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    EAst3368

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    読みたくて自分で描いたささろシリーズ

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    ささろ/🅰️RBイベスト「絶🏝に潜む悪夢」ネタ/海、嵐、不在、行方不明、悪夢…などなどが個人的にハッピーセットなイベストだった(感想)

    #ささろ
    sasaro
    ##文

    孤島 トップニュースの見出しに白膠木簓の四文字を見るのは二度目だった。一度目は、大学の講義終わりの夕方に、満員電車に揺られながら車内掲示板で見た「元・どついたれ本舗 白膠木簓 活動休止を発表」で、盧笙はあの後自分がどうやって家まで帰ったのか覚えていない。二度目は今、暁進高校の夏季集中講座を終えて帰宅したアパートで、昼飯のカップ麺が出来上がるのを待つ三分間にニュースサイトを開いた時だった。

    白膠木簓、ロケ中の海難事故 行方を捜索中

     盧笙は携帯電話を握りしめたまま硬直した。〇八年製のエアコンを付けたばかりの部屋は未だ蒸し暑かったが、盧笙は全身の血が冷えていくのを感じる。窓の外から響く騒々しい蝉の声に急かされるように、記事の見出しをタップする。笑顔の宣材写真に続くニュース本文には、速報のため情報が少ないらしく数行の事実が並んでいるのみで、すぐにページ下部の関連記事——陳腐なエンタメニュース——に行き止まった。
     「来週、オキナワでロケやねん」と、最後に会った時に簓は言っていた。タワーマンションの瀟洒なエントランスホールで、ソファに俯いて座っていた姿を思い出す。盧笙が近付くと彼は顔を上げ、目深に被ったフードの陰から人懐こい微笑みを見せた。ハーフパンツから伸びる筋肉質な脚はまだ白く、それを指摘すると「これからカッコ良く焼けるから!」と唇を尖らせる。エレベーターへ向かって並んで歩いた数メートルの間、サンダルが大理石の床を進むパタパタという音が右側からしていたこと、その黒いサンダルに印刷されたファッションブランドのロゴマークと、盧笙の視線の先を追って「今度おそろいにしよーや」と約束した弾んだ声を思い出す——盧笙はニュースサイトを閉じると、メッセージアプリを開く。最上部にある見慣れたクリームソーダのアイコンに、「大丈夫か?」と短く送ってから、自分の愚行に顔をしかめた。大丈夫なはずがない。こんなのは、文字通り大海原にメッセージボトルを投げ込んで世界中で特定の一人から返事を貰おうとするくらい無謀だ。
     理性的に振る舞う脳味噌の底で、これは悪趣味なドッキリに違いないという淡い期待が沸いてきた時、携帯電話が零からの着信を告げる。
    『まあ、落ち着けよ』
    電話口のバリトンは挨拶抜きでそう言った。落ち着いとるわ、と反論しようとして、目の前の伸びたカップラーメンと氷が溶けきって分離した麦茶に気が付く。
    「……どうなっとんねん」
     やっと発した声は怒りに震えていたが、あえてそれを鎮めようとはしない。
    『オオサカテレビの「芸人検証!チャレンジャー」収録中に大時化に遭って小型ボートが一艘行方不明。ここまでは報道の通り。追加情報としては』
    零は言葉を一度切って咳払いをする。『ボートに乗ってたのは簓一人らしい』
    「はあ?」
    『怒りてえ気持ちは分かるけどよ』
    零の声が一瞬遠くなり——関西人の怒鳴り声に備えて携帯を耳から離したようだ——盧笙は、この頼れるチームメンバーに当たり散らしても問題は好転しないことを悟る。
    「いつから行方不明なん?」
    『二時間前くらい』
     二時間前。つまり、盧笙が職員室で小テストの採点を終えた頃だ。今夜オオサカに帰ってくる予定の簓に、夕飯を用意しておいてやろうかと呑気に考えていた。「ただいま」と告げる明るい声に「お前の家や無い」と軽口を叩く日常が、まさにその瞬間、一千五百キロ離れた海上で忽然と消えてしまうなんて、一体誰が想像できただろう。
    『どうせ行くつもりなんだろ、オキナワ』
    「じっとしてられへん」
    『ちょうど良い、俺も行くつもりだ。野暮用でね』
    零は二十分後に迎えに行くと言い、電話は切れた。

