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    9293Kaku

    @9293Kaku

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    9293Kaku

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    中途半端に前世の記憶持ちの江澄と閉関してないけどポンコツの藍曦臣のお話です。
    随時更新。こちらに追記してゆくスタイル。

    なけなしのwonder 美しい男は泣き顔まで美しいんだな——白桃のような頬を真珠の涙が伝い落ちる様を、江澄は呆然と見下ろしていた。
     自分の目の前で膝を折り、人目も憚らず泣いている男は三十路をとうに過ぎているはずだ。普通ならいい年をして……となるところが、彼に関してはそんな蔑みさえ浮かばない。
     ああ、そういえばこの人はどんな時でもその清雅な姿を崩さなかったな——そんな事実が思い起こされ、江澄は改めて彼——藍曦臣の姿を見下ろす。
    「なあ」
     泣いている人間を前に、自分でも驚くほどに平坦な声が出た。
    「とりあえず、立たないか。そんなところに座ったままじゃ冷えるだろう」
     場にそぐわない言葉に、藍曦臣が初めて顔を上げた。泣き濡れた琥珀の瞳に見つめられ、記憶を揺さぶられた江澄は、軽い眩暈を覚えた——。

     彼の名は江晩吟。どこにでもいる平凡な男だ。年は二十八、食品輸入会社勤務のサラリーマン。一応係長という役職をもらって数人の部下を預かっている。この年でそのポジションはまあまあ出世していると言えるだろう。両親は健在。あまり夫婦仲は良くないが、なんとか破綻せずにやっている。兄弟は姉が一人と父の親友の息子で訳あって幼い頃から一緒に暮らしている義兄が一人——いたって平凡な家庭の生まれだ。
     けれども彼には一つだけ特異な点があった。前世の記憶を持っているのである。
     もっとも、それを「前世」と言っていいのかどうか——なにしろとても奇妙な記憶なのだ。

     前世の江澄が暮らしていた世界は「仙門」という仙人の修行をする者たちがいる世界で、修行によって体内に仙力の元となる「金丹」を宿した仙師たちが人知を超えた術や法器を操って「邪祟」と呼ばれる怪異を退治したりしていた。剣に乗って空を自在に飛び回ったり、死者を操ったりと、まるで今流行りの武侠もののドラマのようだ。
     その世界での彼は「仙門の名家雲夢江氏の宗主、江晩吟」として生きていた。
     「江晩吟」の生涯は中々に波乱万丈であったらしい。「らしい」というのは江澄自身、その一生を正確には覚えていないからだが……。

     時折顔を出す、「こういうことが前にもあった」という感覚——俗にいうデジャヴ——は珍しい事ではない。けれど、江澄のそれは必ずこの奇抜な前世の記憶に紐づいている。
     例えば江澄は物心ついたときから、両親に、とりわけ父親に、愛されたという実感がない。
     母親は苛烈な性格で、その母に似た自分を、父は疎んじている——そう感じるのは自分の思い込みでも彼が殊更ひねくれているせいでもなく「前世からそうだった」のだ。
    自分の隣に本来は他人である「魏無羨」が兄貴面していることも、自分が何かにつけ彼と比較されながら憎み切れないでいることも、「あの頃からのこと」——この感覚を人に説明するのは難しい。
     ただ、江澄は「知っている」のだ。自分の人生が「そう」であることを。

     最初にこの奇妙な記憶に気が付いたのは、魏無羨が父に連れられて家にやって来た時だった。
     その頃、江澄は三匹の犬を飼っていてとても可愛がっていたのだが、魏無羨の顔を見た途端、犬たちを手放すことになるのだと悟った。そしてそれは現実となり、江澄は犬たちとの理不尽な別れに憤り、「あの時」と同じように魏無羨を木の上に追い詰めるような大喧嘩の末、和解した。その時思ったのだ。「ああ、あの時と同じだ」と。
     その後も似たようなことが度々あって、その都度思った。「こうなることは判っていた」——。

