RJ7「お前に、大空翼の代わりは出来ねぇよ」
日向ら全日本主力メンバーの七人が去った。事の始まりはワールドユース選手権に向かって走り始めた全日本メンバーの前に、リアルジャパンセブンと名乗る七名と賀茂という男が現れた事だった。彼らは全日本の主力メンバーと試合をし、もし全日本が敗れれば全日本から去る。そう約束させて試合を申し込んできた。結果は、全日本の完全なる敗北。日向を筆頭に、岬、立花兄弟、早田、次藤、新田の七名は全日本から去る事となった。アジア第一次予選が終了した際に再び試合を行い、勝てば全日本に戻すという約束をして。
「何だと。もう一度、言ってみろ」
最後に合宿所を去る日向が、リアルジャパンセブンの一人である弓倉に向かってそう言う。
「お前に翼の代わりは出来ねぇ。そう言ったんだよ」
日向の言葉に弓倉はムッとした表情を浮かべる。自分はユースクラブの出身で、学校単位の大会には一度も出場した事はない。しかし、実力が今の全日本に劣っているワケではないのだ。全日本のエースでキャプテンでもある大空翼。彼の打つドライブシュートも自分は打つ事が出来る。翼は確かにブラジルで充分にプロとして通用する力を持っている。だが、だからと言って自分の力が劣っているハズがない。
「負け惜しみか?みっともないな」
「違う。お前は翼と対戦した事も、ましてや同じチームで戦った事もねぇだろう。だから判らないんだよ。翼の代わりは誰にも出来やしねぇよ」
弓倉にそう言い残し、日向も合宿所を去って言った。
俺が大空翼に劣るっていうのか?ふざけんな。
自分の口でこう言った、『大空翼の代わりに全日本のゲームメーカーをする』と。自信はあった。現に全日本にも勝っている。たとえ自分が全日本を強くするための存在だとしても、やはりその言葉は腹立たしく思えた。
「その理由、お前には判らないぜ…」
不意に声がして、弓倉は振りかえる。
「松山」
そこに立っていたのは松山だった。
「日向の言った通り、弓倉……お前は翼と対戦した事はないだろう。そして同じチームで戦った事もな」
日向と同じ言葉を松山は言い聞かせるように口にする。
「実力だけじゃない。アイツは……翼は、ただのゲームメーカーでも、ただのキャプテンでもないんだよ」
うっすらと松山が笑みを浮べる。決して弓倉には判らない、翼の力。テクニックだけではない、センスだけではない。どんなに不利な状況であっても、決して最後まで諦めさせない。翼がいればどんな劣勢な試合であっても、勝てそうな気がする。頑張ろうという気持ちがこみ上げ、不思議と力が沸いてくる。
「俺たちは一人として潰れないぜ?翼が帰ってくるんだ。翼と……試合出来るんだからな」
そう言い残して、松山はグラウンドへと出て行った。そんな松山の後姿を弓倉は怖い表情で見つめる。
「弓倉、そう怒るなって」
弓倉に話しかけてきたのは、同じリアルジャパンセブンのメンバーである浦辺だった。浦辺は唯一、全日本メンバーの大半と顔見知りである。家業である豆腐屋を継ぐためにサッカーは高校までと決めていた浦辺だったが、全日本を強くするための影の存在という話を聞いて少しでも力になれれば……と賀茂に協力したのだ。
「味方とかそういうんじゃないけど、松山の言葉には俺も同感だな。一緒に戦ってみりゃ判るけど、翼の強さはサッカー技術だけじゃない。確かに翼の代わりはいねぇよ。誰にも出来やしない」
浦辺は小学生の時に翼と一緒のチームで戦った事がある。中学の時は敵同士ではあったものの、対戦中にその実力をまざまざと見せつけられた。
「翼は特別なんだ。全日本にしてみりゃ、勝利の女神様みたいなもんだしな」
浦辺の言葉を弓倉は黙って聞いていた。浦辺の言葉の意味も、やはり日向や松山の言った言葉と同じ意味だった。
ムカムカする。面白くない……。
浦辺に言われると、さすがに日向や松山に言われた程の気持ちは起こらない。しかしそれでも対戦したワケでもないのに劣っていると判断されるのは、そう面白いものではない。
