「永遠と刹那の狭間で」12.暗示12.暗示
「空がひろーい!」
長浜港から竹生島へのフェリーに乗った七緒は思わずそんな声をあげてしまった。
大学の先輩・一美が奇遇にも隣の滋賀県出身だと知り、遊びに行くことを決めたのは1週間前。そして、ついにその日がやって来た。
普段、山の中と行っても過言ではない場所に住んでいるからだろうか。琵琶湖の湖面から見える空は開けており、心まで開放される気がしてくる。
そんな七緒を一美はクスリと笑い見つめてくる。
自分が子どものようにはしゃいでいることに気がつき、七緒は行動をつつしむことにした。
「先輩の家も神社なんですね」
前もってどこに行こうか相談しているとき、「連れていきたい場所があるんだ」、そう一美が伝えてきた。それが現在向かっている竹生島だった。
聞くと、一美は竹生島の神社の家系の末裔とのことだった。
「七緒の家もだよね。割と珍しい職業なのに偶然とはいえすごいね」
フェリーの上で互いの身の上話となる。
町で限られた人数しか就くことのない職。
こんな近くに神社に関わる人がいるとは夢にも思わなかった。
「跡を継げとか言われない?」
ふたりで海を見ながらそんな会話をする。
「うちは兄さんがいるし、あとうちの親、過保護だから」
話しながら思う。五月がいるだけではなく、もしかすると七緒が血のつながらない子どもであることや、常人とは違う力を持っていたことも跡を継がすことを考えなかった理由かもしれない。もっとも両親に聞いたところで本当のところを教えてもらえるとは思えないが。
「竹生島に行ったことはある?」
「うーんと……」
異世界に最初にたどり着いた場所。
だけど、この世界では行ったことがない。
それをどう伝えるべきか迷った末、こう答えた。
「初めてみたいなものです」
数十分間船に揺られると竹生島に着いた。
……ここが令和の世の竹生島か。
異世界にたどり着いたとき、兼続にこの島には龍神にまつわる伝説があると教えられた。やはり、こちらの世界の竹生島も龍神に関する土地なのだろうか。
一美に案内され島内を探索する。
そして、神社に向かう階段を昇り境内に入ると声にならない声が聞こえてきた。
ー何か感じる。
懐かしい息吹き。
だけど、同時に苦しさも感じる。
声というよりうめき声といった方が正しいのかもしれない。
脳内に呼び掛けているような気もするが、一方で地の底から響いているような気もする。
目を瞑ると見えてくるのは龍の姿。
それも七緒にとって馴染みのある白い龍ではなく、黒い龍。
眠っているというより、何かに苦しんでいるようにすら見える。ただ、その場所が現実に存在するのか疑うものであった。
「…なお、七緒」
自分を呼ぶ声が聞こえてハッとする。
すると、心配そうに自分の顔を覗き込む一美がそこにはいた。
「ごめんなさい」
「いや、私は大丈夫。もしかすると船に揺られて疲れているのかもね」
そう言って気を遣ってくれる。
もしこの神社も龍神に関係するのであればもう少しまわりたかった。
だけど無理はいけない。そう本能が訴えてくる。
心残りを覚えながら七緒は島を後にすることにした。
駅までは一美が送ってくれた。
「今日は申し訳ないことをしちゃったね。でも七緒さえよければまた遊びに来て。私、あまり友達がいないし」
別れ際にそう話す。
友達がいない。彼女の気さくさからすると意外とも思えること。
でも、部活では同学年の人とは最低限しか関わっていなかったし、大学内ですれ違うときはいつもひとりだった。
そう、不自然なほど、一美は人との接触を避けているように思えた。一方で自分には何かと気にかけてくれる。
これらに何か理由があるのだろうか。
そう気になりながら七緒は帰路に着いた。
「ただいまー」
竹生島の滞在時間はそんなに長くなかったが、フェリーに乗り、電車を乗り継ぎ、さらに山奥といっても過言ではない自宅までバスに乗ると、日が傾いていた。
すると、天野家では意外な人物が七緒を迎えてくれた。
「七緒、お帰りなさい」
「幸村さん! 帰っていたのですね」
「ええ、お邪魔しております」
仕事があるため七緒の帰省に合わせるのが難しい幸村であったが休みが取れたらしく、天野家にやって来た。
台所から七緒の母が幸村に「何言ってるの。ここはあなたの帰る家でもあるのよ」と優しく話しかける声が聞こえてきて、それが嬉しかった。
「竹生島に行っていたとうかがいました」
七緒が報告するよりも先に幸村が尋ねてきた。
それなら話が早い。
