どこにいても風は吹く「じゃあ僕と時空院さんで買い出しに行ってきますから、谷ケ崎さんと有馬さんはここで待っていてくださいね」
「大人しく」とやけに語尾を強調されて、二人は裏路地に停車した車内で留守番をする。
派手な脱獄を果たして数日。
The Dirty Dawgをターゲットに決めてから四人で目指しているのは政権宿る都会。有馬にとっては古巣でもある東都だ。
適当に何台か車を拝借しながら乗り継いで、北の地からここまできた。もうしばらく道路の脇に雪を見ていない。おそらく、順調に進んできているのだろう。
思うのは、よくもあんな遠くの地まで人様を送り込んでくれたものだ。ざまあみろ。
谷ケ崎がどれくらい腕の立つ奴なのかは前もって知っていた。でなければ手を組んだりはしない。
谷ケ崎はスイッチが入ればとんでもない威力を発するワンマンアタッカーだが、それ以外は案外静かで多くは話さない奴だった。
白黒ハッキリしないヤツも大嫌いだが、ごちゃごちゃとうるさいヤツはもっと好きじゃあない。…事あるごとに甘ったるい調味料を勧めてくるイカれバカよりはマシだろう。…あれも燐童に言わせればヤツなりの友好的な気遣いらしいが、俺は信じちゃいない。
サンドイッチに練乳かけて食うヤツなんざどう考えてもおかしいだろ?
だからここで待機しろというなら、谷ケ崎のほうが好都合だった。
車のハンドルを握るのは好きだ。エンジンの振動が体に響く感覚も最高。だけど、これまでの人生で俺は俺自身の車を持ったことはない。
それどころか、俺のものと名前が貼れるものを持ったことだって一度もない。そんなもん持ってたところですぐに壊れるし、邪魔なだけだ。
あぁ…でも一つだけ。今スニーカーの脇に刺さっている銃は、俺のものだ。他人から奪うための凶器。自分に近づくことを許さないための武器。
守るのは、自分の命だけで充分だと思っていた。
ハンドルに両肘をついて、組んだ指で額を叩き暇をもて余す。はあと溜め息が出た。気を張る逃亡生活、いくら闇稼業の身とはいえ疲れは溜まる。
無駄口をたたく間柄でもないから二人しかいない車内はバカみたいに静かだ。身を隠している状況、キーを回してラジオをつけることも出来ない。
煙草でもとつなぎのポケットを探った拍子に、助手席の谷ケ崎が目に入って、は?と手が止まった。
(寝てんじゃねえよ…)
背中をシートに深く預けて、少し俯いている谷ケ崎は目を閉じていた。呼吸の感覚で眠っているのが分かり、有馬は呆れと苛立ちでヒクリと片眉を上げる。
そちらが仮眠に入るということは、こちらは起きていなければならない。別に眠気は覚えちゃいねえから構わねえけども。けども!だ。
チッと舌を打って少し雑に煙草を吹かしても、谷ケ崎は目を閉じたまま無反応だった。
今思えば…あれは狸寝入りだった可能性もある。どちらにせよムカつくことには変わりなかったが。
(…変な奴)
置き捨てられた死体のように寝ているその様子が、掴みどころのない奴だった。
D4は少し特殊なチームだ。所謂"仕切るタイプ"の隊長がいない。
作戦や段取りは、ひとまず燐童の提案。
それに有馬と谷ケ崎が意見を入れ、妥協点や問題点を時空院が考案。
軍という集団の経験がある時空院は意外にも器用な立ち回りができ、有馬と谷ケ崎の意見が異なった場合、どちらを通すかのバランスはそれなりに公平だった。
四人の間で、谷ケ崎伊吹がリーダーだとはっきり示し会わせたことはない。谷ケ崎は意気勇んで先頭をいくタイプではないし、言葉も多くはない。
しかし、憎悪という強い意思から放たれる言葉や存在感は大きく、D4の行進のスタートを切るフラッグを持つのは、自然と彼になっていた。
買い出しから帰ってきた燐童と時空院は後部座席からコンビニのレジ袋をがさがさと鳴らして 食べ物や飲み物を配っていく。
「有馬くんにはこれですよ」
「なんだこれ」
「マリトッツォです」
「いらねえよ···!ただのバカなクリームの塊だろそれ」
「二つあるので重ねてサンドイッチに出来ますよ」
「追い増ししてんじゃねえよ、ラーメンじゃねえんだよ」
じとと据わらせた有馬の視線を、時空院は満足げに笑っていた。
「谷ケ崎さんのはこれですよ」
燐童が谷ケ崎に手渡すのは鮭のおにぎり。
受け取った本人は「あぁ」と一言返すだけだが…リクエストだったということか。
俺は何も聞かれていないが?当然のようにこのバカに糖分を渡されたが?
