対話■落書き■
D4の始まりはただの復習劇で、社会の中で何者にもなれなかった者同士が集まっただけだった。
二度目の脱獄にあるのは"希望"とか"未来"とか"友情"とか、そんな明るい言葉だけじゃない。
一度目よりも複雑な葛藤やすれ違い。関係性を作り上げていくのは、行動を共にする目的があった頃よりももっと難しかった。
谷ケ崎と有馬の言い争いは日常茶飯事で、時には本気で仲裁をしなければ壊れてしまいそうなほど苛烈なこともあった。
少しづつ変わっていく自分をどう受け止めていけばいいのか。
谷ケ崎も有馬も抱えている違和感は同じだった。
四人でいることで生まれる温かさを心地よく思う気持ち。けれどその温かさに素直に手を伸ばせず、地団駄を踏んで迷う気持ち。
自分に訪れた変化を「これでいいんだ」と納得するのは、容易ではなかった。
その日、ヒートアップした喧嘩の末に有馬が「もうお前らとつるむのはごめんだ」と言い放った。
あまりにも芯に入った言い様に狼狽える燐童の制止も聞かず、出ていこうとする。
喧嘩の原因は些細なことでも、互いに積み重なっていた葛藤に火がついてしまったのだ。
時空院は特に仲裁する様子も見せず、静観しているだけだ。
言い争いを勝手に断ち切って去っていく有馬の背中に、谷ケ崎は強い眼差しを刺す。
そうして、何も言わずにヒプノシスマイクを起動した。
「……あ?」
マイクの起動音に、有馬はゆっくりと振り返る。殺気立った視線が交差して、ようやく谷ケ崎は言う。
「俺と有馬じゃ殴り合いじゃ勝負にならねえ。これなら勝負になるだろ」
「……舐めやがって…」
こんな挑発をスルー出来る人間じゃない。有馬もマイクを起動しながら 谷ケ崎の前に戻ってきた。
「え、ちょっと待ってください。二人とも正気ですか?」
この四人で模擬戦ならやったことはあるが、あれは結局脱獄する前の腕試し程度だった。マイクに頼らない戦い方をしてきたD4は、互いをリリックで攻撃しあったことはない。
「ヒプノシスマイクの攻撃は精神攻撃ですよ?そんなのチーム内で本気でやり合ったら、」
「いいじゃないですか」
慌てて間に入ろうとする燐童を、時空院は静かに手で制す。
「好きにさせましょう。どうせいつかこうしなければ、伊吹も有馬くんも納得しませんよ」
相手にではない。自分自身に、だ。
ライムとビートにのせて、この時、谷ケ崎と有馬は初めて本気の対話をした。
先行をとったのは有馬だった。
フリースタイルが始まる。
燐童と時空院の予想に反してそれは、互いを罵るものではなく、互いを鼓舞するものだった。
『尖った俺の鼻をへし折るってかクソガキ 進化しつづける虚勢の頂き
俺ら闇ん中転がるボールだ どこにあんだ俺たちのゴールは』
『前に進み続けなきゃゴールなんか見えねえよ
いつまでもいつかの自分に囚われてちゃ進化なんか出来ねえよ
有馬 お前はもうほんとにここで終わりか? 逃げんな考えろ』
『きっとこれが俺の最後のバトル 相手がお前で良かったと思うよ
悪ぃなジェルブレイク あれが俺のハイライト』
『これが最後なんて言葉俺は信じない 何度でも何度でも挑むのがバトル 何度でもぶち破るジェルブレイク 蹴散らしてきたどんな雑魚よりも 一回も勝ったことねえお前に今挑む』
『一回も勝ったことねえ? ふざけんなお前に勝てたと思えたことなんか一回もねえ
残弾撃ち尽くして矢で射貫かれるのが俺 血に汚れ 何者でもない己
だけど せめてお前はもっとヤベェとこで踊れ』
『ヤベェとこで踊れ? ならここで踊るぜ
俺は俺の人生を呪ってる 何者でもないのは一緒だろ
俺ら何をすればいいんだってずっと転がってる
恥をかいてでも何度でも立ち上がればいいんだよ』
『お前が根暗なのは知ってる いつも考えすぎて変なとこ入って昨日も不眠? それで挑むなんてなめてんのかこのガキ
今じゃ立派に敗北を知ったルーザー それは俺も同じだなルーザー
