まじょのしゅうかい
「いい?チトセ、あんたが行きたい行きたいって駄々こねるからしかたな〜〜く連れてってあげるけどね」
呪い事件(別にいうほど事件でもないがオレにとっては大事件なのでそう呼んでいる)から一夜明け、オレは再びこの塔へやって来た。今日はいつもとは違う。なんたって今は昼だ。普段なら午後の訓練が終わってからここに来るが、フウカからの命令で今日は一緒に昼ご飯を食べることになっていた。しかもピクニック仕様。
カーペットの上に薄い敷物を敷いて、セシルさんが作ってくれたのか、バスケットの中にはスコーンにサンドイッチ、キッシュにバターやジャム、他には食器セットのようなものまでしっかり詰め込まれていた。何年ここで過ごしているのか分からないがフウカのワガママに迅速に対応出来ているのは流石としか言いようがない。以前甘やかすなとお言葉を頂いたが、セシルさんも相当だと思う。
そんなふうにオレが思考に耽っている目の前で、フウカは偉そうに指を立てながら冒頭のように語った。正直口に食べかすをつけて偉ぶられても特に威厳はない。………などとツッコむとフウカが後からうるさいので黙って殊勝に頷いておく。もう一ヶ月、されど一ヶ月。コイツの行動パターンは大分把握してきた。敵について知るのも戦場を駆ける騎士には大切な技能。まあコイツは国の敵でオレの敵ではないけど。
「今回のサバトもた〜っくさん魔法使いがやってくる!それに、今年の研究発表はどこも気合十分らしいし……何があるか分かんないんだから、メーさんとあたしの言う事しっかり聞きなさいよ!」
ふふん、とふんぞり返り、紅茶を煽るフウカにイラッとしないわけでもないが、魔法に関する知識においてフウカと比べたらオレなんて赤子のようなものだし、責任はオレではなく監督者でもあるフウカやメーさんにある。なのでオレは黙って従う他無い。
まだ見ぬ魔法の世界を想像して期待と焦燥感に胸を跳ねさせるオレを見て、傍に控えていたメーさんが被り物越しに小さく笑った。
「ふふ、心配せずとも有事の際は私がお守りいたしますから、チトセ様はそこまで身構えなくてもよいですよ。私も、一応魔法使いですから」
まあ用心することに越したことはないのですが。そう言ってフウカの空になったカップに紅茶を注ぐ。なんとも自然な動作にメーさんは実は執事なのでは、と訝しんでしまう。物腰の柔らかい言動や洗練された手付きなんかが物語に出てくる執事のようだ。
フウカはカップを持ち直し、メーさんにありがとうと小さく微笑む。最近分かったことだが、フウカは意外と『大人』の二人には普段よりは丁寧な対応を取っている。……というよりは心がけている、といった感じだ。この前も口いっぱいにケーキを頬張ろうとして、セシルさんの視線に気づいて慌てて小さく切り分けていたし。
オレの前では割とガサツというか、コイツの前ではいいか、みたいな態度が全面的に出ている。少し解せないというか、如何なものかと思う。別にいいけど。
「メーさんはね、本当に凄い魔法使いなんだよ。えーと、なんだっけ、新薬の開発とか、魔法道具の発明とか、その道のプロなんだから!」
「ふふ、お褒めに預かり光栄です。ですが、フウカ様の楽しい魔法も大好きですよ?私にはない発想ばかりですからね」
フウカとメーさんがにこにこと褒め合うのを見て、こちらも頬が緩む。こうしてみると兄妹みたいだ。
「……魔法と言えば。サバトでは発表?みたいなのをやるんだよな。フウカもなんか魔法とか見せたりするのか?」
そう話しつつ脳裏に浮かぶのは初めてこの塔に来た日のこと。フウカが歓迎の花火を見せてくれたあの日だ。あれは凄かった。今だって目を瞑ればパチパチと爆ぜる閃光が瞼の裏に蘇る。
一人感慨に耽っていると、フウカが形の良い眉をギュッと寄せてため息とも、呻きともつかない声をあげた。
「ぬう〜〜………いや、毎年発表はあるから、ちゃんと考えてはいるんだけどさぁ…」
ゴンッと結構な音を立ててそのまま敷物の上に倒れる。その衝撃に呼応するように金色の髪がパラパラと広がり落ちていく。
「な〜んか、イマイチ面白みにかけるっていうか……ていうか皆が使うにはちょっと形として不安定だし。もう今年は発表しないでご飯だけ食べてようかな……」
どうせ、誰も見てくれないんだし。
ポツリとフウカの口からこぼれ落ちた言葉は寂しさのようなものを纏っていた。
誰も見てくれない。それは、会場に居る全ての魔法使い達がフウカを恐れているからだろうか。つい先日の、魔法によって引き裂かれたクッションを思い出し、チラリと部屋を見やる。もうあの日のクッションは無くなっていて、新しくフリンジの付いたクッションが壁際に鎮座していた。
誰にも、あのフウカの魔法を見てもらえないのは勿体ない。何故かそう思った。するとモクモクと胸の中に黒い何かが噴き出してくる。それはいよいよ抑えきれなくなって胸を食い破って溢れ出た。
「ダメだ」
たった一言。不安定に揺れ動く感情の海に錨を下ろすように、静寂に包まれた部屋に落とした。それだけで靄のかかった思考が晴れ渡り、オレの願いが見えてくる。オレは。
「フウカの魔法が見たい」
そうだ、あんなに楽しくて、綺麗な彼女の魔法が誰にも見てもらえないなんて、そんなの間違ってる。そんなのおかしい。
モヤモヤの正体はそんな子供じみたワガママだった。
