桃の缶詰脱獄囚達にとって何台目かの強奪をされた車が、とあるビジネスホテルの駐車場でゆっくりとテールライトを消す。
「僕が聞いてきますね」
宿泊出来る空室があるかを尋ねに、燐童は助手席を降りる。車内に残る面々は その僅かな時間でふぅと息をついていた。
今日の運転席は時空院だった。
ずっと運転出来ることを誤魔化してきたのだが、先日逃走中にうっかりバレてしまい、有馬にはずいぶん叱られた。それからは、たまには有馬と運転を代わっている。
「………」
ずっと気になっていることがあった。
バックミラー越しに、後部座席を見やる。
有馬は先程奪ったスマートフォンを操作していて、その隣では谷ケ崎が窓に頭をつけて静かに目を閉じていた。
「伊吹」
急に、時空院が運転席からそう声をあげた。
その呼び掛けに反応したのは有馬で、手の中の画面から なんだと顔を上げる。
「伊吹」
もう一度、時空院はバックミラーを見ながら声を掛ける。
谷ケ崎ならずっと隣で寝ている。まだ宿も決まったわけじゃない。なぜわざわざ起こす?と有馬は怪訝に眉を寄せていた。
そう何度も声が掛かれば、さすがに谷ケ崎も無視はしない。
ゆっくりと、出来るだけ体を動かさずに目蓋だけ開く。ミラー越しに、やんわり微笑む時空院と目が合った。
「頭が痛いですか?」
まるで小児科の医師のような声色。
薄ぼんやりしていた谷ケ崎はそっと観念して、小さな息を溢す。少し、安心したような空気。
うっそり気怠く頷いた谷ケ崎を見て、驚いたのは有馬のほうだった。
「は?何、そうなん?」
全く気がつかなかった。が、時空院はバックミラー越しで気づいたということか。
「お待たせしました、ツイン二部屋取れましたよ」
「ありがとうございます。伊吹が頭が痛いそうなので、私は先にどこか薬局で薬を買ってきますね」
燐童が戻るなりそう報告して、時空院はさっさと車を降りる。
「え!そうなんですか?」
燐童も何も気づいていなかったようで、目を丸くしていた。
時空院は後部座席のドアを開け、谷ケ崎の額に手を当てたり、顔色を覗き込んで何やら問診をしている。受ける谷ケ崎も特に嫌がりはせず、ぽつぽつと質問に答えているようだった。
「…………」
その様子を横目に見た有馬は「俺も行くわ」と買い出しの同行を名乗り出た。
聞いておきたいことがある。出来れば、東都に入るより前に…。
――……
「では先にチェックインしておきますね、部屋が分かったら連絡します」
ぽてりぽてりといつも以上に怠い足取りの谷ケ崎に付き添って、燐童はチェックインに向かっていく。
「有馬くん」
煙草に火をつけ やれやれと車の外角に凭れる。先にホテルに入る二人を軽く見送っていると、スマートフォンで検索を終えた時空院が地図アプリを見せてきた。
「ちょうど近くに24時間営業の薬局があります、歩いていける距離ですよ」
車はこのまま駐車して、徒歩で向かうことになった。
「付き合い長えの」
薬局までの道のり。有馬は前を見たままそう尋ねた。
「?…あぁ、私と伊吹のことですか?」
時空院はう~んと首を傾げる。
「どうでしょうね、あの中で知り合ったので、まぁ一年は経たないと思いますが」
有馬が聞きたい芯の部分には触れない返答の仕方だ。わざとだろう。そう躱されては、これ以上の追求は出来ない。
「…あっそ」
本音を濁した相槌で返してきた有馬の横顔を、時空院はふふふと笑った。
「もしかして心配しているんですか、私と伊吹が謀反を起こしやしないかって」
有馬くんは慎重派ですものね?と覗き込むと、苦々しい顔で舌を打つ。
図星だ。
4人チーム。うち2名が元から知り合い。
何かこの先不都合があった際、真っ先に手を組めるのは互いを知るそこだろう。2対2になっているうちはまだいいが、そのバランスが崩れた時、生き残る側にいなくてはならない。より、勝てる側に…。
有馬の打算を、時空院は見抜いて笑う。
