「永遠と刹那の狭間で」13.正体13.正体
「ただいまー」
幸村が天野家に来てから数日後、天野家に五月ののんびりした声が響く。
「やっぱり関ヶ原は落ち着くね。京都の夏は暑いとは聞いていたけど、想像以上でまいったよ。ま、お陰でいろいろわかったこともあるけどね」
カーペットが傷むのを避けるためキャリーバッグを廊下に置いたままにして五月は台所へ行く。そして慣れた手つきで麦茶をコップに注ぎ飲み干す。
もう一杯飲もうと立ち上がった五月に幸村は声を掛ける。
「五月、ちょっといいか」
幸村の表情を見て、彼がこれから話そうとしているのは単なる世間話でないことを五月は察したのだろう。
おぼんに五月と自分の分のコップを置き、彼の部屋へ行くようにうながされる。
「地井一美さんね…… 前に七緒が倒れたときに一緒にいた先輩だっけ」
主の生活拠点が変わったこともあり、幸村にしてみれば久しぶりに入る部屋。
ピンクで統一された七緒の部屋と異なり、こちらは青で統一されており、また必要以上のものは置いていないシンプルな部屋となっている。
そこで話題にしたのは七緒の大学の先輩・地井一美のこと。
「ああ、妙に引っ掛かるんだ。七緒に害をもたらす人物ではないとは思うのだが……」
引っ掛かっている要素が何であるか自分でも正直わからない。
ただ、彼女を見ていると胸騒ぎがするのも事実。そんな自分の本能を大切にしたかった。
すると五月は意外とも言うべきことを口にした。
「あくまでも俺の予想の域を越えないけど、黒龍の神子ではないかと考えている」
「黒龍の……?」
「ああ、怨霊に対して物怖じしなかったことと竹生島に関わりがあることを考えるとね。あと、怨霊を鎮めることはできても浄化はしていないようだから白龍の神子ではなく黒龍の神子ではないかと踏んでいる」
慣例であれば白龍の神子より先に現れるという黒龍の神子。しかし、七緒の場合、対となるべき存在はいなかった。それどころか黒龍の神子の力と思われる要素も備わっていた。
いろいろ不可解な点はあるが、怨霊に対する行動を考えると一美は黒龍の神子なのではないかというのが現時点で説得力のある仮説ではある。
「あともうひとつ聞きたいことがある」
幸村は五月の瞳をじっくり見つめる。
異世界から令和の世へやってきてからこっそりと調べたこと。それゆえわかったことの中には正直、認めたくない部分も多い。
しかし、これから先の運命を乗り越えるためには認めないといけないのだろう。
そのため、あえて五月の口から聞くことにした。
「この世界の俺はどうなっている?」
ほんのわずかに五月の息が上がるのを幸村は見逃さなかった。
だけど、彼が大きく動揺を見せないのはいつか尋ねられることを想定していたからかもしれない。
「そうだね。君には知る権利があるね」
そして、五月はゆっくりと語り始めた。
「大坂の陣……」
異世界にいた頃から七緒たちがいる世界の同名の武将のことは聞いていた。
年齢や家族構成など一部異なる箇所もあったが、経歴や他者からの印象は大きく異ならないようだった。
ただ、彼らが決して口にしなかったのが、この世界での真田幸村の最期であった。
どのような経緯で命を落とすのか、それを話すことは決してなかった。
悪趣味だと思いつつもこちらの世界へ来てからいくつかの資料をあさった。そして、そのときに知った内容とやはり同じ話を五月の口から聞くこととなった。
「龍脈を整えたから、俺たちが異世界にいたときに起こると言われていた関ヶ原の戦いはおそらく結末が変わったと思うよ。だけど残念だけどここから先は俺が知っている歴史と変わらない可能性がある」
それから五月が話したことは興味深くもあり、そして衝撃的でもあった。
例えば幸村たちがいた時代の約400年前に起こった源平の争乱。こちらの世界では平家は滅亡しているが、幸村たちのいた世界では平家は滅亡を免れたと伝えられている。
しかし、どんなに整えてもその後何らかの拍子で五行が乱れ、些細なことから人と人、家と家が争いを始めるとその争いはやむどころか激しくなる一方であった。そして、七緒たちの世界と同様、応仁の乱や室町後期の混乱はやはり避けられなかった。
つまり、関ヶ原の戦いで死や処罰を免れたとしても、五行の力の乱れであったり、龍神の加護が得られない状況に陥ればやはり争いは避けられないのではないかというのが五月の見解であった。
「正直なところ、豊臣と徳川の戦いは人と人との戦いの面も大きい。小さな争いは土地を豊かにすることである程度は避けられるけど、どちらが真の天下人なのか、このふたつの家はどこかで決着をつけざるを得ないのだろうね」
そしてそれが大坂の陣だと五月は言いたいのだろう。
もし幸村が参戦するのであれば、ある程度の覚悟は必要だと五月は暗に伝えている。それを幸村は察した。
