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    9293Kaku

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    9293Kaku

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    ギリギリ間に合いました!ヽ(^o^)丿

    #MDZS新年会2
    mdzsNewYearMeeting2
    #曦澄

    目玉焼き戦争 藍渙と喧嘩した。
     原因は我ながらくだらない、目玉焼きに何をかけるか——馬鹿だ。自分でも馬鹿だと思う。そんなもの、醤油でも塩でも砂糖でも、好きにすればいいじゃないか——今なら冷静にそう言えるけれど。
     今朝の俺は、どうかしていたんだ。

     そもそもタイミングが悪かった。ただでさえ忙しい仕事に決算月が重なって、おまけに部下が大きなポカをやらかして尻ぬぐいする羽目になった。おかげでこの一週間、帰宅は連日深夜近くだ。
     一緒に暮らしている恋人は夜に弱いから帰った時にはもう寝ている——藍渙は起きて待っていると言い張ったが、初日に食卓で寝ぼけてスープに顔を突っ込みそうになったので、待たなくていいと俺から言った。
     ただいまと告げても返事の無い部屋は、家族を早くに亡くした俺には確かに少し辛い。それでも灯りは灯ってるし、テーブルには恋人手作りの夕食がラップをかけられて待っている。夜の遅い俺の胃に負担が少ないよう考えられた、野菜中心の煮物やあっさりしたスープ……美味しくないわけじゃないんだけどな……。
     もともと藍渙は料理が不得手だ。同居した当初は玉子を割ることさえ満足にできなかった。それが切って煮るだけとはいえ、作れるようになったんだから大した進歩だ。味だって市販のスープの素を駆使して一応毎日変えてくれてる——だけど。
     どうせなら肉が食いたかったとか、味が少し薄いな、とか。
     やさぐれた俺はそんな罰当たりなことを考える。
     せめて目玉焼きでも焼こうかと冷蔵庫を開けたら玉子が無かった。しかたがない、明日、藍渙に仕事帰りに買って来てくれるよう頼んでおこう——無いとなれば無性に食べたくなるのが人の性だ。小さな欲求不満を抱えて、食べ終わった食器を洗って片付けて、軽くシャワーを浴びてから、恋人の体温で温まったベッドに潜り込む。
     ベッドがぎしりと軋んでも、隣の藍渙は目を覚まさなかった。いつもなら気づいて、半分寝ぼけながらも「お疲れ様」と言ってくれるのに。
    「……薄情者め」
    身勝手な恨み言を呟いて、その日は眠りについたのだった。
     翌朝、いつものように、早起きの藍渙が用意してくれたトーストとコーヒーの朝食を腹に納めて。一足先にいってきますと言いかけ、ふと玉子のことを思い出した。
    「判った。帰りに買っておくね」
     にっこりと彼が笑う。美貌がますます輝きを増して、実はこの顔に一目惚れだった俺はそれだけで連日の疲れも癒される気がした。
     と、その表情が不意に曇る。
    「今日も遅いの?」
     ためらいがちな声に、俺もついため息をついてしまった。
    「多分。もうちょっとで目途がつくとは思うけど」
    「……そう。判った。気を付けてね」
     寂しそうな顔でいってらっしゃいと手を振る。仕方がないとはいえ、そんな顔をさせてしまうことに罪悪感を刺激されて、俺は少しだけ暗い気持ちで家を出たのだった。
     いつまでも恋人に寂しい思いをさせていられない——その日、俺はむちゃくちゃ頑張った。ろくに休憩も取らず、昼飯を食べる間も惜しんで。そのかいあって、どうやら明日にはなんとか片が付きそうなところまで漕ぎつけた。定時は無理だとしても、明日は藍渙が起きているうちに帰れるかもしれない。
     終電で帰宅して、いつものように灯りの灯ったリビングに入る。
     テーブルにはお決まりの煮物とスープ——それと、目玉焼きの皿が乗っていた。
     二個の玉子を使って、不器用な藍渙が作った目玉焼き。
     片方は割るときに失敗したらしく、黄身が潰れている。また力を入れ過ぎたのか。それでも、見たところ殻は混じっていないようだし、焼き加減も、藍渙にしては珍しく、丁度良かった。潰れた方はともかく、無事な方は俺の好きな半熟だ。でもこれをレンジで温め直したら、火が入りすぎてしまうだろうし、冷たい目玉焼きなんて論外だ。何より最悪だったのはソースがかかっていることだった。
     目玉焼きにソース——それを見たとき、俺の心がすぅっと冷えた。
    「なんでよりによってソースなんだ」
     俺は目玉焼きには醤油派だ。一緒に食べるところを見たことがあるんだから、藍渙だって知ってるはずだ。
     もしかしたら醤油と間違えたのかもしれない。だとしても、勝手にかけるか? 普通は食べる直前にかけるもんだろう?
     疲れた心に理不尽な怒りが湧き上がる。
     苛立った俺は、恋人がせっかく作ってくれたそれを無視して、新たに冷蔵庫から玉子を取り出した。自分好みの完璧な半熟の目玉焼きを作り、白米に乗せて醤油をかける。プルプルとした黄身を箸で崩してとろりと温かなところをご飯に絡めて頬張る。得も言われぬ美味さだった。
     結局それだけで食事を終えて、手を付けなかった煮物とスープ、それとソースのかかった目玉焼きを冷蔵庫に仕舞い、いつものようにシャワーを浴びて、ベッドに潜り込む。気配に藍渙が小さく身じろいだ。
    「……阿澄?」
     寝言のような声には応えず、背を向けて目を閉じた。

