「意外」
意外だった。一彩はきっと足しげく通うものだと思っていたし、連絡だってもっと寄越すものだとばかり考えていた。毎日数度は届く『今日のご飯』や『見かけた猫』、どこかへイベントに行けば顔出しパネルの写真(多くは藍良が巻き込まれている)が全くない。地方に撮影の仕事に行ってくる、と電話越しに連絡を受けてから、数日がたっていた。簡単なメッセージも届かないし、今燐音にわかるのはSNSの情報だけだった。シナモンのテーブル席で、燐音は手持無沙汰にスマートフォンをいじった。
「何気にしてはるん」
「別に」
「弟さんが地方へ仕事にいったのに、連絡がないのを『心配』しているのですよ」
にやり、と口角を上げたHiMERUを、燐音はじろりとにらんだ。妙に強調された『心配』という言葉が憎たらしい。三月に秘密をばらして以来、時折相談に乗ってもらっているために強く出られないのが腹立たしかった。燐音は手元のコーヒーをあおると、わざとらしく泣き真似をした。
「そうそう、弟クン、連絡くれねぇからさァ…。お兄ちゃんは都会に出たばっかりのかわいこちゃんを心配してるわけ」
「ふぅん。ま、ラブはんがよう話とるのきく限り、なかなかわしといい勝負やしな」
わしも都会は全然わからんわ、とこはくが笑う。電車とか、ほんに分からんかったんよ、と照れたように頬を染める姿はいじらしい。燐音は目を細めると、「こはくちゃんはピュアだからなぁ」といやらしく口角を上げて見せた。途端きっと吊り上がった目が燐音を睨む。
「はいはい、そこまでにして、はいこはくちゃん、レモンのタルトっすよ」
「ん、ありがとなニキはん」
「いえいえ~、じゃ、感想よろしくっす」
厨房からでてきたニキが、慣れた手つきで三人分のレモンタルトをテーブルに並べた。HiMERUとこはくが嬉しそうにフォークを握って、透明なレモンタルトをひと口ほおばる。
「ん、美味しいです」
「透明なタルト、って不思議やな。でもレモンの味がしっかりしとる」
「でしょ? 自信作っす!」
「……なぁ、ニキ」
にかっと笑ったニキが燐音の声に振り向いた。
「なんすか」
「なんで俺の分まであるの」
「食べないんすか」
「俺、気分じゃないから食べないって言ったよな」
席に着いた時、ニキが「試食してほしい」と言ったのに対し、燐音は「腹いっぱいだからいい」と断ったはずだった。しかし、自分の前にはふたりよりもすこしだけうすく切られたレモンタルトが倒された状態でのせてある。ご丁寧に生クリームとミントを添えて、これでは本物のケーキセットではないか。首を傾げた燐音に、ニキはほらほら、とスマホを指さした。
「優しいニキ君でしょ? お礼はケーキセット代でいいっすよ」
「は?」
「んもう! 鈍感燐音くん」
「なるほど、きっかけには丁度いいな」
「でしょ? ほら、写真撮って、弟くんに送るんすよ」
「……」
そういうことか。燐音は目の前に置かれた、透明なレモンタルトを見た。きらきらと照明を反射しているゼリーが、燐音に写真に撮られるのをいまかいまかと待っているようだ。燐音はうげ、と舌を出してコーヒーに添えられていたスプーンでざくりとタルトに突き立てた。
「あっ! 盛り付け綺麗にしたのに!」
「知らね、っすっぱ」
「えぇっ!? うそだ!」
ニキが慌てたように燐音のタルトを奪い取る。スプーンですくってひとくち口に含み、唸りながら咀嚼した。
「そこまでぇ? レモンなんだし、少しは酸味もあったほうが」
「べ」
「燐音はんは子供舌なんやろ」
「弟さんとちがって、辛いものもだめですしね」
「聞こえてんぞ!」
ぐっと燐音が睨むが、HiMERUはすまし顔でもう一口、とタルトを切り分けた。さくり、と軽やかな音を立てたレモンタルトが、フォークに刺さる。優雅な手つきで口に運んで、ニキに「美味しいです」とほほ笑んだ。こはくもうんうんと頷いて同意する。
「ですよねぇ、燐音くんってば子供舌っだだ」
「るさい、送ればいいんだろ、送れば!」
燐音はイラついた手つきでカメラを起動させた。食べかけのレモンタルトにピントを合わせて、ぱしゃりと一枚。慌てたニキが「待って待って!」と手元のナプキンでくずれたタルト生地をかるくふきあげた。よれた生クリームをスプーンで整えて、ミントをきれいにのせなおす。
「ほら、もう一枚!」
「もう送った」
「は⁉」
べー、と舌を出して送信画面を見せる。しばらく動いていないチャットルームにあげられた写真が一枚。三人が渋い顔をして覗き込んだ。
「それ送るなや」
「せっかく椎名がきれいに、あ」
「あ?」
「既読になったっす」
「マジか」
燐音は驚いて画面を見た。確かに、写真の隣には既読の文字がついている。今仕事じゃないのかよ。キーボードを開こうとして着信画面になる。
「……もし」
『兄さん? 写真見たよ。透明なタルト初めて見た』
「おお、シナモンの試作品」
『何の味がするのかな』
「……レモン」
燐音が答えた途端、一彩の声が上ずった。
『レモン! いいな、僕が帰っても食べられるだろうか』
「ニキに言っといてやるよ」
『兄さんも一緒に食べてくれるかな?』
「あ? あぁ、いいぜ」
『…ふふっ、意外だな』
「何が」
一彩の嬉しそうな言葉に、燐音はむずがゆくなって噛みつく。
『僕、いそがしくて兄さんと連絡取れてなかったから。普段、こういうの送るのは僕の方だろう? 兄さんから送ってくれたの、すごくうれしいな』
ESに帰るのが楽しみだよ、そういって一彩は電話を切った。奥の方でスタッフの声がしていた。おそらく仕事の途中だったのだろう。燐音はじわじわと赤くなっていく頬を、じろじろと三人に見られることを恐れてテーブルに突っ伏した。