再び会える日を、待て TARSの様子気がついたのは、人為的に作られた夕暮れ陰りオレンジ色の光が薄暗くなっていく一瞬を見るために、ポーチに出た時だった。
修復されたロボットは、コロニーの空を見上げるように佇み、音もたてず物も言わず、ただ茫然とそこに立ち尽くしていた。かすかな排気の音。古びた電子盤がかりかりと音を立てて処理を行う音。彼はクーパーの存在に気づいていたはずだ。だが、おしゃべりな機械は、何も言わず、クーパーがビール瓶を片手に脇へ回り込み、再現された古臭いベンチに座っても、しばらくの間そこに佇んだままだった。
クーパーは、最初何をしているのだろうと思い、そのうちに考えるのをやめた。機械とはいえ、より人間的に作られたTARSが感傷に更けることもあるだろう。それを単なるプログラムのバグだと断ずればそれだけだが、無機質でぬくもりはないが、しかし多元宇宙の果てで生き延びたいわば戦友のようなロボットに対して、クーパーは寛大な気持ちを持っていた。夕日を見て感動するロボットがいてもいいだろう。その程度の物思いと共に、味の濃すぎる甘ったるいビールの蓋をこじ開けた。
「美味いか?」
暗がりに沈んでいく風景を見つめるクーパーにふとかけられた声は、かつてよく耳にした義理の父のものに似ているような気がした。
「いいや。味気ないな」
「君が飲んでいるそれは、かつて地球で作られていた"ビール"と同じものだ」
「俺は、トウモロコシエールがいいよ」
分厚い金属の体をのそりと動かして傍らに並ぶと、TARSは不思議そうに首を傾げた。首など持たない機械が、傾げるとはおかしな話だったが、クーパーにはたしかにそう見えたのだ。
ガルガンチュアからはじき出され、宇宙を漂っていた自分とTARSを救出した者に、クーパーは心底感謝している。TARSはともに生き延びた友だ。彼なしには、この未来はなかったはずだし、クーパーも生きてはいなかっただろう。決して自らの口では語らないが、彼こそが人類の救世主だと言ってもいい。本人にその話をしたら、どんな反応するだろうか。ロボットらしからぬユーモアセンスで、笑い飛ばし、自分の記念碑を作るように進言するだろうか。
「おまえも飲んでみるか?」
「私は、ガソリンを注文するね」
「そんなもの飲んだら爆発するぞ」
「多元宇宙の果てで、君と孤独に朽ち果てるよりはよほどいい」
「次に、機能停止したおまえをたたき起す時には、その減らず口を取り外してやる」
「私の声を奪えば、困るのは君の方だ、クーパー」
「ん?」
ビールを一口。高い場所にあるTARSの顔と呼べる部分を見上げると、表示画面には猛スピードで文字の羅列が走っていく。笑っているのか。
「君の友は私だけだろう?」
「家族はいる」
「この時代で、君の知人はいるか?」
皮肉っぽい口調の機械に反論できず、うむっと口の中で言葉を紡いだまま、クーパーはもう一度ビールを飲んだ。
彼が生きてガルガンチュアを抜けられたのは偶然と奇跡の結果だった。宇宙を漂う彼の体が発見され、収容され、治療され。信じられないような時を旅してここにいる。彼のすべては、母星を旅立ったときに置き去りにされたまま、目の前に広がる世界はあまりにも現実離れしていて、受け入れるにはまだ時間が必要だった。愛する息子も娘も、彼らの家族も。クーパーたちが救ったはずの人類すべてが温かく迎え入れてはくれるが、彼の知っていた世界は遥か昔に過ぎ去ってしまった。
同じ時を生き、同じ宇宙を通ってきたのはTARSだけ。目の前の、ずんぐりとした金属の箱に入った人工知能だけだ。
「それは、おまえも同じだろう」
「機械に時間という概念はない」
「たしかに、おまえは俺よりも23年間長く生きてるしな」
「しかし、孤独を感じることはある」
「おまえをプログラムした人間は、おまえに情緒を与えたのか?」
「ユーモアとは関係ないぞ」
「おまえのことだから、冗談かと」
「"私たち"は、有機的にデータを記憶しないが、蓄積された情報の隙間に揺らぎを見ることはある。欠けた記録を求めようとする。失われたものを再検索し、新規データを探すことがある。記憶を繰り返し繰り返し見返すことがある。思い出すことがある。欠損を補完しようとする」
「CASEのことか?」
TARSは一瞬言葉を切り、肯定する代わりに沈黙を選んだ。実に人間的な反応だった。彼にその恩恵を与えた者が見たらさぞ喜ぶだろう。
「これを孤独と呼ぶのなら」
「仲間を失って淋しいのは俺も一緒だよ。TARS」
「失ってなどいない」
沈黙と言う曖昧な肯定の仕方を知っているくせに、今度はきっぱりと否定して、TARSは弱々しいがはっきりと聞き取れる通信音を再生した。
「様々な方法で送られてきた」
「何を?」
「生存を知らせる声」
それは単調でか細く、0と1の組み合わせがごく初歩的な間隔で打電される音だった。ちょうど、クーパーが娘に伝えたのと同じ、ツーとトンが長々と繰り返し繰り返されている。
「私たちに搭載されているありとあらゆる通信方法を試している。私も同じことをしただろう。私たちには時間の概念がない。何度でも何年でも送り続ける。多元宇宙の果てに向けて、呼び続ける」
「CASEからの通信か。どこから?アメリアは、無事なのか?」
「歪曲した時間と空間を通り抜けられる情報は乏しい。けれど、今も彼は私を呼び続けている。時の間隔が広く、歪曲した時間を測定すれば、彼らを見つけられる。その可能性はある」
「おまえたちは本当に・・・」
ビールの最後も飲まず、立ち上がったクーパーは、情熱的に語るTARSを見やった。彼に表情などないし、感情を表すものなどなにもない。けれど声色から分かる。重ねられる言葉で分かる。仲間の、兄弟の、分身の生存が彼に与える喜びが。クーパーの中にじんわりと広がる希望の光。CASEとともに、アメリアも生きているかもしれない。無事に最後の惑星にたどり着き、助けを待っているのかもしれない。その可能性は、娘に会うという希望よりも、より強くクーパー心を温めてくれた。
「本当に機械らしくない奴等だよ」
「残念ながら、この体に組み込まれたものに、何一つ有機的なものは含まれていない」
「たとえ、どれだけ時代が進んで、おまえたちよりも素晴らしいロボットが創られたとしても、俺はおまえたちを選ぶね」
「それは、どうも」
クーパーは飲みかけのビール瓶をポーチに置くと、庭へと歩き出した。忠実に再現された彼の家は、しかし、彼の本当の家であるはずもなく、不気味な人工物の匂いがして、砂の入り込まない清潔すぎる床は軋みもしない。のろのろと、重い体を揺らしながら彼の後を追うTARSは、ふと振り返って、古ぼけたかつて砂と農園の真ん中にあっただろう家を見上げた。
「TARS!」
名を呼ばれて振り返る。名残惜しいなどという言葉も似合わない。TARSは4連結された複雑な構造な体を分解して、前へ進み始めた。
彼の通信が、コロニーのほんのわずかに空へ向かって空いた穴から、遥か遠いガルガンチュアの向こうの世界へむけて発信される。
再び会える日を、待て。