決戦 夕闇の空気を裂いて、ポップの声が響いた。
「言えよ! オメーがマァムをどう思ってるか、良い加減はっきりしやがれ!」
怒りと悔しさで顔を真っ赤にしたまま、ポップは拳を握りしめて前に進み出る。
「ずっと気に食わねえんだよ、お前のその澄ましたツラが!
幸福にできねえとか、不幸にしかしねえとか……そんな言い訳で逃げんな! はっきり聞かせやがれ!」
その言葉は、ヒュンケルの胸を深く突き刺した。
逃げられない――誤魔化せない――。
ここで沈黙することは、仲間としても男としても許されない。
長い間封じ込めてきた心の奥底を、いまさら曝け出すことに逡巡しながらも、もはや背を向けることはできなかった。
短い沈黙のあと、ヒュンケルは静かに目を伏せ、そして真っすぐポップを見据えた。
その口から出た言葉は、あまりに重く、鋼の誓いのように響いた。
「……愛しているさ。ずっと……」
空気が凍りついた。
ポップの喉がぐっと鳴り、息が詰まる。
思っていた答え以上の重みだった。ヒュンケルの声は、魂そのものを賭けた誓言のようだった。
ヒュンケルは淡々と続ける。
「マァムがオレの心を拾い上げてくれた。拾い上げ、慰撫し、光をくれた。そのことを一瞬たりとも忘れたことはない。……あの日からずっと、彼女はオレの、ただ一人の女性だ」
拳を振り上げていたポップは、その言葉の重さに数秒息を呑み、凍りついたように立ち尽くす。
だが次の瞬間、唇の端を歪めて笑い飛ばした。
「……へっ、やっと言いやがったなぁ。おせえんだよ!」
吠えるように叫び、拳を振りかぶる。
「その言葉を聞くまでな! オレだって引き下がれなかったんだよ! チキショー! マジで気に食わねえ!」
渾身の一撃がヒュンケルの頬をかすめ――その刹那、鋭いカウンターが突き返された。
ポップの身体が後方に揺らぎ、砂煙が舞う。
ヒュンケルの声は冷静で、しかし確かに熱を帯びていた。
「……気に食わないのはオレの方もだ」
ヒュンケルは拳を握り直し、ポップに向けて言い放った。
「恋敵を憎らしく思わない奴など、いるものか」
その言葉に、ポップは痛みに顔を歪めながらも、にやりと笑った。
「上等だぜ……! そうこなくっちゃな!」
頬に受けたカウンターの痛みも構わず、ポップは血を滲ませた口元を吊り上げる。
「へっ……へへっ、遂にその言葉を引き出してやったぜ! オメーはいつだって上から目線で、ガキを相手にしてられないみたいなツラして澄ましやがって……舐めてんじゃねえぞ!」
怒号と同時に殴りかかる。
拳と拳がぶつかり、鈍い音が空気を裂いた。
ヒュンケルの瞳が鋭く光る。
「ガキであることを散々利用して、マァムに絡んで構ってもらっていたくせに……何を言う」
「なにぃ!? 散々あいつとイチャついてたのはオメーの方だろうが!」
再び拳が交錯し、互いの頬に赤い痕が刻まれる。
「……お前ほど無遠慮じゃない」
ヒュンケルは低く吐き捨てるように言い、ポップはそんなヒュンケルに再び拳で殴りかかった。
殴り合いは長く続かなかった。
どちらも殴り合いをするには適した状態ではなかったからだ。
戦場で無理を重ねすぎたヒュンケルの肉体は、戦士として全盛の頃とは比ぶべくもない。
今の彼の身体は、もはや一般人並み程度にまで劣化していた。
一方のポップだって魔法使いだ。拳で戦うことなど得意ではない。
だからこそ――互いに無茶な打ち合いは、すぐに肉体を限界まで追い詰めていく。
頬は裂け、唇は腫れ、息は荒く喉を鳴らす。拳を振り上げても、もう腕は鉛のように重かった。
砂煙の中でよろめきながら、二人はなお睨み合う。
「……へっ……まだやんのかよ……!」
血に濡れた笑みを浮かべるポップ。
ヒュンケルも片膝をつきながら、わずかに息を吐いた。
「……お前こそ、無茶を……」
声には疲労と、しかし確かな敬意がにじむ。
やがて、二人は同時に大きく息を吐き、力なくその場に座り込んだ。
互いに視線を合わせることなく――それでも、心の奥で相手の存在を認めていた。
沈黙を破ったのは、ポップだった。
血に濡れた唇を拭いながら、ぽつりと呟く。
「……オレはな、もうマァムには振られてんだ」
ヒュンケルの瞳がわずかに揺れる。
「……何?」
「……はっきり言われたんだよ。あいつの気持ちは、オレに向いちゃいねえってな」
ポップの声は笑っているようで、どこか切なく滲んでいた。
それは、ヒュンケルにとって初めて聞く真実だった。
戦いの果てに残った静寂の中、彼の胸に重く落ちたのは、拳の痛みよりもその言葉だった。
荒れた空気に、ふいに駆け寄る影があった。
「ヒュンケル!? ポップ!? な、何これ……!」
マァムが駆け寄ってきて、血と砂にまみれた二人を見て目を見開く。
ポップは唇を切ったまま笑い、ふらつきながら立ち上がった。
「へっ……心配すんなよ。俺は自分で回復できるからさ。……マァム、ヒュンケルを頼まぁ」
それだけ言うとポップは背を向けて行ってしまった。
残されたのは、地面に座り込んだヒュンケルと、呆然と立ち尽くすマァムだけ
マァムは慌てて膝をつき、両手をかざす。
「……何があったの?」
淡い光がヒュンケルの傷を覆い、少しずつ血が引いていく。
「……決闘だ」
「決闘? ポップと?」
マァムの顔に、戸惑いと困惑が広がる。
「ああ……」
ヒュンケルは痛む身体を預けるようにして、力なく息を吐いた。
「一体なんでそんな事……」
「……気に食わないから、だろうな」
「え?」
「……あいつがお前を好きなのが、オレには気に食わないんだ……オレは、お前が好きだから」
マァムの動きが止まった。
瞳を大きく見開き、声にならない息を呑む。
それは、ずっと心の底に封じてきた言葉。
口にした瞬間、ヒュンケルは自分でも驚いた。――案外、あっさりと言えてしまったな、と。
光に包まれる彼を見つめるマァムの顔には、驚愕と、揺れる感情がそのまま刻まれている。
ヒュンケルはただ、その瞳を静かに見返した。
やさしくも、切なく。
――もう後戻りはできないと知りながら。