光と花※補足
ブレはこちらのハイラルに来てゼルダ姫に手ほどきを受け、光の治癒魔法を習得しています。
マリン→ブレとトワの飼い猫。メスの成猫。
おれ達の住むラネール地方にしては珍しく、大気中の湿度の高い日だった。
湿度によって、リンクの患う天気病は様々な弊害を引き起こす。
その夜、リンクは身体中の関節の痛みに苦しんでいた。
今までにない症状だったため、診療所でこれに対応する薬などは受け取っていなかった。
痛みに身体が熱を持ち、リンクの皮膚にはうっすらと汗が滲む。
苦しそうに小さく呻くその声が、おれの心臓をざわざわとさせた。
深夜まで起きて寄り添い、おれの治癒魔法で限界十五分の手当てを試みて、だが流石に全身に及ぶ痛みには対応し切れなかった。
冷水に浸して絞ったタオルを関節に当て、せめてもの処置を施す。
明日の朝一番に診療所に赴くまでの辛抱だ。
きっと長い夜になる。
おれは寝ずに彼の看病をすることを決めた。
相当痛むのだろう、呻くリンクの目尻には涙が浮かぶ。
見ていて胸がギスギス痛い。
代われるものなら代わってあげたい。
ベッドに横たわるリンクの熱い手を握る。
手の甲を親指で摩って慰める。
ぎゅう、とリンクの手が、おれの手を握り締める。
痛いの痛いの飛んでいけ。
痛いの痛いの飛んでいけ。
もうなんでも良いから、
縋れるものには全力で縋りたかった。
呻くリンクの声が、やがて涙声に変わってゆく。
力無く、ぽつぽつと、リンクは泣いていた。
「リンク…」
「…ぅ…痛い…っ、もぅいやぁ…」
悲痛な心と身体の叫び。
おれの呼吸が速く浅くなる。
見ていられない、目を背けたい。
だけど、
ダメなんだ。
絶対に背けるものか。
この手を離すものか。
乗り越えると誓ったんだ、
おれ達はふたりでこの先もずっと。
「ずっと傍についてるよ」
リンクの涙をもう片方の手の指先で拭ってあげながら、はっきり伝える。
握り合う手の中のリンクの握力が徐々に弱まる。
せめて彼が眠れたら。
眠って紛らわすことが出来たら。
痛みに疲れ果て、リンクの瞼は閉じてゆく。
「眠れそう?」
尋ねると、リンクは眉間に深い皺を寄せて、
「とてもじゃ…ないけれど……無理…きっと朝まで眠れない…」
と掠れた声で返した。
“リンク君は明日も任務だからもう寝て”、
と、リンクが言った。
だがおれは頭を振った。
「寝ない。ずっとあなたのこと看てる。一緒に闘おう。あなたひとりを苦しめさせたりしたくない」
細いリンクの手を、壊さないように優しく、でも勇気付けるべく力強く握った。
リンクは月光のもと、弱々しく微笑した。
おれははっと息を呑む。
こんな時でさえ、彼が笑うと美しかった。
それはまるで嵐の中で輝く、ひとつの祈りのように。
「……ありがとうリンク君……、
君は、オレの、光。」
息を止めた。
リンクの言葉が、真っ直ぐ、おれの胸の中央に浸透していくのを感じた。
あまりにも神聖な言の葉で、
おれは
悲しくもないのに急に涙が溢れてきた。
魂が洗われるような感覚だった。
彼に洗礼を受けたような、
そんなような、まさに祈りの光を見た。
そして勇気とか希望とか、
そういう勇ましい感情が次々と身体中から湧き出てくる心持ちになった。
「ッ、……、リンク……、頑張ろう。頑張ろうね、どんな時も一緒だよっ…、絶対離さないから」
泣いて鼻を啜りながらおれはリンクを励ました。
かっこ悪いな、おれってば。
だってさ、
親愛なるリンクから、それも光の勇者本人に、“光”だなんて言われたら。
そんな最上級の褒め言葉はないだろう。
「どうして…泣くの…、リンク君…」
心配そうにリンクが言う。
自身が痛みの中にある時でさえ、おれの心配をしてくれる。本当にあなたは例えようがなく優しい人だ。
「分かんない、多分おれ、嬉しかったんだと思う」
拭っても拭っても、止まらない涙。
そうか、
よほど嬉しかったんだな、おれは。
「光栄だよリンク。愛してやまないあなたの光になれたこと。ありがとう、その言葉、一生大切にする…」
「……リンク君……」
握った手は、
歓びに震えていた。
その後リンクは痛みから吐き気を催し始める。
なにも出来ないのが悔しいから、せめて吐き気止めくらいは飲ませてあげたくて、おれは階下におり、台所の小棚から薬を持ち出し水を注いだコップと一緒に二階のベッドのリンクの元へと運んだ。