「浦辺は…今の大空翼の実力を目で見たワケじゃないだろ?だったら、判らないんじゃないのか?」
「確かにそうだな。でも、何となく判るんだよな。アイツはさ、無限の力を秘めているような気がするから」
そう言う浦辺の言葉に、弓倉は不機嫌そうな表情を浮べたままである。
「何ていうか……魅せられんだよな。翼には」
そう言って、浦辺がニヤリと笑った。
翼が日本に戻って来たのは、第一次予選が始まる二週間ほど前だった。全日本の監督をしていた三上が病気で入院し、全日本の監督に賀茂は正式に選ばれた。アジア予選が始まるまでの間、残された者は賀茂によって鍛えられた。まるで地獄のような特訓が毎日続いたが、彼らは誰一人として潰れる事はなかった。
「でぃあー!」
夕食が済み、もうそろそろ就寝時間になろうとしている時間。合宿所の外からそんな声と共にボールの音が聞こえた。
「今時分、誰が………」
それに気がついた弓倉と火野が外を眺める。暗いグラウンドの中に人影が浮かび上がる。丸いボールに向かって、一心不乱に練習をしていた。
「大空……翼」
月明かりにその姿が照らされる。顔がハッキリと映り、そこにいたのは翼だった。予選が間近に迫っている今、全日本のメンバーは傷ついたその体を癒す事に専念し、軽い練習しか行わない。しかし翼は常に別メニューで練習をしていて、こんな夜中にも人知れず練習を繰返していた。
「確かに、お前に大空翼の代わりは無理かもな」
「リョーマ」
弓倉の隣で翼の姿を見つめながら、火野がポツリと呟いた。
「どんなに上手くても、チームを引っ張っていく力がなければそれは強さじゃねぇ。この全日本を纏め、ヤツらの力を引き出せる唯一の男。弓倉、それが出来るか?」
火野の言葉に弓倉は黙りこんだまま、何も言わなかった。サッカーはチームプレーが重要なスポーツだ。そしてゲームメーカーであれば選手の力を最大限に発揮してやれるようにするのが務めとなる。それが自分に出来るだろうか。そう考えると、答えはハッキリと出てくる。
「俺には……何となく判る気がする。アイツらの言っている意味が」
ボールをゴールに向かってシュートする翼の姿をジッと見つめる。ボールを足元に止め、ゴールを見つめる翼が不意に微笑んだ。その表情に不覚にも目が奪われる。
何だよ………。
翼から感じるのは、強いオーラ。人を惹きつけ、魅了し、視線を奪う。それは恋愛感情とは似て非なるものなのだが、弓倉は俯いて何も言わない。
「おい、弓倉?」
急に様子のおかしくなった弓倉の顔を、火野が覗き込むように見つめる。
「な、何でもないっ!」
「ね、一緒にボール蹴らない?」
ムキになるように怒鳴った弓倉の声と重なるようにして、急にそんな声が聞こえた。驚いた火野と弓倉が視線を向けると、二人が外を見つめていた窓の側にいつの間にか翼が立っていた。一人でボールを蹴っていると、一階の廊下の窓からこちらを見ている二つの影が見えた。それでどうやら歩み寄って来たらしい。
「な……」
「パス練習付き合ってよ。ね?」
そう言って翼がニッコリと笑みを浮べた。翼はリアルジャパンセブンの事を誰かから教えられたハズである。日向たち七人を追い出した事を……。それでも何もないかのように話しかけて来た姿に、火野はニヤリと笑みを浮べると弓倉の方に視線を向けた。
「いいぜ、付き合ってやる」
最初は唖然としていた弓倉ではあるが、翼の実力を……そして大空翼という人間を知る良い機会だとすぐに感じた。本当に自分は『大空翼』に劣っているのか、翼の代わりに全日本のゲームメーカーにはなれないのかを。
「決まりだね!二人とも出ておいでよ」
火野と弓倉はスパイクに履き替えると、グラウンドに出ていった。翼と弓倉がボールの取り合いをし始める。翼の足元にあるボールを奪おうと賢明になるが、中々取る事が出来ない。それを火野は黙ったまま、ジッと見つめている。
「火野、シュート!」
