最悪茨あん「……いまからずるいこと言うね」
「どうぞ」
「七種くんは、たとえわたしとお付き合いしてもきっとうまくやれるし、そのことがアイドルの看板に泥を塗るようなことにはならないって言ったね。その自信があるって」
「……はい」
「それは、きっとそうなんだろうね。よほどひどいバレ方をしない限りは、七種くんに恋人がいることがわかって悲しんだり怒ったりするファンはいても、悪評がたっても、そんな翳りなんて霞んで見えないくらいAdamは、Edenは、七種茨っていうアイドルは、圧倒的に輝いてるしこれからも輝いていくよ。ちょっとのファンの悲しみや怒りなんてあなたたちに傷一つつけられない」
「でしたら」
「だったら、わたしは? わたしはどうだろう」
「それは、どういう……」
「そうだなあ、たとえば。七種茨の看板に傷をつけられないたくさんの悲しみは、怒りは、わたしを傷付けるかもしれない」
「何をおっしゃっているのかよく意味が」
「わからない?」
あんずさんの冷えた瞳が諭すように俺の目を射抜く。氷ようなくすんだ透明を閉ざすやわらかなまばたきを数えるたび、なにか追い詰められているような気がした。
「……わかりません。わかりませんが、きっと自分が守ります、自分なら守れます」
「わからないのに、何から守るの」
くすくすと笑う声は赤子をあやすような慈愛に満ちていて、否定でも揶揄いでも悲しみでも怒りでもないことが紛れもなく俺たちの断絶を意味していた。
すべてです、と答えることは躊躇われた。精神的であれ肉体的であれ彼女を傷付けるすべて。そのすべてを、自分は知っているのだろうか。俺のとはちがっていっとう傷付きやすい彼女のやわらかい心が、俺の知らない何かに傷付けられることをはじめて恐れた。なにより、ここへきてようやくその可能性に思い至ったことがひどく滑稽に思われた。
「……なんてね、ずるいこと言いました。でも、こういう言い方をしたらただしく揺らいでくれるところ、七種くんのやさしさだなって思うよ」
ばかだと言われた気がした。けれども今はそれに腹を立てる権利も否定する資格もなかった。
「そういうところ、好きだよ。七種くんのこと本当に大好き。今はこれで納得してほしいんだけど、どうかな」