「ご心配には及びませんよ。もう伊吹は後戻り出来ません。このまま突き進むしかないですから、今更私に抜け駆けを持ちかけてきたりはしませんよ」
そもそも伊吹はそんな器用なことが出来る人ではありません。
穏やかにそう断言する時空院の余裕さが、有馬は苦手だった。
「それはてめえの印象だろ」
明らかな苛立ちを含んだ言い方をする。
「本人が本当はどんな奴かなんて、誰にも分からねえだろ」
はて。有馬の苛立つトリガーか全く分からない時空院は、それでも小首を傾げて笑っていた。
「そうですか。有馬くんはご自身のこともあまり信用されていないんですね」
「ぁあ?」
「今のは、自分には人を見る目がないと言っているようなものですよ」
ここが往来じゃなければ確実にその舐めた眼鏡に一発入れていた。けど、…返す言葉は見つからなかった。
「伊吹の頭痛はおそらく緊張型頭痛なので、ロキソプロフェンやイブプロフェン、アセトアミノフェンが配合されたものが適しています」
市販薬が並ぶ棚の前で 箱の成分表示を見ながらそう話す時空院に、有馬はふーんと空返事を返す。
何を言ってるのかさっぱりだが…なるほど、確かにこういう専門知識は選ばれたやつしか持っていない。強みの一つだ。
「ヒプノシスマイクには、サイドエフェクトがあるのかもしれないですね」
「あ?」
買う品を決めた時空院はスラスラと話しながらレジに向かう。
「考えたことはないですか?人の精神に沿って発動し作用する武器ですよ、使い手に悪影響を及ぼすこともあるでしょう。もしくは何か強力なブーストがかかるとか…」
「………どうでもいいわ」
"武器"とは本来そういうものだろう。
攻守どちらも、無傷では終われない。
人間の外側も、内側も、壊すのが武器というものだ。
「有馬くん!」
突然の大声での呼び止め。レジに向かっていたはずが、いつの間にか後ろを歩いていた時空院はその手に缶詰めを持っていた。桃。桃?
「伊吹に桃缶を買って帰りましょう」
「…は?」
「子供の頃に食べたことはありませんか、具合が悪いときは桃の缶詰」
「ねえよ」
間髪いれずに応える。それが嘘か本当かは分からない。でも有馬は、ひどく重い表情をしていた。
「そうですか」
意に返さず、何も触れず、時空院はけろりと続ける。
「ならちょうどいいですね、伊吹と半分こすればいいですよ。伊吹もきっと食べたことがありませんから」
谷ケ崎の子供時代を聞いたことがあるのだろうか?それともただのプロファイリングか。しかしそれよりも気に入らないのは…
「はぁあ?なんで俺があいつと半分こなんか」
「いいじゃないですか、親交を深めると思って」
「お断りだ」
「私はこちらのあんみつ缶にしましょう」
「おい無視すんな」
「阿久根くんは豆缶でいいでしょう」
「いやそこはさすがにフルーツ缶選んでやれよ…」
有馬のささやかなツッコミは虚しくスルーされ、会計は時空院によって済まされていた。
来た道を戻る過程で、今度は時空院のほうから質問をした。
「キミは意外と優しいところがありますね?阿久根君には何か裏があると分かっているというのに」
それは二人だけが共有している情報。脱獄前に交わした会話。にやりとした挑発的な指摘に、有馬も鼻で笑って言い返す。
「それを言うならてめぇもだろ、なんでそこを分かってて谷ケ崎と行動させてんだ」
あの憎悪の炎は、谷ケ崎一人では着火しなかっただろう。おそらく燐童によって、そこにあった悪意に気付かされた。気付くように目を向かされた。
どうしようもなく駆られる他者への破壊衝動は、分からないでもなかったが…。
「案外ね、気づいていると思いますよ?伊吹は」
時空院は、はんなりと笑っていた。
「は?」
「分かっていても行くしかない道だってあるでしょう?」
「…俺だったらそんな道、全力で反れるけどな」
「それが出来ないから、こうして頭痛薬を飲んで自分を誤魔化すんですよ」
ずいぶん生きにくい生き方を選んだものだ。……まぁ、それは全員同じか。
「面倒くせえ奴」
「同感です」
