頬に当たる風が心地よい。
そう思いながら小高い丘から見える風景をキャンバスに落とし込む。
自分にとっては芸術。他の者にしてみれば、どれが空でどれが緑なのかわからない落書きに過ぎないもの。
でも、こうして思いのまま過ごせる。そんな時間が今は愛おしい。
「ここにいたのか」
風の音しかない静寂を破る男の声。
ここでは異質だけど、決して嫌いではない……はず。
「ああ」
ぶっきらぼうになってしまうのは彼と出会ったときからの無意識の習慣。
生きる上で優先するものが違うがゆえ、自分が最も大切にするものを目の前の男は簡単に壊してしまうのではという危惧は昔も今も変わらない。
「今は自由の身だ。好きなだけ過ごせ」
ただし。
目の前の男はそこまで言ったかと思うと、そこで言葉を切る。
そして、羽織っていたジャケットを自分の肩に掛けてくる。
「お前は無二の存在だからな。それに今は普通の人間だ。そのことを忘れるな」
その言葉と同時に感じるくちびるの触感。
彼の無骨な印象とは掛け離れた優しく繊細な感じのするもの。
そのくちびるから感じるのはただひとつ。ー愛してる。
言葉にならない想いが伝わり、押し潰されそうになったのを悟ったのだろうか。男はいつの間にか立ち去っている。
残された自分は掛けられたジャケットに腕を通しながら呟く。
「ほんと、叶わないよ、君には」
聖地にいたあの頃と違い、いつ命を失ってもおかしくない身。
それどころか病にも簡単に掛かるようになってしまった。
残された時間がどのくらいあるか正直わからない。
ただ、思うのはひとつ。
「もう少しだけ自分のことを大切にしないとね」
自分のためにも。そして、自分を愛するもののためにも。
そう思いながら筆を取る。頬に当たる風が優しく、そして暖かかった。