     そして今朝だ。
     俺が顔を洗ってリビングに入ると、藍渙が冷蔵庫の扉を開けたまま、ぼんやりと佇んでいた。
    「おはよう」
     声をかけると、ゆっくりと振り返る。
    「おはよう、江澄。昨日は外でご飯食べて来たの?」
    「え? あ、ああ……」
     昨夜、手を付けずに冷蔵庫に戻した料理が脳裏に浮かんで、俺は咄嗟に嘘をついた。
    「悪い、差し入れもらってそれで済ませて来た。連絡しないでごめん、煮物とスープ、今食べるから」
     そう言うと悲し気に下がった眉が少し戻ったので内心ほっとする。しかし——。
    「目玉焼きは?」
     自分でもいい出来だと思ったのだろう。問いかける恋人の瞳は、褒めてもらうのを待っている忠犬のように無邪気に輝いていた。
    「……それ、ソースかかってるだろう」
     悪いとは思いながらも口にした。愛があるからと言ったって譲れないものはあるのだ。けれど彼は何を言われたのか判らないというようにきょとんとした顔をした。
    「そうだけど……目玉焼きにはソースじゃないの?」
    「は⁉ ソースかけるなんて聞いたことないぞ? 目玉焼きと言えば普通、醤油か塩だろう」
    「え? 醤油なんかかけたら、玉子の風味が台無しになるじゃない」
     珍しく藍渙が反論してきた。いつもなら俺の言うことににこにこと頷いてくれる彼の、思いがけない反抗に俺は面食らうと同時に、何やら無性に腹が立ってしまった。
    「ソースなんか、甘いだけで全然玉子に合わないだろう! そもそも、卵かけごはんをソースで食べる奴なんているか?」
     我知らず口調が荒くなる。吐き捨てたように言った俺の言葉に、藍渙が琥珀の瞳をすうっと細めた。
    「……私、ソースかけるけど」
    「はあ⁉ 貴方、味覚がおかしいんじゃないか? こう言っちゃなんだが、貴方が作るものは味が薄すぎる」
    「江澄こそ、何でも醤油かければいいと思ってないかい? 塩分の取り過ぎは体に悪いよ」
    「余計な世話だ! 俺が早死にしようが貴方には関係ないだろう! どうせもう悲しんでくれる家族もいないんだ!」
     高ぶる感情のままに吐き捨てて、はっと我に返る。
     茫然と瞳を見開いた藍渙の姿が目に映った。その顔はひどく悲しげだ。
    「……江澄」
     声に含まれた非難めいた響きに堪えられず、俺は彼に背を向けた。
    「朝飯はいらない。仕事が詰まってるんだ。もう行くよ」
    「……」
     いってらっしゃいの言葉はなかった。
     玄関で靴を履きながら、俺は早くも自分の言動を後悔していた——。