     もしかしたらそれは無意識の心の防衛なのかもしれなかった。両親の不仲や急に変わった人間関係、それに伴う理不尽な出来事——そんな事柄から幼い心を護る為の。
     事実、この記憶のお陰で、江澄はその後も自身に降りかかる災難めいた出来事に心構えが出来た。がっかりするようなことや傷つく出来事があっても、それを既知のことと受け止めることでショックが和らいだ。欲を言えば、あらかじめ判っていれば回避することも可能だったのだろうが……。
     厄介なことに、江澄の記憶はいつも起こった後で「思い出す」。悲劇的な出来事も災難も、起きてしまった後で「ああやっぱり」という諦念とともにやって来るのだ。
     そしてその不思議な記憶は、今世の江澄の性格にも少なからず影響を与えた。
     前世の彼は負けず嫌いで、何かにつけて皮肉を言うような人好きのしない人間だったが、今の彼はある意味、とても穏やかだ。
     本来、彼は母親に似て皮肉屋で、感謝や謝罪を素直に口に出来ないひねくれた性格だった。けれども、今世では起こる出来事のいちいちに心を動かされたりはしない。なにしろすべては前世から「決まっている」。決定事項に腹を立てても仕方がないのだ。なにより、そう思えばすべてが楽だった。
     傷つくことも怒ることもとても疲れる。しないで済むならそれに越したことはない。もっとも、同時に驚きや喜びに心動かされることも少なくなったが、過酷だったらしい前世を思えば、文字通り波風の立たない今の暮らしに不満は無かった。
     このまま何事にも心動かされることなく、ただ静かに今生を終えることが出来たら……若干二十八歳にして、江澄は人生を諦観していたのである——。

     そして、藍曦臣——もちろん、江澄は目の前のこの男を知っていた。
     前世での彼は江澄が治める雲夢江氏と並んで四大世家と称される姑蘇藍氏の宗主だった。沢蕪君という号で呼ばれ、仙師としての力量も高く人柄も良く、誰の目から見ても非の打ちどころのない人格者だ。
     少なくとも記憶の中の彼はそうだ。ただ、初対面にも等しい今世、彼が「あの頃」の藍曦臣と同じかどうか、確証はなかったが。

     今世で、江澄が彼に会うのは二度目だ。
     初対面は一ヶ月前——魏無羨の結婚報告に伴って両家で顔合わせを行った時。義兄のパートナーの兄として紹介されたのが最初だ。
     ちなみに、魏無羨の婚姻相手は男だ。藍忘機——江澄、魏無羨とは高校時代の同級生にあたる。
     入学式で初めて藍忘機を見かけた時、新入生代表あいさつで壇上に立つ彼を見つめる義兄の視線に、江澄はこの結末を「知った」。だから藍忘機と付き合っていると打ち明けられた時もさしたる驚きは無かった。
     学生時代、魏無羨と藍忘機は傍から見れば親密というよりは険悪な関係に思われていたから周囲は騒然となったが、しかしそんな中でも、江澄はこの決定事項が覆ることはないだろうと思っていた。
     意外だったのは両親がこの結婚に反対しなかったことだ。
     近年では同性同士の関係は珍しくないとはいえ、いまだ合法的に「結婚」は出来ない。ただ一部パートナーシップ制度を設けている州はあって、二人はそこで転入手続きと制度申請をするのだという。
     すでに結婚して子供もいる姉、江厭離はともかく、両親は反対するだろうと思ったが、魏無羨が幸せならばと諸手を挙げて賛成したのには驚いた。
     江澄としては、それは久しぶりに感じた「驚き」だ。
     何事も魏無羨に対しては全面肯定の父はともかく、日頃江澄に対して、体面だの家の名前を汚すなだのとうるさかった母も魏無羨には甘いのかと暗い気持ちになったが、今にして思えば、自分たちを顧みて「愛の無い結婚」よりも「結婚の無い愛」を尊重した結果かもしれなかった。
     そもそも前世では、両親は義兄の婚姻の前に亡くなっていたので、この展開は「記憶」にない。生きていればやはり同様に祝福をしたのだろうか……。
     蛇足だが、前世で言えば姉もこの頃は既に他界していて、魏無羨の結婚に立ち会うことは出来なかった。今は旦那の仕事の都合で他国で暮らしていてなかなか会えないが、今世、姉が生きて可愛い甥、阿凌とともに幸せに暮らしていることはなによりの僥倖だ。
     それもこれも、平和な世の中になったればこそ——前世では両親も姉も戦乱に巻き込まれ命を落とした。さすがに平和な今世で焼き討ちに合ったり剣で刺されたりは無いが、しかし、似たようなことはあった。
     まず、江澄が十七歳の時、家が放火され一家そろって焼け出された。
     前世では温氏という悪党に同様の仕打ちを受け、その時に両親は命を落としたのだ。
    幸い、此度は全員無事で、江澄が逃げる際、焼けた木材に触れて胸にやけどを負ったにとどまった。命にかかわるようなものではないが、胸に残った痕はまあ想定内だ。
     姉もまた一度、命を落としかけたことがある。江澄が二十歳の時で、家のこと同様、前世に経験した時期と一致している。
     そんな経緯もあって、彼は自分の不思議な記憶が、紛うことなく「前世で経験したこと」だとますます確信を深めたのだった。
     そして初顔合わせの日、藍忘機に兄だと紹介された藍曦臣に会った時に思い出した。
    「ああ、そういえばいたな……」と。

