういえば、カサンドラは。彼女は、連れて逃げなくて良いのか。
     しかし。
    「……あれ?」
     誰もいない。先ほどまでそこにいたはずの赤い髪の女は、すっかりその姿を消してしまっている。森の中から消えたガウェインのように、カサンドラの姿は、視界のどこにも存在しない。カルカンサイトと地底湖の光が、洞窟内を青く輝かせているだけで。
    「おい、ラモラック!」名を呼ばれ、強い力で引っ張られた。返事をするより前に視界が真っ黒に染まる。「ぼうっとするな! 早く……――」
     ああ。
     彼女はきっと……うまく逃げおおせたんだな。
     ラモラックはそう結論づけて、ガウェインと共に暗黒に身を投じた。


    「……――ッ!」


     投げ出された身体が、どさりと落ちる。ガウェインは咄嗟に受け身を取ったようだがラモラックはそうもいかない。なので、引っ張られたそのままべちゃりと草の上に突っ伏した。鼻先を青臭い匂いが過ぎる。
    「うぅ……」
     見事に鼻の頭を打った。何だよ、何だよ、ガウェインめ。自分は上手に着地できるからって、僕を雑に放らなくってもいいじゃないか。全く、なんて酷い奴だ! そんな恨み節を吐きながらものろのろと起き上がったラモラックは、草の汁が付いた鼻をさすりつつ辺りを見た。
    「あれ……?」ぱちぱちと目を瞬く。「ここは、……どこ?」
     森だ。それは分かる。広葉樹が色付いた秋の森は、今は、夕陽に照らされている。夕焼けの光が並んだ木立を通り抜けて、一帯を橙色に染めている。
     けれどそこには、先ほどの場所とは全く違う光景が広がっている。
     崩れ落ちた煉瓦造りの壁。ステンドグラスと思われる散らばった硝子の破片。それらの多くは下からの草に浸食され、一部は蔦が絡まっている。近くには清水が湧いて小さな池を作っており、陽光が水面に反射してキラキラと煌めいている。
     なにがしかの原因で遺棄された神殿のようなものが、長い時を経て、自然に還ろうとしているのだろうか。夕陽に染まる廃墟は古色蒼然として、諸行無常を強く感じる。
    「これは……?」
     ラモラックの視線の先には、瓦礫の影でぼうっと光るものがある。世界のそこだけ、青白い照り返しが見える。草の葉を払い、ゆるりと立ち上がり、そうっと覗き込もうとして、
    「んがっ」
     顔に何かがぶち当たった。
     それがあまりに大きく、あまりにいきなりだったから、当然、準備も何もあったもんじゃない。勢い余って仰け反り、そのまま尻餅をついた。ばしゃ、と泥水が跳ね上がって辺りを汚す。
    「痛ぁ……」
     だが、文句を垂れている暇は無い。額をさすりさすり、俯いた視界に大きな影が映ったのだ。
     始めはガウェインかと思った。
     しかし違った。
     そもそも、ガウェインはここまで――辺り一帯を覆ってしまうほどに――大きかっただろうか?
    「馬鹿野郎ッ! ぼうっとするな――」
     ガウェインが駆けつけ、ラモラックの襟元をひっつかんで引き剥がすのが先か。
     それとも、身の丈が倍はあろう大きな影が、剛腕で振り切るのが先か。
     ぶんっと空を薙いだ名残が髪の切っ先を千切っていったのは分かった。続いて、ギィンと鈍い音が何かを弾いたのも。グガァア、と何かの呻き声。いや、……あれは鳴き声か?