レジ袋の中では、桃缶と頭痛薬がぶつかり合ってガサガサと音を鳴らしていた。
――……
チェックインが済むまでの間、谷ケ崎をロビーのソファーに座らせた。
フロント係が気にかけた気配を見せる。
「彼、頭が痛いみたいで。今連れが薬を買いに行ってるので、その人達の分もチェックインさせてください。すぐ来ると思いますから」
フロント係は承諾し、二部屋分の受付を終わらせる。「もし宜しければ」と水のペットボトルを差し出してくれた。さすがクオリティージャパン。行き届くサービスだ。燐童はにっこりと笑顔でそれを受けとる。
「ありがとうございます。あとから来る二人はつなぎの茶髪と眼鏡のロングコートです。カギはこちらで渡すので、そのまま通してあげてください」
畏まった礼で承諾したフロント係に「どうも」と会釈し、ソファーに座る谷ケ崎のもとに戻る。覗き込むとうっそりと額に指を当てて目を閉じ、微かに眉を寄せていた。
「谷ケ崎さん、部屋入れますから行きましょう」
出来るだけ柔らかい声で、まるで友人を支えるかのようにそう微笑んでやった。
部屋に入ると、谷ケ崎はそのままベッドに倒れこんでしまった。
そこまで症状が重いのかと内心驚いてしまう。そしてその様子に自分は全く気がつかなかったし、有馬も気づいていなかっただろう。
「そんなに痛かったなら、言ってくれれば良かったのに」
思わずそう声を掛ける。枕に埋もれた頭から、くぐもった答えが返ってくる。
「人に話して治まるもんじゃねえだろ…」
それはその通りだが…。
燐童の頭の中ではこの一瞬で色んな引き出しが開く。
谷ケ崎に関してはそれなりに懐に入り込めているという自負があった。
あれやこれやと世話を焼いても嫌がらない性格で、アンバランスな素直さは悪意を埋め込むにはもってこい。でも、そうか…それはすべてこちらからのアクションであって、谷ケ崎からは燐童に何も頼ってはきていない。
こんな場面でも、寄りかかってはこない。異変に気づけるサインを送ってこない。
まだ、ラインを引かれているのか?
俺 は"信頼"されていない?
……心がいやにざわついた。
「…それはそうかもしれませんが、話してくれたらもっと早く対応してあげられます。時空院さんが気づかなかったら、ずっと痛いの我慢していたんじゃないですか?僕だってさすがに心配くらいはしますよ」
返事は返ってこなかった。横たわったままの谷ケ崎の身体は動きもしない。ほとんど無視されたような気分だ。
「え…谷ケ崎さん?大丈夫ですか?」
その何拍かの沈黙で、心臓が不意にバクバクと脈を打つ。
無視、か?聞こえてないのか?
何か間違えた?対応に失敗した?
うわべだけの言葉だとバレているのか?フォローは出来るのか?
そもそももう話し掛けずに休ませたほうがいいのか?
畳み掛けてくる焦燥感。怖くなる。
探せ、探せ、正解を。
間違えるな。もう、何も間違えるな!
「燐童…」
「!」
次の手をと内心で焦っていた燐童は、谷ケ崎の静かな呼び掛けに「はい」と食い気味の返事をしてしまう。
頭に響く鈍痛に溜め息を吐き出しながら、谷ケ崎はのそりと視線だけで燐童を見た。
「………、」
眠たげな、気だるい目線。何か少し考えたような間を持ってから発せられた声は 思いのほか柔らかかった。
「もうお前も休めよ、俺のことは放っておいていいから…」
ゆっくりと気遣う言葉に、焦り構えていた燐童はストンと気が抜けて呆然とする。
「……え?」
「向こうを出てから、交通網とか警察の情報とか、肝心なところを任せっぱなしだ」
「え、あぁいえそれは…僕の得意分野なだけですよ…気にしないでください」
とりあえず口は微笑んでそう処理できた。
けど、心臓の裏を誰かが内側から思いきり叩いてくるような息苦しさが這い上がってくる。
やめろ。笑え。上手に笑って騙しきれ。
「今は谷ケ崎さんの体調のほうが大事ですよ」
この鼓動の痛みが"呵責"という感覚だということは…脳から切り捨てた。
――……