    「……課長、なんかありました? 今日、なんか、元気ないっスね」
     隣でカタカタとキーボードを打ちながら、部下の藍景儀がポツリと言う。
    「……誰のせいだと思ってるんだ」
    「オレのせいっスね、すんません」
     ぺこりと頭を下げて、ずれた数字を一段ごとに手作業で直していく作業に戻った。まあ、こういうところが、こいつは憎めない。たまに今回みたいなポカもやらかすが、愛嬌があって取引先にも受けがいいのだ。
    「無駄口叩いてないで手、動かせ」
     言いながら俺はプリンターから吐き出される用紙を確認してゆく。どうやら問題は無いようだった。
    「よし。なんとか休日出勤は免れたな」
    「よかったー!」
    「こら、まだ終わりじゃないぞ。出来たやつコピーして資料にまとめとけ」
    「はい!」
     元気よく返事をして、出来たばかりの書類を手にコピー機へと走ってゆく背中を見ながら、俺はため息をついた。
     懸案の事項は無事片が付き、予定通り今日は早めに上がれそうだ。それなのに、家に帰るのが気が重い。昨日まではあんなに早く帰りたいと思っていたのに。
     自業自得というやつだ。どう考えても、今朝の事は俺が悪い。
    (藍渙、怒っているよな……)
     当然だ。彼は全部俺のためを思ってしてくれたのに、俺はそれを踏みにじるような事を言ったのだ。
     こんな時には素直に謝ればいいのだろう。だけど——。
    (謝って、彼はゆるしてくれるだろうか……)
     売り言葉に買い言葉とは言え、心にもない、というわけではない。咄嗟に口から出たという事は、ある意味本音という事だろう。
     帰って、藍渙に会うのが怖い。
     薄情で傲慢で身勝手な自分になんか、今度こそ、彼は愛想をつかしたんじゃないだろうか——。
     ——そもそもが吊りあう訳がなかったんだ。
     藍渙——藍曦臣は見目麗しいばかりではなく、誰にでも優しくて礼儀正しくて、おまけに育ちもいい、血統書付きのサラブレッドのような人だ。それに引き換え自分は天涯孤独で口も悪く性格もきつくて、おまけに体には醜い傷跡もある。そんな野良猫のような自分と藍渙とではそもそも上手くいくわけがなかった。
     きっかけは俺の一目惚れだ。あの美貌に一目で夢中になって、だけど知り合った当初はそんなこと言い出せなかった。もちろん付き合いたいだなんて夢にも思ってなくて、ただ友達として近くにいられたら、と……まあ、すぐにそれにも限界が来たのだけど。日々膨らむ思いに、このままでは彼にも後ろめたいし、なにより自分自身、そんな生殺しみたいな状態に耐えられなくなって、彼から離れようとした。そうしたら、なぜだか藍渙のほうから俺に告白——好きだと言ってくれて——俺たちははれて恋人として一緒に暮らすことになったのだっだ。
    「……あれは多分、藍渙の気の迷いってやつだったんだろうな」
     同棲を初めてもうすぐ一年が経つ。そろそろ幸せな夢も醒める頃合いだろう。
    「……帰りたくない」
     思わずつぶやいたら、横から缶コーヒーが突き出された。
    「何言ってんですか。課長、ずっと遅かったんですから——まあ、オレのせいですけど——今日はさっさと帰って寝た方がいいっスよ」
     言いながら、景儀が缶コーヒーを俺の手に押し付ける。
    「ホント、すいませんでした」
    がばっと頭を下げて、更に言い継いだ。
    「課長、オレらが帰った後も、作業してくれてたんですよね。お陰で助かりました。ありがとうございました」
    「……別に、おまえの為じゃない。みんな忙しそうだったし、何より、間に合わなかったら俺が困る」
     返したら、にっと笑って景儀は言った。
    「そういうとこ、らしいっスよね。……だけど、ホント、早く帰った方がいいっスよ。顔色悪いですもん。土日しっかり休んで、また元気な怒鳴り声聞かせてください」
    「……おまえは俺を何だと思ってるんだ?」
     部下に心配され、なんとなく居づらくなった俺は、帰り支度を始めた彼らに追い立てられるようにして会社を出たのだった。
     それでも、家路へと向かう足取りは重い。出来るだけ藍渙と顔を合わせる機会を先延ばしにしたくて、俺は駅への道すがら目についた灯りへと蛾のように無作為に立ち寄った。
     喫茶店、カフェスタンド、チェーンの牛丼屋——なんとなく、飲んで帰るのは藍渙に悪いような気がして、あまり長居できないようなところばかりをはしごする。
     さすがに胃が苦情を訴えて来たので、ゲームセンターで終電までの時間を潰そうと立ち入った時だった。コートのポケットでスマホが震えた。藍渙かと恐る恐る見てみると、画面には意外な人物の名前。
    「……金光瑶?」
     藍渙と仕事をしている、彼の秘書のような男だ。藍渙に紹介されて一緒に食事をしたこともあり、俺たちの関係を知っている数少ないうちの一人だった。成り行きで連絡先を交換したが、これまで活用されることなど無かったのだが。
    「……もしもし?」
     恐る恐る出てみると、短い沈黙の後、耳触りの良い声が俺の名を呼んだ。
    「江晩吟さん? 金光瑶です」
    「……はい」
    「貴方、今どこにいるんです? 仕事中ではないですよね?」
     ゲームセンターの騒音が届いたのか、咎めるような声で彼は言った。
    「今すぐ、家に帰って下さい。曦臣哥さんが首を長くして待っています」
    「え、藍渙——」
     何やら怒っているらしい金光瑶の声に、ますます別れ話の予感が迫る。
     ところが——。
    「貴方のお陰で、あの人は今日一日使い物になりませんでした。喧嘩をしてしまったと——自分が余計なことをしたせいで貴方を怒らせてしまったと、それはもう落ち込んで。お願いですから、早く帰ってさっさと仲直りしてください。このままでは仕事になりません」
     ……彼は何を言っているのだろう? 藍渙が落ち込んでいる? 自分のせい? そんなこと——。
    「すぐ! すぐ帰りますから!」
     電話を切って、俺は大慌てで駅へと急いだ。