     投げ出された体勢のまま、ラモラックは顔を上げる。油断なく剣を構えるガウェインの背の向こうに、夕陽を遮る巨大な黒い影が見える。四つ足。逆立った毛並み。粘液の滴る口元は大きく裂け、びっしりと牙が並んでいる。目と思しき感覚器は血走って真っ赤で、時折ぎょろりと動く。不気味、としか形容しようのない存在に、ラモラックはただ息を呑んだ。尻の下に敷いてしまった杖の柄を思わず握りこむ。
    (――……け、……て……)
     その耳に。
    「え……?」
     何かの声が聞こえた。
     いや、聞こえたにしては何かおかしい。それが声だというのなら目の前のガウェインも何らかの反応を示すはずだ。けれど彼は前を向いたまま、四つ足の化け物と睨み合ったままで、互いに相手の出方を窺っているようにも見える。
     気のせいか……あるいは幻聴か? ラモラックもまた、そう片付けようとした矢先。
    (助け、……て……誰、か……)
    「……ッ!」
     聞こえた。今度ははっきりと聞こえた。
     でも、一体どこから。一体誰が……
     辺りを彷徨っていた朱華の瞳が、そこで、何かを捕らえて丸くなった。草葉の陰、何かがぼうっと青白く光っているのだ。最初はカルカンサイトかと思った。カサンドラが教えてくれた毒のある青い鉱石。こんな身近なところにも生えているのかと。
     しかし、まじまじと見てみると明らかに違う。青白く発光してはいるが、形は丸く、鉱石のような尖った感じはどこにもない。森にいる兔……それか、小型の魔物。またはそれに類する生物のようだ。呼吸をするように、丸い形が僅かに膨らんだり萎んだりしているから。
     そして、ラモラックはどきりとする。
     かの生物の下、じわじわと広がる水溜まりがある。夕日に煌めく様は清水が湧いたようにも見えるが、鼻先に過ぎるのは鉄錆の臭いだ。そうか、とラモラックは得心する。先ほど瓦礫の影から飛び出してきたのはこいつだ。僕にぶつかって、何らかあって、怪我をした。だから、助けを求めているのだ、……と。
     何らか……例えば。
     ガウェインと向かい合うあの四つ足の化け物に追われている、……など。
    「チッ――」
     刹那、舌打ちが聞こえ、ザッと風が渡った。
     目を離した一瞬の隙だった。四つ足の化け物は大地を蹴って駆け出した。その大きな顎で横たわった青白い生物を掬い上げた。血が滴り落ち、ギャッと小さな悲鳴が上がった。でも、それだけだった。
     四つ足の化け物はそのまま、脇目も振らずに森の中へと消えていく。木々が鳴り、草木が騒ぎ、鳥が慌てて飛び立つ。
    「……何なんだ、あいつ」剣を鞘に収め、ガウェインが近付いてくる。「この辺りじゃあ見たことない奴だったな」
     ラモラックは動けなかった。呆然としていた。先ほどの不思議な声はもう聞こえない。四つ足の化け物は去り、森も、元の静けさを取り戻しつつある。所詮は弱肉強食の世界、食物連鎖を垣間見ただけのこと。でも、……でも。
    「……助けなきゃ」
     ぽつ、と言葉が零れた。ガウェインが目を見張った。
    「あの子を、助けなきゃ!」
    「っ、……あ、おい!」
     ――何でそう思ったのか分からない。何故、そうしなきゃならなかったのかも。
     けれど、重なったのだ。不意に、しかし、はっきりと。
     夕暮れ。森の中。壊れた馬車。横たわる母親と広がる血溜まり。
     慟哭し、うずくまる兄。亡骸に縋り、泣きじゃくる弟。自分の掌に灯る、弱々しい治癒の光……どうしようもなかった無力感と。誰も助けてくれなかった絶望感と。
     跳ねるように立ち上がり、ラモラックは走り出す。草を掻き分け、せせらぎを踏み、大木の根を乗り越え、遙か前方に見える四つ足の化け物の背を見据えて。そのやや後方を、ガウェインもまた、彼に倣って追い掛ける。
     いくら小柄な体型の少年たちとはいえ障害物の多い森の中だ、ここを狩り場としている四つ足の獣に追い付くはずもない。木々の中に真っ黒い影は少しずつ、少しずつ小さくなっていく。森の緑に紛れてしまえば、見失うのも時間の問題だろう。
    「ラモラック!」
     横に並んだガウェインが、足に力を込めて叫んだ。
    「束縛しろ! 範囲から外れる前に、早く!」
     そうか、その手があった! ラモラックは杖を掲げ、空中に魔方陣を描く。ザッと風が渦を巻いて亜麻色の髪が下から煽られ、フードがばたばたとはためく。
    「せぇのぉ!」
     ギィッ! 遠くで叫び声がした。
     幹が折れ、葉が揺れ、杖がミシリと軋む。相手は恐らく振り切ろうとして暴れている。集中しなければ、あっさりと術を破られてしまう!
    「見えたッ……」
     ガウェインの声と共にラモラックは足を止めた。ここからはもう踏ん張らないと厳しい。杖を両手で握り、ぎゅっと奥歯を噛みしめる。グ、ガ、と耳障りの音が響き渡る中、木立のまにまに、大きな黒い影を捕らえた。
     動きを完全に封じることは残念ながら出来ない。現に四つ足の化け物は、ぶるぶると震えながらも前脚を、後ろ脚を、繰り出そうとしている。ああ、ガウェイン、早く。ラモラックは祈る気持ちで息を堪え、杖の先端で地面を突いた。早く……決着を!
