ー 寄す処 ー⚠️とんでも【なんでも許せる方むけ】です
山田零さん、山田家の過去
妄想と捏造のみ
■■■■■
「山田さん、研究室の管理記録担当お願いします。」
「分かりました。引き継ぎ書を確認します。」
研究所ではその特殊な機密性に加え、温度制御・管理が徹底されており、あえて日光が室内に差し込まないように窓を減らしたり、地下環境に実験室を置くこともある。
楽器の音色がわずかな温度湿度の差に影響されるのと同じく、研究所にある器具機材の中には恒温恒湿の環境が必須な機器が少なくない。
信頼性の高い試験結果を得るには要の管理。だからこそ研究員は、外気の数値を細かく注視し記録するのも業務の内。
しかしそれらはあくまでも数値上。観測機でみた数字だけ。そればっかりに、つい忘れそうになる。例えば、数値上は同じ気温20℃でも、曇り空の下で風も吹いていれば肌寒く、朝から快晴で地面が陽を溜めていれば心地よい暖かさになり体感温度が異なるということを。
研究所に缶詰になっていると、この肌で感じる温度や湿度、天候や季節を忘れがちになる。
それでも、
とある年の梅雨が、例年以上に長く日照時間が観測史上最低だったということ。そしてその期間にたった1日だけ朝から晩まで快晴な日があったということを、俺ははっきりと覚えている。
息子が生まれたその日は、太陽がくれた暑い夏の日だった。
数日前から、研究所と病院を行き来していた。
車のハンドルを握る前にする深呼吸も習慣化した。
恒温恒湿の研究所とは異なり、病院までの景色は毎日毎時変化し続けていた。
曇天で暗い空にうすら寒さを感じた前々日。
雨が降りしきりじんわりと汗ばんだ前日。
ひと月近く続いていた雨模様。しばらくぶりの『明日は快晴』の予報をすんなりと受け止められないくらいに、どうやら太陽とはご無沙汰らしい。
その日、おおかたの人間の予想を裏切って、予報通りの夏日となった。
どこからともなく蝉が鳴き出し、街路樹の葉に透ける陽のひかりが地面に木漏れ日を描いていた。
7月26日
病院から連絡をもらいすぐに向かったが、その瞬間には立ち会えなかった。
分娩室ではなく病室に駆けつけた俺が、よっぽど申し訳なさそうな顔をしていたんだろう。いつもより眠たそうな顔でにっこりと微笑み、「会えて良かった」と言葉をくれた。
鮮烈な記憶はこの一瞬を記録した。
握った小さな指の力強さ
欠伸をした口の小ささ
そっとふれた肌の柔らかさ
数字を正確に捉えることは得意としていたはずなのに、この腕に抱いた子の重さがと伝えられた数字がどうにも一致しない。数字よりも軽いようにかんじるのに、しっかりと重みも感じる。経験にない不思議な感覚だった。
なかなかのおっかなびっくり不安げな父親の腕の中では落ち着かなかったのか、泣きそうに眉間を寄せていた息子は母親の腕の中でやっと眠った。
窓の広い部屋。
差し込むひかりが木漏れ日を降り注ぎ、
わずかに開けられた窓から吹き込んだ風がレースのカーテンをなびかせる。
待ち遠しく恋い焦がれた青空が澄みわたる。
一度の人生
一路にまっすぐ
誠実に生きてほしい
そのためにも、この子の歩む先の未来か、その世界が穏やかであってほしいと願った。
一つ、点が打たれて
二つ、線が引かれて
三つ、面が生まれる
がたつかない構成を求めるのであれば、絶対的に平面が良い。
もうひとつ点が入ると、平面も崩れる可能性が発生する。
俺のプランによっつ目は要らない。
だからこそ俺は『ぜろ』のままでいい。
「一緒に来いよ」
そう声を掛けた。あいつらは断った。
それでいい、おまえらは3人で支え合える。
兄とか弟とか関係ねぇ。自分の強みをぶつけ合え。
