罪の終わり、贖いの果て(6) 精緻な刺繍を施された毬のような結界が、マナの体を囲み、その動きを静止させていた。
その姿を案じながらも、ノウェはレグナから飛び降りて地上に着地した。ゴーレムの掌から降りたセエレ神官長の隣に、守り手レオナールが降り立つ。
その腕から降ろされた女騎士に、ノウェは駆け寄った勢いのまま抱きついた。
「エリス!!」
温かい。生きている。幻じゃない。
ただ敵対しただけの人間を大勢斬り殺した自分が、今更友の生を喜ぶのかと頭の片隅で嘲けるが、湧き上がる安堵は消せなかった。
「ノ、ノウェ。エリスは病み上がりで、傷もまだ塞がってないですから」
「ごっ、ごめん。助かったんだな、エリス」
「……ええ。セエレ神官長が処置してくださったの。わたくし、あんなことでは死なないわ」
頬を赤らめながら頼もしく笑う姿にあのときの死相はない。感謝を述べると、セエレ神官長は首を振った。
「エリスの気力がすごかったからだよ。それに、マナの応急手当が功を奏したんだ」
「マナ……」
あのとき、ノウェの訴えに、マナはエリスの傷に回復魔法を施してくれた。すぐに封印騎士団が駆けつけたので、後は彼らに託して逃げるしかなかったが。
エリスは複雑な顔をしていた。空を仰ぐと、セエレ神官長の結界の中で凍りついているマナが見える。
空中で静止して、瞬きもせず、呼吸も感じられない。
「あれは……」
「僕の契約紋を解析して開発した、時空停止の結界だよ。天時の鍵の基になったものだ」
セエレ神官長の表情は苦かった。女神を封じた五つの鍵。反対していたセエレとレオナールの天時と宝光、精神が不安定だったアリオーシュの気炎と神水、失脚したヴェルドレの明命の鍵をそれぞれ後任に引き継いで、女神を苛む封印は存続した。
『それで? 世界が終わるまで、ああして悠長に先延ばしにしてやるつもりか?』
レグナの冷ややかな思念に、セエレ神官長は首を振った。
「そこまで長くは保たない。平時ならともかく、今は余裕がないしね。僕の魔力が尽きる前に、マナを助けないと」
「助けられるんですかっ!?」
顔を輝かせたノウェにセエレは頷いた。
「マナの心に入って、目覚めさせるんだ。マナが覚醒すれば、神に対抗できる」
「心、って、そんなことができるんですか?」
「マナの読心の力を使うんだ。アレはマナの力で、神の力じゃない。こっちで干渉して強めてやれば、マナの夢に潜れるはず」
『もっと容易い方法があるぞ。その女を今すぐ殺すことだ』
割り込んだレグナの思念に、ノウェは腹が燃えるような怒りを覚えた。睨みつけた《父》は、平然と後を続けてくる。
『その女と神は一体化している。今ならその女ごと神を葬れるはずだ』
「それはできません。無策で神を殺せば、大いなる時間が……」
『封印が解けておる今は些事であろう。案ずるな。神の後釜には、我らが』
「レグナ」
鋼のように冷えた声に、レグナは思念を途絶えさせた。セエレが後を続けた。
「ぼくはマナを助けたい。兄だから、償いだからというだけじゃなく、神の器になっているマナなら、大いなる時間を破綻させず、神の干渉を断てるはず。
それが、ぼくと、マナの償いにもなるって、信じたい」
『夢を見たくば好きにするがいい』
レグナが引き下がったのを見て、セエレが一同を見渡す。
「マナの夢に潜るのは、ノウェにお願いしたい。君の魔力ならマナの心の中でも自分を保てるはずだし、マナと君は仲間として過ごした時間がある。
その間の警護は、レオナールと、レグナに。ぼくは結界の維持があるから、夢に潜る術はエリスにお願いしたいんだけど、いいかな?」
それぞれが頷く。レグナは渋ったが、ノウェが口添えすれば了承した。いつものことだが、この滅びの中でいつも通りのやり取りができたことが、少し可笑しい。
エリスだけが、俯き、眉を顰めていた。ずっとマナを敵視し、殺そうとしてきたエリスに任せるのは、ノウェも不安だったが。
「わたくしはこの女に、命を救われました」
苦虫を噛み潰すような顔で、エリスは告げた。
「ならば、わたくしの誇りにかけて、その借りは返さねばなりません。行くわよ、ノウェ」
「ああっ!!」
エリスと、再び共に戦う。喜びと決意に胸を張り、ノウェは空で凍りついたマナを見上げた。
必ず救ってみせる。エリスの頷きに合わせ、ノウェは強くマナの名を呼んだ。