弓倉をフェイントでかわすと、翼はつかさず火野の方へボールを蹴った。急に名前を呼ばれて慌てるが、すぐに落ちつく。送られてきたボールをそのままゴールに蹴りこんだ。
「ナイスシュート」
「そっちこそ………ナイス、パス」
ニッコリと微笑む翼を見つめながら、火野も弓倉も驚きを隠せないでいる。
何だよ、今の絶妙なパス………。
急に送られてきたパスは、火野にとって最も蹴りやすい位置だった。この出会って間もない……しかも敵のような扱いをされている自分の特徴など、よく判ったものだと感心してしまう。これが『大空翼』なのだ、と…。全日本のエースでゲームメーカー。あの個性派揃いの全日本メンバーを纏める事の出来る唯一のキャプテン…。
「見て見て、北斗七星」
不意にそんな言葉を口にして、翼は夜空を見上げた。澄みきった星空の中に満天の星が輝いている。手を伸ばせば、掴めそうな錯覚に陥りそうなほどの。
「ここは日本だ。見えて当たり前だろ?」
「俺はここ三年、北斗七星は見れなかったから。その代わり、南十字星は見えたけどね」
翼がいたブラジルは南半球に位置する。日本では沖縄のさらに南の島でないと見る事の出来ない南十字星が夜空を飾っていた。
「三年前、ドイツでこんな風に星空を眺めてたんだ。あの日、俺は試合に出る事が出来なくてやる瀬無い気持ちで星を見つめてたんだ……」
そう言いながら翼は微かに微笑んだ。三年前、フランスで行われる国際ジュニアユース大会に出場する事になり、全日本ジュニアユースのメンバーが選ばれた。翼だけは怪我で出遅れてしまい、全日本に合流するのが遅れてしまった。ハンブルグで行われた親善試合に、翼はチームメート反対から試合に出る事が出来なくて……。
「俺は好きだけどな、アンタのプレー」
自由でのびのびとしていて、何よりもサッカーを楽しそうにしていて。勝つ事への拘りも確かにあるけれど、それよりも楽しむ事の方へ視線を向けている。サッカーが楽しくて仕方がないと言わんばかりに。
「ありがとう、火野。……弓倉、センタリング上げてよ」
そう言われた弓倉はポーンとボールを蹴り上げた。落ちてきたボールを翼はノートラップで蹴る。ボールは鋭く弧を描いて、そのままゴールに突き刺さる。
「無限の力、ね」
浦辺の言った言葉を思い出す。翼は、無限の力を秘めているような気がする、と。それから。
『何ていうか……魅せられんだよな。翼には』
実際に翼と一緒にサッカーをして、その言葉の意味も何となくだが二人には判った気がした。
「翼!やっぱり練習してた」
月明かりと外灯だけのグラウンドに向かってくる影が見え、そんな言葉が聞こえて来た。三人がその影の方を見つめる。
「松山君……」
「長時間、飛行機に揺られた体で練習してんなよ。今日は大人しく休息しろっつっただろ」
そのに現れたのは松山だった。松山は火野と弓倉の姿には目もくれず、翼の方に歩み寄る。そしてグッと翼の手を握り締め、宿舎の方へと強引に歩き出した。
「火野、弓倉、練習付き合ってくれて、ありがと!またサッカーしようね」
火野と弓倉の方に向かって翼がそう言い、そのま松山に引きずられるようにして宿舎の中に入っていく。思わず唖然としてしまった二人だったが、すぐに火野の方がうっすらと笑みを浮べた。
「毒気、抜かれんなー。けど、引き寄せられるのな」
たったこれだけの時間しか接しなかったけれど、確かに翼に魅せられた。自分たちでこうなのだから、もっと長い間一緒にいた彼らは強く惹きつけられているのだろうとそう思う。
「アイツがキャプテンで、良かった」
呟くようにそう言った弓倉に対して、火野は無言で頷いた。
ワールドユースアジア第一予選が終わり、全日本ユースは辛くも一位で突破した。翼が一時ブラジルに戻り、全日本を出された七人が再びリアルジャパンセブンと対戦し、彼らの本当の姿を知る。火野は全日本ではなくウルグアイを選び、弓倉らは元の生活へと戻っていく。
自分たちの行動が無駄になる事はないだろうと、そう確信しながら。