「フウカのあの魔法は、仕舞っておくにはもったいないだろ?」
自分の言ったことが少し恥ずかしくて言い訳のように早口で告げると、フウカは鷹揚に頷いてみせた。
「確かに。だってあたしすごいし」
自分で言うのか、それ。
真面目な顔をしてまるでこの世の理であるかのように言い切ったフウカに少し笑ってしまう。ここまで自分に自信のある魔法使い、中々いないんじゃないだろうか。カイといい勝負だ。
クツクツと喉の奥を鳴らしているオレを見てフウカは馬鹿にされたと思ったのだろうか。嫌がらせのように飲みかけの紅茶に角砂糖がひい、ふう、みい。
甘ったるい紅茶が昔より苦手になったオレはたまったもんじゃない。サッとフウカよりも二回りほど大きな手をカップに翳して防ぐ。フウカはなおも角砂糖を投入しようとするが、オレがカップを胸元まで引き寄せたので勝負はついた。オレの勝ちだ。
「…………さ、フウカ様。チトセ様もこのように仰られておりますし、今年度も張り切って準備いたしましょうか」
オレ達のくだらない攻防を優しく見守っていたメイさんはパチリと手を叩いて話に折り目をつける。
フウカが伸ばしていた手を引っ込めて、誤魔化すようにクッキーを三枚重ねて口に放り込んだ。あまりの意地汚さに思わず眉根を寄せると今度はフウカから手刀が飛んできたので身を捻って避ける。
「フウカ様の今年の衣装は用意できておりますが……チトセ様用に、呪いを施したものを用意せねばなりませんね」
「普通の礼服じゃ、マズイですかね、やっぱり」
お金とかかかるんだろうか。一応この塔での報酬もあるから払えるには払えるが。どうにも上の兄貴達に搾取され続けたことにより染み付いてしまった財布の口の堅さが滲み出てしまう。
オレの疑問をよそに、フウカは礼服という言葉がピンと来ていないのか首を傾げていた。
「レーフク、って何?」
「ある式典で着用するように定められた衣服のことですよ。国や地域、あるいは宗教によって規律や形態が変わりますね」
「ふうん…?まあでも、普通の服じゃチトセ死んじゃうもんね」
「そうですねぇ…、最低限の安全は必須ですよ、チトセ様」
二人の言葉が物騒すぎる。軽く説明は聞いていたが、オレのサバトに対するイメージがどんどん殺伐としたものへ変わっていく。入場即刻お命頂戴強制退場………。オレの頭の中にオレの死体とノックアウト!の文字が浮かんだ。最悪の想像である。
「じゃあ、あの、お願いします………」
「はい、それでは本日は採寸をしておきましょうか。そうなると完成は……前日までには間に合うでしょうか」
にこやかに告げるメイさんに頭を下げる。礼服と言ってもオレが持っているのは兄貴のお下がりでボロボロだから、自分専用の衣装というのは少ない。故に心が躍る。
メイさんの後を追おうとすると口の周りに食べかすを付けたフウカがこちらに身を乗り出した。
「あたし、採寸手伝うよ!!」
ワクワクとした面持ちでそう告げたフウカに頭を抱えそうになる。
フウカの親切心かもしれないが、流石に下着だけの姿を見せるのは嫌だ。オレとメイさんの呼吸が重なった。
「「しなくていいです」」
採寸の日から早一週間。オレは王宮近くの訓練場でひたすら扱かれていた。
「新人、あと五周!!その次は筋トレ一時間!!」
「はい!!」
指導役をしてくれている上官の怒号とそれを掻き消すような返事が雲一つ無い青空に響き渡る。
オレたち見習い騎士は訓練場の外周をひたすら走る走る……。最早何も考えてなどいない。己の神経を研ぎ澄まし、無のさらに向こう側へ____………
(こんな天気がいい日は、フウカは昼寝するだろうな)
「って違う!!!」
腑抜けた思考に喝を入れようと走りながら己の頬を叩く。後方を走っていた同期が何事かと死んだ目で見てくるが全て無視だ。今は訓練中だ。走らなければ。
無のさらに向こう側へ行こうとしたオレだったが深めに息を吸った途端、脳裏に浮かぶのはクッションを敷き詰めた床の上で大の字で眠るフウカの寝顔だった。最近、どうにも思考の大部分がフウカに割かれてしまっている気がする。
(何がどうしたんだオレの頭は……このままじゃ、騎士としての務めを果たせない)
未だ見習いの文字が取れない、どこの団にも所属できていない新人だけれど。それでも幼少の頃から夢見てきた騎士という役職に、もうあと少しで手が届くのだ。うつつを抜かす暇などない。一分一秒でも速く邁進していかなければ。
「……〜〜〜〜ッ五周、終わ、りっ!!」
すぐに止まらずにゆっくりと速度を落として息を整えていく。バクバクとがなる心臓の音が血を通してすぐ耳元で聞こえてくるようだった。滝のように流れる汗を乱雑に腕で拭い、近くに設置された井戸まで歩く。井戸から水を組んで思いっきり頭から被った。ぼたぼたと滴り落ちる水滴を何も考えずにただ眺めていると姦しい女性特有のキンとした声が向こうからやってきた。
「チトセ様っ」
集団のうちの一人が手拭いを持ってオレの側に駆けてくる。その女性はむさ苦しく土埃の舞う訓練場に似つかわしくない、品のあるドレスを纏っていた。目は潤み、その頬は蒸気している。拳ひとつ分ほどしかない近さに、オレは何となく距離を取った。
「あの、こちら拭きものです。差し上げますので、お使い下さいませ」
「………ありがとう、他の奴らと共同で使えるやつが欲しかったんだ」
