シャワータイムラブストーリー「シャワーを浴びてくるよ」
ケント・ネルソンはそう言って、もぞもぞと身じろぎした。胸の上に絡みついていた、事後の熱冷めやらぬカーターの腕をするりと押しやり、おざなり程度に裸体を隠していたシーツの中を泳ぐようにしてベッドを出ていこうとする。その腰のラインや足の付根や、乾いた太ももを名残惜しむようになぞってみたけれど、ケントの方はくすぐったそうに笑いながら、そっとカーターの意図を阻止してくる。
「ケント」
「すぐに戻るよ」
一枚しかないシーツをぐいぐいと引っ張られるのを成すすべなく持っていかれる。
ケントはいつだって、一人先にベッドを出ていく。別に、事後の甘ったるい雰囲気が嫌いだとか、くすぶる熱を探り合う駆け引きが嫌だとか、そういう理由でないことはカーターもよくわかっている。単純に、ケント・ネルソンという男は綺麗好きであり、やや潔癖なところがあるというだけのことだった。つまるところ、激しく求め合い、互いの乾いた肌が汗に濡れて、ぬるついた体液を混ぜあい交わり、緩やかに乾いて冷めるよりも前に、すっかり洗い流したいという、ただそれだけの理由だった。だから、綺麗さっぱり汗と汚れを流し、満足いくまで温かい湯に体を沈めて、まるで一種の儀式のようなシャワータイムが済んでしまえば、彼はこざっぱりした格好でベッドへ戻ってきて、カーターをシャワールームへ押しやる。
ホール邸のカーター自身の部屋のシャワールームは、すっかりケントのお気に入りの空間になっていた。どちらかといえば大雑把な性格の部屋主の私物が綺麗に片付いていたり、知らない間にケント専用のソープやローションのボトルが増えていたりする。使用済みのシャワールームはケントの匂いがした。そこでカーターは手短に熱すぎるくらいのシャワーを浴びる。彼にはそれだけで十分なのだ。戦いの後でさえ、汚れさえ落とせればそれでいいと思う。できるだけ早く部屋へ戻る。そうでないと、遅いと文句を言われるし、実際早く戻りたかった。そうしてベッドへ戻ってきたカーターの温かく長い脚に、ケントは自身の脚を絡めて眠る。安らかに。ようやく、全てが終わったと信じきって。
「そう言って、おまえはいつも俺を置いていくだろう」
シーツを体に巻きつけて、ベッドの端に座ったケントは、くすくすと笑いながら、伸ばした手でカーターの髪をくしゃりと撫でた。まるで子供をあやすように。
「今夜はもう遅いからね」
いつだってカーターは物寂しくその背中を見送る。ケントの希望は知っているし、当然それを叶えるべきと思っているけれど、それでもだ。一人ベッドに残されて、刻々と冷めていく熱を持て余している時間ほど虚しいことはない。時には、淡々と聞こえてくるシャワーの水音を聞きながら、発散しきれなかった熱を一人で処理することもあった。ケントには絶対に言わないが。いいや、彼なら気づいているかもしれない。そうでなければ、涼しい顔をして戻ってくるなり、情事の最中には見せなかったような、意味深な笑み浮かべたりはしないだろう。面白がっているのかもしれない。
手を伸ばして、引き留めようか。一瞬、強引で不埒なことを考える。腕を掴んで、ベッドに引き戻して、上から押さえつけてしまえば、抵抗されることはないだろう。彼は少し困ったような顔をして、やれやれとため息を付くかもしれない。彼の力を行使すれば、いくらでもカーターを押し退けることができるだろう。それでも、彼が拒否しないだろうことはわかっている。キスをして舌を絡めて、今もまだ汚れたままの場所を撫でて、交わした情交を洗い流す前にくすぶった火に空気を吹きかければ。
「明日は、大事な会議があるんだろう」
カーターの思惑を知ってか知らずか、そんなことを言って言い訳するこの唇を、今すぐに塞いでしまいたくなる。
彼の言う通りだ。身体は疲れている。少しでも寝て置かなければということはわかっている。けれど、忙しさにかまけて、放置していた自身の中の欲望が、今もまだ冷めぬまま、くすぶっているのだ。互いにすれ違っていた時間は長い。顔を合わせ言葉を交わすことはあっても、体を重ねたのは久しぶりのことだ。このままこの一瞬を逃してしまうのはあまりにも惜しい。
「ケント」
するするとシャワールームへと向かうケントの背中に伸ばした手が、ふわりと交わされる。彼には見えているのだろうか。未来が。これから、自分がどうするつもりなのか。このまま何もせずに彼の背中を見送る事を良しとするか。それとも、まるで肉食獣のように飛び出して強引に引き戻し、ベッドの中に縛り留めるか。どんな未来を知っているのか。彼はどんな選択したのか。たとえ彼の予知能力を知っていたとしても、彼が選び取る未来までは分からない。その謎めいた横顔に見え隠れする期待までは読み取れない。
「何を見ているんだ?カーター」
「別に」
一瞬のうちにあれこれと考えを巡らせたカーターの考えを面白がるように、ケントは振り返り見た。
「物欲しそうな目をしている」
「知っているなら、行くな」
「さっきも言っただろう。今日はもう遅いぞ」
「関係ない」
「やれやれ。君の強引さは好きだが、今夜はどうしたんだ?君なら、もっと早く判断できるだろう?」
「おまえを連れ戻すために?」
「そうしない理由があるのかね?」
「引き戻して欲しかったのか。それなら、そうと言ってくれ」
「そうは言ってない」
「では、どうしろと?」
そのやりとりにいらだちはじめたカーターにケントは口元を緩めたまま、ベッドへは戻らずにシャワールームの方を示す。カーターは一瞬その意図を読み倦ねる。ケント・ネルソンお得意の謎掛けかと思ったのだ。だが当の魔術師はにやれやれと肩をすくめる。彼は世界最高峰の魔術を操るその指先で手招きした。
「一緒に済ませたほうが早く済むと思うんだが、どうかな?」
その思いがけない誘いに、カーターは一瞬面食らった。無様にぽかんと口を開けたまま、次の言葉を思いつくよりも前に、ケントは残念そうに首をふる。
「失礼した。これは無用な誘いだったな」
「いや」
慌ててベッドを飛び降りようとして、危うく足元がもつれたところを見られたのではないかと、一瞬ヒヤッとしながらケント元へ歩み寄る。裸でなければ、恭しくダンスに誘うかのように手を差し伸べていただろうが、まるで餌を与えらた犬みたいな気分に、思わずため息が出る。
「そういうことなら、喜んでお供しよう」
「不埒なことを考えてるんだろう?」
「まさか」
「それは残念だ」
「ケント。もうからかうのはやめてくれ」
「はは。君があんまり可愛いから」
意地悪をしたくなるんだ。そう言って、ケントはカーターふくれっ面にキスをした。