ぬいぐるみの温度「……っ!」
喉の奥で切れた声と同時に、エグザベは上体を跳ね起こした。汗が首筋を伝い、胸が荒く波打つ。視界の端がまだ燃えている。ルウム戦役の夢——故郷も家族も失われたあの瞬間が、色も音も匂いも連れて押し寄せてきたのだ。
両肩に腕をまわし、自分をきつく抱え込む。震えが止まらない。いつぶりだろう、こんな酷い夢見は。シャリアと結ばれてからは影が薄れていたから、油断していた——。
「エグザベくん?」
背後で柔らかな寝具が鳴り、シャリアが体を起こす気配がした。
感応の薄い光が、彼の手つきの前に届く。恐怖の形、涙の温度、呼吸の乱れ——どれもが、はっきりと伝わってきた。
「シャリアさん……すみません、起こしちゃいましたね」
苦しげに笑おうとする顔。その無理を、シャリアは見抜いている。
「悲しまないで。今は私がついています」
言いながら、エグザベを胸へ引き寄せる。優しく、けれど存在をはっきり感じる抱きしめ方で。
「シャリアさ……ひ、ぐっ」
我慢していた涙が、抱擁の中で大粒になって零れた。
「大丈夫。心はまだ癒えきらないでしょう。けれど君は強い。苦しくなったら、私を頼って」
「は、い……」
エグザベは向き直り、彼の背へ腕を回す。泣き顔は見せないように、肩口に額を寄せる。
シャリアはその頭をゆっくり撫でた。額から、こめかみ、髪の流れを逆撫でしないように。指の温度は落ち着いた灯りみたいで、艦の空調の律動に呼吸が合っていく。
くい、と顎を持ち上げ、ちゅ、ちゅ、と小さく音を立てて額、こめかみ、瞼へ短い口づけを落とす。そして、エグザベの存在を確かめるようにすぅ、とエグザベの香りを楽しむ。
「……シャリアさんっ。その、恥ずかしい、です……」
「二人きりなのに?」
「その、匂い嗅がれるのが……」
「ああ。エグザベくんは、とてもいい匂いがするんですよ」
囁きながら、両腕の抱きしめをわずかに強める。そのまま肩に顔を埋め、すうっと深く息を吸う。
「だ、だめです。ぼく、ぬいぐるみじゃないんですから……そろそろ離れてくださいっ」
恥ずかしさに押され、エグザベは彼を剝がそうとする。
「だめです。まだ、もう少しこうしていたい」
頑として離れない腕に、エグザベは小さくため息をつき、折れる。
「……それじゃあ、横になってしましょう?」
「わかりました」
二人で枕を並べ、向かい合って横になる。腕と足の位置を確かめ合い、呼吸の長さを合わせる。
シャリアはもう一度、彼をそっと抱いた。
「エグザベくん……。私の大事な大事な、エグザベくん——」
ぎゅ、と抱擁する。片手は変わらず頭を撫で、もう片方は背に広く添える。今度は、さっきよりもすこしだけ力を抜いて。
エグザベの体の芯が、ぽかぽかと温まっていく。涙のあとの空洞に、静かな安堵が流れ込む感じがした。
(大丈夫。ここは大丈夫だ)
そう思えた瞬間、瞼がゆっくりと重くなる。
感応の端で、シャリアの気持ちが微かに触れた——誇らしさと、愛しさと、守りたいという意思。それだけが混ざらずに、澄んだまま伝わってくる。
夢の入り口が近づくのを確かめるように、シャリアは額にそっと口づける。
「おやすみなさい、エグザベくん。今度は幸せな夢が来ますように」
すぅ、すぅ、と規則正しい呼吸が枕に滲む。眠りへ落ちていく彼の背を、シャリアはゆっくり撫で続けた。
抱き心地は、確かにぬいぐるみのそれに似ている。だが違う——これは、彼自身の体温で、彼だけの重さだ。
「……少しだけ、貸してくださいね」
誰にも聞こえない声でそう囁くと、シャリアも目を閉じた。
艦の夜間モードが静けさを深くし、二人の呼吸は同じ波の間隔で進んでいく。眠りは、やさしく、確かに。