「え…、いや、そういうことではなくてですね」
「上官が呼んでるから、これで」
何か言い募っていたが適当に切り上げて人混みに走る。なんともいえない気持ちの悪さが胸中にじわじわと広がって、口の中が苦いような気がした。
最近は前にもまして女性達から声をかけられることが増えた気がする。さっきのように訓練後に話しかけられたり、仕事の一環で街の警備をしている最中であったり、はたまた家に帰ろうというときに待ち伏せしていたのか囲まれたり。そして大抵が、まあいわゆる告白、というやつが話の内容で。もっとずっと幼い頃なら馬鹿正直にお断りしていただろうが、人の成長というものは怖いもので、断れば断るほど何故かこちらの心象が悪くなるようなことを吹聴されたり、やたら周りの目が厳しくなったりと散々なのだ。一度オレの断り方が悪いのかもしれないと、何度も断る練習をしてみたが実を結ぶことはなかった。
ここまで話せばお察しだろう。騎士見習いチトセ、もうあと数年で成人だというのにとんと色恋沙汰に興味がないのだ。好きな人とやらもいないし、好きなタイプというのも思い描けない。ただぼんやりとまあそのうち結婚とかするのかな、といった具合だ。まず前提として女性に対してある種、恐怖のようなものを抱いているため、そういった話題やらに積極的になれないのだ。ちなみにこの手の話を同期にすると毎度首を締めかけられるので最近は口にしないようにしている。
自分にあるのは母親譲りの整った顔と、目標と、見習いとしての技量、そして女性に対する熟練された回避行動のみだ。
唯一警戒心なく話せる女性といえばカリンや親戚のセイラ、あとは昔何度か遊んでいたビアンカくらいだった。
(ああ、そういえばフウカも特に警戒心みたいなのはないな)
思い出すのは快活に笑うフウカの顔。監視役とは言うが遊び相手でもあり、友達でもある。外の人間に業火の魔女として恐れられている罪人。楽しい魔法が好きで、遊ぶことも食べることも好き。意外とわがままで、同年代との交流経験が少なく、そのため少しだけ不器用だ。子どものようで、でも少しだけ、恐ろしいと感じてしまうこともある、そんな少女。
初めてみたときはあまりの美しさに頭が真っ白になっていたっけ。まだ出会って一ヶ月と少ししか経っていないが、フウカの存在はあっという間にオレの心に馴染んで、一部になりかけている。それは前例にない事象で、なんだか不思議な心地だ。
(そういえば、今日はサバトでお披露目する用の魔法を見せてもらえる日だったな)
オレにサバト同伴を許した日から、フウカはあーでもない、こーでもないと魔法を作り続けている。時々オレのじいちゃんが見てやっているようだが、塔の中でじいちゃんの姿を見たことはまだ一度もなかった。一体いつあの塔を訪れているのだろうか。
各々休息に入る同期達をぼんやりと見ていると突然肩を組まれた。驚いて手に持っていた手拭いを落としかける。
「チトセ〜、お前また女の子に声かけられてたじゃん!」
「おい、急に驚かすなよな…危ないだろ」
「はいはい、悪うございました〜……って、お前それ、貰ったやつか!?なあ!!女の子から貰ったんか!!?」
トサカ頭のソイツはオレが手に持っていた手拭いを引ったくると、まじまじと検分し始める。途中、女の子の匂いがする…これ何だ…香水か……?という少々アレな発言が耳に届いたが、聞こえないふりをする。文字通り隅から隅まで見て、あっとソイツは急に声を上げた。
「お、お前これ…刺繍入りじゃねえか!!」
「刺繍〜?」
「おうよ、ここにチトセって、青色で入ってる」
そんなものあっただろうか。よくよく見てみると布地の端に、確かにチトセと美しい糸が踊っている。それを見て、あの一瞬のやり取りを思い出し、気まずさで息が詰まりそうになった。
「………オレ、さっき貰ったときみんなと共同で使うって言っちまった……」
「ハァ!?おまっ、お前バカじゃねエの!?おいみんな!!チトセ絞めんの手伝って!!」
トサカ頭は両目をかっぴらきつばを飛ばす勢いで詰め寄る。近くで何だ何だと聞いていたやつも、ソイツの一言で一斉に飛びかかってくる。オレは揉みくちゃにされる前に逃げだそうとした。
「おいお前らー、いつまで休憩してんだ、とっとと訓練に戻れよ」
「あっ、上官聞いてくださいよ!!」
だがしかし。頭をかきながらやってきた上官によってオレは足を止めざるを得ない。トサカ頭が先程のオレの話を上官に共有した。上官はなるほどなァ、とぼやき、チラリとオレを見た。何を言われるのかと青ざめていると上官は良いことを思いついたとでも言いたげに指を鳴らしてみせた。
「おいお前ら、一時間筋トレって言ったけどありゃナシだ」
上官の口から出たそれに、周囲が小さくどよめく。それ以上余計なことは言うなと祈りながら仰ぎ見る。ここで終わるなら良かったが残念ながら上官の口は止まらない。
「その代わり、チトセを一時間以内に捕まえろ!!男の夢ってヤツを掻っ攫った挙げ句、女の気持ちをガン無視したヤツに天誅を!!」
うおぉ!!と濁音のような咆哮を皮切りに、その場にいた訓練兵達がオレに向かって走り出す。その様子はさながら怒り狂ったイノシシだった。
オレは走りながら上官に助けを求めるが、上官はダハハ、と笑っている。