     目に付いたものを片端から詰め込んだボストンバッグを持ってアパートのドアを開ければ、前の通りには一台のプジョーが停まっている。運転席の窓が開き、ラフなティーシャツ姿の詐欺師が顔を出した。盧笙はこれまで零の愛車なぞ一度も目にしたことが無く、その異常さが残酷にもこの非常事態が現実であるということを裏付けていた。早足で階段を駆け下り、無言で後部座席に荷物を投げ込む。
    「まさか水着なんて持ってきてねぇだろうな」
    助手席に収まった盧笙は素早くシートベルトを締めてから、黙ったまま軽く肩をすくめる。
    「マジかよ。俺は盧笙が海に飛び込まねーように見張る係?」
    「早く車出せや」
    「そうピリピリすんなって、フライトの時間は変わんねぇよ」
     低いエンジン音とともに車が動き出す。カーステレオから小さな音で流れていた音楽が、自分達のアルバムであることに気が付いて盧笙はぎょっとした。
    「いつも聴いとるんか?」
    「いや。リラックスするかと思って」
    「せぇへんわ」
     そう言いながらも、盧笙は呆れた笑いをこぼす。まるで近所のラーメン屋へと車を走らせているような、普段と変わらぬ鷹揚な態度が今はありがたかった。
     携帯電話を取り出して、再びメッセージアプリを開く。先ほど送った「大丈夫か?」の吹き出しに、既読は当然ついていない。
    「オキナワまでどのくらいかかるん?」
    「五時までには着けるかな」
    「そうか」
    「海保の知り合いに連絡しといたからよ、港で待てる」
     盧笙はゾッとして言葉を失った。早く港に着きたいと願う反面、その場に着いたらひたすら待ち続けなければならないという事実——俺は一体いつまで、何を待てば良い——が恐ろしかった。会話が途切れ、車内には簓の明るい歌声が流れ出す。
    「先生の前で吸うと簓に怒られんだよな」
     零はダッシュボード上の煙草を指差して呟き、盧笙は込み上げてきた涙を押し戻そうと唇を噛み締めた。
     那覇空港への二時間半のフライトの間中、盧笙は黒雲が覆う雨空や、雷鳴の音、白く弾ける渦潮になすすべなく流れていくボートの不吉なイメージを思い浮かべないように、全身に力を込め続ける。

    ***

    八月五日(金)午前十時二十三分
     リハーサルを終えた簓がロケバスに戻り、後部座席の隅に忘れ去られていた救命胴衣——一時間後に彼の命を救うことになる——を手に取る。コンビ時代の相方が水辺での収録では生真面目にベストを着用していた姿を思い出し、連絡を取ろうと携帯電話を手に取るが、ディレクターに呼ばれたことで断念する。

    午前十時四十分
     埠頭でオープニングを撮影する。ピンマイクがハウリングする音響トラブルの原因が、簓のフィッシングベストに固定した発信機だと気が付いたカメラクルーが、慌てて発信機を取り外し、鞄の中に移動させる。

    午前十一時十五分
     簓とスタッフを乗せたクルーザーが港から二キロ離れたポイントに到着。撮影班は曳航していたフィッシングボートを切り離し、簓はそれに一人で乗り込む。

    午前十一時三十三分
     オキナワディビジョン近海に五日(金)夕方から波浪注意報が発表される。

    午前十一時四十五分
     簓の発信機が当初予定より沖に移動していることを現地コーディネーターが指摘し、番組スタッフが波浪注意報を確認する。

    午前十一時五十分
     地図上のGPS反応が渦を巻きながら急速に太平洋沖に移動するのを見つめ続けたスタッフは、もはや発信機が簓の居場所を伝えていないことを悟る。