    「藍渙!」
     ただいまを言うのももどかしく、玄関を開け靴を脱ぎ飛ばして、リビングへと駆け込んだ。ソファーの上で見るからに悄然と項垂れていた恋人がゆっくりと顔を上げる。
    「江澄……」
     涙の滲んだ瞳が俺を見つめた。
    「ごめん!」
    「ごめんなさい」
     互いの声が重なって、同時に見つめ合う。
    「悪かった……その、今朝の事」
    「どうして江澄が謝るの、悪いのは私だよ」
     ソファーの上から見上げる彼の隣に腰を下ろして、俺は改めて首を振った。
    「貴方が俺のためを思って色々してくれたこと、判っていたのにあんな言い方——」
     言ったら藍渙がふわりと笑った。
    「そう言ってもらえると嬉しい。頼まれてもいないのに、余計なことしたって思ってたから」
    「いや、助かったよ。コンビニの弁当ももたれるし」
    「だけど、美味しくなかったでしょう?」
     一瞬言葉に詰まった俺を促すように、恋人の指がそっと手の甲に触れた。
    「本当のことを言って」
    「……正直、毎日は飽きる」
    「うん、そうだろうなと思ってた」
     苦い笑みを見せて彼は視線を伏せた。
    「本当はね、私の味がキミの好みじゃないのは判ってたんだ。それでも、キミは毎日綺麗に食べてくれたから……私は少し、傲慢になってたんだと思う」
    「傲慢?」
    「『してあげてるんだから』って。おかしいね、私が自分でしたくてしてることなのに、キミに感謝されて当然だと思ってしまった」
    「いや、それを言うなら俺だって!」
     俺は慌てて反論した。
    「俺の方こそ、貴方に甘えていた。こんなに大変な思いをしているのだから、してもらって当然だと……自分の都合で負担をかけているだけなのに」
    「江澄は悪くないよ」
    「貴方だって自分を責める必要はない」
     言い合って、なんだか急におかしくなる。
    「……俺たち、何をやっているんだろうな」
    「本当にね」
     笑いながら、改めて顔を見合わせ、俺は再び頭を下げた。
    「悪かった」
    「だからそれは——」
    「貴方には関係ない、なんて言ったこと」
     これだけは、謝らないといけないことだと思った。
     俺の言葉に、藍渙が一瞬目を見開く。それから小さく「うん」と言った。
    「関係なくないよ。だって、キミがいなくなったら私はどうしていいかわからないもの」
    「それは——」
     俺だって同じだ。今日一日、このまま駄目になってしまうんじゃないかと怯えて過ごしていたんだから。
    「……俺は」
     視線を逸らしたまま、俺は言った。
    「口が悪いし、すぐにかっとなって考えなしに色々言ってしまうし、多分それはこれからも変わらないんだろうけど」
     そうして、柔らかく触れたままだった藍渙の手を取って自分を勇気づけるように、強く握り返した。
    「感情的に吐き散らした言葉なんか、信じないで欲しい。……確かに貴方は俺の家族ではないけれど、俺にとってはただ一人の大切な人だ。だから……」
     随分と虫のいい、甘えたことを言っている自覚はあった。呆れられても仕方がないけれど、一方ではこの人なら、俺の我儘も受け止めてくれるんじゃないかと、そんな期待もしていた。
    「……仕方がないよね」
     思った通り、恋人は苦笑して小首を傾げる。
    「それがキミだし、私はキミのことが大好きだから」
     そうして、軽く握った手を引く。導かれるままに、俺は目を閉じて少し顔を上向けた。唇にキスが降ってくる。口付けはすぐに深いものになり、藍渙の両腕が俺の体を強く抱いた。