何を気にしてんだよ てめえの良心? そんなもん捨てて、そんなもん焼ききって、てめえの背中押して支えてる奴らのことだけ信じていけよ臆病もん』
『全部と戦うんだよ 俺は目を背けられない
臆病 あぁ確かにそうかもな 俺は割りきれない
良心なんて立派なもんじゃねえがそこで踏みとどまっちまう だからお前が羨ましいんだよ 勝ちゃいいんだって俺だって言って笑ってみてえんだよ』
『それが俺とお前の差なんじゃねえの 器の差なんじゃねえの
お前は全部背負える 俺はすぐに逃げる
俺にもお前にも名場面はあったけど やっぱ映ってカッコ良いのはお前なんじゃねえの
俺のマイクは誰を撃つか俺だ俺か俺にも分からねえよ
どんな状況にも手堅く対応 しても太陽だけは味方しちゃくれねえんだよ』
『すぐ逃げるそのすぐが決められるのがお前だ それにずっと助けられてきた
俺もお前も太陽に背を向けて生きてきた どうせこれからもそうだ
行き違い履き違いすれ違い まさに俺とお前の戦い
俺の背中に羽根は生えないしどこまで行っても暗闇しか歩けやしねえ
けど高く飛ぶのも遠くまで歩くのも全部一人じゃ出来ねえから 有馬 俺についてきてくれ』
真正面から業風のごとく浴びたリリックに、有馬は一瞬目を見開く。真摯に言葉を出しきった白眼に冗談や誤魔化しはなく、どこまでも真っ直ぐだった。
……返すしかない。返してやるしかない。
なんでお前はいつも俺をこんな気持ちにさせるんだ。悔しくて悔しくて、でも少し……楽しかった。
『ほんとはいつでも勝てるだろもっとラクになお前ならな
でもお前は甘ちゃんだからバカ正直に俺にぶつかってくるんだよな
俺に成り上がれる居場所があれば、俺に命懸けられるプライドがあれば、俺にお前みたいな素直さがあれば、もっと違った生き方もあったのかもな
だけど持ってねえもんにうだうだ言ったってしょうがねえからな
ライムじゃなきゃ一生てめえにこんなこと言わねえ よく聞いておけよ ……ありがとな』
何バースだったのか、誰も数えてはいない。
互いにリリック攻撃を受ける度に稲妻のようなしびれが身体を貫く。ダメージが大きくなれば足許がフラつき、膝をついてしまう場面もあった。
それでも目だけは強く強く相手を見逃さず、紡がれる言葉を全身で受け止めていた。
有馬が倒れる音が最後だった。
ヒューヒューと隙間風のような呼吸をやっとしている有馬は痙攣する身体を堪え、対峙した谷ケ崎を見上げた。谷ケ崎も汗だくで肩を上下させている。けれどしっかりと立っていた。
「マジでてめえどんだけ体力バカなんだよ…」
「俺は執念深いんだよ」
「あぁ……知ってるわ」
倒れる気配のない相手に観念して、有馬はハハと笑ってしまった。
その笑いに釣られて、谷ケ崎も頷いて表情を緩ませる。限界だったのか、有馬の横にバッタリと倒れて、マイクを手放した。天を見上げたまま、ぽつりと言う。
「言いたいことが言えて、スッキリした…」
「ハッ…そうかよ」
自分勝手に真っ直ぐな言い様に、敵わないなと呆れ笑って返す。せめてもの抵抗に、「俺もだ」とは言わなかった。
遅れてきた青春。エモーショナルなラップバトル。そんな易い言葉を使ってしまうのは、二人に失礼だろう。でも、二人がぶつけ合ったリリックは燐童や時空院にもしっかり届いていた。
時空院は穏やかに微笑んで、チラと横目に燐童を見やる。
「案外泣き虫さんだったんですねえ阿久根くんは」
「~……うるさいですよ…」
ズビズビと鼻を啜る燐童は トレーナーの裾で涙を隠し、ぁあもう!と怒ったように声をあげる。
「谷ケ崎さん! 有馬さん! 勝手なことして。ヒプノシスマイクの起動は音が派手だからバレるんですからね、すぐにここから逃げますよ!?」
「えなんでお前泣いてんの」
「どこか痛めたのか?」
お前らのせいだよ! とは言えず。
互いに生み出したバースは記録されないが、四人の記憶には確かに残った。
このバトルはのちに四人の中で、……谷ケ崎と有馬の中で、『黒歴史』なんて言われる小っ恥ずかしい笑い話になる。