    午後十二時二十八分
     テレビ局本社との長電話を終えたディレクターが海上保安庁に一一八の通報を入れる。

    午後一時頃
     海上保安庁による捜索が開始。

     港からほど近い公民館に仮設された捜索本部で、パイプ椅子に座って事のあらましを聞いていた盧笙はだんだんと腹が立ってきた。テレビ局が保身のために一時間も遅らせた通報のタイミングに最も腹が立ち、その次にかつて自分も一員だったバラエティ番組制作の杜撰な安全管理体制に苛立ちを募らせる。
     当時、盧笙もロケ中に危険な場面を度々見かけたが、もしも一度でも異議を唱えていれば——駆け出しの若手芸人にその権力が無かったことは脇に置いても——こんな企画は敢行されなかったのではないか、という正義感からの後悔に苛まれた。盧笙は責任感が人一倍強い男で、若い彼が見過ごした蝶の羽ばたきが、六年後の今日に突風へと姿を変えてボートを転覆させたのだと感じる。
     長机とパイプ椅子が並んだホール内には、いくつかの団体が島を作っていた。部屋の前方には、紺と橙の制服の男たちが、中王区の制服姿の二人——おそらく海上保安庁職員——を囲んでホワイトボードに書類を貼り付けている。後方では公民館の職員が、声を荒らげる高齢の自治会長を必死でなだめ続けている。取り巻き達が冷ややかな視線を送る部屋の隅では、オオサカテレビのスタッフ達が、縮こまって頭を抱えていた。所在なさげにカメラケーブルを整理しているアルバイトスタッフだけでも本州に帰してやれば良いのに、と同情すら覚えさせる。
     陽炎が立つ窓の外では、地元住人と各局の報道カメラが入れ替わり立ち替わり集まっては、二十分置きにポロシャツ姿の役場の職員が野次馬を散らすために炎天下に出て行くのを繰り返す。
     捜索本部の空気は重く、盧笙は息苦しくなった襟元を引っ張って、顔を仰いだ。
    「なあ。気分が落ち着く違法マイクとか無いんか」
    隣に腰掛けている零を振り向くと、彼は手元のタブレット端末から顔を上げる。
    「クロチアゼパムかオリオンビールの方が手っ取り早い」
    「どっちも遠慮するわ」
    低い笑い声に合わせて、身長百九十センチの大男の下でパイプ椅子がギシギシと鳴る。
    「簓みてーな冗談を言うようになったな」
    「そうか?似てきたんかな」
    「いつも一緒に居る弊害か」
    「最悪やな」
    盧笙が小さく微笑んだのを見て、零は「飲み物取ってくる」と席を立ち、廊下にある寂れた自動販売機を目指してホールを後にした。
     盧笙は背もたれに体重を預けてポケットから携帯電話を取り出し、メッセージアプリに未だ既読が付いていないことを確認して、また心を擦り減らした。たまらずに、「大丈夫か?」というメッセージの下に追加で「簓」と送信する。二つ並んだ緑色の吹き出しはビーコンのようで、盧笙は自分と簓、どちらが救難信号を送っているのか分からなくなる。
     トーク画面を上へスクロールすれば、今朝まではあった日常の断片が残っていた。ほとんどが他愛のないやり取りで、自分が今何をしているかの報告や、出掛けた先で見た物の写真に関する会話は、どちらか一方の「もうすぐ着く」や「残業終わった」の吹き出しか通話マークで途切れている。
     普段は読み返さない数多のメッセージが、忘れていた記憶を引きずり出し、また新たな発見も与えてくれた。二ヶ月ほど前まで遡ると、簓からの「もう寝た?」と「会いたい」の数が増える——いつもどうやって時間を作っているのか不思議になるほどに家にやって来る男ではあるが——どこか湿っぽい言葉の理由は、きっと六月の梅雨のせいだ。簓は雨が嫌いである。そしてその原因の一端が自分達の解散にあることは、盧笙も分かっていた。
     海の上はまだ嵐だろうかと、盧笙は携帯画面から不安げな視線を上げた。海風に乗って流れた厚い雲は今や港一帯を覆って生温い雨をパラパラと落としている。陽が傾いたこともあって捜索本部は薄暗く、賑わいを加えていた野次馬もいつの間にか姿を消していた。
     盧笙はホール後方にある非常口から屋外に出ると、深く息を吸った。濡れたアスファルトと湿度の高い潮のにおいでむせ返りそうになる。眼前に広がる防波堤には白波が打ち寄せていた。空も海も煙のような灰色に塗り込められ、夕陽がマッチの灯火のように細く水平線を引いている。
    「本当に泳ぐつもりか?」
     盧笙が振り返ると、戸口に立った零が呆れ笑いを浮かべていた。「止めても無駄か」と言いながら差し出した飲料水のボトルを、盧笙は平坦な声で「ありがとう」と言って受け取り、まるで水が忌むべき物であるかのように乱暴にキャップをひねった。そのままボトルの半分ほど飲み干して、手の甲で口元を拭う。雨脚が強まり菫色の髪を濡らす。それでも屋内に戻ろうとしない盧笙を前に、零は庇の下で両腕を組んで溜息をついた。
    「お前ら、二人で船に乗ってなくて良かったな」
     盧笙は眉根を寄せて首を傾げる。零は口角を上げたまま続ける。「簓くんはお前を板の上に乗せて、自分は冷たい海に浸かるタイプだ」
    「俺はローズちゃうし」
     盧笙はますます眉を吊り上げて抗議した。
    「偶然、どっちも花の名前じゃん」
    豪快に笑い出した零に盧笙は「からかっとんのか」とペットボトルを振りかぶった。零は片手を挙げてそれを制する。
    「何が言いてぇかって、簓はたくましく生きて帰って来るだろってことだ。お前のとこに」
     指を差された盧笙は動きを止めて瞬きすると、静かに腕を下ろして頷いた。たしかに、あいつはいつも必ず戻ってくるのだ、イケブクロに行った時もそうだった——雨がまだら模様を描いているアスファルトをしばらく見つめた盧笙は、顔を上げて呟いた。
    「今でも板の上に乗ってるのは簓の方。降りたのは俺」
    「言えてる」
     零が歯を見せて笑った時、埠頭に一隻の救助船が姿を現した。簓を捜索していた海保の船が戻って来たのだ。本部から駆けて出して行く橙色の制服をまとった人々の波に盧笙も続く。はやる気持ちで救助船へと向かっていた足取りは、徐々に重いものとなり、盧笙の瞳が船尾から繋がるロープの先に浮かんだ空っぽの青い船骸を捉えた時、ぴたりと止まった。