「上官!!これ!これ止めて下さい!!つーかお前ら!!走ったばっかなのになんでんな必死に追いかけてくんだよ!!来んな!!」
「おいおいチトセ、知らねぇのか?オレはな」
もはや暴徒と化した同期達から逃れるべく、右へ左へと走った。上官は笑いながらそう言って言葉を切り、一瞬で真顔になる。
「いつだって春を追いかける若者の味方なんだぜ」
「意味!!分からない!!です!!」
こうして手に汗握るどころか殺意を感じる恐怖の鬼ごっこは幕を開けたのだった。
「あははっ!!それでっ、んひ、それでチトセそんなボロボロだったワケ!?ぐふっ、んふふ、ふへ、ヤバすぎ、待ってその顔でこっち見ないで笑っちゃうから!!」
足は棒のようで、もはや感覚がない。服は砂やらなにやらで汚れ、体は打撲傷だらけ、なんなら顔面に特大パンチを喰らい左頬が赤黒く腫れているオレは、酸欠と疲労でぼうっとしたまま、なんとか塔まで辿り着いた。出迎えたフウカはそれはもう心配して、手当をしようとメイさんを呼びに行こうとしたが、焦りすぎたのか3回は足に繋がれた鎖に縺れてすっ転んでいた。フウカの両膝には青あざが出来てしまっていて、正直オレの体よりもフウカの膝の心配をしてしまった。
その後、何があったのかと聞かれ、不承不承いきさつを話すと、少しずつ何かを堪えるように口元を押さえ始め、ついに爆笑し始めた。笑いを逃がすためなのか、オレの背中をそれはもう遠慮なく叩いているが正直飛び蹴りされているので叩かれる度に蹴られたところが痛み、オレは眉間に皺を寄せた。傷口に塩というやつだろうか。
「そんな笑わなくたっていいだろ…」
「ええーっ、だってチトセって、そんなに顔整ってて女の子達にモテモテなのに、全然オトメゴコロってやつ分かってないの、意外すぎるんだもん」
「待て待て待て、お前にはオレがどんな風に見えてるんだ!」
「なんかこう……過去に付き合っていた子は数知れず!百戦錬磨のイケメン王子!……みたいな?なんか昔セシルが持ってきた本ににそういうのが居たのよねー」
フウカの口から飛び出たオレに対する人物像にあんぐりと口を開けてしまう。なんだそれは。百戦錬磨のイケメン王子ってなんだ。こちとら誰とも交際経験を積んだことがない男だぞ。というかフウカから見てオレはそんなちゃらんぽらんな男に見えていたのか。悲しいかな、フウカがあげた言葉はほとんどがオレの兄貴たちに当て嵌まっていた。血なんだろうか。だとしたら悔しすぎるし弁明の余地がない。
「は〜、笑った笑った。チトセ、一応魔法かけてあげよっか」
フウカは傷薬の塗られた腕を手に取り笑う。一応、フウカが魔法を成功させているところは見たことはあるが、全体的に雑、暴力的、怖い、というイメージが払拭できず、つい身体が強張る。そんなオレを知ってか知らずか、フウカは自身の手のひらをオレのものと合わせた。
「この魔法は初歩の初歩って感じで、それこそ魔力をほとんど持たない人間だってめちゃくちゃ練習すれば使えるんだよ」
チトセも覚えてみたら?
オレみたいなただの人間にも使えると聞くと、俄然興味が湧いてくる。もし本当に練習して使えるのなら、しっかり覚えておこうと前のめりになった。
「まずは自分の血が巡る感覚に意識を集中させます」
オレが真剣に聞こうとしているのが分かったのか、フウカがまるで先生みたいな口調で説明する。オレは言われた通り血の巡りに意識を持っていった。じわじわと血液が体を巡るような感覚が、頭の中で処理されていく。
「次に自分が怪我をしている場所を頭の中に思い浮かべる。腕なら腕、足なら足のどこら辺に怪我があるのか、細かく思い浮かべて、できればその状態もね」
頭の中に怪我をした箇所を羅列してみる。頬の痣、というよりは腫れか?それに背中は多分打撲。腕にも数か所打撲がある。
「そしたらこう唱えます。体を治せ」
「体をなお……待て、そんな感じでいいのか呪文って」
「呪文って、魔法を行使するための補助みたいなものでしかないよ。より複雑な魔法ならそれをしっかり動かすための部品_呪文とか、魔法陣とか、他にも道具が必要になるけど簡単な魔法なら部品なんて必要最低限でいいの」
フウカは本棚から適当に数冊取り出す。そしてそのうち二冊を立て、上に一冊置く。本は危なげなく自立し、コの字を作った。
「この形が魔法の完成形だとすると、一番上の本を支えてくれてる二冊が補助の役割をしてくれてる。でももっともっと高く積もうとすると、その分本が必要になるでしょ?」
もしかしたら、本だけじゃなくて接着剤とか欲しくなるかもね。フウカは本をバラして適当に積み壁際に追いやった。片付けはしないらしい。
「今からかける魔法はチトセのそもそもの体力っていうか、えーと、体の修復能力?を軸にしてるから、そこにもっと早く治してって命令するためのものなわけ。分かりやすく言うと、風邪引いた時に飲むお薬みたいな?アレ、これって例えおかしい?」
フウカの説明を聞いて何となくではあるが魔法の仕組みを理解する。つまりいまかけようとしている魔法は治癒能力の促進が主な効能らしい。確かに薬のようなものかもしれない。そこに絶対性があるという点は違うが。
「はい、じゃもっかいやり直しね。魔法は中断しちゃだめなんだから」
「分かった」
もう一度、教わった流れを一つずつ踏んでいく。フウカはオレと手を合わせながら何か考えているかのような目をしていた。
「体を治せ」