おれに出来ることは微々たることだ。
必死に習得した光の治癒魔法でさえ十五分しか持ってはくれない。
医学の知識も人並みにしかない。
ただこうやって、痛む身体のリンクに寄り添い続けることしか出来ない。
正直悔しい。
もっとなんとかしてあげたい。
彼の中に入り込んで痛みを根こそぎ取り除いてあげたい。
そんな妄想も今は泡のように消え去るばかり。
けれど、
腐っている訳にもいかないのだ。
おれが芯を持って、リンクを支えてやらねばならない。
リンクはどんなにそれが嫌でも、天気病を彼から切って離すことは出来ないのだから、
おれが生涯、命懸けで彼を支えていくのだと、
誓ったのだから。
痛みと吐き気と闘い、リンクはその後その目に朝日を見る。
その朝、外気の湿度は夜間より幾分かマシになっていた。
関節の痛みが少しだけ和らぎ、それでもそのリンクを、おれは寝ないまま朝早くの診療所へと連れて行った。
「おれ今日任務休むよ」
診療所で処置を施され、痛みの引いたリンクを帰ってきた自宅のベッドに横にならせ、おれは言った。
別に一日寝なかった程度で任務に就けない訳でもなかった。
ただ単純に、一晩闘い抜いて憔悴したリンクの傍から離れたくなかったのだ。
「ごめん…オレのせいで…」
布団の中からリンクが言う。
おれは首を横に振った。
「違うよ。おれがあなたの傍に居たいんだ。」
枕に散ったリンクの鈍い金色の髪を撫でる。
リンクはゆっくりと瞬きしておれを見つめる。
「それともひとりの方が楽?」
優しく尋ねると、リンクは少し時間をかけて、返事した。
「……うぅん、傍に居て欲しい」
おれはにこりと笑う。
「そっか。居るよ。ずっと居る。安心して眠って」
昨晩の苦痛に歪んでいたリンクの表情はとうに去り、今は痛みもなく穏やかな表情で、彼は微笑んだ。
リンクは朝食代わりに、ベッドの上でおれの作った粥と少しの水と薬を飲んで、睡眠不足を補うべく、その後ベッドに寝て目を閉じた。
おれも軽く朝食を摂り、遅くに起きてきたマリンの世話をし、食器を洗って、いつもはリンクがしてくれる洗濯物を洗って干すことをして、それからは流石に眠気を催して、今は眠るリンクの、その隣に横になった。
天使みたいな寝顔のリンクの隣に添い寝をする、穏やかな午前の光のもと。
その柔らかな光を受けて、閉じたリンクの瞼の縁の金色の睫毛が淡く光り輝いていた。
おれはこの美しい人の恋人で、パートナーで、指輪はまだだけれどきっと将来は夫になって。
黄金の幸福を抱いている感覚になった。
嬉しいことも、昨夜みたいな嵐の晩もふたりで乗り越えて、マリンも交えて、家族三人で生きていくんだ。
なににもかえられない
宝物のような日々を。
リンク。
おれのかわいいリンク。
この時間が尊い。
布団の下でリンクの片手を握る。
愛しい手のひら。
皮膚から伝う体温。
規則的になされる彼の静かな寝息。
全てが優しくおれを包み込む子守唄のように。
幸せの海の底に沈んで
気が付けばおれは眠りの世界へと足を踏み入れていた。
次に目覚めた時、太陽は最も高い位置を少し通り過ぎている頃だった。
むくりと起き上がって、少し、背中を掻く。
隣のリンクはまだスヤスヤと眠っている。
良く見ればマリンがリンクの足元に丸まって寝ていた。
苦笑いをする。マリンの寝床はベッドのそばにちゃんと用意してあるのだが、彼女はいつもいつの間にかおれ達と同じベッドの上で寝ていることが多い。まあ、それを叱ったことがないから仕方がないと言えばそうなるが。
マリンは聡い。まだおれ達と生活を共にしてから長くはないが、彼女はリンクが病を患っていることを知っているのだ。だから、リンクの体調が悪く彼がベッドに休んでいる時などは進んで彼の傍に寄り添っている姿をよく目にする。
リンクの方もそれに癒やしを得てくれているようだから、マリンがうちに来てくれて良かったと思える瞬間だ。
さて。ずっと寝ていたから腹も空かないし、外はいい天気だし、今日はリンクのための休日だし。
おれはもう一度背中をポリポリと掻いて、しばらくぼーっと部屋の隅の辺りを眺めていた。
不意にリンクがもぞもぞと動いた。