    ***

    八月五日(金)午後三時頃
    観光センターから新たな通報が入り、オキナワディビジョン沖で五日から行方不明の釣船は計二艘と判明。

    午後六時四十五分
    救助船が一艘の破船を曳航し港に戻る。船体の損傷が激しく断定は困難だが、オオサカテレビがチャーターした釣船と思われる。乗客一名と荷物は依然行方不明。

    午後七時十三分
    日没により本日の捜索は一旦打ち切りとなる。未だ行方不明である一艘の釣船および両船の乗客二名について、手掛かりは無い。

    ***

     運転席の盧笙はフロントガラス越しに、雨に滲む赤信号を見つめていた。気象庁が梅雨入りを宣言したばかりとあって、先週から雨模様が続いている。鈍い機械音と共に起き上がったワイパーが、怠そうにガラスの上の雨粒を拭い取って再び横になる。助手席の簓が小さくくしゃみをした。
    「寒い?」
     盧笙がちらりと視線を投げると、彼はもぞもぞと身じろいでパーカーの襟元に顔を埋めてから「へーき」と答えた。盧笙は「そうか」と言いながら、出来るだけさり気ない仕草でエアコンをオフにする。
     簓が久しぶりに土日とも休みを取れた週末だった。月曜日の仕事も東都での深夜ラジオだけだと聞いた盧笙は、自分も有給休暇を消費して三連休を確約し——ふたりで二泊三日の旅行でもしようかと考えてのことだった——簓にどこに行きたいか尋ねたところ、返ってきたのは「ろしょーの家」という肩透かしな答えだった。
     その結果、こうして日曜の夕方に近所のスーパーへ盧笙の日用品の買い出しに行くというルーチンをこなしている。普段と異なる点といえば、簓の車を盧笙が運転していることくらいだった。
     薄暮時には事故が起こりやすい、という教習所での教えを律儀に守っている黒のアウディは、ヘッドライトを点灯しながら霧雨が降る住宅街を時速四十キロで走行する。簓が今度は大あくびをして、盧笙の左肩に頭を擦り寄せた。
    「運転中」
    「はいはい」
    「眠いん?帰ったら寝たら?俺が夕飯作るし」
    「うーん」
    肯定とも否定とも取れない曖昧な返事とともに簓は離れて行った。シートベルトに額を預けて身体を丸める。まだアパートまでは数キロある。再び赤信号。ヘッドライトが照らす横断歩道を、茶色いリュックサックを担いだ子どもが一人、駆け足で横切って行った。傘を忘れたらしい。
    「ちーちゃい盧笙や」
    簓が寝ぼけた声で言った。
    「俺?」
    「盧笙も塾行ってたんやろ?」
    振り返ると、簓は目を閉じたまま、のろのろと唇だけ動かして喋っている。子どものような仕草が可笑しく、思わず頬が緩んだ。
    「行ってたな」
    「日曜日?」
    「俺は月、水、木、土。日曜日はピアノ」
    「あー、それで三味線弾けるんや……」
    簓の気の抜けた返事を聞いて、ああこれはもうすぐ寝るだろうなと考えながらアクセルを踏む。追い抜き様に、歩道を歩む子どもの姿をサイドミラーで確認した盧笙は眉根を寄せた。早足で帰路を辿る小さな胸元がきらきらと輝いている。
    「クジラや」
    簓が後方を振り返って言った。「スパンコールで出来た、クジラ柄のティーシャツ」
    「何でわざわざ鱗の無い生き物にしたんや」
    「気になるとこ、そこなん?」