     藍曦臣——世家公子容貌格付け第一位、藍忘機と共に藍氏双璧として有名だった彼は「あの頃」の自分のあこがれだった。
     前世では確か、座学と呼ばれる、藍家が開く私塾のようなものに義兄と参加していた時に出会ったのだ。一緒に化け物を退治しに行ったような記憶がある。その時に優しくしてもらったのだったか。おそらく、顔も良く力もある格上の男に実力を認めてもらって、あの頃の自分は自尊心を擽られ、好意を持ったのだろう。
     今世で、学生時代の出会いがなかったのは単に学年がずれていたからだ。三歳の年の差があっては同じ学校に在籍していたとしても出会うことはない。
     だから、今世での江澄は藍曦臣とはほぼ初対面だ。それでも、目の前の人物に違和感を抱くには十分だ。
     一月前、三つ揃えのスーツを着こなして「弟をよろしくお願いします」と笑っていた。その男が、今は涙と鼻水に汚れて、いつから着替えていないのか、くしゃくしゃのワイシャツ姿で髪はぼさぼさ、顎にはうっすらと無精ひげも見える。元が整っているのでさほど見苦しくはないが、とうていまともな状態とは思えなかった。

    「義兄さんの様子を見て来てくれないか」
     昨日、ハネムーンと称して藍忘機と旅行中の魏無羨から連絡があった。
     藍家の兄弟は二人暮らしで、弟不在のここ一週間あまり、曦臣は一人で家にいるはずだ。顔合わせの席では、弟夫夫(ふうふ)が帰って来るまでに、新居に移るのに必要な荷物は出来るだけまとめておいてやるのだと言っていて、それを聞いた江澄は奇特なことだと感心したものだ。
    「忘機が新居に移ったらひとりになるからね、苦手な洗濯にも今から慣れないと」
     そんな風に笑っていた。ああ、この人は相変わらず洗濯が苦手なままなのかと江澄は思い、自分は何故そんなことを知っていたのだろうと不思議にも思った。
     ともかくも、そんな藍曦臣と一昨日から連絡が取れなくなったと、焦った声音の魏嬰からの要請で江澄は仕事帰りに様子を見に来たわけだ。合鍵のありかは事前に聞いていて、けれどもそれを使うでもなく開いたドアに、嫌な予感がした。
    「藍さん?」
     玄関から覗いた先は真っ暗で、人の気配は無い。けれども三和土(たたき)には脱ぎ捨てられた様子の革靴が転がっていて、江澄は意を決して自分も靴を脱いで室内に上がり込んだ。
    「……藍さん、いますか?」
     パイロットランプの小さな灯りを頼りにスイッチを押すと、明るくなったリビングの隅に白い姿が蹲っていて、江澄は思わず息を呑んだ。
     長い黒髪を帳(とばり)のように下ろし面(おもて)を隠した姿が、一瞬重なる。
     ——この人はまたこんな事をしているのか……。
     清潔に整えられた短い髪と白いワイシャツにグレーのスラックス——今世の藍曦臣は「あの頃」の彼ではない。それでも、蘇った記憶に江澄の胸は冷え、我知らず口調もぞんざいなものになる。
    「……まったく……いつからこんな事をしているんだ、貴方は」
     蹲った男の前に自らも膝を折り、目線を合わせてその肩に手を掛ける。
     暗闇の中、ふいの灯りにくらんだ視界がようやく江澄の姿を捉えたように、藍曦臣は長い睫毛をせわしなく瞬いた。
    「——キミは……」
    「江晩吟だ」
    「晩吟……魏嬰の……」
    「ああ、奴に頼まれて様子を見に来たんだ。藍忘機が貴方と連絡が取れないと心配しているからと」
     言いながら立ち上がり、傍らに脱ぎ置かれたままの上着を拾い上げ、藍曦臣の肩にかけてやる。
    「この部屋は随分寒いな」
     そうして、手を取って藍曦臣を立たせると、ソファーへと導いた。
    「エアコンは……ああ、これか」
     テーブルの上のリモコンを見つけてスイッチを入れる。
     徐々に温まってくる部屋に、藍曦臣はようやく「寒い」という感覚を思い出したのか、両肩を抱いてスーツの襟を引き寄せた。その様子に、江澄はため息をついて立ち上がる。
