明日と明後日は仕事もレッスンの予定もない休暇となっていた。我々S.E.Mが揃って出演している映画が本日クランクアップし、ゆっくり休んでほしいとプロデューサーから言われた結果の休暇である。私としては特別予定は入っておらず、家の掃除をするか少し先の日程になるが学生達への勉強会の準備をするかと悩んでいたところだった。
だから舞田くんに予定を訊かれたときに「特に予定は入れていない」と答えた。次の休暇でも充分に間に合うからだ。その時に山下くんと目を合わせて明らかに安堵したような息を吐いた理由を私はまだ知らない。私はただ「大事な話があるからミスターやましたの家に来てほしい」と言われただけなのだ。
普段の山下くんならば「勝手に俺の家を集合場所にしないの」などと言いそうなものだが、彼はそこについては何も言わなかった。とっくに承知していた事柄なのだろう。私としても断る理由などない。了承の意を伝えれば告げられた時間をメモした。
二人の表情からしても余程大事な話であることは違いない。悩みなのか相談なのかはまだ分からない。けれど、彼らの真剣な思いに対して私に出来る限りのことは全てやりたいのだ。少しばかりの落ち着かなさを覚えていたが、自覚はなくとも映画の収録で疲れていた身体は寝具に入るとすぐに眠りに落ちてしまった。
目覚ましの音で目を覚ます。そのまま支度を済ませ、部屋の掃除に取りかかることにした。二人との約束まではまだ時間がある。何もしないでただ待っているのは私の性に合わない。……そう思って掃除を始めたというのに、どうにも掃除が手につかなかった。普段から汚さないようにしているため掃除する場所が少ないという意味ではない。二人のことが気になって掃除に集中できないのだ。
ナンバープレースならば集中できるだろうか。掃除道具を片付けるとまだ手を付けてない雑誌を取り出したが、こちらも集中できない。何度時計を確認してもさすがに山下くんの家に向かうには早すぎる。
さて、どうするべきか。ふむ。過去の仕事を見直して今後のために復習をしておこう。そう思ってテレビをつければ丁度放送されている料理番組が視界に入った。ああ、そういえば昨日は一人で夕飯を食べたのだったな。いつの間にか仕事が終わった後に用事がなければ山下くんの家で食事をご馳走になるのが普通になってしまっていた。約束をしていたわけではないが、昨日の私は自分でも自覚してない間にそのつもりだったのだろう。
だから、今の私はきっと少しだけ寂しかったのかもしれない。掃除にもナンバープレースにも集中できないほど。もちろん、舞田くんが言った大事な話が最優先である。私の感情面の話は私が解決すればいい。彼らとはこれからも共に多くの若者を導いていくのだから。
時間を確認し、山下くんの家のチャイムを押す。少しの間の後、私を出迎えてくれたのは舞田くんだった。共に家に向かわない限り山下くんより舞田くんの方が私を出迎えてくれているかもしれないな。
「いらっしゃい! ミスターはざま!」
「うむ。お邪魔する」
舞田くんが手を差し出しているので途中で買ってきたものを手渡す。山下くんに渡しに行ってくれるのだろう。教師時代にはどこに住んでいるかも知らなかった山下くんの家に馴染むほど訪れる未来がくるとは考えもしなかった。けれど、それは嬉しいことでしかない。もしも、彼らも同じ気持ちであるならば更に嬉しく思う。
指定された時間は夕飯には幾分か早かった。だから我々が飲み物と共にいつの間にか決まってしまっていた定位置に座ると途端に二人がそわそわと落ち着きがなくなってしまった。
おそらくどうやって話を切り出すべきか迷っているのだろう。山下くんだけでなく、舞田くんもその状態であることから余程言いにくい話であることは予想できた。……私から話を振るべきだろうか。いや、内容の想像が出来ない限りこちらから話を振るのは控えておく方がいいだろう。二人ならば話してくれると信じている。幸いにして時間はたっぷりとある。彼らの心の準備が出来るまで私は待つことにしよう。
数分ほどしか経っていないと思うが、テレビが真っ暗で、いつもムードメーカーとしてたくさん話してくれる舞田くんも黙っているとこの部屋はここまで静かになれるものなのか。無言だからといって居心地の悪さを覚えたりはしないが、普段どれだけこの部屋が心地の良い音で満たされていたか分かった。だからこそ彼らの話をちゃんと聞きたいと思う。無理に急がせるつもりはもちろんない。私はそっと飲み物に口を付けた。
「ミ、ミスターはざま」
「……はざまさん」
二人が私の名前を呼んだのはほぼ同時だった。二人にとっても予想外だったのかお互いに顔を見合わせている。すると途端に吹き出してしまった。どうやら緊張の糸が切れたらしい。うむ、二人が笑っていると私も嬉しい。
「……あ~、るい、どっちから言う?」
「Umm……そうだ! 一緒に言おうよミスターやました!」
「ま、それが一番いいかもね」
頷いた二人に私は左右から視線を向けられた。その真剣な眼差しに自然と私も居住まいを正す。
「ミスター、あのね」