    簓はくつくつと笑った。輝く鱗を持つ小さなクジラはみるみる遠ざかり、ブロック塀を右折したところで完全に姿を消した。盧笙は、まだ視界に青と白のきらめきが残っている気がして瞬きを繰り返す。
    「盧笙、大きくなったなあ」
    笑みを含んだ声で簓が言った。盧笙が小さく噴き出す。
    「ほんまに寝ぼけとるんか?」
    「あーんな小さい服、着とったんに……」
    あくび混じりの呟きを聞いて、盧笙の脳裏に、今では自分より背が高い弟のことがよぎった。
     盧笙が小学生のころ、三日間の林間学校を終えて自宅に帰ってきたとき、たった数日間会わないうちに弟の手脚が何センチも伸びたように錯覚して恐ろしく感じたことを思い出す。それから、人の身体がある時点から歳を重ねるのと反比例してどんどん縮んでいく事実に思い当たる。子供服が窮屈になることと、いつか身体が小さくなって皺だらけになることは似ている気がする——そして最後には——一度旅立った思考の渦は頭の中をぐるぐると回り、超新星のごとく収束し続けた。
     盧笙は落ち着かない気持ちで微かに頭を振る。簓に話せたら良いなと思う反面、冗談だと思って揶揄われるのが怖かった。一人で堂々巡りの思索に耽りながら車を進める。また赤信号。助手席に顔を向けると、簓の眠たげな視線とぶつかった。
    「なに考えとるん?」
    盧笙は少しためらった後に、どうせ半分寝ぼけている男相手だと内心言い訳をしながら、ぽつぽつと話し始めた。
     相手からの相槌も無いまま一方的に話し続けていた盧笙は、簓がとっくに眠ったものと思い込んでいた。車内には雨の音と盧笙の静かな声だけが響く。ほとんど話し終えた頃、数百メートル先にアパートの外観が見えていることに気が付き、盧笙は我に返ったように口をつぐんだ。その時、簓が不意に口を開いた。
    「盧笙が歳取ってまた小さくなっても、好きやで」
     驚いた盧笙は前を向いてハンドルを握りしめ、「そうか」と答えた。それきり車内には沈黙が流れたが、アパートの駐車場に車を停めた後、盧笙はフロントガラスを見つめたまま呟いた。
    「たぶん、俺もそう」
     返事を聞いた簓が嬉しそうに笑った気配を、盧笙は左半身で感じていた。
     その夜、盧笙は簓の腕に抱かれながら、自分がキスを送る皺のない額や頬、手のひらで撫でる筋肉質な肩や背中が、骨と皮ばかりになる日が来るなんて、今は全く想像出来ないと思った。


    ***

     肩を叩かれている感触で、盧笙は眠りから引き上げられた。パイプ椅子に座ったままの体勢で寝落ちたせいでやけに痛む首をひねって、横に立っている相手を見やる。零がもう一度、手の甲で盧笙の肩をパシンと叩く。
    「起きろよ」
    「すまん、寝てた……」
    「こんなとこでよく寝れるね」
     盧笙はグラスチェーンで首に下げていた眼鏡を掛け直しながら立ち上がった。ホールの窓からは白い朝日が差し込んでいる。壁時計は朝五時を指し示していた。深夜まで廊下に座り込みをしていた報道カメラも、夜通し発信機を交代でモニタリングしていた職員達も見当たらず、捜索本部は静けさに包まれている。開け放たれた非常口の向こうに広がる海原は曙色に輝いていた。
     ぼんやりと立ち尽くす盧笙の背中へ、零が「良い夢でも見てたのか?」と笑いかける。
    「現実も悪かないぜ。朗報だ」
     零は指先に引っ掛けた車のキーを回すと、大股で出口に向かって歩き出した。