    「やああぁッ!」
     跳んだ。
     足を踏み込み、振り切り、夕陽の中に金色の影が跳んだ。
     四つ足の化け物が、淀んだ赤い目のようなものをぐるりとそちらに向ける。ぐんっと杖に掛かる負担が増え、ラモラックはぐぅっと呻きつつも下肢に力を込め、
    「……ッ……!」
     ずうぅうん……
     的確に急所を狙った一撃が見事に嵌まり込んだ。身体を縫いとめられるが如く、化け物が地に伏す。それと同時にラモラックに掛かっていた負荷も解け、つい、踏み出した足が一歩、大地に着いた。そのまま、と、と、と、と勢いのままに駆け寄る。
     化け物は何度か痙攣を起こし、その後、ぴくりとも動かなくなった。溢れ出した血液が土を濡らし、遺骸の毛並みを風だけが洗っていく。そうして森は、元通り静寂を取り戻す。
     額に浮いた汗を拭い、荒い呼吸を整えながらも、ガウェインは獲物に刺さった剣を引き抜き、こびりついた血と脂とを乱暴に払った。それを鞘に収めている間に、ラモラックは化け物の口元に寄り、屈み込み、恐る恐る覗き込んだ。よもや食べられてしまったのではないかと、それならばちゃんと弔ってやろうと、そう思ったのだ。
     ……が。
    「あ……」
     いた。
     だらりと弛緩し、開ききった口の端っこに、黒い塊が引っ掛かっていた。
     青白い光はやや弱くなっているものの、そうっと手を伸ばして引っ張り出すとまだ温かい。涎でじっとりと湿った毛並みが膨らみ、萎み、何とか呼吸をしている。生きている……!
    「ガウェイン!」ラモラックは声を上げた。丁重に自分のマントでくるみ、この度の功労者に知らせてやろうと立ち上がった。「見て! ……生きて」
     る、……と。
     そう言おうとしたままで、語尾は立ち消えた。
     ガウェインは妙な顔をしている。翠の瞳は眇められ、不可解極まりない顔で遺骸を眺めている。どうかしたのかと近寄るラモラックに、彼はただ首を振り腕を組んで応える。
    「何かおかしいと思ったんだよな」ふぅっと息を吐き「……見ろよ、これ」
     顎をしゃくった先、ラモラックが視線を向けると、そこにはぼうっと青白く光るものがある。よくよく目を懲らせば、真っ黒い毛並みのあちこちに何かが埋まっている。毛皮との境目は曖昧で、一部は完全に融合してしまっているようだ。
    「……カルカンサイト……?」
     かの洞窟で見た、毒のある青い鉱石……。
     皮膚を突き破って外側に露出したそれは、角灯のように淡い光を辺りに振りまいている。宿主はもう事切れているというのに、夕陽に輝くカルカンサイトの姿は生命の最後の名残を振り絞っているようにも見え、綺麗というよりもいっそ不気味に映った。ふたりが無言でしばらく、顔を見合わせるほどには……
    「……キュウ……」
     か細い呻き声は腕の中から聞こえた。
     ふたりは一瞬目を瞬き、殆ど同時に抱えた包みに目を遣った。包みの下側はじわりと湿り、先ほどよりも色が濃くなっている。分厚い布を通してでさえ生物本来の温かさは分かるし呼吸を感じることも出来る。けれど、これがいつ喪われるかは誰にも分からない。
    「あの、ガウェイン、ポーションとか持ってない?」
     マントの端を開いて見せ早口に告げると、ガウェインは慌てて腰元のポートから小さな瓶を取り出した。急いで封を切り、だが、抱えた生物らしき存在の口がどこにあるか分からないので、取り敢えずぱしゃりと全身に浴びせた。青白い光がほんの少し輝きを増すので、ふたりはほっと胸をなで下ろす。
    「何だよ、治癒術とか使えば早かったのに」
     ガウェインがぼやく。ラモラックは首を横に振り、ベッと舌を出す。
    「さっきの奴を留めておくのに、どれだけ魔力を使ったと思ってるのさ」
     現に、魔力の媒介たる自分の杖はもうボロボロだ。柄の部分は酷くささくれだって、簡易な魔法だとしても耐えられまい。真ん中からバッキリと折れてしまうだろう。
     ――でも。
     本当は違う。生物を抱く腕に、きゅっと力を込める。
     ――魔力が足りないわけじゃあなくて。
     あっそ、とガウェインは呆れたように言ったきり、それ以上を続けなかった。多分言い合いが面倒になったのだろう。けれど、ラモラックは有り難く思った。
    「それより」
     ガウェインの翠の瞳が、ふと上がる。
    「そいつ、どうするんだよ」
    「あ、……」
     そういえば。
     助けるのに必死でそこまで考えていなかった。ばつが悪そうな表情になったのを、ガウェインも気付いたのだろう。呆気にとられたようにぽかんと口を開けた後、大きくため息を吐いた。
    「弱ったままここに置き去りにすると、他の捕食者が餌にするだろうが。折角助けたんだから、せめて元気になるまでは面倒見てやれよ」
    「それはそう、だけど……」
     連れて帰ったとして、一体どこに保護しておけば良いのだろう。
     自室は狭いし、そもそもペット厳禁なのでバレたら大目玉だ。かといってガウェインのところに預けるのもどうかと思う。自分で始めたことなのだから、せめて自分で何とかしたいじゃないか。でも、……良い案がなかなか思い付かない。
    「寄宿舎の端」
    「え?」
     唐突に聞こえた言葉に、ラモラックは顔を上げる。ガウェインはそっぽを向いたまま、ぼそぼそと続ける。
    「昔、炭焼き小屋に使っていたやつがあるだろ。そこなら誰もいないし、……まぁ、ボロいし狭いけど、そいつ一匹飼っておくくらいなら問題ないんじゃないか」
     ……寄宿舎の、端……?