別に依怙贔屓だなんてガキくさいことを言うつもりはないが、若干沸き立つ苛立ちに有馬はガンと軽く車の前を蹴飛ばした。
突然の有馬の暴発に、全員がきょとんと目を丸くする。
「有馬さん、どうかしました?」
「何でもねえよっ」
「やっぱり糖分を摂らないと」
「いらねえっつってんだろ!」
騒がしい車内で、谷ケ崎だけは黙々と飯を食べていた。
―――…
「おい谷ケ崎」
二度目の脱獄を果たしてもう何日経っただろう。
執拗な追手もウェーブが止み、最近は闇に紛れずに太陽を見ていることもある。目が痛いときもあるが、…いつかはこれにも慣れる日がくるのだろうか。
今日の買い出しは有馬と谷ケ崎が担当だ。
D4はあまり飯にこだわる面子じゃない。煙草も買えるし 客が少ない場所を選べばコンビニが一番だ。入店してすぐに、有馬はカゴの中へ適当な飯を放り込んでいく。
「おい早く決めろ、腹に入ればなんでもいいだろうが」
ぽてぽてと気怠い足取りで店内を歩く谷ケ崎に、有馬は溜め息をつく。
店員に顔を覚えられるのは避けたい。あまり時間はかけたくないのだが、…谷ケ崎はこういう時に慌てるということがない。さっさと首根っこを掴んで帰りたくなってくる。
そうやって苛立つ有馬を尻目にようやく手にとったのが、スティックサラダ。…そんな身体に優しいものを摂取する顔してねえだろうが。
「お前…OLか?」
「腹に入ればなんでもいいだろう」
有馬の引き気味の指摘にさらりと生意気なオウム返しをして、谷ケ崎はスイーツの棚からも何点か甘味をポイポイ買い物カゴに入れてきた。
「いやだから、女子会じゃねえんだぞ」
「丞武と燐童の分だ、お前のじゃない」
「別に食わねえよ」
だから、マリトッツォを食べる顔に見えるのか?この俺が。
それに……燐童だってそんなに甘いもんは食わねぇぞ。とは、どこか満足げな谷ケ崎の横顔を見るとなかなか口に出来なかった。
会計には有馬がポケットから財布を出した。それは有馬のものではない。……D4の、誰のものでもない。では誰のものか。答えは知らないほうが身のためだ。
釣りとレジ袋を受け取って気がつく。後ろに谷ケ崎がいないのだ。
当然のように俺が持つのか?俺が買ったのは煙草と水くらいだぞ。
「~…あの野郎」
恨み節を溢したところで仕方ない。今日何度目かの溜め息をやれやれと吐き出して、店外へ。
どこ行ったんだと踏み出して、しかし谷ケ崎はすぐに見つかった。
向かいの公園。まだ明るい公園には子供や家族連れ、サラリーマンなんかが休憩している。そんな場所に立つ谷ケ崎は当然、まったく馴染んではいなかった。
「てめ何してんだよ」
バシと腕を軽く叩く。
「何か俺に言うことがあんじゃねえのか?」
「……なんだ、金が足りなかったのか?」
「~~お荷物持たせてすみませんでした、だろうがよっ!」
「そんな軽いものも持てないくらい貧弱だったのか。悪かったな」
「~~~~だぁあっ」
売り言葉に買い言葉。よくもまあここまで言ってのける。
有馬はイラァと凄んだ睨みで間近に迫ったが、谷ケ崎は毛ほども気にしてない様子で有馬の手から袋を取り上げた。
「有馬は煙草だけだっただろ」
そうしてすんなりと有馬に煙草を渡して、自分が袋を持つ。こういうところは、…やっぱり今もムカつくヤツだ。
