罪の終わり、贖いの果て(5)『ノウェ。マナは僕が。あなたはエンシェント・ドラゴンを!』
飛んできたセエレの思念に、ノウェはレグナを駆りエンシェント・ドラゴンへ突進した。
罠かもしれないとは考えた。だが、今のノウェに他に縋るものはなかった。
『悠久の果てに神の尖兵と成り果てた先達よ、今その呪縛から解放しようぞ!!』
レグナが吠え、蒼炎が古竜の鱗を抉った。ノウェの光刃が追撃し、その下の肉を削ぐ。
古竜があぎとを開き、角と一体化した頭部がノウェたちを見た。
「レグナッ!!」
返礼のブレスが空を灼いた。聖なる竜の異名に相応しい真白い炎が、直撃を避けレグナとノウェがそれぞれ二重に障壁を張ってなお、肌を炙り視界を眩ませる。
長期戦は不利。下手に避ければ地上のセエレ神官長らゴーレム群も焼き払われる。魔力で治癒力を活性化させながら、ノウェはレグナと魔力を一体化させた。
竜騎士の本領。魔力の交流が互いの魔力を爆発的に強める。
レグナの力が高まっているからか、ノウェ自身の成長か、交感はかつてなく深く、湧き上がる力は絶大だった。膨れ上がった青い輝きに、古竜が再びあぎとを開く。
『このまま突っ込む!』
『は、おまえも馬鹿者になったものだな!』
レグナの思念に歓喜が滲むのを聞きながら、ノウェはレグナと共に視界を埋め尽くす白い炎へと突進した。
* * *
『ららら、天使が歌った、天使は笑うよ、らららら、天使!』
調子外れに響く神の思念を聞きながら、セエレは無数のゴーレム兵を操作した。
ゴーレム兵一体一体の力は、ドラゴンに遠く及ばない。空は飛べないし動きも遅い。出力と耐久性はなんとか及第点だが、持たせられた機能は魔弾と障壁のみ。速射と溜め撃ちは切り替えられるが、それだけだ。
だが、セエレが指揮を取ることで、ゴーレム兵は群れとして機能する。降り注ぐ神の魔弾を、セエレはゴーレム兵の障壁を組み合わせて規模・硬度・密度すべてを向上させた多層結界で撃墜した。
ゴーレムを生み出し、操る石の里。帝国軍に滅ぼされた故郷の技を、セエレは復活させ、進化させた。
それを可能としたのは、セエレの契約相手、心の芽生えた稀有なゴーレムだ。
彼の思念を他のゴーレムと連結させ、全体で一つのゴーレムと認識させる。セエレが指示を出すのは彼だけでいい。それだけで、無数のゴーレムが一個の生き物のように完璧に連携する。
「ごめんね、ゴーレム」
『ゴゴゴ、ヘイキ。セエレ、ヤクニタツ……ウレシイ』
健気で頼もしい友の言葉に微笑をこぼす。自分の心だけが大人になり、彼を置き去りにしてしまったような気がしていたが、それでもやはり、自分の相棒は彼だった。
「うん……行くよ、ゴーレム!」
『ゴーッ!!』
気合の言葉と共に無数の魔弾が波のように神へ殺到した。弾速を調整し、絶え間なく妹の体へ浴びせかける。
未だ本来の器を取り戻していない神にとって、仮ではあってもマナは希少な器。いくら攻撃しても神が防ぐだろうが、万一命中したら。
それでも、セエレは攻撃を緩めなかった。
『ららら、わたしが憎いのね? お兄ちゃん。怨んでるのね? 殺したいのね? 愛されてるから!!』
「君を憎んだことなんてないよ、マナ」
神が代弁する妹の思念に、セエレはささやいた。妹には届かない言葉だ。
セエレが憎んだのは自分だ。あの頃も、今も。妹を見捨てて母の愛を甘受した。自分が母を諌めていたら。せめて、マナを逃していたら。世界が滅びることは、少なくとも、マナが神の器になることはなかった。
そして、マナがセエレとの対話を拒み、鍵を破壊することも。自分に彼らを責める資格も、罰する権利もない。誰よりも世界を救い、赤き竜を、カイムを救わなければならなかったのは、セエレなのだから。
「自分を責めてはなりません、セエレ。
……あなたは、たったの六歳だったのですから」
肩に触れた穏やかな声に、セエレは顔を上げた。
微笑みを浮かべる歳経た男、盲目の隠者レオナールが、朧に舞い飛ぶ誘導弾を放ち神の魔弾を撃墜する。
十八年間、ずっと自分を守ってきた男に、セエレは首を振った。レオナールも家族を失い、自分を責めているのを知っている。秘めた欲望も今は知っていたが、それを堪える真心を信じてもいた。
「ぼくはもう、二十四歳なんだ。だからいい加減、お兄ちゃんをやらなくちゃ」
「……大きくなりましたね」
レオナールの微笑みに水を差すように、絶叫がふたりの間に飛び交った。
『うっぜぇぇぇぇ! くっせぇぇぇぇ!! なぁぁあにイチャついてんですかぁ。時と場所を弁えてくださいよぉ、神官長さぁぁん』
「フェアリー」
レオナールと契約した妖精が、鼻を摘んでわざとらしく舌を突き出してくる。
今更その毒舌に付き合う気も起きなかったので、セエレは鷹揚に頷いた。
「そうだね、ごめん。レオナール、頼める?」
「お任せください」
『はぁぁぁぁ? テメェらで勝手にやってろよ。俺はいち抜け、ぐぇっ』
「私とあなたは一蓮托生、そうでしょう?」
フェアリーを掴み、レオナールは宙へ跳んだ。魔力が背中に翅を形成し、フェアリーの鱗粉が誘導弾となって神の魔弾を撃墜する。
ゴーレム兵の弾幕も厚みを増し、神は次第に追い詰められていった。障壁を兼ねた光の帯が穴だらけにされ、撒き散らす魔弾が一つも地上に届かない。
不意に障壁を消して、神は両手(もろて)を挙げた。
『殺したいんでしょ? どーぞっ』
「──…」
ゴーレム兵の魔弾が、外れた。マナの体を掠めて、背後へと逸れていく。
勝ち誇った笑顔で、神がレオナールを指差す。唇が呪文をさえずろうとして、止まった。
マナから逸れた魔弾がそのまま旋回し、天使文字を描いていた。呪文の檻がマナを囲み、神を閉じ込めようとする。
『おのれ、まだ抗うか。醜い、醜いぞ、人間!!』
苛立つ神の思念を浴びながら、セエレは檻の完成を急いだ。魔弾を掻き消し逃げようとする神を、レオナールがフェアリーの鱗粉を飛ばして邪魔立てする。
檻の完成まで、二手足りない。セエレは悟ったが、ただ手を動かした。
檻を砕こうとした神の魔弾をレオナールが撃ち落とすが、続く光の帯が広がるのを止められない。
地上から閃いた純白の光条が、光の帯を斬り裂いた。魔槍を掲げた女騎士が崩れ落ちるのを、レオナールが掬い上げる。あと一手。
檻の端に届いた神が、そのまま結界の外へ逃れようと手を伸ばす。
「マナを、返せぇぇぇえええっ!!」
振り下ろされた光刃が、障壁となりその門戸を閉ざした。
エンシェント・ドラゴンを貫いたノウェが、レグナとの共鳴を解かぬまま神を阻む。
「天の時よ、凍りつけ」
結界が完成し、指を伸ばし顔を引き攣らせた姿勢のまま、神は空中で静止した。