オレがそう唱えると、微弱な光が体を包む。何が起こったのか。とりあえず自分の腕を見てみると、そこにあった青あざの色が薄くなっている。よくよく集中してみると、先程よりも体の痛みが引いていて、患部を強く押しさえしなければ特に痛みは感じなかった。
「すごいな、魔法」
「すごいでしょ魔法」
思わずそう呟くとフウカはにんまりと笑ってみせた。
「そういえば、なんで手のひら合わせてたんだ?」
「ああ、それ?チトセの魔力は微弱すぎるから、あたしがそれを増幅してた」
「え、オレの魔力ってそんなに弱いのか」
「いや、普通の人間と同じくらい弱いよ。ただあたしからすれば虫と同レベルだし」
「オレ、虫と同じなのか……」
なんだか情けない気持ちになる。まあでも、フウカくらいすごい魔女(フウカ以外の魔女とはあまり交流したこともないしそもそも魔力というものが見えないので比較しようがない)ならきっとどんな人間も魔法使いもオレと同じく虫みたいなものなんだろう。圧倒的な強者の前では弱者はみな平等だ。
「いまチトセの魔力を増幅させずに魔法を使わせてたら多分目に見えて効果なんて出ないよ。せいぜい、大人が子供にやってる痛いの痛いの飛んでけ〜、みたいなものでしかないし」
「それほとんど魔法使ってる意味ねーじゃねえか」
「あはは、それくらい、ただの人間には魔法を使うのは難しいんだよ。人間があたし達みたいにちゃんと効果のある魔法を使おうとしたら、それこそ人生の半分以上かけてやっとさっきの初歩の魔法が使えるくらいだもん」
「……じゃあオレがさっきの魔法一人で使えるようになるまでだいぶかかるな…」
「まあね。一応魔法の使い方っていろんな種類あるし、条件がそろえば修行しなくても簡単に使えちゃうこともある。ま〜、チトセは別に魔法使いになる予定ないんだし、初歩止まりくらいがちょうどいいよ」
フウカの言葉に確かに、と頷く。オレが成りたいのは騎士であって魔法使いではない。騎士として人々を守るのだ。かつて英雄と称えられた歴代の騎士たちのように。そう思う一方で、何故かフウカに置いていかれるような心地がして、心臓の端がきゅっと縮む気がした。
「さ〜て、ここでチトセにあたしの新作魔法お披露目といきますかね!」
自信満々、といった様子で腰に手を当てたフウカは棚から水晶を取り出した。透き通ってつるりとした形のそれは、窓から差し込む西日をうけて得も言われぬ輝きを放っている。
フウカは水晶を適当なクッションの上に乗せ、窓のカーテンを閉めた。部屋はあっという間に暗闇に包まれ、一寸先すら見通せない。
「夜の光は誰に微笑む」
キン、と甲高い、けれど不快じゃない音がして、水晶からチカチカと火花が溢れ出した。火花はまるで意思を持っているかのように四方八方へ踊るように駆けていく。そして宙に留まり、明るい光を放った。火花はいつの間にか星の結晶のような形になっていて、暗闇はあっという間に星の海になった。
「これ、すごいな」
オレの惚けた感想に、柔らかな光の粒を浴びたフウカがニヤリと笑う。
「ふふん、ただキラキラするだけじゃないよ」
そう言って、フウカは自分の側に浮かんでいた光を指で弾く。すると光は七色に明滅しながら部屋の中を飛んでいく。しばらくすると激しく火花を散らしながら光り始め、瞬きする間もなく消えてしまった。
「今回の魔法は触れる星空をテーマにした光魔法です!一晩たっぷり月の光を浴びせ、自然の魔力を蓄えた水晶に、各々の魔力を込めることでオリジナルの星空を映し出すことができます。皆様、ぜひ幻想の時間をお楽しみください!」
カンペらしきメモを手の中に隠しながら淀みなく説明するフウカがおかしくて笑ってしまう。
「ははっ、それならお披露目も大成功間違いなしだな」
「ホント?メーさんとセシルに見てもらったけど大丈夫?変じゃない?」
「うん、変じゃねぇよ。つうかこれ本当にすげーな。本物みたいだ」
近くにあった光を弾いてみる。シュワシュワと弾けて光を撒き散らしていく。その軌跡を目で辿りながら、本当に綺麗だと、溜息を零しそうになる。
「この魔法はね、…………外を見てみたくて創ったんだ」
「………外を?」
「うん」
あたしの夢なんだ。そう言って照れくさそうに頬を掻いてみせた。フウカは少し瞳を揺らめかせて、意を決したようにこちらを向いた。
ずっとずーっと小さな頃。国を焼いた火災をもたらした魔女として、国の兵に捕まり、罪人としてこの塔に幽閉された。あたしの両足と首には魔力封じの錠がかけられ、集会に参加する以外は外に出ることは許されない。それがあたしの当たり前で人生の全てだ。
寂しくはなかった。だって門番だけど優しくて、一緒に遊んでくれるメーさんに、世話焼きであたし想いのセシルがいる。二人はあたしに外の世界のことを教えてくれるし、本にお菓子を与えてくれた。たまにおじいちゃん…グラウディ様がやってきて、あたしに魔法の使い方を教えてくれるようになった。魔法は面白くて楽しくて、そのうち自分で魔法を作るようになって。
あたしの心に不足なんてない。あってはいけない。だって罪人のくせにこんなにも幸せでいられるのだから。これ以上は存在しないし望んでもいけない。でも。
あたしは飽きずに窓の外を眺めてた。セシルやメーさんがいない時間は出窓に腰掛けて、森のずっと向こう、朧気に見える街を見てその様子を空想する。本や雑誌だけじゃ伝えきれない人々の熱気や風景にひっそりと焦がれていた。