母親と別れたあいつらをの一路を、俺が塞いでちゃあ世話ねぇよな。
俺のこれまでの経歴やこれからの画策が、あいつらの命を刈り取る危険性を高める。
これまでも随分、不自由させた。
両親そろって国家機密レベルの研究所に所属してたもんで、あいつらには常に監視がついていた。
あいつらの交遊関係や成績、その日だれと会話をしたかまで管理下に置かれていたらしい。
それでも、母親の愛情を一心に受けてあいつらは真っ直ぐに育っていった。
池袋のこの部屋で3人からはじまった生活は、4人、5人と増えていき、飾られる絵や無造作に折られた色紙も増えていった。
家に帰る度、景色は彩りを増していった。
「おれ、赤ちゃんおんぶできるよ。おれがいちばんにいちゃんだから。」
世界の雲行きが怪しくなってきた時期。
池袋でも避難指示の発令も増えた。
研究所にこもってばかりで家に不在な俺に代わり、自分が母親も弟も生まれて間もないの赤ん坊も守るのだと頼もしいことを言いやがる。何日ぶりかに家に帰ってきた俺を、玄関で出迎えた息子が言う。だが、その時の俺はこの男に責められているような気を抱き、その意志に応えてやれなかった。「頼もしいじゃねぇか!任せたぞ!」と抱きしめることも出来なかった。
「にぃちゃ!にぃちゃ!じろはかぁちゃおんぶするよ!」
「お!じろうすげーな!」
「うん!」
二人は、母親を呼びに部屋の中へと駆けていく。
俺はその背中を追えなかった。
視線も体も、その場から動かせなかった。
戦火の火蓋はとっくに切って落とされていて、同盟国に対し衛生兵や軍医の派遣命令も下っている。
思い切り外で遊ばせてやれないだけでなく、学校にも通えなくなった。
緊迫する研究所。
怒号飛び交う市街。
町の中ではこどもの笑い声どころか、声すらもう何日も聞いていない。
ここでは、こいつらが笑っている。
今日もご飯がおいしいのだと、赤ん坊が笑ったのだと、嬉々として話す。
いつ、何が起こるか分からない。
息が苦しい。肺いっぱいに満たせるような空気が吸えない。道端のタンポポや木に引っ付いた蝉の脱け殻を見つけられない。吹く風の温度もも空の色も覚えていない。
「父ちゃん!」
突然、腕を引っ張られた。
「ほらとうちゃん!はやく!」
「いつまで玄関にいるんだよー!」
不意打ちでよろけそうなったが、靴を脱いで玄関を上がる。
力の加減はそれぞれ違えど、二人ともぐいぐいと俺を引っ張る。
「かぁちゃーん。父ちゃん帰ってきたよ!」
勢いよく開けられた扉の向こうで、赤ん坊を抱っこする妻がいた。
ひかり差し込む窓の前、風がカーテンをなびかせ、近くの棚に飾られた折り紙もわずかにそよいだ。
息子たちがその足元に抱きつくと、ゆっくりと屈んで二人を抱き寄せる。
赤ん坊が声をだし、小さな手を伸ばして兄たちにふれた。
息子たちのおかえり大合唱がひとしきりすんだ後で、微笑む妻が俺を手招きした。息子の隣にしゃがむ。背中に手のひらが添えられる。
「おかえりなさい」
太陽が暮れた。
傷を負い、右目の機能を失い、研究者としての正確性も失った。
疲弊し瓦解したこの世では、なにもかもゼロ地点からのスタート。
この世に無いのであれば、創ればいい。創り替えてしまえばいい。
金をうみだし、人を動かし、変革を起こす。
変革の先にある記憶の景色を、俺は必ず手に入れる。
あの日に返せなかった俺からの抱擁を、愛する人に贈りたい。
「 ただいま、那由多 」
すべてが成されたその時に、
山田零はすべての勘定を済ます。
言葉を騙った、その始末をつけよう。
別離を繰り返して繋がる縁
人生とは邂逅
引き寄せた縁
そんなら おいちゃんは『今』を、生きようか。