「俺とるいのことなんですけど」
一呼吸置いて言葉を告げられた。
「俺達付き合ってるんだ!」
「実は付き合い始めたんです」
その内容は私に衝撃をもたらすには充分すぎるほどであった。
二人の真剣な眼差し、何より彼らは冗談を言うことはあっても、このような表情と内容で冗談を言うような人ではないことを私はよく分かっている。だから二人が告げた言葉は真実なのだろう。山下くんと舞田くんがお付き合いをしている。恋人同士だと言い換えてもいいに違いない事柄だった。
彼らにはこれを私に対して黙っているという選択肢もあったはずだ。職業上、プロデューサーには伝えておいた方がいいとは思うが、私へ伝えることにおいてはそこまでの責任はないだろう。
正直に言ってしまえば、私は恋愛方面の感情に関しては疎いと言ってもいい。もちろんアイドルをやっている以上そういう仕事をすることもあるのだから理解を深める努力はしている。前に恋愛ドラマに出演するにあたって、この場所で二人と共にいくつものドラマを研究しながら見たことも覚えている。相手を愛おしいと思う感情については私だって持っている。家族や今目の前にいる二人、そしてプロデューサー相手に対して抱くことが多い。けれど、それは家族愛や友愛や親愛といったもので恋愛との違いはよく分からない。
だから、二人が隠そうと思えば私相手には何も言わないことだって出来たのだ。私のことだから二人の空気が変わったことには気付けたとしても、交際を始めたことに思い当たりはしなかっただろう。そんな私に対して、こうやって報告してくれたことが嬉しい。
「ミスターはざま?」
「俺達の声聞こえてます? また考え始めちゃいました?」
「……あ、ああ、いや、すまない。驚いて少し考え込んでしまった」
「それはしょうがないですよ。俺もいきなり言われたら驚いちゃいますって」
「Sorry……出来るだけミスターを驚かせたくはなかったんだけど」
悲しそうな顔になる舞田くんを見て私はハッとした。そうだ。二人は勇気を持って打ち明けてくれたのだからきちんとそれに対する私の気持ちを伝えなければ。
「ふむ。さすがに驚きこそしたが、私としては二人が打ち明けてくれたことを嬉しく思う。おめでとう。舞田くん、山下くん」
嬉しいことに嘘はない。私の心からの言葉である。それなのに、何故だか胸の辺りが少しだけ痛くなった気がした。
「ミスター!」
隣から突然舞田くんに抱きつかれてしまった。彼は心から嬉しいのだろう。私の胸元に頭を押し付けてくる。抱き締めてくる力も普段より強い気がした。
舞田くんがこうやって距離を詰めてくることはよくあることだったけれど、さすがに恋人である山下くんの目の前で、しかも彼の家でこの行動はまずいのではないだろうか。いくら私が疎いといってもそう考えることはできる。そう思って少し焦りながら山下くんの方を見れば、今まで見たこともないような優しい瞳で私達を見ていた。舞田くんではなく私達と考えたのは山下くんと目が合ったからである。
どうやら私の焦りは杞憂であったらしい。それに安堵しながら私は未だに抱きついたままの舞田くんの背中をそっと撫でた。私が気持ちを伝える前の表情からしてきっと舞田くんの中には不安もあったのだ。それが撫でることによってなくなることを祈りながら。
「だからるい言ったでしょ。はざまさんなら大丈夫だって」
「それは俺も分かってたよ!」
「はいはい」
私の胸元から顔を上げて山下くんに声を上げる舞田くんの姿はいつもと変わらなくて私は小さく笑ってしまった。二人の関係を表す言葉が一つ増えただけで、私達の関係は何も変わらないのだと思えたからである。
そんな私を見て何故か二人が固まってしまった。……私は何かおかしなことをしてしまっただろうか。
「あのね、ミスター。実はもう一つ伝えたいことがあるんだ」
「さっきのが報告だとしたら今度のは相談って感じなんだよね」
「む、なんだろうか」
舞田くんが抱きついてきた衝撃で少しずれた眼鏡を直して私は再び居住まいを正した。どのような相談をされても二人のため真摯に向き合いたい。舞田くんはさすがに身体を起こしたが元の位置に戻るつもりはないらしい。何故か私の隣に座ったまま手を握ってきた。……それほどまでに覚悟が必要な相談なのだろうか。そう思って舞田くんの表情を確認すれば、見た者を楽しい気持ちにさせる彼らしい表情で笑っていた。
急いで山下くんの視線を移せば、こちらも先程と変わらず優しい瞳のままだ。相談という言葉と二人の表情が一致しなくて私は少しばかり混乱してしまう。
「俺とるいが付き合い始めたって言いましたよね」
「うむ。二人が選んだことなのだから祝福したいと思う」
「Thank you! でも、俺とミスターやましたは他にも望んでいることがあるんだ」
「……それは、どういうことだ?」
二人が目を合わせた後に頷いた。
「俺はミスターはざまのこともミスターやましたと同じ意味で比べられないくらい大好きなんだ」
「るいの言う通りなんですよ。俺もるいだけじゃなくて、はざまさんのことも好きなんです。その、恋人になりたいという意味で」