    ***

    八月六日(土)午前三時頃
    沿岸漁業のため沖へ出た一隻の漁船が、無人島に焚火と思われる灯りを確認する。

    午前四時二十分
    港から約十キロ離れた無人島で、行方不明者二名が発見される。

    ***

     簓のマネージャーが病室の引き戸を開けた瞬間、盧笙はずっと留めていた息を一気に吐き出した。見慣れた翡翠色の後ろ頭は、ポケットへ両手を入れて立ち、のんきに個室の窓からオキナワの景色を見下ろしている。彼が十七時間行方不明だったオオサカディビジョンのリーダーだという事実は、ところどころ破れた服と、砂のついた手脚がかろうじて伝えているのみである。ドアに背を向けていた簓は、マネージャーが入口のカーテンを開け放った音に気が付いてこちらを振り返り、両眼をまん丸く見開いた。
    「盧笙、と、零?なんで?」
     簓はパッと表情を輝かせ、いつも通りの明るい声で問う。
    「お二人とも心配して来てくれたんですよ」
     棒立ちの盧笙の代わりに、呆れ笑いを浮かべたマネージャーが返事をした。零も長い溜息をつく。
    「やっぱり、元気じゃねーか。俺はそんなことだろうと思ったぜ」
    「いやぁ、えらい心配かけてもーたなぁ」
    簓はチームメンバー二人へ交互に親しげな視線を向け、カラカラと笑った。
    「せや!せっかく三人がオキナワに揃っとるんやし、観光して帰ろーや!午前中は検診とかあるけど、午後は自由時間やねん」
    自由時間って、修学旅行かい、と盧笙は内心悪態をつく。目の前で喋りまくっている男が、本当に簓なのか怪しむくらいだった。肉付きの薄い頬は、日焼けのせいか最後に会った時よりむしろ血色が良く見える。横顔をじっと眺めていると、糸目の奥の黄金色と目が合った。
    「なあ、盧笙」
    簓はいつも盧笙に頼み事をする時と同じように首を傾けると、やけに芝居めいた動きで大きく両手を広げた。
    「なあなあ、俺、海で遭難したんやで〜……」
    数秒の間を置いても黙ったままの盧笙に代わって、簓は自分で先を続ける。
    「『えっ、そうなん?』なんちゃってー!……えーと」
    顎に手を当てて一瞬考えたのち、またおどけた仕草で左手を挙げる。
    「見事な釣果で重量超過!それで帰って来れなかってん——」
    言葉を切った簓は、顔の横で扇子のようにひらひらと振っていた手のひらをゆっくり閉じると、「あー……」と呟いて眉を八の字に下げた。口元だけは笑顔を絶やさぬまま盧笙に近寄り、両手を盧笙の肩に添えてベッドを背にするように促す。盧笙は固いマットレスへ静かに腰掛けて、目の前に立つ簓を見上げた。零が片手を挙げてマネージャーと共に病室から出て行くのが、簓の背中越しに見えた。扉が音もなく閉まる。
    「盧笙」
    振り返った簓は床にひざまずいて盧笙と視線を合わせると、先程よりもいくぶん低い声色で呼んで、困ったように首を傾げた。頬に触れた簓の左手が、まだ濡れていることに、盧笙は肩を震わせ——すぐに水分の正体は海水ではなく自分自身の涙なのだと気が付き、決まりが悪そうに俯いた。
    「泣かんといて」
    こぼれ落ちた涙を指先で優しく拭いながら、簓が縋るように言った。盧笙は震える唇を開き、一度しゃくり上げてから、やっと
    「泣かすようなこと、すんな」
    と、消え入りそうな声で囁いた。そして止めどなく溢れだした涙を誤魔化すために、手の甲で顔を拭う。息を呑んだ簓に抱き寄せられて、盧笙は目をきつく閉じた。
     首元をくすぐる髪の感触は、乾いた海水のせいで普段とまるで違う。ざらつく髪に鼻先を埋めると、海の香りの奥に、よく知った簓のにおいがした。盧笙は息を整えて、おずおずと簓の痩身に腕を回す。布越しに背中の体温を感じてやっと、無事に簓が戻って来たのだと安堵した。右手で少し乱暴に——ツッコミで叩く時と同じ強さで——背中を叩くと、簓が「わはは」と息を吐き出して顔を離す。どこか嬉しそうな微笑みを見て、盧笙は眉間に皺を寄せて鼻をすすった。
    「盧笙、笑ってや」
    「アホ、笑ってほしかったら笑わせろ」
    芸人やろお前、と拗ねた声で続ければ、簓はいっそう笑顔になって「ほな、無人島で見た夢の話をひとつ——」と突拍子も無い冒険物語を語り出したのだった。
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