本当は外に出たい。本当はもっと年の近い子達と遊びたい。友達も欲しい。知らないものを見て聞いて、実際に触ってみたい。本当は本当は本当は。
あたしは夜に寝る前、そっと窓から星空を見上げて、秘密のお願い事をし続けた。別に星とか神様が、あたしみたいな罪人の願いを叶えてくれるだなんてとんと信じちゃいないけど。誰も聞いちゃいない夜空なら、あたしの隠してた秘密のお願いを独白したって問題ないと思った。
そんな誤魔化しが奇妙な苦痛を紛らわせてくれた。それだけで満足していたはずだった。
でも、どういう風の吹き回しか、数年ぶりに遊び相手がこの塔にやってきた。
チトセはおじいちゃんの孫の一人で、騎士になるのが夢らしい。あたしより頭二つ分高い背に、ツンツンと尖って柔くはねた夜空色の髪に、宝石図鑑で見たラピスラズリみたいな瞳の青年。はじめましてのあの日、いつだったか、セシルがくれた流行りの恋愛小説とやらに挿絵で描かれた美青年がこんな感じだったなあ、とあたしを見て硬直したチトセを見てぼんやりと考えていた気がする。
チトセはなんというか、素直で真面目な奴だった。あんなにあたしを薄ら怖がっていたくせに、魔法を見たら目を輝かせて、すっかり警戒心をなくしたらしかった。あたしが遊びを持ちかければ楽しそうに遊びに興じてくれるし、わがままも嫌そうな顔をしつつ、最後は仕方ないなと言って叶えてくれる。きっと訓練とかいうので疲れているのに、あたしの相手をしてくれた。
あたしは内心恐怖していた。いつこの柔らかくて楽しいが詰まった時間が失われてしまうのかと。あたしを化け物のように扱うのかと。
チトセがゲームで勝って、嬉しそうに笑ったとき。あたしが外の話に色々尋ねて、丁寧に教えてくれたとき。一緒におやつを食べて、ちょこっとだけあたしに多めに取り分けてくれたとき。
ふとした時に心の中のトゲトゲしたあたしが出てきて、きっと裏切るに決まってると小声で囁いてくるのだ。その度にあたしの膨らんだ気持ちはあっという間に萎んで、平常心を取り戻して。
だからサバトの話になったとき、改めて自分が罪人なんだって、普通の女の子じゃないんだって自覚したときすごく怖くなった。同時にチトセがあたしを悪い魔女だと恐れないことにとても腹がたった。
わざと攻撃的な魔法を使って、チトセがちゃんと線を引いてくれますようにと願った。同時になんであたしがこんな気持ちにならなきゃいけないんだと怒りがこみ上げて、それをチトセに悟られたくなくてさっさと部屋を出ていった。急にそんなことされて、怖い思いをしたんじゃないか、もう前みたいには話しかけてくれないんじゃないかと脳裏を過ったが、もう起こってしまったことは仕方がない。
これでも結構、それなりの覚悟をしていたけれど、なにがどうしてそうなったのか、チトセはサバトに着いていくためだけに知り合いの魔法使いに頼んで、呪いよけをかけてもらっていた。
まあそれから色々あってその呪いよけは取り上げたが。結局根負けしてチトセの同伴を許してしまった。
サバトに出席することにはなったが、研究発表にあまり乗り気ではなかったあたしに、チトセは言った。
『フウカの魔法が見たい』
嬉しかった。
あたしにとって魔法はこの生活の始まりでもあったし、あたしを縛る枷そのもので、そして狭い世界でのあたしが生み出せる唯一の慰めだったから。きっとなんてことない一言だったかもしれないけど、あたしの十数年の苦しみみたいなものが、ほんの少しではあるけれど報われた気がした。
だからその言葉をもらったとき、少しくらい、外へ抱いた夢に近づく努力をしようと決めた。まずはそう、
「星空を友達と眺めたい。部屋の窓からじゃなくて、真下から眺めてみたい」
「これはあたしの夢への一歩なんだ」
フウカはそう一言、二言星の海に流した。部屋の中は相変わらず無数の星を模した光が瞬いていて、それらはオレ達二人を自由に照らしている。
「もちろん、最終的にはこの塔から出て、ちゃんと叶えたいんだけど」
フウカは両手を伸ばして床に倒れ伏す。その瞳は理想の代用品たる光を目一杯吸い込んで、内から情熱を燃やしているように見えた。オレもフウカに倣って同じように寝転んでみる。
オレ達はいま草むらに寝転んで、同じ夜空を眺めているのだと錯覚しそうになる。けれど、実際にその風景を体感したことがあるのはきっとオレだけだろう。
これはオレの想像でしかないがフウカは草むらに寝転ぶだなんてしたことはないのだろう。サバトで外に出るかもしれないが、まさか会場が森の中ということはあるまい。それに、交流していくうちに分かったが、フウカはわがままは言うが本当に周囲に迷惑がかかるようなことはしない。それこそサバトに乗じて脱走するだとか、親切心からのものはあれど、怪我をするような魔法は意図的に使わない。時々線を引くような発言をするのも、オレを思ってのことだろう。
騎士として鍛えているオレなんて、きっと腕を振るだけで殺せてしまう。あまりにも人間とは違っていて、他の魔法使い達よりも圧倒的なまでに強く、そして孤独な魔女。こんなにも近い距離にいるのに、きっとオレはフウカの苦悩だとか、奪われ続けてきたものに対して円満な解決法なんて示せないし、すべてを理解することなんてできないのかもしれない。