ベッドのそばの窓の、その外のバルコニーに干された洗濯物が風に気持ち良さそうに踊っていた。その影が、木漏れ日のように窓辺に落ちて揺れている。
「………ん………、」
部屋にさす柔らかな陽光の下でリンクの閉じていた目がゆっくりと開いた。
おれは思わず、あ、と言った。
「……ぁれ、………リンク…くん……、今何時………??」
寝惚けたリンクがかわいくて、おれはクスッと笑うと手を伸ばして枕の上のリンクの頭を優しく撫でた。
「おはよリンク。午後二時くらいだよ。外は晴れていい天気だね、まだ寝てたかったら寝てていいよ」
リンクは布団の中で天井を仰いだ。
「……ぅん……、オレ体力落ちたからかな、…こんな時、あんまり…長く寝てられない、みたい……」
「そっか。起きる?足元マリン寝てるから気を付けて」
「ん、え…、あ…」
するとリンクはゆっくりと起き上がり、布団の上の足元のマリンに両手を伸ばして、リンクには珍しく眠っている状態のマリンに気遣うこともなく彼女を抱き寄せた。
リンクはなんだかちょっとまだ寝惚けているようだ。
「ん〜……マリーン……」
言ってリンクはマリンを抱き締めてふわふわの毛に頬を埋める。
急に抱かれた割りには喉を鳴らしてマリンは大人しくリンクの腕に抱き締められている。
その二人を、おれは無言で見つめていた。
そして、
「いいなぁ。おれもソレしたい」
出た言葉がこれだった。
ぽかぽかのマリンの身体を気持ち良さそうに抱くリンクは、「んぇ?」と言って顔を上げ、おれの方を見る。
「マリン抱っこする?」
「違う、そっちじゃなくて、リンクをぎゅってしたい…」
「え…」
「してもい?」
「……、ぅ、うんと……、」
やはり寝惚けていて対応が遅いリンク。
待っていられず、おれはマリンを抱き締めるリンクごと両腕に抱き締めた。
ふわりといいにおいがした。
「んっ…」
「へへ、リンク、昨日はお疲れ様。よく頑張ってたね」
腕に抱き締めた瞬間、「この人のことが好きだ」と魂が叫ぶのを聞いた。途端に胸の奥から愛が溢れ出る。
ごろごろと、マリンの喉の鳴る音が大きく響く。
「今日はリンクにご褒美いっぱいあげなきゃね」
ちゅっ、ちゅっ、とリンクの耳元や頬、額にキスを落とす。その度に反射でリンクの目がぎゅっと閉じる。
ああかわいい。
なんて愛しい人なんだ。
「ずーぅっとぎゅーってしててあげるよ」
「…ふふ」
腕の中でリンクが微笑む。ふたりの間でマリンのあたたかな体温が熱を放って、おれ達を結び付けた。
「…リンク君ありがとう。昨日は君のおかげで乗り越えられたよ。ずっと傍に居てくれて、心強かった」
「そっか。良かった。…ねえリンク、」
「?」
身体を少しだけ離してリンクの青い目を間近に見つめた。
「リンクはおれのこと“光”だって言ってくれた。リンクはおれにとっては、…花だよ。」
リンクの青い目が見開かれる。
「……花……」
「そう。希望の花。愛の花。安らぎの花。キレイで癒やしを与えてくれて、見るものに瑞々しさと愛おしく思う気持ちを与えてくれる。なんだろう、この世の花と言うよりは、天の花かな」
おれの告白を聞いて、キラキラと、リンクの瞳が輝くのが分かった。
ああなんて、
いつもいつも本当に
キレイなんだろうなあなたは。
「愛しいよ」
鼻先を絡めて伝えると、リンクは頬を赤く染めてはにかんだ。
その様が、なによりも可憐だった。
だから、ぎゅうぅっとリンクを抱き締めて言った。
「おれだけの花だよ。本当に愛しい。愛してるリンク、愛してるよ…。」
やがてリンクの唇にそっとキスをする。
ふたりの影が重なって、ベッドの横の床の上に落ちてビロードのように柔らかく、ひとつに溶け合った。
それから、ただなにもない時の中を、ふたりでひたすら寄り添った。
肩を寄せ合い、抱き締め合い、目が合ったら頬を手のひらで包んでキスをして、額を合わせてぐりぐりと押し付けて笑い合う。
ベッドに座るリンクの膝の上に下ろされたマリンはそこで丸くなって相変わらず喉を鳴らしていた。
なんて、平和で穏やかな時。
まるで陽だまりの中に居るように。
どんな嵐の夜がやって来ても
その闇が晴れれば
こんな清々しい光景が待っているというのなら
頑張れるよね、リンク。
ふたりの願いが
暗雲を光に変えてゆく。
光と花は
やがてふたつでひとつとなる。