燐童と時空院が待つ車に戻るのかと思ったが、谷ケ崎はそのまま日陰のベンチに腰を下ろす。
呆れ半分に「おい帰るぞ」と声を掛けたが、がさがさと袋の中を漁る姿を見たらどうでもよくなってしまった。
「…さっさと食えよ」
有馬も隣に座り、買ったばかりの煙草に火を灯す。深く吸い込んだ煙を、顔を上げて空に向かって吹きあげる。視界の先、柔い風で背後の木樹の木の葉が揺れていた。
遠くで聞こえる子供の笑い声や 遊具が回る音。明るい空。白い雲。母親の呼び声。とんでもなくまともな、幸せの気配。
(…気持ち悪ぃな)
どこまでいっても、自分はこの場の異物でしかない。
幸せなんか糞食らえ。
…昔からふとした時に襲ってくるこの平穏への嫌悪感。自分の内側に沈む鬱屈を、吸い込むニコチンの毒で煙に巻く。許されるなら今ここで銃を撃ち放して世界を凍りつかせたかった。
(落ち着け)
水をと、谷ケ崎と自分の間にあるレジ袋に手を伸ばそうとして、手が止まった。
それは、一度目の脱獄の時と同じように。視線の脇にふと入った谷ケ崎は、もそもそと間延びした動きで鮭のおにぎりを食べていた。
まるで、子供みたいに黙々と。
「…………、谷ケ崎」
思わず、ハッと鼻で笑ってしまった。
「なんつーか…お前、そうしてるとマジで"普通"だな」
くくと堪えきれずに俯いて笑ってしまう。
「ガキかよ、ハハ」
何を笑われているのか解せず、谷ケ崎は少し眉を寄せて意味を考えているようだった。
そうして口の中の飯をすべて飲み込んでから、静かに言う。
「····それはお前もだろ」
思ってもみない言葉が返ってきて、有馬の笑いが引っ込んだ。
「あ?」
「お前も大して俺と変わらねえ」
「は?どこがだよ」
「そういうとこがだ」
「てめ喧嘩売ってんのか」
「売ってない」
言い聞かせるような声色で被せて応えた谷ケ崎は、意外にも少しだけ口許が緩んでいた。
このやり取り自体を、面白がっているみたいに。
舐めてんのかとキレてやっても良かったのに、もう諦めて溜め息で流すことにした。
"あの頃"だったらイラついて仕方がなかったはずなのに、いつの間にか互いのことが分かっていて、谷ケ崎も有馬が怒りはしないと分かっていたようだった。
なんだ、闇を生きるならず者も、こうして並んだらただの同じ穴の狢か。
『面白そうだな、俺達も混ぜろ』
あの時、とうに限界を越えていた自分がどうして逃げなかったのか。
…その答えを、明確な言葉にするつもりはねえけど。
「あーあ。ったく、なんだこれ、友達ごっこかよ。どこで間違えちまったんだかな」
「今まで間違えてこなかったことなんかないだろ」
お前も俺も。そんな同意を求めるような含みのある言葉だった。
…まただ。こういう時、俺は勝てない。
自分の中に"守るべきもの""譲れないもの"を見つけている側の奴らの言葉は強い。
谷ケ崎の言葉は、有馬の芯を刺していた。
気に入らない。なのに、納得させられる。
間違うことも悪くないと思い知る。
有馬は鼻で軽く笑って、仕方がないと肩の力を抜いた。
「····うるせえよ」
共に間違えてきた奴らがいる。
それくらいは、俺の人生、認めてやってもいいのかもしれない。…なんてな。