そのことがなぜだかとても恐ろしくて、オレはフウカを横目で盗み見る。フウカはオレの視線に気がついたのか、顔だけこちらに向けてきた。薄茶の瞳は室内が暗いせいか、宙に浮かぶ光も相まって、まるで夜空を映したかのようだった。
「…………あのね、チトセ。お願いがあるんだけど、言ってもいい?」
「おう」
コクリと頷いてみせたオレに、フウカは安心したように笑って、もう一度天井を見上げる。オレはなんだかフウカから目を離したくなくて、そのままだ。
「もし、もしもだよ?あたしが全部の罪を償って、…………罪人じゃなくなって、この塔から出られたら」
フウカはそこで言葉を切って、目を閉じ、大きく深呼吸をする。まるでオレと友達になろうと言ってきた日のようだった。
オレは静かに言葉を待つ。決心がついたのだろう、フウカは再び目を開けた。
「あたしと外で遊んでくれる?」
酷く静かで、静謐な雰囲気を纏った願いは、実にシンプルで、そしてオレの心を打つには十分なものだった。
「いいよ」
オレは四の五の言わず、これまたシンプルな返事をした。
フウカが望むなら、それこそ一日中遊ぼう。街並みを縫い歩いて、見知らぬ土地へ探検と称して駆け出して、夜空で草の匂いを吸い込みながら星の海を揺蕩おう。甘ったるいケーキも食べて、ああ、そうだ。フウカは食べ歩きなんてしたことないだろうからそれも教えよう。あとはうちにいる馬をこっそり拝借して草原を駆け回るのも良いかもしれない。この機会に友達百人と言わず、千人作ったらどうだろう。
…………きっとフウカが塔を、罪人としてではなく、普通の人間として出られる日なんてきっと来ないかもしれないけれど。来たとしても、何十年とかかるのかもしれないけれど。
それでも約束せざるにはいられない。魔法も使えない、ただの弱い人間のオレに、この友達を、フウカを少しでも笑顔にすることができるのなら、オレはどんな無茶なお願いだって叶えたい。
そんなオレの返事に何を思ったのかは分からないが、オレから背を向けて、近くにあったクッションを抱き込んだフウカは、どうやら泣いているらしかった。その証拠にほんの少しだけ鼻をすする音が聞こえてくるから。
とりあえず、クッションを退かしたとき、友人たる少女に寂しい思いをさせぬよう、宙を漂う星の一つを、彼女の目の前に来るよう狙いを定めて弾いたのだった。
紅月の日がやってきた。
オレは辺りが暗くなってしまう前に、急いで馬を走らせる。今日が魔女集会…サバトの日だと言うのに今日に限って野外での実戦訓練があったのだ。約束していた時刻が迫る中、いつもよりも雑に汗を流してしまったことが若干気になった。これでもしフウカに汗臭いだの、埃っぽいだのと言われてしまったら立ち直れない気がする。まあフウカはただの友達で、意中の相手というような人ではないのだが。それでも気になってしまうのはお年頃というやつだからだろう。
ドドッドドッ、と唸るような足音を風とともに流しながらつらつらと思考する。フウカと出会ってからもう二ヶ月になる。振り返ると、フウカと出会ってから考えたことのないようなことにまで思考の手を伸ばしていた。
最近久々に会った水色の旧友はチーくんなんだか変わったわね、なんてニヤニヤされたくらいだ。最初はピンと来なかったが、なるほど、指折り数えてみれば全くその通りである。感心と気恥ずかしさに板挟みされ、あのときオレは無理矢理話を変えた。友人はオレの急旋回に乗ってはくれたが、ところどころ揶揄するような雰囲気は抑えられていなかった。
(変わった、か……)
以前までのオレは騎士試験に受かったものの、特段どこかの隊に入れられる訳でもなく、いわば補欠メンバーのような扱いで、新人の騎士見習いとして訓練をする毎日。何となく試験に受かりさえすれば騎士として歩んでいけるのだと思っていたオレは理想と現状のギャップに他の同期達よりも焦っていた。
寝ても覚めても鍛錬ばかりで、ろくに友人や同期ともつるまず、一時の楽しみすら胃にいれることを拒んだ。あの頃のオレにとって一分一秒すら惜しかったのだ。何か目に見える努力をしなければ落ち着くこともできず、不安に飲み込まれないようにただ我武者羅に。
でもフウカに出会って、遊び相手として、友達として接していくうちに以前のような不安や焦燥感は消え去り、心の余裕のようなものが生まれた。当初こそ何故自分が、という気持ちがないでもなかったが、いまでは選ばれたのが自分で良かったとすら思えるのだから、不思議なものである。
(今日のオレの役割は付き添いで、あんまり役に立てねーけど)
それでも、オレがいることでフウカが少しでもサバトを楽しめたら良いと思う。そのためには全力でアイツのわがままに付き合わなければ。
気がつけば目的の塔に辿り着く。馬をいつものように繋いで駆け足で塔内の階段を駆け上り、いつもの私室に入り込んだ。
「間に合った!!」
「ギリギリね」
ゼェゼェと肩で息をしているとフウカが近寄ってきてオレの額を弾いた。バチンと小気味よい音が室内に響く。
あんまりな仕打ちに抗議してやろうと前を向くが、オレは固まってしまった。
「………?な、何よ」
「いや…」