    「キッチン、借りるぞ」
     一言断ってから勝手に冷蔵庫を開け、卵と野菜室からしなびた長ネギを取り出すと、食洗器の中に伏せられていた深めのボウルに卵を割り入れ、手近な調味料と水、刻んだネギを加えてラップをかぶせ、電子レンジへと入れた。
     およそ一分半ほどで出来上がった茶碗蒸しもどきを手に戻ると、冷えた手にボウルとスプーンを握らせる。
    「熱いから、気を付けて」
     恐々と一口目を運んだ彼が、二口三口と食べ進めるのを見て、ようやく江澄の口元に小さな笑みが浮かんだ。
    「それにしても、冷蔵庫が空っぽだったぞ。一体いつから食べていないんだ」
    「……もともと、中身は少ないんです。その、自炊はほとんどしないので」
     温かな食事を胃に納め人心地ついたらしい藍曦臣が小声で返した。
    「藍忘機と暮らしているんだろう? 普段はどうしているんだ?」
    「忘機とは生活の時間帯が違うので、食事はそれぞれのタイミングで別々に取ります。私は普段、夕飯は同僚と、外で……」
     そこで再び、琥珀の瞳から涙がこぼれた。それで、江澄には判ってしまった。大方その「同僚」とやらが、この体たらくの元凶なのだろう。
     そういえば——唐突に思い出す——「あの時」の理由は……。
    「……金光瑶か」
     無意識に呟いた名前に、藍曦臣が弾かれたように、泣き濡れた顔を上げた。
    「なぜ、キミが彼を……」
    「え? いや、姉の旦那の遠縁で……同じ会社で、貴方と親しいと聞いていて……」
     咄嗟に言いつくろったが、もちろん、嘘だ。
     前世で、藍曦臣と金光瑶は義兄弟の契りを結ぶほど親密な関係だった。そして、金光瑶がある事件で藍曦臣を裏切って、その結果、藍曦臣は彼を——。
    「まさか、殺したんじゃないだろうな」
     蘇った記憶に一気に血の気が引いた。前世において、複雑に張り巡らされた謀(はかりごと)の果てに彼はその手で義弟を刺し殺したのだ。そのショックから自暴自棄になり、「閉関」と称して何年も閉じ籠った。まさか、今度もまた——。
    「え?」
     物騒な言葉に、藍曦臣が眉を顰める。
    「殺す? 私が、阿搖を? そんなこと——」
     言う傍から大粒の涙が頬を転がり落ちる。
    「むしろ、私の方が殺されたようなものだ……阿搖……信じていたのに……」
     もはや自分の存在さえ眼中にないように、本格的に泣き始めた藍曦臣を江澄は何も言わずにただ眺めていた。胸中には、どうやら大事にはならなかったらしいことへの安堵と同時に、目の前の男に対する憐憫が、次々と蘇る記憶とともに胸を塞ぐ。
     かつて、この男は厳しい家訓に縛られた環境で育ち、常に正義と他者への寛容を胸に、世の中にある悪意の存在を知りながらもそれを正せるものと信じていた。一つでも美点を認めた者を、その本質は善であるとみなして慈愛をもって接する。あの陰謀渦巻く戦乱の時代に、それはあまりにも危うく甘い考え方ではあったが、自分を認められることの少なかった江澄には大きな救いだった。
    「貴方ばかりが悪いわけではないんだろう」
     言って、テーブルの上のティッシュの箱を引き寄せ、傍らの男の膝に置くとおもむろに立ち上がった。
    「少し出てくる」
    「……帰るのですか」
     心細そうな声を背中に聞いて、江澄は大きく息をついた。
    「いや。こんな状態の貴方を一人にしては置けない。魏無羨の手前もあるしな。迷惑かもしれないが、今夜はこちらに泊まらせてもらう。着替えと何か食べるものを買って来るから、可能なら、貴方は俺が戻って来る前に風呂に入れ。なかなかに、ひどい有様だぞ」
     言ってやると、藍曦臣は初めて気づいたというように、涙でぐしょぐしょのシャツの胸元を引っ張った。
    「……はい」
     幼い子供のように素直に頷いて、茫然と自分を見上げる男に口の端を上げて見せ、江澄はひとまずその家をあとにした。
     