ふたりはいったん七緒の部屋に行って話をすることにした。
「うん、懐かしかったな」
世界も時代も違うけど、神がいる場所が持つ空気というのは大きく違わないのかもしれない。そして、その周りの空気も。
初めて行く場所にも関わらず懐かしい感じがしたのはそのためだろう。七緒はそう思った。
「でも、何か息苦しさというのかな、何かうめき声が聞こえて。あと、黒い龍の気配を感じたのです」
記憶を探りながら七緒は竹生島で感じてきたことを話す。
「黒き龍…… 黒龍でしょうか。白龍と対の存在であるという」
幸村も七緒の言葉から何かつかめないかと探っている。しかし、自分の知識に限界があると悟ったらしい。
「五月に聞いてみましょう。五月の方がこのようなことに詳しいですし」
幸村のその言葉に七緒は首を縦に振る。
そういえば、そう言いながら幸村がぼそっと呟く。
「以前、三成が小さな白龍を保護していると話していました」
七緒が秀信の元へ向かう途中、幸村はいったん大坂に行った。そのときに三成がチラッと話したらしい。
もっともそのときは幸村の方でも軽く流したため、詳細はわからずじまいとのことだったが。
今日見えてきた黒い龍と、三成が保護しているという小さな白龍。これらは関係があるのだろうか。
気にはなるが、今はこれ以上の情報はない。
そこで七緒は無理やり思考を中断することにした。
しかし深層心理までは誤魔化せなかったらしい。
その夜、七緒は夢を見た。
黒龍が目を閉じているが、意識までは失っていないのか何か呻き声をあげている。
それは目には見えない何か大きな力に抗っているようにすら見える。
見ている七緒ですら息苦しくなり、そこで目が覚めた。
「七緒!!」
目を開けるとそこに見えたのは幸村の顔であった。
心配だからと今日は七緒の部屋で布団を敷いて眠ってくれたのだ。
彼の心配そうにしている瞳から察すると、おそらく七緒の呻き声は幸村の耳にも入っていたのだろう。
「ええ…… ありがとうございます、幸村さん」
そう話しながら身体を起こすと肌寒いものを感じた。そのとき七緒は初めて自分がとてつもない量の汗をかいていたことに気がつく。
それにしても妙にリアリティのある夢だった。
目の前の出来事だと言われても信じられるくらいの。
そこまで思ったところで七緒はあることに気がつく。
もしかすると本当に実際にどこかで起こっていることかもしれないと。
竹生島で感じたのは単なる予感ではないのかもしれない。
確かめる必要があるのかもしれない。ただし、今はどうやったら確かめられるのか、それすらわからないが。
そう思いながら七緒は汗で濡れてしまったパジャマを脱ぎ、新しいものに着替えることにした。
水を飲もうとキッチンに行ったところ、幸村がココアを作ってくれるのが見えた。
七緒もすぐには眠りにつけないため、ふたりは少し話をすることにした。
「ふう」
夏とはいえ、エアコンと大量の汗で身体は冷えていたらしい。一口つけるとその甘さが最初は口に、次に身体全体に広がる。そして、心が落ち着いたところで七緒は夢で見てきたことを幸村に話す。
早めに五月にも相談しようと添えて。幸村もそのことに頷く。
そして目の前の彼は天井を見上げながらそっと口を開いた。
「実は私も夢を見ていました。といっても、七緒には申し訳ないくらい平穏なものでしたが」
それはあまりにも穏やかな口調だった。
「辺り一面、青い花が咲き乱れ、その中に私と七緒がふたりっきりで佇んでいました。まるでこの世のものとは思えない光景がずっとずっと遠くまで広がっていました」
その言葉を聞いて七緒も想像する。
彼が見た花が何であるかはわからないが、青一面が広がる光景は空のようで美しいのだろう。
「幸せな夢、でした」
めったに聞かない幸村の心の奥底から漏れた「幸せ」という言葉。
そんな幸村を見ているだけで七緒も幸せな気持ちになる。彼は平和を望んでいながらもいつもどこかで自分が幸せになることを避けているような気すらしたから。
「夢の中とはいえ、幸村さんが幸せそうでよかったです」
せめて先ほど自分が見た夢は何かの予兆ではなく、夢で終わることをつい願ってしまう。そして、幸村が夢で感じたような幸せが実現することを祈ってしまう。
「ええ、願わくは夢で見たようにずっとともにいられると嬉しいのですが……」
夜だからいつも以上に幸村は饒舌だった。
その言葉に恥ずかしいものを感じながらも安心感も多分に含まれている。
自分が見た夢のことはいったん置いとき、七緒は眠りにつくことにした。