朱殷色の丈の長いドレスは普段はっきりと見えることのない脚腰の形を浮かび上がらせ、少女から一人の女性へと成長しつつあることを知らしめている。ハイネックは常時のように細い首を隠し、上半身は細かなビジューで炎の形を鮮やかに彩っていた。
長い金髪は今日は纏めているらしく、編み込まれた髪が芸術品のようだ。
こんなにも美しいのに、首と両手首、両足にまで嵌められた古ぼけた枷がなんとも言えない痛々しさを醸し出している。フウカが身じろぐたびに朱殷色の薄い生地がサラサラと音を立てて揺れ動いた。
「なんか、いつもはフリルついてるやつだから印象変わるな」
「は?それは似合わないって言いたいの?」
「いや?いつものやつも今のやつも似合ってると思う。キレイだな」
正直に感想を伝えると、フウカの顔が見る見るうちに赤くなっていく。キッとキツく眉根を寄せてオレの身体を思いっきり私室から追いやる。訳が分からなくて追い出されまいと入口の木枠を掴みながらその場で踏ん張った。それに対してフウカも負けじと全身を使って押し返している。
「なんで追い出そうとすんだよ!!着替えられねーだろ!!」
「なんでじゃないでしょ!!レディの前で着替える馬鹿がどこにいるの!!」
それもそうだな?と抵抗をやめ、力を抜くと、フウカがよろめいた。転ばないように身体を支え、とりあえず謝罪の意を込めて頭を柔らかく一撫でする。
一瞬気持ちよさそうに目を細めたが、フウカは自分が怒っていることまでは忘れなかった。ふんっと鼻を鳴らして、オレの胸に黒いトランクを押し付ける。
「衣装部屋にメーさんがいるから、さっさと着替えてきてよ」
そう言われて大人しくトランクを抱え、階段を下っていく。
衣装部屋を覗くと、いつもの羊頭を被ったメーさんがこちらに軽く手を振った。オレは慌てて部屋に入る。
「そちらのトランクに今回着用していただく衣装が入っています。開けてみて下さい」
メーさんの言葉に頷いて持っていたトランクを開けると、夜空色のスーツ一式が入っていた。
いそいそと広げると、その美しさに思わず見惚れてしまう。一見すると黒く見える生地は光に照らされるとほんのりと青く見え、ゴシック調の柄が浮かび上がった。背広の形は燕尾服を模したように背後だけ生地が長い。白のカッターシャツは糊が効いていて皺一つなく、小箱に入った青紫色のネクタイはシンプルな格好良さがある。
特にお洒落に詳しい訳では無いが、そんなオレでも分かる良さが詰まった一着だ。正直服に着られる自分が思い浮かんでしまうが、着てみたいという気持ちは抑えられそうにない。
メーさんに細かく指示を受けながらスーツを着込んでいく。シャツに背広にスラックス、鴉色の靴下を履くと、メーさんが箱からエナメルの黒い革靴を取り出した。それを傷がつかないようゆっくりと履いて姿見の前に移動する。頭の天辺からつま先まで眺めて、着慣れないスーツにソワソワと身体を揺らしてしまう。メーさんはそんなオレを見てクスリと笑い声を立てた。
「よくお似合いですよチトセ様。着心地はいかがですか?」
「すごい、こう、良い服だなというのが……着てて分かります」
騎士を多く輩出してきた一家の生まれで、そこそこ良いものには恵まれているのに、悲しいかな、いつも兄達の年季の入ったお下がりに囲まれて育ったオレには『なんか分からないけど良いやつ』くらいのことしか分からない。
オレの語彙力皆無な感想にメーさんはまた小さく笑った。
「そ、そういえばこの服、呪い?がかけられてるんですよね?なんか、パット見は普通にスーツですけど…」
「ふふ、そちらの生地から縫い糸に至るまで、全て呪いが施されている一級品ですよ」
聞けば、製造過程全てに特別な呪いや素材が組み込まれているらしい。もしかしたら、フウカならひと目見ただけで分かるのかもしれない。
「さ、チトセ様。お支度も整いましたし、そろそろ集会へと参りましょうか」
メーさんが部屋を出て、フウカの私室へと向かう。オレは着慣れないスーツを汚したりしてしまわぬよう、いつもよりも丁寧に階段を登った。
「フウカ様、お支度が整いました。下に移動いたしましょう」
「わかった!」
そう元気に返事をするフウカの頭には先程はなかった大きなつばの付いた黒いとんがり帽子を被っている。つばの部分に黒いレースが施されていて顔が見えづらい。
「その帽子、なんだ?」
「魔女や魔法使いは正式な場所ではとんがり帽子被るのが礼儀さほーなの」
メーさんを先頭にゆっくりと階段を下りながらフウカに尋ねると、フウカは得意げな顔をして答えた。
そういえば、昔、魔法学校の入学式だと言っていたカイとカリンが二人揃ってとんがり帽子を被っていた気がする。
「いつも被ってるわけじゃないんだな」
「当たり前じゃん。邪魔だし」
下らない会話をしながら下ればあっという間に塔の出入り口までたどり着いた。メイさんがグッと力を込めればギィーっと金具が悲鳴を上げて外の空気がふわりと入り込む。
「それではお二人共、集会へ参りましょうか」
地面にポッカリと開いた漆黒に片足を突っ込んで、にこやかに片手を差し出す。フウカは特に驚くでもなくメーさんの手を握り返し、オレを振り返って掌を見せた。
「………まさか」
「…?ボーっとしてないでさっさと手繋ぎなさいよ。ここまで来て不参加を決めるつもり?」
オレの脳裏に駆け巡った悪い予感を物ともせず、フウカがオレの手を引っ掴んだ。
「まっ、待ってくれ、こ、心の準備がっ!!」
暗転。