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    sgm

    DONE現代AU
    ツイスターゲームをしようとする付き合い立て曦澄。
     確かに、藍曦臣があげた項目の中に「これ」はあった。そして自分もしたことがないと確かに頷いた。
     ただ、あまりその時は話を聞けていなかったのだ。仕方がないだろう?
     付き合い始めて一か月と少し。手は握るが、キスは付き合う前に事故でしたきりでそれ以上のことはしていない。そんな状態で、泊まりで家に誘われたのだ。色々と意識がとんでも仕方がないではないか。もしもきちんと理解していれば、あの時断ったはずだ。十日前の自分を殴りたい。
     江澄は目の前に広がる光景に対して、胸中で自分自身に言い訳をする。
     いっそ手の込んだ、藍曦臣によるからかいだと思いたい。
     なんならドッキリと称して隣の部屋から恥知らず共が躍り出てきてもいい。むしろその方が怒りを奴らに向けられる。期待を込めて閉まった扉を睨みつけた。
     だが、藍曦臣が江澄を揶揄することもないし、隣の部屋に人が隠れている気配だってない。いたって本気なのだ、この人は。
     江澄は深いため息とともに額に手を当てる。
     「馬鹿なのか?」と怒鳴ればいいのだろうが、準備をしている藍曦臣があまりにも楽しそうで、金凌の幼い頃を思い出してしまうし、なんなら金凌の愛犬が、 4757

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    PROGRESS長編曦澄15
    おや、再び兄上の様子が……
     あの猿は猾猿という怪異である。
     現れた土地に災禍をもたらす。
     姑蘇の、あまりに早く訪れた冬の気配は、疑いなくこの猾猿のせいである。
     猾猿は気象を操る。江澄を襲った倒木も、雨で地面がゆるんだところに風が吹きつけた結果だった。
    「何故、それを先に言わん」
    「あんな状況で説明できるわけないだろ」
     魏無羨はぐびりと茶を飲み干した。
     昨夜、江澄は左肩を負傷した。魏無羨と藍忘機は、すぐに江澄を宿へと運んだ。手当は受けたが、想定よりも怪我の程度は重かった。
     今は首に布巾を回して腕を吊っている。倒木をもろに受けた肩は腫れ上がり、左腕はほとんど動かない。
     そして今、ようやく昨日の怪異について説明を受けた。ちょっとした邪祟などではなかった。藍家が近隣の世家に招集をかけるような大怪異である。
    「今日には沢蕪君もここに来るよ。俺が引いたのは禁錮陣だけだ。あの怪を封じ込めるには大きな陣がいるから、人を集めてくる」
     話をしているうちに藍忘機も戻ってきた。彼は江澄が宿に置きっぱなしにした荷物を回収しに行っていた。
    「なあ、藍湛。江家にも連絡は出したんだろ?」
    「兄上が出されていた」
    「入れ違いにな 1724