「こっちの世界とあっちの世界の時間の流れが違うから、具体的にそれがこっちの世界でいつ起こることなのかはわからない。ただ、怨霊は既に東京に現れていることを考えると、もうじき訪れるのかもしれない」
「そうか……」
その戦いの行く末に自分の命は、そして七緒との未来はどうなっているのだろう。自分ひとりの命だけであれば覚悟はとうにできているが、七緒を一番近くで守る役目は誰にも譲りたくない。
昔みたく無鉄砲に進むのではなく冷静になる必要がありそうだ。幸村はそう思った。
「あと、七緒に関してだけど、ひとつ気がかりがあるんだ」
七緒に関すること……。
幸村は視線をゆるめることなく五月を見つめる。
「これから東京は怨霊で溢れることもあるかもしれない。だけど、できれば七緒に龍神の力を使わせないでほしいんだ」
「どういうことだ?」
五月の真意がわからず幸村は思わず聞き返す。
「まだ確証は持てないから今の段階では言えない。だけど、取り返しのつかないことになってからじゃ遅い。頼んだよ、幸村」
心は納得していない。だけど、五月は自分が見えていない何かが見えているのだろう。
五月よりも近くにいる立場としては頷くしかなかった。
「東京か…… 暑いのだろうな」
お盆も終わり、七緒は薙刀部の練習に合わせて東京に帰ることにした。もちろん幸村も一緒に。
名古屋駅で新幹線のぞみに乗り換える間、暑さにうんざりする七緒の声が聞こえてきた。
「では、しばらくこちらにいましょうか」
「確かに風通しはいいし、母さんのご飯が食べられるのは嬉しいけど、東京の街並みも懐かしいんだよね」
幸村の提案に頷きたい気持ちもどこかにある一方、やはり少しずつ東京に馴染んできているのだろう。
部活がなくても近いうちに彼女は東京に戻ったのかもしれない。
すると、
「あ……」
七緒が何かに気がついたのだろう。どこか一点を見つめている。
「一美さん!」
「七緒!! 元気だった?」
「ええ。心配掛けてごめんなさい」
偶然なのだろうか。一美も同じ新幹線に乗ると思われ、列の前の方に並んでいた。
聞いてみると一美は米原駅からこだまに乗り、ここでいったんのぞみに乗り換えるとのことだった。
「あ、どうも」
そっけない態度を取れば七緒が心配する。そうわかってはいたが、女性同士の仲睦まじい関係は恋人とのそれとは違う。入り込めない何かを感じたため、幸村はふたりを遠巻きに見ている。
それにマンションに帰れば七緒と一緒に過ごすことができる。幸村は一美と席を交換し、東京までひとりで過ごすことにした。
「一美さんは俺たちの家と逆方向でしたっけ?」
結局、七緒と一美は最寄駅まで一緒に行動していた。
さすがにそこから先は別方向なので、別れの挨拶をする。
しかし、一美が幸村たちと逆方向にキャリーバッグをコロコロ転がし始めたとき、幸村には信じられないものが目に入ってきた。
「南蛮怨霊……」
異世界でも見た南蛮怨霊。
それらが一体だけではなく何体も何体も街中を徘徊している。
少し前に見た怨霊とは違い、道行く人にも見えているのだろう。人々が恐怖のあまり立ち尽くしていた。中には人に危害を加えようとするものすらいる。
幸村は背中に背負っていたフェンシングの剣を取り出す。いつどこで何があるかわからない。そのため、持ち歩いていたのが幸いした。もっとも使いたくないのが本音であったが。
そして、五月の言葉を守るべく七緒にら力を使わせまい。そう思ったそのとき、後ろから凛とした声が響いた。
「ここは私が止める!」
その声に驚いて振り返ると、幸村たちとは逆方向に歩いていったはずの一美が走りながらこちらに向かってくるところだった。
「一美さん……!?」
一瞬動作が止まる幸村と七緒に対し、一美は何のためらいもなく祈るような仕草を見せる。
そして、
「お願い、鎮まって……」
それだけを呟く。
すると、次の瞬間、幸村たちの目に現実のものと思えないことが起こった。
一美の姿が黒い光に包まれたかと思うと、黒い龍の姿に変化していた。
東京の空は決して広くはないため悠々とまではいかないが、それでも空を漂う様子が美しいと思った。
先ほどまで怨霊の出現に慌てふためいていた人々はその様子に見とれ、そして光によって何かを忘れさせられたのだろう。怨霊騒ぎも龍の出現も何事もなかったかのよくに元通りの行動をしていた。
そんな中、幸村は空を見上げながらひとり呟く。
「黒龍の神子ではなく、黒龍そのものであったか……」
五月に報告しなければと思う。一美が黒龍であることを。
そして、ひとつの疑問が浮かぶ。
もし一美が黒龍であるとすれば、なぜ七緒との距離を縮めてきたのだろう、と。
すると、
「綺麗……」
隣の七緒から感嘆のため息が聞こえてきた。
幸村の疑問、そして心の底に浮かぶ懸念。
それらを気にする風でもなく空を見つめている七緒。
もともと清らかで光のような存在の彼女がますます遠くなる。そんな気がした。