     ラモラックは急ぎ、脳内で地図を思い浮かべる。ダルモア城の近く、大きな門構えの建物――寄宿舎。構内には小さいながらも立派な庭園があり、池があり、ガゼボもある。その先、ちょうど正門とは真逆の場所に大きな森が広がっていて、……ああ、確かに、今にも崩れそうな掘っ建て小屋があったっけ。農具や薪が積まれているから物置みたいなものかと思っていたが、成る程、炭焼き小屋だったのか。
     でも、確かに。……そこなら大丈夫そうだ。
    「決まりだな」
     ガウェインは頷き、けれど、すぐに表情を引き締めた。暮れなずむ空は紺碧を連れ、辺りは徐々に薄暗くなっている。どこにいるのかも分からない状態であるのに、怪我をした生物を連れて急いで寄宿舎に戻るなど、そんな器用な芸当が出来るのだろうか。
     ふたりが不安げに顔を見合わせた、そのときだった。
    「う、わ……!」
     胸に抱えた生物が突如として青白く輝き、その光が一本の線となって頭上に伸びた。そうしてふたりが息を呑んで見守る中、光の線は真っ直ぐに降りてきて、そのまま森を突っ切っていく。木々のまにまに、ずっと遠くまで。
    「……、こっちへ行けって、……こと?」
     ぽつりと独りごちたところで返ってくる声はない。けれど、進んでみるしかない。
     ふたりは頷き合い、歩き出す。目印となる生物を抱えたラモラックが前、しんがりをガウェインが務める。風が吹き、葉擦れが鳴り、彼らは崩れた遺跡を後にして――……


    「やはり、……こうなったか」


     赤い髪の魔女は獣の死骸の傍に在った。カルカンサイトが青白い光を放っているので、辺りは月光に照らされたかのように薄明るい。そのひとつに、彼女はそっと手を触れる。
    「所詮、アタシの干渉は分岐点に過ぎず……見えるものも数ある枝のうちのひとつでしかない。分岐点さえ間違えなければ、いずれは到達する未来だろうが……」
     長い睫毛がはたりと、白い頬に影を落とす。
    「さて、どう出るか……」
     目を上げた彼女の視線の先には、森を往くふたりの少年の姿がある。切り取られた影絵のような木々の合間を、青白い光と共に進んでいく。その姿は徐々に、徐々に小さくなって、やがて森の中に溶けて消える。
    「願わくば……もう二度と眠りを妨げられることのないように」
     形の良い唇を静かに笑わせ、彼女はくるりと踵を返した。少年たちとは反対方向に歩き出す。土を踏む小気味の良い音が辺りに響く。
     そして、……
     遺された獣の死骸は光ることを止め、彼女が舞台から去るのと殆ど同時に、音も無く崩れ落ちたのだった。  
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    Replies from the creator

    ruicaonedrow

    DONE一幕一場(状況説明)
    KA-11.
     ここまで道が混んでいるなんて何時振りだろうと、ラモラックは思った。少なくとも、直近ではないことだけは確かだ。
     第一師団がブルグント地方で戦果を上げたときだったろうか。それとも、第三師団が見習いたちと共に近隣の盗賊団を壊滅させたときだったろうか。英雄ロットが不在の今、好機とばかりに攻め込んできた賊を、モルゴース率いる魔導師団が完膚なきまでに叩きのめしたときだったかもしれない。
     ああ、……あのときは本当にスカッとした。魔術の師匠たる賢女モルゴースの勇姿は勿論のこと、魔導師団と騎士団との一糸乱れぬ見事な波状攻撃。悲鳴を上げ、武器を放り投げ、這々の体で逃げていく奴らの情けない姿といったら! それと同時に、この国は前線基地ばりに、常に戦争と隣り合わせなのだと実感した。知識の上では理解していたものの、こうして目の当たりにするとみんなどうして仲良く出来ないのか不思議でならない。お腹が空いて気が立っているとかなのかなぁ。それなら、食べ物が沢山あるところが分けてあげたらいいのに。困っている人がいたら助けてあげて、食べ物も半分こしてあげる。それで一件落着だっていうのにさ!
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