無事にフロントを通った時空院と有馬は、燐童達がいる部屋にやってくる。
「伊吹、薬を飲みましょう。そうしたらいくらでも眠っていいですから」
ぅうと重い頭で愚図る谷ケ崎を起こして、時空院はその手の平に買ってきた錠剤を二粒出してやる。フロントで貰った水でそれを喉に流し込むと、冷たい喉ごしに心持ちも少し落ち着いたようだった。
「これ何ですか?」
レジ袋から燐童が取り出したのはフルーツ缶。問われた有馬は目を据わらせる。
「俺じゃねえ、アイツが買ったんだよ。なんか……調子悪ぃ時にはこれがいいんだと」
「へえ?桃が頭痛に効くものなんですか?」
燐童のリアクションは本当に初耳からくるもので、不思議そうに缶の栄養成分表示を見る。
提案者本人は「おやすみなさい」とまたベッドに横になる谷ケ崎に布団をかけていた。
「桃はビタミンCが豊富で他にも疲労回復や利尿促進によって毒素を体外に排出する効果が期待できるアスパラギン酸。 疲労を生み出す原因の乳酸の生成を抑えて、代謝促進を促すクエン酸。 皮膚や粘膜の健康維持に必要なナイアシン…体調回復には持って来いの栄養素が含まれているんですよ」
「……何言ってんのか1個も分かんねえわ」
引き気味の有馬をスルーして、時空院は残りの缶詰を指差す。
「因みに阿久根くんの分は豆缶ですよ」
「なんでだよ!鳥じゃねえんだぞ!?」
咄嗟にぐわっと反発した燐童に、有馬は驚いて目を瞬く。そんなに怒るところか?
「…俺は食わねえから、桃のやつ谷ケ崎と食えば」
「~別に僕も桃が食べたいわけじゃないですよ!!」
「え!桃は伊吹の分ですよ!?」
「~~だあぁもういいからさっさと開けましょう!」
と手にしていた桃缶を今一度見て、燐童は一瞬フリーズする。封を切るためのグリップがないのだ。
「……あの、お二人のお気持ちは充分分かりましたが、これそもそもどうやって開けるんです?」
「あ。」
ほら、と見せられた桃缶の蓋は缶切りで開けるタイプ。時空院と有馬は一旦目を見合わせる。すっかり失念していた。
先に提案するのは時空院。ベッドの様子を伺う。
「伊吹~、ちょっとその握力で」
「開くわけねえだろ!?……いやワンチャン開くか?」
「谷ケ崎さんは具合が悪いんですよ」
具合が良ければ開くわけでもない。
「こうなったらお二人のうちどちらかでいいですから、缶切り探してきてくださいよ」
やれやれと燐童は肩を竦める。はあと大きく溜め息を吐くのは有馬だ。
「もう別にいいだろ、このまま捨てていけば」
「そんな勿体ないことを。せっかく買ってきたのに」
「そうですよ。谷ケ崎さんも、桃缶食べたいですよね?」
少しの間ののち、布団の中から返事は返ってくる。もしょり。
「……たべる」
「正気か?すげえ声小せえぞ」
しかし病人にそう言われたら、もう無碍には出来ない。燐童は妙に優位に立った物言いで有馬と時空院を指差す。
「ほら、じゃんけんで決めてください?どっちかですよ」
「んじゃ燐童もだろ、お前が食わせてえってんならてめえも参加しろ」
「いいですよ。僕じゃんけんなら基本負けないので」
「私も負ける気がしないですね?」
自信満々と対峙する二人の強気の笑みに、有馬はぐぬぬと顔を歪めた。
何せここまでの道中、じゃんけんでは確かに負け越しているのだ。
「おい谷ケ崎!お前もやれ!お前食いたいんだろ桃!」
「だから、」
両サイドから、燐童と時空院の声が重なる。
「谷ケ崎さんは「伊吹は「具合が悪いんですよ」
「なんでお前らそんなにコイツには甘ぇんだよ!?」
「病人を数に入れて確率を下げようなんて卑怯ですよ有馬くん」
「時空院さんの言うとおりです!正々堂々いきましょう!せーの、」
最初はぐー!じゃんけん、………
「くそが!!」
とあるホテルの一室。
響き渡った罵声に、ベッドの上、布団に包まった谷ケ崎は人知れず息をつく。そこに微かな笑みを含めて…。
(……静かにしてほしい)
こんなに騒がしい看病、生まれて初めてだ。