舞田くんも山下くんも顔が赤い。けれど、舞田くんの赤さは嬉しさと興奮からくる紅潮で、山下くんの赤さは照れからくるものだろう。
そして私はというと、彼らの言葉を理解するのに必死になっていた。二人が本気で言っていることは今までの付き合いから分かってしまうからだ。
「………………舞田くんと山下くんが恋人同士であるという私の認識は間違っていないだろうか」
「Yes。正解だよ!」
「…………そうか。それで今の二人の言葉は私に対する告白と受け取っても?」
「ええ、それで合っていますよ」
「……恋人というものは二人でなるものだと思っていたのだが」
私が気になったのはそこである。海外ならばまた話は変わるのだが、日本において恋人は一対一が基本だった。過去に見た恋愛ドラマでも人から聞いた話でも三人以上で交際したという話は見たことも聞いたこともない。聞いたことがないというだけで否定をするつもりがないのだが、恋愛において疎い自覚がある私にはどうしても理解に時間がかかってしまう。
「いや~俺もるいとこういう話をするまではその考えだったんですけどね」
「俺はミスター達のことが大好き! もちろんlikeじゃなくてloveの方だよ。しかもミスターやましただって俺達のことが大好きなんだ。それなら三人で一緒になれたらもっとhappyだと思ったんだ」
舞田くんの言っていることはどうにか理解できた。確かに全員が合意するのならば最善の案なのかもしれない。
「でも、これは告白ですからね。はざまさんに同じ気持ちがなかったら断ってくれて大丈夫です。いや、むしろ、その気はないならズバッと俺達を振っちゃってください」
「無理させるのは良くないからね! ……あ、ミスターが俺かミスターやましたのどちらかだけを好きって言ったらどうしよう」
それは考えてなかった……と山下くんの言葉が続いた。舞田くんもどこか慌てた表情を浮かべている。
私は過去に告白をされたことはある。けれど、その時は相手を恋愛感情で好きだとは思えず断ったことを覚えていた。その時の私の心情は断ることに対しての申し訳なさこそあれど、落ち着いていたように思う。
しかし、今の私の心情はどうだろう。心臓の音が体内で大きく響いている。現実として有り得ないと分かっていても、二人に聞こえてしまうのではと思うくらいだ。離れている山下くんはともかく、未だに手を握ったままの舞田くんには本当に聞こえてしまっているかもしれない。なぜならば、私の手に勝手に力が入ってしまい舞田くんの手を握り返しているからだ。
山下くんと舞田くんのことは好きだ。二人のことが好きかという質問があれば私は間違いなく好きだと答えるだろう。けれど、それは友愛と親愛が混ざったものだと考えていた。でもその感情に恋愛が混ざっていないかは私には分からないのだ。一人で解くことができない問題ならば彼らの力を借りるしかない。
「……山下くん、舞田くん」
二人がこちらを向いた。普段のような雰囲気で会話をしていたけれど、その表情には緊張していることが読み取れた。出来る限り私が負担に思わないようにしてくれているのだろう。二人の気遣いをありがたく思う。
「私は、二人のことを同じくらい大事な仲間だと思っている」
息を飲む音が伝わってきた。
「仲間としても友としても二人のことは好きだ。それは間違いない。だけど、私だけでは分からないことがある」
「ミスターの分からないこと?」
「私が二人に抱いている感情に二人と同じような恋愛としての感情が混ざっているか私だけでは判別することができない」
山下くんと舞田くんの瞳を順番に見る。私の胸の中にあるのがどういう種類の感情だとしても、二人のうちのどちらかだけを選ぶことはしないだろう。それだけは分かっていた。
「だから舞田くんと山下くんには私が抱いている感情の種類を共に考えてほしい。……む、これでは告白に対する返答にはなっていないな」
私の気持ちを偽ることなくそのまま伝えた結果、まるで先延ばしのような返答になってしまったのではないだろうか。どう言葉を足すべきか悩んでいると隣から舞田くんの震えが伝わってきた。彼を見れば楽しそうに笑っている。何故笑っているのか分からない。そんな私の心境を察したのか山下くんが言葉を発した。
「るいは嬉しいんですよ、はざまさん」
「な、何故だ」
「考えてほしいってことは、はざまさんも自分と俺達の気持ちに真剣に向き合うってことですよね?」
「その通りだ山下くん」
私は頷く。真剣に向けられている気持ちに真剣に向き合いたいと思うのは私にとって当然のことだった。
「つまりまだ希望があって、向き合ってくれるのが嬉しいんですよ。それは俺もですけど」
「ミスターやましたの言う通りだよ! 今はすごいhappyってこと!」
舞田くんが再び私に抱きついてきた。一回目ほどの衝撃はない。私は自然に舞田くんの頭を撫でていた。彼の嬉しそうな声が聞こえる。
後日、ホワイトボードを借りて私が抱いている感情の種類を二人と共に考えようと静かに決意固めた。