    「あー、やっと、キミに触れられる」
     首筋に顔を埋めて、匂いを嗅ぐように大きく息をついて、藍渙が言った。
    「ずっと江澄不足で寂しかったよ」
    「うん、俺も」
     広い背を抱き返し、囁く。
     思えば、すべては忙しさが招いた事だったのかもしれない。いつも以上に余裕が無くて、無意識に藍渙に八つ当たりしていたのかも。
     ——忙殺とはよく言ったものだな。
     文字通り、心を亡くしていたんだ。今回は仕方がなかったとしても、普段からもう少し働き方に気を付けた方がいいのかもしれない——密かに反省した。
     と、腕に抱いた体が微かな音を立てた。途端に藍渙が赤い顔をして身を離す。
    「安心したらお腹が空いたみたい。キミもまだでしょう? 今日は何も作っていないから、お弁当でも買いに行こうか」
     嬉しげに言う彼に、俺はまたしても謝る羽目になった。
    「……悪い、外で済ませてしまった」
    「え……」
     傷ついた顔に慌てて言い訳を口にする。
    「貴方に愛想をつかされたと思って……実を言えば、今日は早めに仕事が終わったんだ。だけど、別れを切り出されるのが怖くて、貴方と出来るだけ顔を合わせたくなかった。だから貴方が寝てから帰ろうかと終電まで時間を潰して——でも、金光瑶が電話してきて——」
    「阿瑶が?」
    「貴方が、その、落ち込んでいるからと……」
    「あのこがそんなことを……」
    「俺の事でそんな風になるなら、まだ望みがあるのかもしれないと思って、急いで帰って来たんだ」
     言ったら、恋人の顔が途端に引き締まった。琥珀の瞳にまっすぐに見つめられ、俺の心臓がどきりと音を立てる。
    「阿澄」
     甘い響きで名を呼ばれた。
    「これだけは覚えておいて。何があっても、私がキミを嫌いになることはない。絶対にこの手を離したりしない。だから、何も心配はしないで。私には好きなだけ甘えて、我儘を言って」
    「藍渙……」
     鼻の奥がつんとして、目頭が熱くなる。
     子供の頃から、俺は出来のいい義兄と比べられて育った。父は義兄ばかりを溺愛し、母は何かにつけ義兄と比べては同じように出来ない俺に厳しく当たった。だから、俺には両親に甘えた記憶もない。唯一、姉だけが俺を慈しみ甘やかしてくれたけど、それも母の目を盗んでの事だった。
     なのに、そんな俺にこの人はどうしてこんなに優しいのか——。
    「……ありがとう」
     改めて、抱きしめた。彼の体温が疲れた心に染み渡る。
    「……目玉焼きが食べたいな」
     俺の背を大きな手のひらでゆっくりと撫でながら、不意に藍渙が耳元で囁いた。
    「阿澄、作ってくれる? それで一緒に食べよう。それくらいなら、大丈夫でしょう?」
    「ああ、構わないが——」
     勇気を出して俺は言った。この人は俺にとって、安心して甘えられる、甘えてもいい存在だ——それがやっと判ったから。
    「ソースは絶対、お断りだ」
     首筋に藍渙の吐息がかかる。くすくすと笑いながら、彼は嬉しげに顔を上げる。
    「私も、醤油は認めない」
     そうして二人でキッチンで肩を並べて目玉焼きを作った。
     出来上がった目玉焼きは、それぞれの皿の上でソースと醤油をかけられて、明るい太陽のような二つの黄身をプルプルと震わせていた——。


    END
     

     
     


     
     





     


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