「火」「プロポーズ」「いてつくかけら」「この火を越えた者だけがわたくしと結婚できます」
「いや無理では?」
開幕一秒で物語は終わりました。いえ始まりました。
燃え盛る炎の壁を前にその美貌を輝かせる姫君に、炎に隔たれた求婚者の男は未練がましく叫びます。
「この勇士の国でも並ぶ者なく勇ましき氷姫よ、強く賢く輝かしき方よ、どうかあなたの美徳に慈悲を混ぜていただきたい。あなたの前に跪く栄誉をわたしにください」
「嫌です」
にべもありませんでした。これで無表情ならまだ慈しみが芽生える気配を期待できたかもしれませんが、氷姫は満面の笑顔でした。眼差しは冷たいどころか慈愛に蕩けています。雪解けどころか春満開です。
「わたくし、強く勇ましく健気な殿方が無理難題に悶える様が好きですの。ですから早く、火に巻かれて苦しんでください。できないならお帰りになって?」
「慈悲のかけらもなかった! いえ、いいえ、それがあなたの望みなら! 男として叶えてみせましょう! あっぢぃいいいいいいい!!」
即堕ちと形容するにも情緒がなさすぎでした。氷姫もその名に相応しい冷ややかさを取り戻します。
「強くもなければ勇ましくもない。思い切りの良さに免じて三十点」
「姫の心に慈悲が芽生えた! あと一押しだ!」
ポジティブなのが男の美点でした。状況の役に立っているとは言い難いですが。
「しかし姫、この炎の熱さはとても越えられそうにありません。そんなに結婚が嫌なのですか?」
「いえ別に。好みの方ならむしろ興味津々です」
「つまり私は好みの範疇外と!?」
何を今更、と氷姫は視線を冷たくします。この国一番の美姫にしてもののふと讃えられたお方、好ましく感じた殿方を焼き殺すほど歪んではいません。
「炎を越えるのは殿方ではなくわたくし。この炎に巻かれるのは惜しいと感じた方が訪れれば、わたくしは自ら炎を越えてその方と結ばれるでしょう」
「なるほど。とうっ!」
ポジティブな男は果敢に炎に飛び込みました。氷姫は着席して優雅にお茶を啜りました。
「ひめぇぇぇえっ!!? あづっ、あづい、しぬうううっ!!」
「まぁごめんなさい。炎のそばにいたから喉が渇いて」
慈悲深く姫はお茶を投げて男の火を消してやりました。ほら、死臭って臭いので。
「はぁ、はぁ、ありがとうございます、姫。しかしわかりました。この炎を越えるには私は未熟! 修行して参ります!」
「あなた、わたくしの話聞いてました?」
聞いていませんでした。男は下山し、ポジティブに修行に励み、悟りました。
「うん、無理だ」
人間に生身で炎は越えられません。当たり前ですね。氷姫は神の血を引く王族だからできるのです。
というわけで、男は炎を防ぐ氷の鎧を着込んでリベンジしました。
「姫、参ります!」
「ていっ」
「ぎゃぁっ!」
弓矢で撃退されました。当たり前ですね。
「ひっ、姫、なにをっ?!」
「何って、好みでない男が近寄ってきたので射殺そうとしただけですが」
「殺意満々だった!? 兜が丈夫で良かった!!」
ポジティブに胸を撫で下ろす男に、姫は呆れます。
「言ったでしょう、炎が越えられるかどうかなど瑣末なこと。大事なのはわたくしの心を動かせるかどうかです」
「私のどこが不満なのですか!」
「人の話を聞かないところと暑苦しいところと逐一やかましいところ」
三連撃の両断でした。姫の振るう剣の鋭さが偲ばれようというものです。
「しかし私は諦められません! かくなる上は! カモン親友! 任せたっ」
「任された」
男に呼ばれて現れたのは凛々しい若武者です。神の血を引きながら辺境で育てられた若武者は、あっという間に炎を乗り越え、氷姫の前に跪きました。
「姫様、どうか俺の親友の訴えに耳を傾けてください。仰られたように暑苦しい男ですが、頼りになる勇ましい男です。この諦めの悪さに、俺は何度も励まされ助けられてきました。どうか俺の親友の妻になってください」
「まぁ」
まっすぐな若武者の訴えに、氷姫は堪らず頬を赤らめました。その手を取り、冬を乗り越えた蕾が花開くような微笑みをこぼします。
「あなたとなら、喜んで」
「ぇっ」
「ぇっ」
男と若武者の声が二重唱を奏でました。
「さぁ、こちらへ。わたくしはあの炎を乗り越えた方と婚姻を結ぶ誓いを立てましたの」
「いっ、いや俺はあの、親友と結婚してほしくて」
「聞いておりますわ。けれどわたくしにもチャンスをくださいませんこと? あなたの心の壁を乗り越えて、燃え盛る日々を共に過ごす機会をくださいませ」
「まっ、待て、親友、ひめぇぇぇっ!?」
男の悲鳴に、氷姫は炎越しに冷ややかな視線を返しました。若武者は助けを求めるような視線を送っていますが、男に炎の壁を越えるすべはありません(氷の鎧はさっき兜が破損しました)
「姫、やり直し! やり直しを求めます! あづっ!? 姫、見て、あつい、しぬうううっ!?」
「親友っ!? 姫、待ってください、親友がっ!」
「そうですわねぇ」
心底どうでも良かったのですが、花婿(候補)の好感度を下げるわけにはいかなかったので、姫は腕をほどいてやりました。
駆け寄った若武者が男の炎を吹き消します。仲睦まじいこと、と姫は嬉しくありません。立ち直った男がまたうるさく求婚してくるのを聞き流して、氷姫は自ら炎を乗り越えました。
「ぇっ」
「ぇっ」
「要件は終わりましたわね。さ、わたくしとお話ししましょう」
輝くような氷姫の笑顔に若武者は無言で逃げ出しました。男が姫の前に立ちはだかります。
「親友、ここは私に任せて先に行けっ。姫、どうか私とぐふぅっ!」
「邪魔ですわ。あら、うふふ。駆けっこもお得意ですのね」
「はっ、速い!?」
国一番の姫の健脚に若武者は戦慄しましたが、若武者は親友を信じていました。案の定すぐに立ち直った男が、姫に追いすがります。
「姫、私を、どうか、あなたの夫にぃいいい!」
「そのしぶとさだけは褒めてさしあげますわ」
ついに男を敵とみなした氷姫が剣を手に取ります。男は負けじと氷の盾を構えました。
その頃、若武者は狙撃地点に到着しました。弓矢を手に、姫の剣を弾き飛ばせる瞬間を待ち構えます。
収拾のつかない恋の戦いは、未だ終わりを迎える気配をみせないのでした(どっとはらい)