その青に祝福を マイルームに漂う、甘い芳香。無造作ではあるが、空き瓶に一輪の薔薇が飾られているせいだろう。咲き誇る真紅の薔薇を前にして、今回の一件を思い返してか、感慨深げに微笑むマスターのすぐ隣で、いかにも怪訝そうな表情を浮かべつつ苦言を呈するのは、アサシンのサーヴァント、テスカトリポカだ。
「……ったく、一体どうなってやがる。神霊だろうと反英雄だろうと、カルデアのマスターは構わず使役するんだからな。何でもありってのはわかっちゃいたが……さすがに獣は無いんじゃないか?」
「それはまあ、うん……ポカさんの言う通りだし、オレも正直驚いてるんだけど」
「だろうな」
苦笑と共にそう言いながらも、彼は先程からマスターの視線の先にある一輪の薔薇が気になるらしく、やはり訝しむような面持ちで問いかけた。
「で、今回はオレも散々薔薇を集めさせられたワケだが……そこで咲いてるそいつは何なんだ、マスター?」
「ポカさんが集めてくれた薔薇の内の一輪、って言えばいいのかな。この薔薇、ずっと赤いままだけど、本当は枯れてたんだよね。でも、カルデアに帰る前に急に元気を取り戻したから、もしかしてって思ったら……この通り、一輪だけ持ち帰れました!」
理屈はどうにもわからないが、立香の満面の笑みを目の当たりにしたら、見事ハッピーエンドを迎えられたのだと認めても良いのではないかという気持ちにさせられてしまう。獣の存在も懸念材料でしかないものの、冠位の資格を有するテスカトリポカにさえ、きっと上手いことやっていけるだろうと思わせるのも、藤丸立香というこのマスターならではに違いない。
「薔薇と言えば赤って感じだけど、ポカさんだったら何色が似合うかな」
ふとこちらを振り返り、マスターが言う。あれだけの大事件に巻き込まれておいて、こんなにも無邪気に尋ねてくるのがまた立香らしい。
「ん……? オレの眼がどうかしたか?」
「ポカさんの眼の色、青だなあって。だから青い薔薇もいいかも」
「青い薔薇? 実現不可能だとかいう、アレだろ」
彼の言う通り、薔薇とは本来青い色素を持たない花。故に自然界において青い薔薇は存在し得ず、それは長らく不可能の象徴とされてきた。
——ところが、である。
「確か、オレがまだ小さい頃のことだったかな。実は、青い薔薇を作り出すのに成功してるんだ。だから、今では“夢叶う”なんて花言葉もあるんだって」
「へえ。随分詳しいな。オレもそれは知らなかった」
「昔、薔薇について調べたことがあって。でも、なんで調べたのかは思い出せないんだよなあ……うーん、学校の課題、とか?」
そう言って苦笑いするマスターは、何処にでもいる一人の少年の顔をしていた。普段の彼を見るに、きっと努力家ではあったのだろうが、友人たちと他愛のない会話に花を咲かせ、ありふれた日常を過ごしていた頃の姿が目に浮かぶようで、慈悲深さをも持ち合わせたこの神は、ほんの少し複雑そうな表情をして、立香が再び口を開くのを待っているかに見えた。
「……でもさ、ポカさん」
まもなくして、言葉が紡がれた。つい先程は幼さすら感じさせたマスターの眼差しは、打って変わって凛々しく、それでいて焦がれるような煌めきをも宿していた。
「オレ、思うんだ。どんなに不可能に思われても、やっぱり諦めちゃいけないんだって。それに、青い薔薇の花言葉は他にもまだあって……神の祝福って言葉もあるんだよ。だからオレも、ポカさんに応援してもらって、まだまだ頑張らなきゃ」
言い終えたマスターの満面の笑みに釣られるように、サーヴァントもまた、気が付けば笑みを浮かべていた。それでこそオレのマスターだと言わんばかりに、彼は答える。
「そうか。ならばこのオレは、戦を司る神として、過酷な戦場に立つおまえが、いつか不可能さえも成し遂げる瞬間を見届けるとしよう」
「うん、ありがとう」
嬉しそうに笑う立香の面差しには、やはりあどけなさを見て取れないこともないのだが、自らの前で決意を新たにしたマスターを祝福するかのように、サーヴァントはその額にそっと口づけを与えるのだった。
「へへ、くすぐったい……じゃあ、オレからもお返し……って、ポカさん⁉︎」
恐らく彼もお返し、と称してキスをしようとしたのだろうが、ちょっとだけ揶揄ってみたくなったサーヴァントが「おっと」などと言いつつ軽く躱してみせると、膨れっ面で不満を訴えてくるのが愛らしかった。
「もう、ポカさんってば!」
「……冗談だよ、冗談。まさか本気にしたか?」
「そ、そういうわけじゃ……でも、少しだけ傷付きました」
「悪かったな、マスター。敢えて言っておくが……おまえからの捧げ物はいつでも歓迎だ。オレもそれに応えてみせるさ」
そう言う彼の穏やかな微笑に引き寄せられるかのように、マスターは再びキスをしようと試みる。そうして二人の唇は今度こそ確かに重なって——しばらくの間、彼らは少しも離れずにいたという。